133 レーゲンスブルグからの撤収
阿修羅王を見送った日の翌日から俺は多忙を極めた。
戦場となった市街地も城壁も瓦礫と化していたはずだったが、俺が階層を入れ替えたため全て元通り。戦闘の爪痕すら微塵も無かった。
街の治安維持は、投降して俺に恭順を示してくれたベルゼビュート軍に任せた。
彼等は反発することも無く、指示に従って黙々と職務を熟してくれた。
彼等にとって、俺が新たな領主代理かつ軍の最高司令官らしい。
さすがは職業軍人。切り替えが早い。
プロ意識半端ねえな。
そんな様子を見て、正統魔族軍のレーゲンスブルグからの撤収が開始された。
■
12月20日。
まずは、メロージ軍。
ライゼル将軍が俺の執務する中央城郭の領主執務室に挨拶に来た。
俺は客人を室内に招き入れると応接セットのソファに向い合せに座る。
少しすると、コーヒーカップの載ったトレー片手にガロワ准尉が入って来た。
二人の前にカップを置くと、そのまま俺の後ろに立つ。
ここで執務するようになった日から、ガロワ准尉は歩哨から俺付の秘書官になった。
「帰還する前にご挨拶に伺わせて頂きました」
「今回は本当にご苦労様でした」
「いえいえ、わしは今回、自らの管理不行届で味方の情報を漏洩させただけでなく、多くの兵士も無駄死にさせてしまいました。此度の戦、わしこそが敗軍の将なのでしょう」
「でも、あなたは生き残れた」
「晩節を汚してしまいましたな」
「ライゼル将軍…………」
寂しそうに語るライゼル将軍。
俺はこの人を元気づけられるのだろうか。
場を暗くしてしまったことに気付いたライゼル将軍が、取り繕うように口を開く。
「それにしても総司令官閣下は凄いですな。あのような作戦を思い付き、実行に移されるなど。普通の軍人には思い付かない、いや、思い付いても実行に移せません」
そう言われてもなあ。
俺には高度文明の知識があっただけだし、勇者の力を行使しただけだ。
エーデルフェルトに生きる人達には真似のできようがない。
こんなのはチートだよ。チート。
だから、そんな風に賞賛されても素直に喜べないんだよねえ。
「まあ、偶々ですよ。偶々」
それだけしか答えようが無かった。
その後、暫く歓談の後、ライゼル将軍が立ち上がる。
「お忙しい中、この老骨にお時間を割いて頂き、ありがとうございました」
「お気をつけて、ご帰還下さい」
俺も立ち上がって握手をする。
執務室から出て行こうとしたライゼル将軍が立ち止まる。
そして、思い出したようにこう言った。
「そうそう。死に掛けのわしを助けてくれた『通りすがりの流しの治癒師』殿に会うことがあったらお伝え下さい。『もしメロージ領にお越しの際は、ぜひ我が家にお立ち寄り下さい。歓待致します』と。実は、わしの妻は料理が得意でしてな。地元で小料理店を経営しております。魔属領で★★★★★の評価がついた名店です。『通りすがりの流しの治癒師』殿にも満足して頂けることでしょう」
「わかりました。必ず彼に伝えておきます」
俺の答えを訊いたライゼル将軍が穏やかに微笑んで去って行った。
ライゼル将軍ももうじき退官だ。
余生は奥さんの小料理屋でも手伝うのだろう。
そのうち、顔を出さなくてはね。
魔族領を旅する楽しみができた。
■
翌21日。
ミケランジェリ軍の撤収。
俺を訪ねて来たのは、マローダー将軍とエックハルト君の二人。
案内もしていないのにつかつかと執務室に入ってきて、長ソファにドッカと腰を降ろすマローダー将軍。
「うちのボスが済みません」
そう言いながらおずおずと入って来たエックハルト君が、
「座ってもよろしいですか?」
と訊いて来たので、
「禁止。君は立ってなさい、これ持って」
そう言いながら[無限収納]からバケツを3つ取り出す。
やはり[無限収納]から取り出した砂袋の封を切り、砂でバケツを擦りきり一杯にすると、
「ん」
とエックハルト君に差し出す。
「勘弁して下さいよ! パラハラですよ! パワハラ!」
後ずさって抗議するエックハルト君。
「冗談だよ」
そう言って[無限収納]に全部放り込んだ。
「もう、最後までこれなんだから…………」
エックハルト君がぶつぶつ言いながらマローダー将軍の隣に座った。
弄り甲斐があっていいなあ、エックハルト君は。
「総司令官閣下は人間の勇者でしたな?」
マローダー将軍がいきなり切り出してきた。
「第三次カラトバ戦役の時に、総司令官閣下は禁呪を行使してカラトバ軍100万を一瞬で消滅させたと訊いています。此度も禁呪を行使すれば、容易に要塞を陥落できたでしょう? 総司令官閣下にはそれだけの力があったはずだ。なのに、何故あのような回りくどい作戦を採られたのですかな?」
俺も当初はそのつもりでいた。
さっさと要塞を消滅させる日帰り仕事だと思っていた。
「仮定の話をしようか」
俺はテーブルに両肘をつき、組んだ手の上に顎を載せて話を始める。
「俺は、着任の日にヌークレア・エクスプロージョンを行使した。すると、ヒルデスハイムやベルゼビュート軍が立て籠もるレーゲンスブルグ要塞はカラトバ軍同様、一瞬で消滅。その結果、魔族領の内乱は鎮圧され平和が訪れましたとさ。めでたしめでたし」
そこまでで話を区切って、マローダー達に質問する。
「さあ、ここに何か見落としは無いか?」
俺に尋ねられたマローダー将軍が気付く。
「レーゲンスブルグの住民200万人………ですかね?」
「そうだね。無辜の住民200万人も巻き込まれていただろうね」
俺は姿勢を正して続ける。
「それを避けるための今回の作戦だよ」
「でも! 総司令官閣下は人間の勇者でしょう!? 魔族の命など――――」
「おいっ! やめるんだ! エックハルト!」
俺は手で押さえるような仕草でマローダー将軍を制止する。
「構わないよ。続けたまえ」
「『勇者は魔王から人類を守るために召喚された』と訊きます。であるなら、勇者にとって魔族の命などどうでもいいはずですよね」
「君は何をして『俺が魔族の命などどうでもいいはずだ』と断じるのかな? そう考えるのは君が俺に『人間の勇者』というレッテルを貼って色眼鏡で見ているからじゃないのかな?」
「そ、それは…………」
「俺はね。魔族であるガヤルド卿のことを軽んじたことは一度も無いよ。エルフ族のサリナルーシャ姫と同じくらい愛おしいと思っている。二人に優劣をつけることなど考えたこともないね」
エックハルト君を見ながら続ける。
「結局さ。人は自分が大切だと思うものを優先してしまうのが性なんだよ。そこには、人族もエルフ族も獣人族も魔族も無い。偶々、今回は無辜の住民の命を優先した。ただそれだけのことさ」
それを訊いたエックハルト君が呟く。
「小官にはわかりません。もし、小官が人間の勇者だったら、魔族の住民の命のことなど考えないと思います」
「そうかな? 勇者になれば考えが変わるかもしれないよ? あ、そうだ、エックハルト大佐。俺の代わりに勇者になってくれない?」
それを訊いたエックハルト君が慌てて手を前に翳して拒否する。
「冗談はやめて下さいよ! 俺に勇者なんかできるはずないじゃないですか! そもそもセレスティア様が許しませんよ!」
チッ!
エックハルト君に勇者を押し付けてスローライフを送ってやろうと思ったんだけど、やっぱダメだったか。
「申し出てくれればいつでも代わるよ」
「もう! 勘弁して下さいよ!」
それまでエックハルト君と俺のやり取りを見ていたマローダー将軍が口を開いた。
「でも、まあ、総司令官閣下が勇者様でよかった」
「そうかい?」
「ええ、安心しました。種族に分け隔ての無い方だと知ることができましたので。ついでに冗談や悪戯もお好きなようですので」
と、エックハルト君を見ながら言う。
「冗談も悪戯も大好きだよ。特にエックハルト大佐を揶揄うのは至福だったよ」
俺もエックハルト君を見ながら答える。
「もう二人とも俺を何だと思ってるんですか!?」
「「人型の玩具!」」
「訴えてやる! 二人ともパワハラで訴えてやる! 軍法会議だ! 営倉行きだ! 懲役刑だ! 毎日、穴掘りと穴埋めの繰り返しを命じてやる! このヤロウ!」
執務室にエックハルト君の叫び声が響き渡るのだった。
更にエックハルト君を肴に揶揄っているうちに時間が来た。
執務室前の廊下まで二人を見送る。
「では、ミケランジェリ遠征軍、自領に帰投します!」
二人が直立不動姿勢で最敬礼したので、俺も答礼を返す。
「ご苦労様でした。帰路の安全を祈っていますよ」
こうして、マローダー将軍率いるミケランジェリ軍は去って行ったのだった。
■
更に翌22日。
俺とクレハさんは超高速滞空輸送艦フライングライナーのスロープの前に立っていた。
「今回も色々ありがとうございます。」
「こちらこそ、戦利品の数々を譲って頂き感謝の念に堪えません。」
俺はレーゲンスブルグ城南西城郭地下2階のコントロールルーム内の各種装置をクレハさんに譲った。停止した地下3階の魔力変換炉もだ。
装置には、クレハさんの会社の製品をアスタロトが魔改造したものと、アスタロトが新たに開発したものとがあった。
いずれもクレハさんの解析に頼らざるを得ない状況。
だから譲った。
装置も変換炉も既に輸送艦の中に回収済み。
「解析結果は後日報告差し上げます」
「ええ、それでお願いします」
ビジネスライクな会話はこれで終了。
「イツキさん、覚えていますよね? 立ち合いの件」
「ええ、忘れていませんよ」
「それはよかった。ところでリーファ嬢は元気にしていますか?」
「ええ、野菜作りと勉強頑張ってます。保護した時に比べて見違えるように元気になりましたよ。まあ、ほとんど表情に出さないところは変わりませんがね。それでも、家族には僅かな変化でリーファがどう感じているかはわかるようになりました」
「そうですか。それは興味深い変化ですね。リーファ嬢のことは、うちのワーリャも心配していましたから」
ああ、あの時、リーファの面倒を見てくれていたメイドさんか。
「最近、リーファの勉強の進捗が早過ぎて、これからどうしようか悩むところです」
「それなら、魔法科学と魔法工学のテキストをお送りしましょう。弊社の新人研修に使っているものです」
「助かります」
どうやら、リーファの教材の種類が増えそうだ。
う~ん。
俺はリーファにどんな道を歩ませようとしてるんだろう。
そんなことを考えているうちにお別れの時間だ。
「では、近いうちにリーファ嬢を連れておいで下さい。歓迎しますよ」
「ええ、必ず」
「それから、例の件、考えて頂けたでしょうか?」
『例の件』とは、『クレハさんの目的を教えてもらう代わりに俺がクレハさんに協力すること』だ。
「もう少し待ってもらえますか? 踏ん切りがつかないんですよ」
クレハさんは暫し考えると顔を上げて予言したのだった。
「イツキさん。あなたは必ずわたしに協力する。なぜならもう既にあなたはわたしの敵の野望に巻き込まれているからです」
「えっ! それはどういう――――」
「では、イツキさん。近いうちにまたお会いしましょう」
クレハさんはそれだけ言うとスロープにヒョイと飛び乗った。
スロープがあっという間に輸送艦に収納され、離陸する。
垂直上昇した超高速滞空輸送艦フライングライナーは、音もなく南の空に飛び去って行ったのだった。
■
最後まで残っているのはガヤルド軍。
なんで最後になったかって?
それは、M79榴弾砲の撤収に時間が掛かったせいだ。
配置時は緊急性を要することから輸送用の大型のワイバーンで吊り下げ運搬したが、それは搬送距離が短いからできたことだった。だが、ここから遠路ガヤルド領まで運ぶとなるとそうはいかない。台車に載せて陸路で移動するしか手が無いのだ。
M79榴弾砲6門は俺がM&Eヘビーインダストリー社に発注し、ガヤルド軍の予算から支払った。その結果、M79榴弾砲の帰属権はガヤルド軍が得ることとなった。
という訳でガヤルド軍の撤収が最後になった訳だ。
■
そして、年末も押し迫った12月26日。
いよいよ俺達の帰還の日だ。
「後のことはお任せ下さい」
ソルベルスキー参謀総長の言葉に甘えることにした。
後はプロにお任せしよう。
ここはレーゲンスブルグ城中央城塞テラス前の庭園。
見送りに来たのは、ソルベルスキー参謀総長と4人の師団長。
領都に帰るのは、俺と白亜とアップルジャックさんの3人だ。
早速、[転移]準備に掛かる。
俺達の真下に転移陣が顕現した。
「じゃあ、お世話になりました」
俺がそう声を掛けると、ソルベルスキー参謀総長が号令を掛ける。
「総司令官閣下に敬礼!」
と同時に後ろに控えた4人の師団長が最敬礼したので、俺達も答礼を返した。
「転移!」
答礼を解くと同時に転移魔法を行使する。
次の瞬間、俺達3人は魔公爵公邸の中庭に転移。
無事、帰還を果たしたのだった。




