リタイア、シャットダウン、撃沈、………死屍累々
「おう、そうじゃった。初めて同士の者もおったのじゃ」
乾杯と同時にエールジョッキを空にした白亜。
鼻の下に白い髭が付いていることすら気にしていない白亜が、追加のジョッキを注文し終わると紹介を始める。
「アイシャ。サリナ以外は初見であろう?」
「そうね。わたしの名はアイシャ・シュトーレン。ここホバートの冒険者ギルド支部の支部長をしています。皆さんよろしくね」
「ボクの名はシルキーネ・ガヤルドだ。見ての通り魔族だよ」
「私はシルキーネお嬢様のメイド長を拝命しております、シャルトリューズ・カトラールと申します。以後お見知りおきを」
シャルトリューズの丁寧な自己紹介。
手には蒸留酒のミニグラス。
横にあるボトルのラベルに『アルコール度数98%』と表記されているのを白亜は見逃さなかった。
だが、シャルトリューズの顔色も呂律も普段と何も変わらない。
「シャルトリューズの家名はカトラールというのか? 初めて聞いたのじゃ」
「シャルトリューズはこう見えて子爵家の令嬢だよ」
「ほえ~、貴族令嬢なのかえ? その貴族令嬢が何でメイドを?」
「ああ、貴族社会では娘を上位貴族の家に行儀見習いに出すことが多いんだよ」
「行儀見習いのつもりがいつまでもお暇させてもらえず行き遅れになってしまいました」
「それは君がお見合い相手の心を折りにいくからだろう?」
「私に糞面白くも無い相手と結婚しろと?」
「『糞面白くも無い』って、君ねえ――――」
表情を変えずに悪態を吐くシャルトリューズにシルキーネが困り果てている。
これも度数の高い酒のせい?
それとも普段通りの通常運転のうち?
「まあ、言いたいことが色々あるじゃろうが、自己紹介の続きを……」
白亜が慌てて止めに入る。
「続けていいかしら? わたしはセレスティア。このエーデルフェルトを司る女神よ」
「残念女神」
「何か言ったかしら? 糞魔族」
穏やかに微笑むシルキーネとセレスティア。
シルキーネは杖を、セレスティアはワンドを構えている。
今にも一戦交えそうな二人。
「ま、まあ、初見同士の自己紹介はこんなところじゃ」
愛想笑いでその場を取り成す白亜。
目の前に並んでいる空のジョッキはもう4つ目。
(どうしてシルキーネとセレスティア様は仲が悪いんだろう? 前世は勇者パーティーの仲間だったというのに。その割に決定的な決裂はしていないのじゃ。不思議な関係じゃのお)
「それで不肖の弟子君? イツキ君の家に押し掛け同居している理由を、ぜひ師匠のボクに教えてくれないかい?」
シルキーネの矛先がサリナルーシャに向く。
「そうね。イツキ君と白亜ちゃんの甘~い生活の邪魔をした理由が訊きたいわ」
アイシャの張り付いたような笑顔がサリナルーシャに向けられる。
「あの……お師匠様もアイシャもどうしちゃったのかなあ?」
「「いいから答える!」」
誤魔化そうとするサリナルーシャを問い詰める二人。
「だ、だって、イツキと離れたくなかったんだもん。また置いて行かれるなんてイヤだったんだから仕方ないじゃない!」
サリナルーシャがグラスを煽る。
その目の前には空のウイスキーグラスが1ダース並んでいた。
「わたしはイツキの婚約者よ! ちょっとフライングして一緒に住んだったいいじゃない!」
また、空のグラスが増えた。
顔が赤くなったところをみると酔いが回っているようだ。
「だいたい、わたしのことが羨ましかったら、お師匠様も一緒に住めばいいじゃない!」
「ボクは五公主の一員の魔公爵だ。執務を放り出してそんなことができるはずないだろう?」
「わたしは第一王女の地位を捨ててもいいと思ってるわ! それくらいイツキのことを愛してる! お師匠様にはイツキ愛が足りないのよ!」
言い切ったサリナルーシャ。
「そうですね。お嬢様は体裁を気にし過ぎなんですよ。サリナルーシャ様のようになりふり構わず飛び込む気概が足りないのです。お嬢様と旦那様の間には『前世の約束』しかないのでしょう?」
まあ、イツキがシルキーネから離れない理由は他にもある。
【暴虐】の阻止という理由が。
だが、そこでシルキーネは気づいてしまった。
(もしかして、『前世の約束』と【暴虐】の阻止だけがイツキ君を繋ぎとめている理由で、ボク個人には何ら思うところが無いということか?)
シルキーネには思い当たることがあった。
イツキを夜伽に誘った時のことだ。
――――――――――――――――――――――――――――
『要らない』
『だって、シルク、胸無いじゃん。洗濯板じゃん。サリナ比10%じゃん』
――――――――――――――――――――――――――――
思わずサリナルーシャの胸のあたりに視線を送るシルキーネ。
そして、自分の胸に手を当ててみる。
「ねえ、シャルトリューズ? ボクに女性的な魅力は――――」
「ありませんね、これっぽっちも。家事も壊滅的ですし」
「つまり、イツキ君はボク自身には何の魅力も感じていないってことか?」
「そうでございますね」
主に対して容赦ない家臣。
「でも、ご安心下さい。お嬢様は高学歴高身長高収入ですから」
「それって、女性が求める理想の花婿像じゃないか?」
「ええ、ですからお嬢様は嫁探しをした方がよろしいかと。応募者殺到ですよ」
それを訊いていたセレスティアが混ぜっ返す。
セレスティアが手にしているのはワイングラスではなく…………ボトル。
「そうだそうだ。さっさと婚約破棄して嫁でも迎えやがれ、糞魔族」
「嫁候補でもないヤツは黙ってなよ」
「なんだとう?」
また、いがみ合う二人。
一方、サリナルーシャは――――
「わたしのことより、アイシャの方はどうなのよ。何か浮いた噂でも無いの?」
「ないわよ」
「そう言えば、聖女は既婚者とは結婚しないって話の時に、聖女避けにイツキに自分を売り込んでおったな?」
「白亜ちゃん!」
初めてアイシャが慌てた。
手にしたカクテルグラスの液面の乱れでそれがわかる。
「アイシャ………あなたって人は………」
「仕方ないじゃない。エルフと違って人族の旬って短いのよ」
「『旬』って野菜や果物でもあるまいに」
「アイシャさあ、レオンのことはどうなったのよ?」
「えっ? レオンとは誰なのじゃ?」
「レオン・グラッツ。十字星の創設メンバーの一人よ。確か、アイシャより5つ年上よね?」
「そうだけど、あの人は…………」
珍しく言い淀むアイシャ。
「なによ、現役時代には仲良かったじゃない」
「そうなのかえ?」
「でも、あの人は――――」
「実はノイエグレーゼ帝国の皇太子だったんでしょ?」
「サリナ、あなた?」
「知ってたわよ。わたしもアナトリア王国の王族だし、彼の素性くらい調査済み」
「アイシャの想い人は皇太子殿下だったと?」
「今は皇帝ね」
「身分違い?」
「あいつはそんなことを気にするようなヤツじゃない。アイシャなら大丈夫よ。いや、むしろアイシャじゃなきゃあいつの手綱を捌けない」
「?」
「レオンはさ、俗にいう女誑しなのよ。同時に人誑しでもあるんだけどね。オマルのヤツと並んで十字星の悩みの種でもあったわけ。結構自分勝手なヤツだったし」
「それは…………」
どっかで訊いたような話だと白亜は思った。
「そんなレオンがさ。アイシャの言うことだけは聞くわけよ。アイシャの頭を撫でながら『おまえが望むならそうするよ』って。そしてアイシャが『ダメ』って言ったことは二度としなくなるし、アイシャが喜ぶことは何でもしたし…………あの時のアイシャは今と違って、恋する乙女だったなあ」
「今と違って?」
「お、脅すのはやめなさいよ。怖いから」
「アイシャは今でもレオンのことを好きなのかえ?」
「う~ん、どうなんでしょうねえ。もう、何年も会ってないから何とも言えませんねえ」
「わたしなんて、サツキと1000年も会ってなかったけど醒めなかったわよ」
「サリナは昔からサツキ様に一途だったものねえ。どんなに好条件の男性から求愛されても見向きもしなかったくらいには」
「そうよ。絶対にサツキは転生する。そう信じて、この世界のどこかにいるはずのサツキの転生者を見つけ出すために《S》ランク冒険者になったんだから!」
「凄い執念じゃのう」
「だからイツキがサツキの転生者だと知った時には絶対に逃さないと誓った。必ず、わたしのものにするんだと」
「それどころか、イツキの方から『結婚してくれ』って言い出す始末じゃったしのう」
「そうなの! だからその時、イツキの元に押しかけてやるって決めたのよ」
拳を握り締めて熱弁するサリナルーシャ。
彼女の目の前には2ダース以上の空のウイスキーグラスが並んでいた。
ちなみに彼女の頼んだオーダーは水割りでもロックでもなく全てストレートだ。
そんなサリナルーシャを見ながら、白亜とアイシャが視線で言葉を交わす。
『白亜ちゃん、これでいいの?』
『まあ、妾の幸せとサリナの幸せが相反する訳ではないからのお。妾も負けずに頑張るだけじゃよ』
そんな二人の気も知らず、瞳に♡が宿った発情モードのサリナルーシャが祈るように一言。
「あとはイツキから搾り取るだけ! 帰ったら早速――――」
「それはやめておきなさい」
「アイシャも早くレオンを押し倒して既成事実を作ってしまいなさい。ガキさえこさえてしまえばこっちのものよ」
「黙れ、ドスケベエルフ」
アイシャの手刀がサリナルーシャの額を直撃する。
「きゅう~~」
サリナルーシャが意識を刈り取られテーブルに沈んだ。
サリナルーシャ、リタイア。
「容赦がないのお、アイシャは」
「これ以上、この女を放置しておくとロクなことを言い出しかねないし、しかねないから、予防処置よ」
伺うような白亜の問いにアイシャがニッコリ微笑み返した。
シルキーネとセレスティアの口論も続いていた。
シルキーネの前には醸造酒のいくつもの空の徳利。
相当出来上がっているようだ。
「セリアは卑怯なんだよ。親友、親友って、二人でこそこそボクらに内緒で。ボクは知ってるんだからな。君がこっそりサツキ君の手料理をご馳走になっていたことを」
「仕方ないじゃない。サツキがわたしの胃袋掴んじゃったんだから」
「普段はツンツンしてるくせに、ここぞというタイミングでデレデレして。あざといんだよ」
「『あざとい』って…………」
「好きなら好きってはっきり言えばいいじゃないか。サツキ君がどれだけ君のことを気遣っていたかわかりもしないんだろう? 司教帝に追われていた時だっていつも聖都に残った君のことばかり心配していた。『セリア大丈夫かな』って。それを毎日訊かされるボクの身にもなってくれ」
「知らないわよ。いつも揶揄われてたのよ。サツキの気持ちなんてわかるわけないじゃない」
それを黙って聞いていたシャルトリューズが一言。
「好きな娘にちょっかいを掛けるなんて、旦那様はお子様ですね」
「『好きな娘』って…………」
セレスティアの頬がカッと赤みを増す。
「わ、わたしは、サツキのことは………今だってイツキのことは、大事な親友よ。あいつだってそう思ってるはず」
だんだん声が尻すぼみに小さくなっていく。
「ボクは創造神様からサツキ君の記憶を預かった。サツキ君はアナトリア君よりも君を愛していた。なのに何で君は気づかなかったんだ? いや、言い直そう。何で気付かないふりをしていたんだ?」
「だって! あの時のわたしは枢機卿! 聖女様を第一に考えるのは当然じゃない!」
「そういうところだよ、君がダメなのは。サツキ君がアナトリア君と結婚する前にサツキ君を奪ってアナトリア王国に逃げてしまえばよかったんだよ。そうすれば、サツキ君が非業の最期を迎えることもなかった。全ては君の優柔不断が招いた結果だよ。全部君のせいだ!」
酒の力で本音をさらけ出したシルキーネ。
追い詰められたセレスティアは苦悶の表情を浮かべて黙り込む。
「さあ、本音をぶちまけてみなよ」
「今のわたしは女神よ。エーデルフェルトの安寧がわたしの望み。それ以上でもそれ以下でもないわ」
その言葉を受けてシルキーネが冷たい表情を浮かべる。
「そうして繰り返すのかい? イツキ君が同じような運命を辿ることになるとしても」
探るような視線にセレスティアの意志は揺るがなかった。
「そんなことにはならないわよ。わたしがイツキの望む世界を用意してあげるんだから。それが彼の親友であるわたしの矜持なんだから」
「そこに君の想いは無いんだな?」
「ええ」
「そうか………なら勝手に………したまえ………」
ガシャン!
シルキーネがテーブルに突っ伏した。
スイッチが切れるように意識を失ったようだ。
シルキーネ、シャットダウン。
そんなシルキーネを見ながらセレスティアは思う。
(ほんとにこの女は。自分のことを後回しにして人のことばかり思いやるんだから。だから、あんたは苦手なのよ)
「セレスティア様、よろしいですか?」
シャルトリューズが真っ直ぐにセレスティアを見つめながら尋ねてみた。
「言って御覧なさい」
「セレスディア様が旦那様を心から愛しておられることはよくわかりました」
「あ、愛――――」
「一方でセレスティア様が旦那様のことを第一に考えておられるのもわかります。わたしもお嬢様第一ですから」
「そうは見えないんだけど………」
「他人からどう見えようがそれはどうでもいいことなのです。本人だけがわかってさえいれば。それを踏まえて言わせて頂くとしたら、セレスティア様はもう少しご自愛なされては如何でしょうか?」
シャルトリューズの視線から目が離せないセレスティア。
「お伺いしますが、旦那様のお幸せとセレスティア様のお気持ちは相反することなのでしょうか? わたしにはどうしてもそうは思えません。なぜなら、セレスティア様が定められた理に『一夫多妻』があるからです。だとすれば、セレスティア様も旦那様の伴侶の一人になられてもおかしくはないのではありませんか?」
確かにセレスティアがエーデルフェルトを司るようになってから定めた多くの理の中に『一夫多妻』があった。
だが、彼女は『多妻』の数に自分を含めてはいなかった。
失念していたといってもいい。
(そっか。わたしにもチャンスはあったのね)
セレスティアのはにかむような微笑み。
「ありがとう、シャルトリューズ。あなたのおかげでわたしにも踏ん切りがついたわ。わたし、絶対にイツキをモノにして見せる! イツキの一番になる!」
「やれやれですね。お嬢様のライバルを増やしてしまいました」
「そう言いながら、楽しそうじゃない?」
セレスティアがシャルトリューズの飲んでいるミニグラスを見る。
「乾杯しましょう。ミニグラスもう一つあるわね。じゃあ、これで」
セレスティアがもう一つのミニグラスを手に取ってに酒を手灼する。
シャルトリューズの前にあるボトルから。
「わたしがあなたの主からイツキを奪い取っても文句はないわね?」
「ええ、頑張って下さい。その方がお嬢様の励みになります」
「あなた、いい性格してるわね」
「お褒めに預かり光栄です」
「褒めてないんだけどなあ。まあ、いいわ。乾杯」
「乾杯」
カチン!
ミニグラス同志が当たる音が聴こえる。
ミニグラスの中身を勢いよく煽ったセレスティアがそのままテーブルに突っ伏した。
一気に酔いが回ったらしい。
さすがの女神もアルコール度数98%の前にあえなく撃沈。
場には白亜とアイシャとシャルトリューズだけが残った。
彼女らのまわりは死屍累々。
女子会の夜はまだまだ続くのだった。




