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102 シルクと王宮書庫

サリナとの街遊びの翌日。

俺はシルクと王宮書庫に来ていた。


シルクがこの国の書物を閲覧したいとジョセフさんにお願いした。

禁書を含めてだ。

もちろん、ジョセフさんは快く了解してくれた。



「なるほどね。この国の発展の歴史は興味深いね」


シルクが歴史書に目を通しながら呟く。


「しかも内容に検閲された形跡が無い。良い事も悪い事も赤裸々に記述されている。当時の政策についての分析だけじゃなく、弊害についても記述されている。官僚の行政に対する批判も述べられている」

「それはつまり、言論の自由や表現の自由が担保されている証拠ってこと?」

「そうだね。これは王や皇帝を絶対とする集権国家ではあり得ないことなんだ」


シルクが読み終えた本を閉じると頬杖をついて言った。


「これは魔族領も見習わなければならないね」


シルクが次の本を開く。

今度は経済の本だ。

シルクの机には書庫から持ってきた本が渦高く積まれている。

今日中にそれ全部読むつもり?


それから、シルクは黙々と本を読み続けた。

凄い集中力だ。

俺が横に居ることすら眼中に無いだろう。


元々、シルクは研究熱心だ。

その知識範囲も広く、わからないことをシルクに訊くと大概の事は即答だった。

その場で答えられない事柄も、後日、何気に会話の中に混ぜ込んでくれたりした。

何でもない事のように。

おそらく一生懸命調べてくれたんだろう。

でも、彼女、苦労した素振りも見せないんだよね。


俺はさっきシルクが読んでいた歴史書を開く。

内容は、俺がジョセフさんに国を興すことを勧めたあたりから始まる。


人間至上主義の国から逃れて来た難民の受入れ。

増えた人口を支える為の農作物の増産とそれを実現する為の耕地面積の拡大、治水灌漑、土地改良といった農業改革の断行。

商品作物の栽培とそれを輸出品とする周辺国との交易の開始。

上下水道の整備。

光魔法による夜間照明の普及。

各種工業製品の内製化。

通商路の整備と中継都市の建設。

魔物対策及び魔獣対策。

教育機関の創設と教育の普及。

アナトリア独自の文化の育成。

正規軍の創設。

冒険者ギルドの誘致と冒険者の育成。

国内の治安対策。


等々。

この国の発展の歴史が綴られている。

もちろん、カラトバや魔族領との戦争の歴史も。


その歴史を辿った先に今のアナトリアがある。


ジョセフさんの善政もさることながら、それを支えて来た官僚や貴族達の協力があってこそだってことくらい、この本を読めば解る。長い歴史の中で暗愚な為政者や狭量な官僚が居なかったことも幸いした。そう言う意味では、この国は恵まれていたんだろう。


次に手にするのは魔獣図鑑。

2冊目だ。


一方のシルクは、法律、外交、文化の本を既に20冊読み終えている。

俺の読む速さの10倍!

早ええな、おい!


俺はシルクが読み終えた本とこれから読もうとしている本の山を見た。

背表紙を目で追っていった俺はあることに気付く。


「この山には様々な分野の本があるけど、料理の本は無いんだね?」


物理学の本を読んでいたシルクがピクリと固まる。


「な、なにを言ってるんだい、イツキ君」

「いや、料理の本が無いなあ、って」


シルクがカラクリ人形みたいにカクカクと顔を上げて俺を見た。


「た、偶々だよ…………偶々…………」


声が震えていた。


「それに王宮書庫で何でわざわざ料理本なんか読まなければならないんだい? 王都の図書館でも読めるんだし」

「宮廷料理の本は王都の図書館には無いような…………」


シルクが目を逸らした。


「きゅ、宮廷料理の本か。気付かなかったなあ」

「じゃあ、持って来てあげるよ」


俺が席を立とうとしたら。裾を掴まれた。


「どうしたの? 顔色悪いよ」


俺は知ってるんだよ。

シルクの料理の腕が壊滅的なことを。



―――――――――――――――――――――


以前、こんなことがあった。


魔王の【暴虐】を阻止する旅をしていた俺達勇者一行。


初めて行く場所ばかりだったので[転移]は使えない。

移動はもっぱら徒歩か行商人の馬車への便乗。

町や村のあるところでは宿屋に泊まるが、それも無いところでは当然野宿になる。

そんな野宿で問題になるのが食事だ。


勇者一行でまともな料理ができるのは師匠と俺だけ。

セリアも料理ができるが、神官らしく粗食しか作れない。

結果、料理をするのはもっぱら師匠と俺だった。


俺は料理が嫌いではないから気にならなかったが、師匠は違った。

基本的に師匠の料理は旨い。

剣客の運動量や健康に留意した、栄養バランスの計算された料理を作る。

料理上手と言っても良い。


だが、料理が上手なのと、料理をするのが好き、はイコールにはならない。

師匠は料理をするのが嫌いなのだ。


その師匠が切れた。


「おまえら、食うばっかりで、いつも俺達に料理させやがって!」


師匠は食事作りのローテーションを主張した。

『当番制にしよう』と言い出したのだ。


「粗食で構わないって言うなら、わたしは反対しないわよ」


セリアがそう言った。

一方のシルクは俯いて黙っていた。


反対が無かったので、食事の当番制が決まった。


師匠 → 俺 → セリア → シルク の順だ。


当番制は、師匠、俺、セリアとつつがなく継承されていった。


そして、4日目の昼。

シルクは、半ナマの焼き魚と焦げた肉料理を出してきた。

半ナマの焼き魚の腹から白い糸のような虫がコンニチワしていた。

腸を取っていなかったのか?

サンマじゃないんだから、腸取らなきゃダメだろ。

まあ、サンマだったとしても半ナマはあり得ないんだが。


セリアを見ると蒼くなって固まっていた。

寄生虫がダメだったんだね?


時間もあまり無かったし、初めてだから仕方が無い、と言うことで昼は焦げた肉料理だけ食べることにした。炭の味しかしなかった。

調味料を入れ忘れたのか?


「調味料ってなに?」


シルクの素朴な問いに、唖然とする俺達。


だが、その日はそれで終わらなかった。


晩は野菜と肉の煮込みスープ、いわゆるシチューだった。

シチューなのだろう。

いや、シチューのはずだ。

たぶん。


鍋にはおどろおどろしい濃いピンク色の液体が入っている。

シルクがオタマで掬い上げた液体がドロリと粘りを帯びているのはなぜなんだろう。

その肉、元は緑色じゃなかったよね?

なんで、緑色してるの?

所々顔を覗かせている鮮やかなキノコは、所持していた食材には無かったものだよね。

どこで手に入れたものなの?

それに鼻をつんざく酸っぱい臭いはなに?


「美味しくできただろう? ボクの創作料理だよ」


これを美味しいと言うシルクの味覚はどうなっているんだろう、嗅覚も含めて。


シルクは数々の創作魔法を生み出す天才だ。

目にしたことも無いアーティファクトも編み出している。


でも、料理に創作なんていらない。


俺は黙って師匠を見る。

セリアも同様に師匠を見た。

俺の視線もセリアの視線も言ってることは同じ。


『『当番制を言い出した責任を取れよ(取りなさいよ)』』


俺達の視線の意味を理解した師匠が覚悟したようにドロリと粘る液体をサジで掬うと、一気に口に入れ、ゴクリと飲み込んだ。


舌で味わうのを拒否したな?

胃に入れてしまえば何とかなると思ったのか?

でもね、師匠。

鮮やかなキノコ。

あれはダメだ。


次の瞬間、師匠に異変が起きた。


「ひゃっはああああああああああああああああああああ!」


急に立ち上がって世紀末の無法者みたいな叫びを上げたのだ。


そして、スイッチが切れるように倒れた。


なんか白目を剥いてピクピクしている。

やばい!


「ヒール!」


セリアが慌てて師匠に治癒魔法を掛ける。

食中毒くらいなら[ヒール]で治るはずだ。


「ちょっと――っ! 治癒魔法、効かないわよ! どうなってるの!?」


ピクピクしている師匠に変化した様子は無い。


「ハイヒール!」


セリアが上位の治癒魔法を掛けたが、やはり変化無し。


「メガヒール!」


今度は最上級の治癒魔法を掛けた。

師匠は白目を剥いてピクピクしたままだ。


「セリア! 浄化魔法を掛けてくれ!」

「浄化!? 呪いかなんかだって言うの!?」

「いいから!!」


俺の提案に渋々セリアが浄化魔法を行使した。


「プリフィケーション!」


いきなり完全浄化魔法。

段階を踏むのを省略しやがったな?


だが、変化はあった。

師匠の症状が鎮静化したのだ。


「まさか、最上級の呪いだったなんて……………………」


完全浄化魔法を行使したセリアが驚いている。

言い出した俺も驚きだ。


とりあえず、師匠は大丈夫だ。

後は――――


気が付くとシルクの姿が無かった。


「「あいつ、逃げやがった!」」


俺とセリアはシルクを探したが見つからなかった。


師匠の身体に配慮して、その後3日間、そこでビバークすることにした。


2日後、姿を消していたシルクが姿を現した。


「ボクに料理を強要したキミ達がいけないんだよ」


開口一番、シルクの発したセリフからは反省の色が全く感じられなかった。


実際、セリアが、


『反省の色が無い!』


って怒ったら、


『『反省の色』って何色?』


と返して来たし。


怒るだけ無駄。

ある意味、シルク、不思議ちゃんだし。



結局その日はセリアがシルクに料理を教えることになった。

神官の粗食だから料理するのも簡単なはずだった。


だが、シルクはその粗食すら自己流にアレンジした。


セリアが教えたのは、神官が修練の時に口にする修道食。

本来は、堅いパンと具が野菜だけの皿の底が見えるくらい薄いスープ。

パンそのままと、切った野菜に塩を振って鍋で煮込むだけの簡単なお料理。


だが、目の前にあるそれは…………


石炭と…………コバルト色のゲル状の何かだった。

軽金属製のスープ皿の端がボロボロに腐食している。


これは対魔族軍用の生物化学兵器なのか?


「あり得ないわ。こんなの、こんなの…………神の供物じゃない!!」


あまりのことにショックを受けたセリアが、そう叫ぶとどっかへ走り去ってしまった。


「どうだい? 会心の出来だろう?」


シルクが生物化学兵器を見ながら嬉しそうに言う。


『会心の出来』?

『会心の一撃』の間違いなんじゃないの?


師匠と顔を見合わせた俺は正直にシルクに告げた。


「シルクの料理の腕は壊滅的だ。はっきり言って才能が無い」


シルクの笑顔が固まった。


「これまでの中でも最悪の部類だ。女子力が低すぎる」


固まったシルクがひび割れていくように見える。

俺は構わずシルクを指差して、


「只今を以てシルクを食事当番から解任する!」


戦力外通告を言い渡してやった。


「いや、その、もう少し頑張れば…………」


シルクがお慈悲を求めるように縋って来た。


「そうだね。頑張れば最終兵器ができるかもしれないね」


万弁の笑顔で言ってやった。


シルクがショックを受けて固まる中、俺達はシルクには絶対に料理をさせないと誓う。

実際、その日以降、シルクが料理を作ることはなかった。

立ち寄った場所での地元の人達との交流の場でも、料理の話になるとコソッと席を外すシルク。完全に苦手意識が定着してしまったようだ。

まあ、あんな生物化学兵器を食えと言われても困るからこれでよかったのだろう。


―――――――――――――――――――――



「実際、シルクの料理は壊滅的だったからね」

「うるさいよ」

「今でも料理は封印なのか?」

「ボクが料理しなくても、シャルトリューズが全部やってくれるから問題ないんだよ」


『この話はおしまい』とばかりに音を立てて本を閉じるシルク。

そして、次の本を取る。


『勇者の軌跡』


1000年前の俺達の記録。


「この本、魔族領にもあるんだよ。でも、人間の世界では禁書に指定された。市井に流れたものも回収され焼き払われた。時の司教帝による焚書。それほど、ボクらを憎んでいたんだね。」


そう言いながら優しく本を撫でる。


「実はボクは生まれた時から前世の記憶があった訳じゃないんだ」


そして本を抱きながら言う。


「幼い頃、屋敷の書庫でこの本を見付けた。人間の勇者の冒険譚。どんな冒険なんだろう。好奇心に駆られたボクがこの本を開いた時、ボクの中に封じられていた前世の記憶の封印が解けたんだ」


そして俺を見つめて笑った。


「この本があったから転生したキミと再会できた」


今、書庫には俺達二人以外、誰もいない。

渡すなら今だ。


「シルク、これを受け取ってくれないか?」


取り出したのはスターリングシルバーに輝くネックリング。


魔公爵のシルクは両手の指全てに手首から延びたチェーンに結ばれた指輪型アーティファクトを付けている。

だから、白亜やサリナと同じものは渡せない。

だからこそのネックリングだ。


俺とネックリングを交互に見たシルクが口を開く。


「イツキ君、キミは…………」


俺から目を逸らして、


「ボクを隷属の首輪で服従させて、性奴隷にしようと言うんだね!?」


とんでもないことを言った。


「困るよ。ボクにそんな性癖は無いんだ。もちろん、キミが望むなら努力はするけど」

「えっと、シルクさん?」

「キミにそんな性癖があるなんて知らなかったよ」

「だから――――」

「貶められたボクは、これからあんなことやこんなことをされてしまうんだね?」


巡らせた想像を口にするシルク。

このままでは訊いている俺の方がおかしくなりそうだ。


「ちょっと黙ろうか」


シルクの両耳を掴んでやった。


「ひゃん!」


シルクが可愛らしい悲鳴を上げて両耳を押さえ、立ち上がって俺から離れた。

顔を真っ赤に染めてプルプル震えている。

いかん。弑逆心が刺激されてしまいそうだ。



「とにかく話を訊いてくれないか?」


俺は着席を促す。

シルクは両耳を押さえたまま席に座って俺を見た。

相変わらず顔は真っ赤のまま。


「指がアーティファクトでいっぱいだから、じゃまにならないようにネックリングを選んだ。隷属の首輪じゃないから安心して着けて欲しい。今はまだあの時の誓いを果たせないけど、『責任』は転生した今も継続中だよ。これは、その証だ」


シルクは黙ってネックリングを受け取ると俺を見た。

俺に着けろと?

俺はシルクの首に手を廻してネックリングを着ける。


カチャリ。


という静寂な書庫に勘合音がした。


ネックリングを着けたので、離れようとした俺はシルクの両手で頭を掴まれた。

そのまま、唇を奪われる。

シルクの舌が俺の口の中を蹂躙する。


長いディープキス。


やがて、顔を離したシルクが不意を突かれて唖然とする俺に言った。


「今度のはボクの想いを込めたものだよ」


シルクが王宮内であることも忘れて抱きついてきた。

シルクの鼓動が聴こえてくる。

シルクにも俺の鼓動が聴こえているのだろう。


シルクが俺の服のボタンを外し始める。

おい、シルク、何をするつもりだ?

それ以上は。


「ちょ~~っと待ったああ! ここ王宮内だから! 人来ちゃうから!」


慌ててシルクを止める。


「ちぇええっ。イツキ君のいけず」


俺から離れたシルクがブー垂れた。

そんなこと言ってもダメなもんはダメなんだからね。




その後は二人とも読書に集中し、気が付くと日が暮れていた。

閉庫を告げる司書さんが来たので、俺達は王宮を後にする。


迎えの馬車は呼ばなかった。

迎賓館まで夜道を歩いて帰る俺達。

夜風が気持ちいい。


やがて、迎賓館の門を潜り、入口に辿り着く。

ああ、そう言えば言い忘れてたな。


「さっき言おうとして言えなかったんだけど、そのネックリングは俺と魔力パスが繋がるアーティファクトだ。俺からの魔力供給や魔法の術式が受けられるから、シルクは以前と同じように超級魔法や禁呪も使える」

「かつての大魔法使いに戻れるってことかい?」

「そういうことになるね」


シルクは指でネックリングの感触を確かめている。


「他にも特典があるんだけど今は秘密だ」

「何それ?」

「その時が来れば解るさ。できれば、『その時』がやって来ない方がいいんだけど」


シルクは魔族領に帰ってしまう。

だからこれは、いつも傍にいてやれない俺が掛けた保険。


「ちなみに、キミが俺に愛想が尽きてそのネックリングを外したくなっても俺の同意が無ければ外せないよ。クーリングオフするなら今のうちだよ?」


それを訊いたシルクは穏やかに笑って言った。


「一生外さないよ」


そして、俺の肩にもたれ掛って言った。


「ありがとう、イツキ君。これで以前と同じようにキミの力になれる」


だが、そこからがいけなかった。

妖しげに俺を見るシルクが言った。


「お礼に今夜、夜伽をしてあげよう」


シルクの目が得物を狙う目をしている。


「キスでは弟子に先を越されたからね。今度はボクのターンだ。このレース、イツキ君をボクの虜にして逃げ切ってやる」


なにを言ってるんだか…………

そもそも何のレースなんだよ?


「さあ、ボクと身体を重ねようじゃないか?」

「要らない」

「えっ?」


俺の素っ気ない返答が予想外だったらしく、間抜けな声が帰っていた。


「だって、シルク、胸無いじゃん。洗濯板じゃん。サリナ比10%じゃん」

「ガ―――ン!」


俺、『ガーン』って口に出した人、初めて見たよ。


俺はそのまま迎賓館の中に入ったが、シルクは迎賓館の入口の前で塩の柱と化していた。







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