143 自由気ままにダラダラ遊んで暮らす予定
「いや、こうお呼びした方がよろしかったですかな? 我が主、超越者・斎賀五月様」
メロージ翁に傅かれた俺はどう反応していいかわからなかった。
「イツキ君、君は…………」
シルクも突然の暴露に驚愕の表情だ。
セリアと二人だけの秘密にしていたことがバレてしまった。
これは後で思いっ切り責められるだろうな、サリナや白亜も交えて。
リオやマリーやエックハルトだけでなく、調停者ですら言葉を失っている。
議場内のメイドも腰を抜かして見ているだけ。
その中でアスタロトだけが含み笑いを浮かべていた。
「これはこれは。さっきは蛆虫なんて言って悪かったよ。君は下等生物から我々より高位な存在に進化したんだね? 女神セレスティアに並ぶ神に」
「神じゃない。神モドキってところかな」
バレちまったもんはしょうがない。
俺も開き直ってしまおう。
「それでメロージ翁。俺はベルゼビュート領なんかに縛られたくないんですけど? 俺を高位存在であると認めてくれるのでしたら、訊いてくれますよね? 俺のお願いを」
メロージ翁の説得工作を始める。
「魔属領に住まう魔貴族の誰もが望む五公主の地位を望まれないと?」
「俺の故郷の国には『餅は餅屋』って言葉があります。政治のことも領地経営のこともそれに相応しい人がするのが一番いい。専門外の者が手を出していいことじゃないです」
「イツキ殿は相応しくないと?」
「俺自身相応しいと思ったことなど一度もありませんよ」
「でも、イツキ殿はいずれガヤルド卿の公配になるお方。いずれ、ガヤルド卿を助けて政治や領地経営にも関わられることになりますぞ」
「そんなことにはなりませんよ。俺はシルクの伴侶になっても自由気ままにダラダラ遊んで暮らす予定ですから。なにせ、シルクはとっても優秀だから。そうだろ? シルク?」
俺はどんな立場になろうともスローライフを送ってやるつもりだ。
シルクだってそれはわかってる。
だから、俺が領主にならないように尽力してくれていた。
「ああ、任せておきたまえ。公務は全てボクとサリナが熟す。シャルトリューズもいるしね。ボクは結婚後も君を思いきり甘やかすつもりだから安心したまえ」
さすがシルク。
男前だね。
君ならそう言ってくれると思っていたよ。
「それはそうと、『超越者』の件、後できちんと説明して貰えるんだろうね?」
シルクさん。
笑顔で脅すのはやめてくれませんか?
「では、領主不在のベルゼビュート領は――――」
「それは差し支えなければボクが兼任しよう」
「兼任するくらいなら、いっそ、ガヤルド領に編入すればいいんじゃないか?」
「新生ガヤルド領の誕生ですかな?」
「アスタロト、君はどう思う?」
メロージ翁とシルクとリオの間で進む話がアスタロトに投げ掛けられる。
「好きにすればいいんじゃないか? 僕が反対する理由は既に無くなったし、僕自身にも領土的野心はない。新生ガヤルド領、大いに結構なことだ」
「君が簡単に意を翻すなんて気味が悪いな」
「好きに言ってればいいさ。それよりも――――」
アスタロトが席を立ち、俺の元にやって来た。
そして、俺の手を取って立ち上がらせる。
「君を陥れる為の数々の仕込みを君は全て退けてみせた。この会議でも君を怒らせるために色々挑発してみたんだが思ったように乗ってきてくれなかった。こんなにも思い通りに行かないなんてね。まあ、普通なら思い通りに行かない相手は潰してしまえばいいんだけど、どうやら僕には君に勝てそうな未来が見えないんだよ。こんなことは初めてだ。それらを踏まえて僕は君に興味を持った」
いきなりアスタロトに抱き締められる。
「いっそ、ガヤルド卿などやめて僕のものになりたまえ」
「ちょっ! 離せっ! 野郎は攻略対象外だっ!」
「益々気に入ったよ」
シルクとマリーが駆け寄って来て俺をアスタロトから引き剥がす。
「アスタロト! ボクの婚約者に手を出さないで頂こう!」
「先生を毒牙から守るのは教え子の務めです!」
「それに今まで黙っていたが、君はアスタロト本人ではないだろう?」
「おや、さすがはプロファイルビューの持ち主。ガヤルド卿にはお見通しだったか。まあ、メロージ卿にもバレていたみたいだけどね」
シルクに指摘されても少しも悪びれないアスタロト。
「本体はどうした?」
「今、本体は動けない状態なんだよ。だから分体の僕が来たのさ」
「分体如きが勝手に人の婚約者に手を出していいのかい?」
「僕は身体こそ分体だけど、その意志は本体と共有している。イツキ君を欲しいと思うのは僕ら共通の認識だよ。だから、何の問題もないさ」
俺的には由々しき問題だけどな。
おまえの舐めるような視線は本当に虫唾が奔るんだよ。
背筋に鳥肌が立つくらいにな。
「ねえ、イツキ君。僕と一緒にこの世界を思うがままにしてみないかい?」
「お断りだね。俺はシルク達とのんびりダラダラ過ごすつもりだから他を当たってくれ」
それを訊いたアスタロトが心底残念そうに呟く。
「その望みは叶えられないだろうね」
なんだと?
「どういう意味だ?」
アスタロトの表情が真面目なものに変わる。
「それは君が一番解っていることだろう?」
俺の予想が正しければ、こいつは――――
「『超越者』を神は許さない」
アスタロトめ。
セリアと同じようなことを言いやがったよ。
おそらく、神界が俺を邪神指定するだろうことまで予測しているんだろうな。
「だが、僕なら君と共に神と戦うことができる」
「俺は神と戦うつもりはないが?」
「君にそのつもりが無くても神側の都合で戦いは始まる。その時、犠牲になるのは誰だ?」
わかってるさ。
親族や縁者も討伐の対象になることくらい。
そうならないようにするための手段もね。
だが、今、アストロトは条件付きで助力を申し出て来た。
だだ、その条件は生理的に受け入れられないものだ。
「はっきり言っておく。俺はおまえのものにはならない」
「まあいいや。今はそういうことにしておいてあげるよ」
アスタロトの姿が薄くなっていく。
「おや残念だ。分体の魔力が尽きて来たようだ」
魔力が尽きて実体を維持できなくなったか?
「でもね、イツキ君。僕は君を諦めるつもりはないよ」
「とっとと消えてしまえよ」
「つれないなあ、イツキ君は。でも、そんなところもいいね」
「もういい! 頭がおかしくなりそうだ」
「そう言うなよ。じゃあね、イツキ君。また会おう」
俺が呪いの言葉を吐く前にアスタロトの姿が消えた。
畜生!
言い逃げしやがって!
結局、この後、五公主会議は四公主会議と名前を変え、ベルゼビュート領のガヤルド領への編入が決まり、俺はベルゼビュート領の領主にならずに済んだ。領地経営だとか国家経営だとかは、前世でさんざんやらされてうんざりしていたから大いに助かるところだ。はっきり言って、俺には政治や行政の素養は無い。素養が無いことをするのはする領主にとってもされる領民にとっても不幸なことだろう。そんな面倒事を引き受けてくれるシルクには本当に頭が下がる。
メロージ翁、リオ、エックハルトは俺達に別れの挨拶をすると一足先に領国に帰って行った。
3人からは自領に遊びに来ることがあればぜひ立ち寄って欲しいと言われた。
特にメロージ翁からは『絶対に白亜を連れてくるように』とお願いされた。
いずれ魔属領を旅する機会を得たら必ず顔を出すことにしよう。
同行者は白亜かなあ。
メロージ翁が喜びそうだしね。
■
俺はマリーと並んでシルクの後。
長い廊下をひたすらエントランスまで歩いている。
来た時も思ったが、ほんと、長い廊下だよ。
「ねえ、イツキ君。『超越者』のこと、何でボクに黙ってたんだい?」
前を歩くシルクが突然立ち止まる。
「そんな重要ことだとは思わなかったんだよ」
重要なことは解ってた。
ただ、この件はあまりにもセンシティブ過ぎる。
だから俺はシレッと嘘を吐く。
「そんなはずがないだろう!!?」
シルクらしくない大声。
それでもシルクは前を向いたままだ。
わかってる。
今のシルクは焦っている。
人の心はステータス画面のように明確じゃない。
かつて人だった俺の記憶・経験・心の全てが読めたシルクの[プロファイルビュー]。
だが、下位存在である魔族のシルクに上位存在になった亜神の俺の内面を読むことはできない。せいぜい読めてステータスまでといったところ。
シルクにとって俺の心の一端だけでも知れることが安心感に繋がっていたのだろう。
だから、今、シルクは俺の本音が解らなくなって焦っているのだ。
振り向いたシルクが俺に抱きついてきた。
「ボクは離さない! ボクは君を絶対に離さないから!」
ああ、そんなところだよ。
君がそんなだから、俺は考えてしまうんだよ。
あの時みたいに、俺を庇って死んでしまった過去を。
そんな過去と同じことにならないようにするためなら、俺は何だってするつもりだよ。
例え、それが君の意に沿わないことであってもね。
「ボクに隠さないでくれ! だってボクは君の――――」
「公主会議が終わりました。速やかな城内からの退去を」
シルクの哀願を遮るように調停者の退城の要請。
シルクがサッと身を引き、前に向き直る。
「さあ、城外に出たら、公邸まで転移するよ」
言い繕うようにそう言ったシルクの耳が真っ赤だ。
部外者に取り乱すところを見られて恥ずかしかったらしい。
「お待ち下さい。勇者・斎賀五月様にはお伝えしたいことがあります」
調停者が俺に用事?
「それならボクも――――」
「極秘事項なのでご遠慮下さい。ご退城を」
取り付く島もないとはこのことか。
シルクはジト―ッと調停者を睨みつけると、
「わかったよ」
それだけ答えて俺に歩み寄る。
「じゃあ、先に戻ってるよ」
俺の頬にキスするとマリーを連れて去って行った。
俺はシルク達が見えなくなるまでその姿を見送っていた。
それにしてもほんとに長い廊下だな。
シルク達の姿が見えなくなるまで10分掛かった。
その間、気配を薄くした調停者は俺のすぐ後ろ。
文句を言わずにすっと俺がシルク達を見送るのを待ってくれていた。
「それで俺に何の用だい?」
調停者は何も言わずに踵を返して歩き出す。
ついて来いってことか。
俺は黙って調停者の後ろをついて行く。
廊下を左に曲がり、隣の建物に続く渡り廊下を歩く。
渡り廊下が終わってすぐの角を右に曲がる。
そこはレッドカーペットが続く広大な廊下。
ん?
俺はこの廊下を知っている。
というか、この廊下の先に何が有るかを知っている。
やがて、大廊下の終点に巨大な両開きの扉が見えてきた。
調停者が扉を少しだけ開けて中に滑り込む。
俺もそれに倣った。
俺は開いた扉を後ろ手に締める。
その大きな部屋の正面に見えるのは何段もの階段の上に鎮座する玉座。
間違いない。
あれは魔王の玉座。
そして、ここは魔王の謁見の間だ。
忘れるはずもない。
前世、俺と魔王が最後の戦いを繰り広げた因縁の場所。
謁見の間の中央で調停者が立ち止まる。
そう、ここが目的地。
俺は調停者に声を掛ける。
「ねえ、もうマスクは取ったらどうです? それからマントも。」
調停者は俺に視線を向ける。
「何時から気付いていた?」
「う~ん、最初は気付きませんでしたけど途中からね」
「そうか。なら用件は解っておろうな」
「まあ、おおよそは」
「相変わらず食えないヤツよ」
そうして、調停者はマスクとマントを脱ぎ棄てたのだった。




