145 くっころ
フェルミナさんと最後に会ったのは、魔王城での最終決戦の時。
結論から言えば、フェルミナさんは間に合わなかった。
彼女が駆け付けて来た時には、魔王ルキフェルは俺に討ち取られていた。
師匠やシルク、セリアが気を効かせて立ち去った謁見の間。
魔王ルキフェルを看取った俺は、謁見の間に駆け込んでくる人物に目を向けた。
その人物は、躯となった魔王とその血を滴らせた聖剣カルドボルグを握る俺の姿を見て、顔を歪める。
「サツキ! キサマが聖皇国の勇者だったのか!?」
彼女の俺に向ける視線は憎悪に満ちていた。
『騙されていた!』
言外に視線が語る。
俺は彼女に最後まで素性を明かさなかった。
その結果がこれ。
「どうして陛下を殺めた!?」
「俺の使命が【暴虐】に支配された魔王を倒すことだったからです」
「他に方法があったはずだ!」
そう。
俺は、彼女から【暴虐】を止める方法について相談を持ち掛けられていた。
【暴虐】に支配される前の魔王ルキフェルの人柄やその善政についても訊いていた。
だから、二人で探し続けた。
【暴虐】を止める方法を。
その為には時間が必要だった。
時間稼ぎの為に魔王城を迂回したりもした。
1年。
俺が出来た時間稼ぎで捻り出せた時間。
だが、結局【暴虐】を止める方法は見つからなかった。
戦争はすでに最終局面を迎えていた。
場所は魔王城。
城は統一聖皇国軍の主力によって包囲されている状態だ。
もう、どうにもならなかった。
皆の見守る中、今更引き返すこともやめることもできなかった。
それに最期に魔王ルキフェルは言った。
『他にもあるにはあったが、俺と貴様の間ではこれしか方法が無かったのだ』
だから、魔王を倒した――――――彼女の願いを踏み躙って。
「言い訳はしません」
「ならば、魔王の無念、我が晴らそう!」
彼女が剣を構える。
「もう、魔王はいません。魔族軍も投降しています。あなたが戦う理由はもう無いはずです」
もう人魔戦争は終わったのだ。
「戦う理由はある。我が主の仇を取るという理由がな」
「本気ですか?」
「ああ、例え我がキサマに負けることがあっても、我は陛下の元に逝ける」
「やめる気は無いということですね?」
黙って頷くフェルミナさん。
俺は聖剣カルドボルグを背中の鞘に収めると、左腰の刀の柄を握って抜刀姿勢を取る。
同時に彼女も剣を鞘に収めて抜刀姿勢を取った。
彼女は[一撃百閃]。
一方の俺は[絶影]。
お互いが[縮地]で間合いに入って抜刀する。
彼女が無言で放ってくる[一撃百閃]の剣戟。
「奥義! 絶影!」
俺の目に見えない剣戟の一撃目が彼女の[一撃百閃]の剣先を払い除ける。
そのまま彼女の身体に目に見えない速さの連撃を加える。
斬り込みの角度も可変。袈裟懸け、横薙ぎ、掬い上げ。
あらゆる方向からの超速の剣戟により彼女が頽れる。
この間、3秒。
剣を支えに片膝を突く彼女。
「俺の勝ちです。もうあなたは立ち上がれない。投降して下さい」
俺は刀を鞘に収めながら彼女を見下ろした。
「くっ、殺せ!」
俺を憎々しげに見上げてくる彼女。
かつて『我の夫になるか?』と言ったり、俺をベッドに引き摺り込もうとしたこともあった。
俺に好意を寄せてくれていたことも知っていた。
そんな彼女はもういない。
「殺す価値も無いということか? ならば、ここで自害するのみ」
剣を首に中てて引こうとする彼女。
自害するつもりか!?
潔いにも程があるだろう?
なら、この人に新たな生きがいを残してあげないとね。
魔王という生きがいを失ってしまった彼女に。
「フェルミナさん。俺が峰打ちにした意味はお分かりですか?」
「我など殺すにも値せぬということじゃろう!? どこまでも愚弄しおって!」
歯ぎしりする音がここまで聴こえてきそうだ。
「俺はフェルミナさんに生きて欲しいと思っています」
「なら、尚のこと効果的であろう? キサマに恋した女が目の前で自害するのじゃ。生涯忘れ得ぬ惨劇の記憶を刻み込めると思うと笑いが止まらぬわ。ハーッハッハッハッハッ!」
そんな彼女に敢えて不敵な笑みを向ける。
「負けたから尻尾を巻いて自主退場ですか? 『絶夢の剣聖』が聞いて呆れる」
「なに!?」
「俺は逃げも隠れもしません。だから、腕を磨いて挑戦してくればいいんですよ」
そして、嘲るような視線を投げ掛けながら、
「もっとも、全部返り討ちにしてあげますけどね。ハッハッハッハッ!」
ここまで露悪的に振舞えば、彼女なら立ち向かって来るはずだ。
「その言葉に二言は無いな!」
「ええ」
「ならば、次に会った時にはキサマを必ず殺してやる!」
これまでにない憎悪の視線。
握り締めた拳からは血が滲みだしていた。
うん、それでいい。
憎しみも怒りも、今の彼女の生きる糧になるはずだから。
俺は彼女に背を向けて謁見の間を出て皆の元に向かうのだった。
――――――――――――――――――――――――――――――――
「つれないですねえ。昔のように『サツキ』って呼んでくださいよ。くっころのフェルミナさん」
フェルミナさんの瞳から燃え盛る憎悪の念が感じ取れた。
「『次に会った時にはキサマを必ず殺してやる!』と言ったはずだ!」
「俺も『全部返り討ちにしてあげます』って言いましたよ」
ピンと張りつめた空気に満たされた謁見の間。
俺達は抜刀姿勢のままピクリとも動かなかった。
そのまま、小一時間が経過。
俺も隙を見せないし、彼女にも隙が見つからない。
膠着状態が続いた。
おっと忘れてた。
「ちょっとタンマ!」
俺は抜刀姿勢を解く。
「何じゃ?」
俺は白藤を[無限収納]に放り込むと、代わりに訓練用のトレント木剣を取り出す。
「俺は『女は斬らない』と決めてます。だから、これで」
木剣を腰に差して再度抜刀姿勢を取る。
「キサマ! 我を愚弄するか!」
逆上する彼女。
そういうところですよ。
すぐ激高して理性を失うところがあなたの悪いところですよ。
フェルミナさんが[縮地]で間合いを詰めて[一撃百閃]を振るってきた。
だが、亜神に昇格した俺にはその剣戟がスローに見える。
俺は彼女の左後ろに瞬間移動するとその耳元で囁く。
「遅いですね。腕を磨いてその程度ですか?」
「くっ!」
怒りの表情を向けて来た彼女の足元を掬う。
「なっ!?」
足元を掬われた彼女が踏鞴を踏む。
が、姿勢を崩しながらも俺を横薙ぎにしてきた。
だが、遅い。
俺は姿勢を崩した彼女を抱き留めて囁く。
「どうしたんですか? 俺に抱き締めて欲しいんですか?」
「離せ!」
俺を突き飛ばした彼女がその勢いに任せて突きを放ってくる。
俺は突きを躱して彼女の背後を取ると、その左手を取って振り向かせる。
「隙だらけですよ。本当に鍛錬したんですか?」
そのまま彼女の腰を取ってダンスをする。
クルリと一回転し、腕が伸びきった時、彼女の剣戟が俺に振り下ろされる。
それを躱した俺は彼女の腰を掴んで持ち上げる。
襲い来る剣戟を躱しながら、彼女を空中で回転させる。
「きゃあ!」
空中で回された彼女は剣戟を浴びせ掛けることもできずに翻弄されている。
俺は彼女を受け止めるとその右手から剣を奪って放り投げ、両手を取って踊り続ける。
「なっ! こんな! こんなはずでは!」
謁見の間で音楽もなく踊り続ける二人。
前世で聖女アルトリアと婚約した俺は様々なパーティーに招待されることとなった。
当然、舞踏会も催される。
その時、『聖皇国の未来の国王が壁の花では困る』と、アルトリアにみっちりダンスを仕込まれたんだっけ。あの時は、シルクも『宰相なんだからダンスくらいできなくては』ってアルトリアにしごかれまくってた。
俺とシルクはあの時、アルトリアのスパルタを心底恐怖したよ。
はっきり言って、あれは剣の修行より過酷だった。
だが、その時の特訓が今役に立っている。
こうしてフェルミナさんを平和的に翻弄できているんだから。
激しいダンスはやがて終わり、へばっている彼女の喉元にトレント木剣の切っ先を突きつける。
「俺の勝ちです」
膝に両手を突いた彼女が恨めしそうに俺を睨んでいた。
「くっ、殺せ!」
くっころ、キター!
俺は笑いを堪えながら、彼女の手を取る。
「もう1000年経ちました。そろそろいいんじゃありませんか?」
そう、もう俺達が相争う時代は終わったんだ。
「我はこんなの納得せぬぞ!」
彼女は不満らしい。
だが、先程までの憎悪のオーラは消え失せている。
「昔のよしみです。言ってくれれば、いつでもお相手しますよ」
一瞬きょとんとした彼女は、悪巧みを考えていそうな表情で俺を見た。
「手段は何でもよいのか?」
「ええ。あなたの望むやり方で」
「言質は取ったぞ?」
ニヤリと笑う彼女。
マズいな。
闇討ちでもされそうだ。
命を狙われ続ける毎日は勘弁して欲しいものだ。
そんな俺の危惧も知らず、彼女は両腕を上に延びをする。
「う~ん。そうか、1000年も経ったんじゃのう。サツキも転生してしまったしのう。我だけが置いてきぼりじゃ」
呼び名が『キサマ』から『サツキ』に戻っている。
「俺『サツキ』じゃなくて今は『イツキ』ですよ」
「そうじゃったのう」
俺はふと気になった疑問を彼女にぶつけてみた。
「フェルミナさんはずっと剣の鍛錬ばかりしてたんですか?」
「バカを言うでない。どこの世界に1000年も剣の修行だけしているヤツがおるか。我も男に望まれ結婚し娘まで設けた。当たり前の幸せは掴んだのじゃよ」
「へえ、一児の母ですか? そうは見えませんね。俺には以前と変わっていないように見えるんですねどね」
「お世辞は要らぬ」
家庭を持ったのか。
ならば、なおのこと、俺と命のやり取りをしている場合ではないと思うんだが。
「残念ながら、伴侶は殺されてしまったがの。今では我は未亡人じゃ」
「なんと言うか、数奇な運命ですね」
「まあ、イツキが言う通り、我もまだまだ女盛りじゃ。もう一花咲かせてもよいかもな」
「でも娘さんも多感な年頃だ。母親が男を作ったら家庭不和にはならないんですか?」
「あれは、そんなことを気にする珠じゃない」
「なら安心だ」
「何を言うか。その娘が問題なのじゃよ」
掴み掛からんばかりに俺に迫ってくるフェルミナさん。
「というか、娘が懸想している男が問題なのじゃ! 他にも女を囲うような痴れ者じゃ! どう思う? イツキ?」
「とんでもないヤツですね。そこはフェルミナさんがその男にガツンと思い知らせてやる必要がありますね」
「そうじゃろ? そうじゃろ?」
「ええ、俺が言うのもなんですが、たぶん、そいつ、色事師ですよ」
俺は師匠のことを思い浮かべる。
ほんとに師匠は酷かった。
行く先々で女を作るような女誑しだった。
剣の腕は確かだったけど。
『武道を極めし者には健全な魂が宿る』
俺は師匠の本性を知るまではこの考えが正しいと思っていた。
だが、その考えは間違っていた。
好例が師匠だ。
「娘さんの目を覚まさせてあげた方がいいですね。それができなければ、その男に正しい道を教育してやればいいんですよ」
「じゃが、その男もなかなかいい男なのじゃよ」
フェルミナさんが頬を染めた。
ちょっと待て!
女誑しですよ、そいつ。
「まあ………その………つまり………どうすればよいのじゃ?」
俺は頭を抱えたくなった。
つまり、フェルミナさんもその男に好意を持っている、と?
親子丼だよ、それ。
娘さんの初めての男がそれではちょっと………なんだ?
娘さんが不幸になる未来しか見えないよね?
それに対して、フェルミナさんはもう既にお手付き。
なら、ここはフェルミナさんが愛娘のために人身御供になるしかないだろう?
「娘さんが不幸にならないためにも、ここはフェルミナさんがその男を娘さんから奪って自分のものにしてしまえばよいのでは? 最初は娘さんに恨まれるかもしれませんが、そのうち解ってくれますよ。うん」
俺も結構無責任なアドバイスするよなあ。
言ってる自分自信呆れ果てる内容だよ。
でも、フェルミナさんなら大丈夫だろう…………知らんけど。
まあ、なるようになるよね。
「イツキはそれでいいのか?」
「ええ、娘さんの幸せのためですから」
「そうか。ならそうすることにしよう」
彼女が満足そうに頷く。
1000年の時を経てフェルミナさんとも和解できた。
話も纏まった。
後は帰るだけだ。
「ということで俺は帰ります。また、何かあれば声を掛けて下さい。じゃあ」
さあ、ガヤルド魔公爵公邸まで一気に[転移]だ。
足元に転移陣を顕現させる。
「イツキ。いにしえより『言葉は発せられた瞬間から魂が宿る』と言う。今おまえが発した言葉はお前自身に降りかかってくるであろう。そのことゆめゆめ忘れるでないぞ」
ん?
言霊信仰だね。
知ってるよ。
それがどうしたんだ?
まあ、いい。
早く帰ろう。
たぶん、シルクが首を長くして待っているだろうから。
俺は[転移]を行使して、ガヤルド魔公爵公邸まで一気に転移したのだった。




