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136 マリアンヌ・ソルグレイヴ

執務室を辞去した俺は公邸の居室に案内された。


先導して居室に案内してくれるのは少しだけ小柄な若いメイドさん。

歳は俺とそう変わらないように見える。

もっとも、魔族だから本当のところはわからない。

アナトリア王国までシルクに付き従っていたメイド隊にはいなかった顔だ。


フリフリのショートスカートタイプの黒いメイド服、腿の位置に黒いリボンがあしらわれた膝上まで覆う白いオーバーニーソックス、膝下ロングの黒い編み上げブーツ。

ピンク色のセミロングストレートの髪には白いフリルがあしらわれたヘッドドレスを付けている。


そういえば、シャルトリューズさんは、いつもロングスカートタイプのメイド服だったっけ。

一方のこの()はショートスカートタイプのメイド服。

どうやらシルクの雇っているメイドさんは、着るメイド服の種類が選べるみたいだ。


まあ、いくら選べるからといって、アラサーに見えるシャルトリューズさんがフリフリのショートスカートタイプのメイド服を着てていたら、


『どうしたんですか? 何か悪いものでも食べたんですか?』


って訊いてしまうんだが。



そのメイドさんは何故か廊下の壁伝いに(かに)歩きしている。

(かに)系統の魔族かな?


彼女はチラチラ俺を見ながら落ち着かない様子。

表情も引き攣っている。



話し掛けてみよう。


「あの――――」

「ひゃいっ!」


話し掛けられた彼女が驚いて飛び上がった。

言葉の比喩じゃなく本当に飛び上がったよ、この娘。


「何で(かに)歩きを?」

「許して下さい! お願いします! 何でもしますから襲わないでっ!」


見せられているのは、両手を握り合わせての必死の哀願姿。


「私、処女なんです! 痛いのはイヤだから、手籠めにしないでっ!」


『襲わないでっ!』?

『手籠めにしないでっ!』?


聞き捨てならないことを言われたぞ。

どういうことだ?


事情を訊こうと彼女に近寄る。


「ねえ、それってどういう意――――」

「いやああああああああああああっ!!」


廊下に響き渡るほどの悲鳴を上げて頭を抱えて縮こまる彼女。


えっ?

ちょっと待って?

意味がわからないんですけど?

なぜ悲鳴を上げちゃうわけ?

俺、なんかした?


「おい、悲鳴が聞こえたぞ。どこからだ?」


遠くから公邸の警備兵の声と駆け付ける足音が迫って来る。


マズい。

このままでは、俺が危害でも加えたんじゃないかって疑われる未来しか見えない。

魔族領の内乱を鎮圧した功労者から婦女暴行未遂犯に転落?

これって、何もしていないのに糾弾される痴漢冤罪事案そのものだよね?


冗談じゃない!


俺は慌てて彼女の口を塞ぐと、近くの窓の無い部屋に連れ込んで内鍵を掛ける。


「静かにしているんだ」


コクコクと頭を縦に振った彼女の口を手で塞いだまま息を潜める。



「この辺から聞こえたんだが、気のせいか?」

「もう、どこかに移動したのかもしれない」

「閣下を狙うベルゼビュート軍の残党かもしれない!」

「急いで見つけるんだ!」

「賊の侵入を許すな! 探し出せ!」


ドアの外には警備兵。

やがて、バタバタと駆け去っていく音が聴こえた。


やれやれ、大事になってしまった。

どうするよ、これ?


俺は口を塞いだ手を退けて彼女を解放すると、腰に手を当てて詰問した。


「君が大げさに騒ぐから大騒ぎになった。この落とし前、どうつけてくれるのかな?」


もう、どうとでもなれだ。

ここでもう一度大声を上げられたら、構わず逃げよう。

そして、二度とここに来なければいいだけのことだ。


この()が俺に襲われたって申告すれば、この地で執り行われる予定の結婚式もご破算になるだろうよ。近日開かれる五公主会議とやらにも出席せずに済むしね。今回のクエスト報酬は既に頂き済み。この機に面倒くさいしがらみは全部チャラだ。



さあ、ほら、もう一度大声で悲鳴を上げるがいい。



俺は悲鳴と同時に[転移]を発動すべく身構える。


だが、彼女は悲鳴を上げなかった。


「すいません! 私の早とちりでご迷惑を掛けてしまって!」


ペコペコと頭を下げて謝罪する彼女。


「私、勇者様を強姦魔扱いしちゃってごめんなさい! 本当に駄メイドでごめんなさい! 同僚からもいつも言われるんです!『あんたみたいな無能なんかが何でメイド長代理なのか?』って! もう私、お暇を頂いて田舎に帰った方がいいですよね!? そもそも私が生きてるのがいけないんです! 私みたいな者が生きててごめんなさい!」


マシンガンのように繰り出される謝罪の言葉と卑下する言葉の数々。


どうして、ここまで自分を卑下できるんだろう?

どうしてそこまで自信が無いんだろう?


そもそもだ。

もし彼女が本当に無能だったとしたら、シャルトリューズさんが自分の代理に選ぶ訳が無い。ああ見えて、人を見る目だけはある人だ。人を見る目だけは、ね。


「シャルトリューズさんは無能な者を自分の代わりに据えたりなんかしない。もっと自信を持てよ。外野には好きに言わせておけばいいさ。じゃないと、君の上司の識見が疑われるよ?」


自信無さそうに俺を伺う彼女。


「でも、私、魔法が使えないのです」


魔族なのに魔法が使えない?

そんなはずがないだろう。

その証拠に身体から物凄い量の魔力が漏れ出している。


俺は彼女に[鑑定]を行使した。


  名前      マリアンヌ・ソルグレイヴ

  年齢      17

  性別      女

  種族      妖魔族

  レベル     75

  HP      220

  MP      ∞

  魔法属性    全属性

  称号      飽和する魔弾

  職種      メイド(メイド長代理)

  ギフトスキル  瞬間発動


へえ、マリアンヌって名前なんだ。


ん?

ちょっと待て!


なんだこれ。

レベルやHPは大したことないが、MP量が半端無い。

MP量だけならシルクを軽く凌駕している。

それに称号『飽和する魔弾』って何?

ギフトスキル『瞬間発動』って、魔法の発動にタイムラグが無いってことだよね。

普通、魔法使いや魔導士は不意打ちに即応できないが、このスキルがあるなら即応できちゃう訳だ。そんなの剣士やアサシン、スナイパーの天敵だ。


これはとんでもない能力者だ。

シャルトリューズさんが自分の代理に据えたのも理解できるよ。


だが、マリアンヌ本人は『魔法が使えない』と言う。

そのことで彼女は自分を無能だと卑下しているんだ。


これは『魔法が使えない』んじゃない。

魔法を使おうとしてもそれを阻害する何かがあるんだ。

それさえ取り除けば、彼女は大化けするかもしれない。

歴史に名を遺す大魔法使いになれるかもしれないんだ。


ならば、俺がしなければならないことは、原因を突き止めて取り除くことだろう。



「ねえ、騙されたと思って、向かいの壁に氷弾を撃ってみてくれないか?」


俺は彼女に中級氷属性攻撃魔法[アイシクルブリッド]での氷弾射撃を求めてみる。

火属性だと屋敷が燃えるし、水属性だと部屋が水浸し。

土属性だと屋敷を破壊してしまうかもしれない。

氷弾なら屋敷の頑丈な壁に弾かれるだけだから被害が軽微と想定しての氷属性の選択。


「私、魔法が使えないんですよ」

「わかってる。今、術式を流すからアイシクルブリッドって唱えてみて」


そう言って、彼女の両手を取って術式を流す。


「術式は理解できるかな?」

「はい。魔法の基礎は本で何度も勉強しましたから大丈夫です」


目を閉じて手を通して流し込まれた術式を反芻するマリアンヌ。


「無駄のない綺麗な術式ですね」

「伝説の大魔法使いシルク仕込みの術式だからね」

「えっ? これってシルク様の術式なんですか?」

「うん。ちなみに君の主人のガヤルド卿も同じ術式を編めるんだよ」

「そうなんですか?」


マリアンヌがようやく目を開いて、俺の手を離す。


「じゃあ、使ってみて?」

「はい。アイシクルブリッド!」


向かいの壁に向けた彼女の右手の人差指。

その先から放たれたのは氷弾――――ではなかった。

指先から床に小さな氷の欠片が零れ落ちただけだった。


「やっぱりダメです。こんなに綺麗な術式なのに、指先からは氷の欠片が零れただけ。やっぱり私には才能が無いんです」


悲しそうに首を垂れるマリアンヌ。



俺はマリアンヌが魔法を行使するのを観察していた。

密かに[探索]で魔法を阻害する原因を突き止めようとしていた。

[探索]にはこういう使い方もあるのだ。

特に[鑑定]では見つけられない内的事象に対しては。


そして、彼女が[アイシクルブリッド]を行使する瞬間、大気中の水分を結晶化させて前に打ち出す為に必要な魔力が右手の人差指の先から放出されようとしていた。が、実際に放出された魔力はごく僅か。残りは行き場を失って体の中でぐるぐる滞留している。



わかった!

これは、いわゆる魔力詰まりだ。


なら、詰まりを解消して正常に魔力が放出できるようにすればいい。


そのためには超級神聖魔法[ノーマライズ]が有効だ。

本来[ノーマライズ]は、毒や呪いによって状態異常に陥った対象を正常化する魔法だが、魔力詰まりも立派な状態異常だ。効果があるはず。


俺は彼女の両手を取り、強く握る。

堅く固着した螺子にショックドライバーを中ててスプリングの力で一気に回すような、そんなイメージで膨大な魔力を一気に込める。


「ノーマライズ!」


ピシッ!


そんな音が聴こえたような気がした。


徐々に魔力詰まりが解消していき、彼女の中に魔力の流れが正常化していく。


よし!

成功だ!


「あの…………」

「済まないが、もう一度頼むよ」

「何度やっても私は――――」

「いいから指示に従う!!」

「はいいいっ!!」


躊躇する彼女を恫喝して従わせる。


「アイシクルブリッド!」


彼女が魔法を唱えた瞬間、ほんとに瞬間だった。


ド――――ンンンンンン!!!

ガラガラガラガラガラガラ…………


彼女の人差指から勢いよく放たれた氷弾が超速で向かいの壁に当たり、壁を粉々に砕いた。


向かいの壁は跡形もなく砕け散り、外の景色が全開で見える。



す、凄げええええっ!

これが『瞬間発動』?

唱え終わる前に氷弾が発射されたぞ。

一気に大量の魔力を流し込んだから威力も半端ない。



「何事だああっ!」


警備兵が鍵の掛かったドアをぶち破って雪崩れ込んできた。


「これは一体どういうことですか!?」


警備兵が詰め寄ってくる。


「ごめんなさい! これは私が――――」

「俺が彼女の制止を振り切って、戦場でのストレス解消に氷弾を発射しちゃったんだよ」


馬鹿正直に謝ろうとする彼女の言に被せて俺が謝罪する。


「勇者殿、勘弁して下さいよ! 閣下の無茶振りにストレスが溜まっていたのでしょうが、それをこんな場所で解消されては困ります! 解消されるのでしたら、中庭の訓練場でお願いします!」

「済まないね。弁償はするから後で請求書を廻しておいてくれ。ということで、訓練場に行くとしよう」


警備兵に謝罪して部屋を出て、中庭の訓練場に向かう。




「あの、勇者様、勇者様。速いです。足、(もつ)れちゃいます」


足を止めて声の主を見る。

マリアンヌが息を切らせていた。


あ。

部屋を出る時に手を引いてそのままだったわ。


「俺のペースで急がせてしまったね。申し訳ない」


素直に謝罪する。


だが、今はそれどころじゃない。

俺の介助で稀代の大魔法使いが誕生するかもしれないのだ。

そんなワクワクする気持ちが溢れ出そうになるのを押さえられない俺は、彼女に前のめりにこうお願いするのだった。


「申し訳ないついでにお願いなんだが、訓練場で確認させて貰えないだろうか?」

「はいいい!?」





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