123 白亜の拳による渾身の一撃
「ようこそ、レーゲンスブルグ要塞のコントロールルームへ」
豪華な革張りの回転椅子を廻して白亜達と対峙した人物がゆっくり立ち上がる。
ブラウンに近い金髪を頭の横で巻き、広い額に黄土色の瞳をした痩身初老の男。
角無しなので一見、人族にしか見えない。
「お初にお目に掛かります。わしはアスタロト領からレーゲンスブルグ要塞に派遣されてきた軍事顧問のアイギス・シュリーフェンと申します」
その人物は、右手を胸の前に持って来て腰を折って恭しく挨拶した。
「妾はガヤルド陸軍准将、斎賀白亜と申す。横に居るのは我が軍の軍事顧問クレハ・ミューラーじゃ」
実際のところクレハは民間人に類するが、助力して貰っているので実質は軍事顧問のようなものと解釈して白亜はそう紹介した。
「M&Eヘビーインダストリー社の共同代表クレハ・ミューラーです」
クレハはそれだけ名乗った。
シュリーフェンが顔を顰める。
「M&Eヘビーインダストリー社!」
クレハはコントロールルームを見回して尋ねる。
「ところで、シュリーフェン殿。この要塞制御システムは我が社がベルゼビュート軍にレンドリースした『多目的巡航艦おおえ』のシステムとそっくりにように見えますが?」
「そのとおり! このシステムは我が主アスタロト様が『おおえ』のシステムを解析し、浮遊移動要塞向けに開発されたもの! 元になった『おおえ』より大幅に機能が向上しています。しかも駆動システムのエネルギー供給方式は新たに開発された魔力吸引装置と魔力変換炉により行われています。」
クレハの指摘に我が意を得たりと説明を始めるシュリーフェン。
「我が社はベルゼビュート軍と契約しましたが、あなた方、アスタロト領主とは契約を交わしていないはずですが?」
「契約? 何のことですかな? 存じ上げませんな」
「ベルゼビュート軍から訊いていないと?」
「訊いておりませんな。我々は盟友であるベルゼビュート軍の依頼に協力したのみ」
当然のことをしていると悪びれる様子もない。
「それに、例え我々が御社と契約を交わしていたとして、それが如何ほどのことでありましょう? そもそも契約というものは対等と認める相手としか成り立たぬものですぞ。我々魔族に劣る人族が経営する企業との契約を何故我々魔族が守らなければならないのですか?」
それを訊いたクレハが目を細める。
「なるほど。そういう解釈ですか。であるなら、弊社としては違約対応させて頂くだけです」
「ほう。違約対応ですか。どういった対応をされるのですかな?」
クレハの目が妖しく光る。
「このシステムを停止させ、二度と使用できないように破壊します」
「ワーハッハッハッハッ! 面白い事を仰られる。だた、それができますかな?」
やれるものならやってみろと挑発する。
「そうか。なら!」
白亜がシュリーフェンに五月雨で斬り掛かる。
が、五月雨の刃がシュリーフェンの前2mの位置で見えない壁に撥ね返された。
「無駄です。あなた方は一歩も近寄れません」
クレハも抜刀術を駆使するが、やはり白露の刃もシュリーフェンの前2mの位置で見えない壁に撥ね返された。
「結界か!?」
「そのとおりです。わしの結界[無限結界]は五公主でも傷すら付けられない無敵の結界。燃費が悪過ぎるのが玉に瑕ですが」
多重に張られた結界は、白亜の連戟により表層を破壊されると内側に新たな結界が構築される。何層破壊してもその分だけ新たに作り出される結界。
「キリがないのお!」
「そのようですね」
白亜とクレハが五月雨と白露で繰り返し結界の破壊を試みるが結界は盤石だった。
その為、白亜達は[無限結界]で隔てられたその先の制御卓に近寄れなかった。
繰り出す連戟にも破れない結界に白亜が焦りを見せ始める。
「無駄な事をなさるあなた方に楽しい余興をお見せしましょう」
シュリーフェンが、反重力超大型拡散偏向ノズルの制御卓に歩いて行く。
そして制御卓から生える門型のマスターコントローラーレバーに手を掛けると、そのヘッド部分左横のボタンを右手の親指で押しながらマスターコントローラーレバーを思い切り手前に引いた。
親指を離すとマスターコントローラーレバーが一番手前でホールドされた。
次の瞬間、要塞にガクンと強い振動が起き、要塞内の誰もが一瞬浮遊感を味わう。
だが、すぐにビリビリと小刻みに伝わる震動と同時に下に押し下げられるような感覚が追加で襲ってきた。
「最大出力にしたんですがねえ。抑え込まれてしまいましたね」
ちょっと残念そうな顔をするシュリーフェン。
「でも、まあ、どこまで持つのでしょうかね? これだけの反重力を抑え込むには膨大な魔力が必要なはずです。こちらは200万人の住民から吸い上げた魔力があります。命を糧にすればまだまだ吸い上げられます。それに引き換え、上の彼はどうなんでしょう?」
「200万人の住民の命を何だと思っておるのじゃ!?」
白亜の抗議に『異なことを言う』と意外そうな顔をする。
「我々高貴な者の為の糧ですな。それにここの領民はアスタロト閣下の赤子ではありません。ならば、躊躇うことなど無いでしょう?」
そして、白亜達に向くと、勝ち誇ったように笑った。
「この根競べ、わしの勝ちですな」
白亜は思う。
(このままではいずれ要塞を抑え込むイツキの魔力が尽きてしまう。
要塞を抑え込めなければ要塞攻略戦は事実上の失敗。
持久戦に持ち込まれれば糧食を押さえている要塞側に有利。
持久戦を想定していない攻略軍は要塞内に取り残され、
いずれは糧食が尽きて降伏に追い込まれるだろう。
それに…………)
白亜が最も危惧すること。
(イツキは、魔力が尽きる限界まで要塞を抑え込み続けるはず。
そして、魔力が尽きたイツキは、自らの生命力を魔力に変換してでも、
要塞の再浮上を抑え込み続けるだろう。
なら、変換する生命力も尽きたら?)
[ホバリング]も[フライ]も使えない状態で遥か上空から墜落するイツキ。
勇者の加護[絶対防御]により身体の損傷こそ免れるも、全てが尽きたことで自動回復機能が発動せず、次第に弱っていくイツキ。
そして、イツキが死を迎えるのを為す術もなくただ見守るしかない自分。
白亜にはそんな光景が思い浮かぶ。
(イヤじゃ! そんな結末は絶対にイヤじゃ!)
「あなた方はここで自軍の敗北を目の当たりにするのですよ。」
得意げにそう語るシュリーフェンを睨みつける白亜は心に決めるのだった。
(絶対にこの結界を破って要塞の再浮上を止めてやるのじゃ!!
それが《SS》ランク冒険者パーティー白銀の翼でのイツキの
バディであり、今はイツキの妹として『斎賀』の家名を頂く妾の
務めなのじゃ!!)
おもむろに五月雨を[頂の蔵]に収納する白亜。
「クレハ殿。結界が破れたら、魔工技師達を守って反重力超大型拡散偏向ノズルの制御卓へ急いでくれるかの?」
横で白露を構えるクレハにそう告げる。
「わかりましたが、白亜さん、あなたはいったい何をするつもりですか?」
白亜はそれには答えず、ユラリと結界の前に一歩踏み出してシュリーフェンと対峙する。
そんな白亜をジッと見たシュリーフェンが合点がいったという反応を見せた。
「あなた…………勇者の妹の斎賀白亜さんですね? ガヤルド軍の軍服なんか着ていたので今まで気付きませんでしたよ。『ガヤルド女魔公爵は勇者・斎賀五月の婚約者』というのは本当だったのですね? そうでなければ、人族の勇者パーティーが魔族領の内戦に出張って来るはずがありませんからね」
シュリーフェンは白亜を値踏みするように見ながら続ける。
「ということは、今、この上で要塞を抑え込んでいるのは勇者ご自身ですか?」
白亜は是とも否とも答えない。
「そう言えば、あなたは兄妹であるにも関わらず兄の勇者に只ならぬ思いを寄せているのでしょう? 我々の諜報部門からの報告にそう上がって来ていますよ」
そして、今気付いたかのように、
「ああ、このことはそちらの方々には内緒でしたな。兄妹間の情愛など衆道にも劣ることですからな。おおっと、申し訳ない。わしは少々口が軽過ぎたようです」
ワザとらしくそう言った。
クレハ以外の魔工技師達に動揺が奔る。
「あなたはガヤルド女魔公爵に複雑な思いをお持ちのようだ」
ニヤリと笑うシュリーフェン。
「勇者を心から愛する自分が居るにも関わらずそれに気付いてもらえず、突然現れた魔族の女に大切な兄を奪われ、あろうことか婚約者の座まで射止められてしまった。あなたは抱いているはずだ。魔族の女への憎しみを。そして、自らの想いを受け流す兄への苛立ちを」
そして、囁くように言った。
「あなたがここで退いてくれたら、魔力を使い果たして墜落した勇者に最低限の回復を施してあなたの元に無傷でお返ししましょう。そして、この要塞を反攻の象徴とした主戦派魔族軍がガヤルド女魔公爵を滅ぼした暁には勇者はあなたのものとなるでしょう。ご希望とあらば、あなた以外に魅力を感じないようにする催眠を勇者に施してあげますよ。死ぬまで解けない催眠をね」
まさに悪魔の囁き。
「白亜さん! 聞いてはいけません!」
クレハの叫びに白亜は答えない。
ただ、結界の目の前まで歩み出る。
「言いたいことはそれだけかしら?」
クレハが白亜の変化に気付く。
「ああ、そうそう、訂正しておくけどイツキとわたしに血の繋がりはないわ。だから、あなたに心配して貰う必要など無いのよ。みんなに内緒にする必要もね」
白亜が話すのは標準語。
『標準語を話す時の白亜は激おこだから気を付けて下さいね』
イツキが白亜に[パラライズ]をお見舞いした晩、白亜への事情説明に同席を求められたクレハが最初に訊かされたのが、これ。
「それなのに、あなたはわたしのイツキへの気持ちを勝手に解釈した上で踏み躙った。これは万死に値するわ」
シュリーフェンは白亜の変化に気付いていない。
「それで回答は?」
「回答は!! こうよ!!」
思い切り振り被った右の拳を結界に炸裂させる。
白亜の拳を叩き付けられた結界に罅が入る。
更に振り被った左の拳が結界に炸裂して罅を拡げる。
普段、イツキの胸や背中を戯れに叩くだけで勇者の加護[絶対防御]の防殻に罅が入る白亜の拳。
その白亜の拳による渾身の一撃。
「名刀でも秘剣でも罅すら入れられない結界が…………」
「わしの……五公主でも傷すら付けられない無敵の結界が…………」
クレハの驚きの呟きとシュリーフェンの驚愕。
パリーン!
3打目で表層の結界が砕け散った。
だが、内側から結界が再生する。
白亜は構わず拳撃の速度を上げていく。
威力はそのままに。
表層が破られる度に内側から再生する結界。
「ありえない! こんなことはありえぬのだ!」
現実逃避しそうなシュリーフェン。
だが、今、目の前で起きているのは紛れもない事実だった。
やがて、白亜の拳撃の速度が結界の再生速度を上回った。
パシャーン!!
そして、遂に結界が砕け散った。
「クレハさん!!」
白亜に応えたクレハが魔工技師達と反重力超大型拡散偏向ノズルの制御卓まで全力疾走する。
「させん!」
シュリーフェンの氷弾連続射撃[アイシクルガトリング]がクレハ達を襲う。
クレハが白露で襲い来る氷弾の全てを斬り落とした。
その隙に反重力超大型拡散偏向ノズルの制御卓に取り付いた魔工技師がマスターコントローラーレバーを奥へ押し戻そうとした。
が、マスターコントローラーレバーはピクリとも動かなかった。
「クレハ様! レバーが戻せません!」
「リリースボタンは押しましたか!?」
白露を構えてシュリーフェンと対峙するクレハが後方の魔工技師に確認する。
「! リリースボタンが…………壊されています」
それを訊いたシュリーフェンがさも可笑しそうに笑った。
「リリースボタンはわしが壊しました。念の為にね。これで、もう推力最大位置のままです。残念でしたね」
シュリーフェンは再び白亜を見ると言った。
「さっきは無傷でお返しすると言いましたが、やっぱり気が変わりました。勇者にはここで退場頂きましょう」
「そう。なら、こちらも相応に対応させて貰うわ」
白亜はシュリーフェンにそれだけ答えると、魔工技師達に命令する。
「あなた達! そこから離れなさい!」
というが早いか、全力疾走した白亜が左足で床を蹴ると飛び上がって、反重力超大型拡散偏向ノズルの制御卓の固着したマスターコントローラーレバーに渾身の飛び蹴りをかました。
バキャッ!!
白亜の飛び蹴りの強烈な打撃により、レバーのロック機構のストッパーが砕け、レバーがリターンスプリングに引き戻されてゼロ位置に戻った。
ヒュ―――――ン
反重力超大型拡散偏向ノズルがその機能を止めた。
一瞬、上から押し潰されるような感覚が襲って来たが、それもすぐに治まった。
イツキが重力制御魔法を解除した為だ。
「これで要塞の再浮上は阻止できましたね」
「そのようじゃな。あとはこの者だけじゃ」
クレハに答えた白亜がシュリーフェンを睨みつける。
「くっ! もはやこれまでか」
じりじりと後ろに下がっていくシュリーフェン。
遂には魔力ドレーンと魔力変換炉を制御する制御卓の前まで追い詰められた。
そんな彼の右手が制御卓に触れる。
触れた右手の先に目を遣った彼の唇の端が吊り上がる。
「いや、まだです。まだ終わらないのですよ」
[無限結界]とマスターコントローラーレバーに渾身の怒りをぶつけてスッキリした白亜。
「もう、観念したらどうじゃ?」
彼女が通常モードでシュリーフェンに語り掛ける。
「観念するのはあなた方ですよ」
シュリーフェンが勝ちを確信したのは、右手に触れたあるものだった。
それは黄色と黒の斜線枠に囲まれた透明のカバーに覆われた赤いボタン。
彼は透明のカバーを叩き割ると、剥き出しになった赤いボタンを、ポチッと押した。
本当に、ポチッと。
ズンッ!
次の瞬間、要塞全体に強い衝撃が奔る。
「おまえ! 今、何をした!?」
白亜がシュリーフェンを問い質す。
「自爆装置のボタンを押したのですよ」
そして両手を広げたシュリーフェンが勝利宣言する。
「自爆装置が作動すると、魔力転換炉が魔力を吸い続けて暴走し魔力爆発を起こします。周囲200kmを巻き込んでね」
「そんなことをすれば、盟友のベルゼビュート軍も巻き添えを食って――――」
「彼らはアスタロト様の赤子じゃない」
「盟友を見捨てるというのか!?」
「同盟とは時には非情な選択をしなければならないものなのですよ、お嬢さん」
そして、初めて相見えた時と同様に、右手を胸の前に持って来て腰を折って恭しく挨拶した。
「では、斎賀白亜殿、クレハ・ミューラー殿。わしは失礼させて頂きましょう」
それだけ言うと姿を消した。
「転移魔法を使って逃げられたようですね」
冷静なクレハ。
そんなクレハを睨む白亜。
「のお、クレハ殿。『じばくそうち』」
それを訊いたクレハが白亜から目を逸らす。
「彼らが『多目的巡航艦おおえ』の基本機能を完コピしたのなら自爆装置も標準装備されていて当然ですね」
「そもそも何故『じばくそうち』を装備する必要があったのじゃ?」
「だって、ほら、ロマンじゃないですか? 自爆装置。ポチッと押すのもいいんですよ。ちなみに自爆すると髑髏の爆煙が漂う仕様ですよ」
嬉しそうに話すクレハを見て白亜は思った。
(ああ、この者、イツキと同類じゃ。どうでもいいところに拘るあたりも、とんでもないものを生み出す点でも、類友と言っても良い。イツキとこの者を一緒にするのは拙いかもしれぬな。『混ぜるな危険』というヤツじゃ)
そんなことを思っていると、突然、自動音声が流れ始めた。
『只今より自爆シーケンスを実行します。自爆予定は5分後に設定されています。速やかに退避して下さい。では、自爆までのカウントダウンを開始します。ピーッ!』
室内のモニター全てに自爆タイマーが表示された。
「『おおえ』の自爆予定は30分後でした!まさか、 自爆予定を早めたのですか!?」
顔を顰めるクレハが決断した。
「イツキさんに自爆装置を止めて貰いましょう。大賢者の彼なら自爆装置の術式を解析して制御下に置くことができるはずです」
それだけ言うと、クレハは速やかにイツキへの[映像念話]を繋いだのだった。
「イツキさん。お願いがあります。すぐにやって頂けますか?」




