129 闘神アスラ
「へえ。あんたの正体はアスラだったのか」
アスラとはインド神話に出て来る闘神。
仏教典における阿修羅のことだ。
本来、阿修羅は漢訳で、元ネタのインド神話ではアスラだ。
日本で有名なのは三面6本腕の阿修羅観音。
俺も仏像を見たことくらいはある。
だが、リアルアスラはさすがに初めて。
「驚いたな。キサマ、俺を知っているのか?」
ヒルデスハイムが正体を言い当てられたことに驚きを口にする。
「知ってるよ。俺の元居た世界の仏教典やインド神話に出て来る神だろう?」
神界を追い出された闘神アスラ。超有名でヤバいやつ。
「ちなみにアスラと阿修羅、どっちで呼べばいい?」
「好きにしろ」
「じゃあ、阿修羅王と呼ばせてもらうよ」
日本人の俺としては阿修羅王の方がしっくりくるんだよ。
「ねえ、阿修羅王がここに居る理由なんだけど――――」
阿修羅王には舎脂という娘がいた。阿修羅王はその娘をいずれ帝釈天に嫁がせたいと思っていたが、思うだけでなかなか嫁がせなかった。待ちきれなくなった帝釈天は実力行使に打って出る。舎脂を阿修羅王の元から力ずくで奪い、手籠めにしたのだ。怒った阿修羅王は兵を挙げ、帝釈天に対して戦を始める。
だが、事態は思わぬ方向に。
手籠めにされた舎脂が帝釈天に惚れて、その正式な夫人となってしまったのだ。
その後、阿修羅王は天界で戦いを起こしたカドで追放処分になったとも、失意のうちに天界を出奔したとも言われている。
「間違ってるかな?」
「概ねそれでいい。俺は神界で、娘を略奪し凌辱した糞野郎相手に戦を起こした。だが、略奪された娘自身が相手の味方になりおってな。失望して神界を出奔してエーデルフェルトに下った」
なんともはや…………
「それは、その、ご愁傷様というか………」
リーファのことが頭をよぎる。
もしリーファがゲス野郎に略奪・凌辱され、しかもその凌辱した相手を好きになってしまったら…………
決まってるだろう?
そのゲス野郎には死あるのみ。
リーファには禁呪[リワインド]で心も身体も略奪・凌辱前まで巻き戻しだ。
ヒルデスハイム改め阿修羅王は続ける。
「俺は偶々、魔族領内で出会った魔王様と意気投合すると、身分を隠し、姿を変えて、魔王様の紹介の元、その配下のベルゼビュート様の側近になった。神界が率先して庇護する人類を滅ぼし、神界に復讐する為にな。そういった意味ではベルゼビュート様はいい主だった」
そして、中腕を組むと真っ直ぐにイツキを見て言った。
「俺の昔語りはここまでだ
そこまで訊いた俺は頭を掻きながら言った、さも面倒くさそうに。
「あのさあ。結局、それって、『自分の娘がゲス野郎に略奪された挙句凌辱された上、肝心の娘がその男に絆されちゃって悲しいから家出しちゃいました』ってだけじゃん」
「おまっ!」
実も蓋もなく要約されたことに怒りを表す阿修羅王。
俺、間違ったこと言ってないよ。
「しかも相手をボコスコにするんじゃなくて、下界に現実逃避って何なの?」
説教モード発動。
「復讐相手間違えてない!? あんたが怒りをぶつける相手はゲス野郎なんだよ! エーデルフェルトの人類じゃない! そこのところわかってる!? ねえ、わかってる!?」
「キサマに何がわかる!?」
「わかるよ。俺にもいるからね。かわいい娘が」
怒鳴る阿修羅王に対して落ち着いて答えてやる。
「俺は娘のリーファが選んだ相手なら文句は言わないつもりだ」
「なに!?」
「だが、略奪は許さないし、ましてや凌辱はダメだ」
そう。
俺は一度、トルギス族のラファールに白亜を略奪され、危うく凌辱されそうになっている。
あの時の俺はトルギス族まるごと滅ぼしてやろうかと思っていた。
邪魔するなら他の遊牧民も。
発想が勇者とも思えない、完全に魔王のそれだった。
妹ですらこの有様。
これが娘だったらどうなる?
「もしリーファにそんな真似しようとするヤツがいたら、未来永劫止まない激痛を付与した挙句、死一歩手間でまでミリ単位で身体を削ぎ捲ってやるよ。その時は俺の妻達も…………喜んで手伝ってくれるだろうさ」
ああ、段々、発する声が低くなってくるよ。
俺の表情を見た阿修羅王が驚愕した表情を浮かべている。
後ろに小さく見えるマローダー将軍がポトリと咥えタバコを落とした。
どうしたんだ?
俺は阿修羅王に手を伸ばして提案する。
「だからさ、阿修羅王。あんたも神界に戻って娘を取り返して来いよ。あとは、俺が禁呪[リワインド]であんたの娘の心も身体も略奪・凌辱前まで巻き戻してやるよ」
だが、肝心の阿修羅王が手を取ろうとしない。
そこ、迷うところじゃないよね。
手を貸してやるって言ってるんだから、黙って手を貸されておけよ。
やがて、逡巡していた阿修羅王が決意をしたという表情で俺を見て言った。
「わかった。神界に帰ることにする」
どうやら神界に帰ってくれるらしい。
これで一件落着?
「だから、キサマも一緒に来い! 俺の盟友になれ!」
は?
何言ってるの? この神様。
「俺はキサマが気に入った。俺の事情に理解を示す懐の深さと互角に戦える実力。キサマと一緒なら神界の征服も夢じゃない」
「嫌だよ! 俺はエーデルフェルトで穏やかな生活を送るんだ!」
「この闘神自らがキサマを認めて誘っているのだぞ」
「丁重にお断る!」
「神界でナンバー2も夢じゃないぞ?」
「いらない!」
「どうしてもか?」
「どうしてもだよ!」
俺の徹底拒否姿勢に考え込む阿修羅王。
「平行線のようだな。なら、もう勝負で決着をつける他あるまい」
勝負だあ?
「キサマが勝負に勝ったら、キサマの言うとおり、俺は素直に神界に帰るとしよう。だが!」
阿修羅王が俺を睨みつけ、
「俺が勝った暁には!」
指差しながら言い放った。
「キサマにはこの世の全てを捨てて俺に付いてきてもらう!」
『この世の全てを捨て』ろだと?
エーデルフェルトでの全てを捨てて神界に行った自分を想像してみる。
阿修羅王と共に神界で修羅の道を歩む自分。
冗談じゃない。
かわいい妹とかわいい娘とのスローライフはどうなる?
俺の理想の暮らしよ、さらば?
ちなみに性欲の強いエルフと口の悪いメイドのことは考えないようにした。
思い出しそうになった瞬間、その記憶の抽斗を閉めて鍵を掛けておいた。
これからの勝負に彼女らの記憶は必要ないからね。
「それはちょっと勘弁して欲しいかな」
俺は、トマホークを[無限収納]に放り込むと、
「だからさ。俺も本気出させてもらうことにするよ」
阿修羅王は俺の言葉を戦闘開始の言葉と捉えたのだろう。
俺から間合いを取り、トマホークを構え直すのだった。




