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四季折々に揺蕩う、君に恋焦がれる物語。  作者: 柚月 なぎ
夏の章
8/17

四、糸雨のあとに立つ虹の下で



 日照り続きの村に慈雨の雨が降った――――。


 しかしどういうわけか、ある屋敷の上空だけが酷い雨雲に覆われた。その強さは屋敷を軋ませ、屋根を突き破り、まるで滝にでも打たれたかのような状態だったそうだ。そこに住む者はもはや居てもいられず、屋敷の外へと出た。


 その瞬間、屋敷の後ろから雪崩のように土砂が押し寄せ、その者を呑み込んでしまった。不思議なことに、屋敷一帯が土砂に呑み込まれたというのに、その者以外、そこに住んでいた他の者や周辺に住む村人たちには、まったく被害が及ばなかった。


 土砂から掘り起された時、すでにこと切れていたその者の手には、透明な水晶が握られていたとかなんとか。


 ――――数年後。


 村は日照りで苦しむことはなくなっていた。雨は定期的に必要なだけ降り注ぎ、作物も毎年豊作となる。数年前の災害で、土砂に呑まれて亡くなった前村長が握っていた水晶を見た村の年寄りたちが、その水晶が龍神様の御神体であることに気付き、祟りだと騒いだのも記憶に新しい。


 村人たちは年寄りたちの話から、谷の近くにあった古びた祠を見つけ、その水晶を元に戻した。そして村の皆で話し合い、古い祠を新しく建て替え、御神体である水晶を改めて祀った。それ以降、村人たちは収穫したものを供物として捧げ、定期的に龍神様へ祈りを捧げるようになる。


 村は、少しずつだが、かつての賑わいを取り戻していくのだった――――。



******



 樹雨は、白南風しらはえつがいとなることを決める。龍神の恩恵を受けたその領域は気の巡りが良く、すぐに体調を崩していた樹雨の身体も、不思議なくらい調子が良くなっていた。


 十八歳。あれから四年が経っていた。


白南風しらはえさま、見てください、空に綺麗な虹が立っていますよ」


 滝の飛沫の影響で架かる虹とは別に、晴れ渡った澄んだ青が広がる夏空に、くっきりと架かった虹の橋を指差す。先程まで降っていた霧雨が止んで、元々晴れていた空に強い日差しが射し込んだ。


 途端、薄っすらと浮かび上がったその七色の虹が、いつの間にはっきりとした色合いで、青い空を彩っていたのだ。


 樹雨の横に立ち、そっとその薄い肩に手を置いて自分の方へ寄せた白南風しらはえは、金眼を細めて同じ場所を見上げる。


「夏の雨は恵みの雨なんです。そこに虹が立つなんて、きっと神様からのおすそ分けですね、」


「お前は、いくつになっても変わらないな」


 その純真さに惹かれ、その涙に惹かれ、その微笑えみに惹かれた。


「そうですか? ちょっとは大人になったつもりでいたのですが······あ、でも、白南風しらはえさまは変わりましたね、」


「······なにか、不満でもあったか?あるならなんでも言ってくれ」


 その端正な顔を不安そうに歪めて、白南風しらはえは樹雨を見下ろしてくる。そんな様子を見上げて、樹雨はくすくすと音を立てて笑った。


「不満などありません。あるはずがないです。白南風しらはえさま、私が言ったのは、そういうことではなくて、」


 ずっと笑っている樹雨に、白南風しらはえは首を傾げる。


「あなた様のそういう優しいお表情かおが、たくさん見られるようになったこと、私はなによりも嬉しく思うのです」


 四年前。

 寝台で組み敷かれたあの日、樹雨は零れる涙の意味を思い知った。あの時、確かに驚きはしたけれど、拭われたその指先に懐かしさを覚えたのだ。祠の前で泣いていた樹雨の頬を撫でたあの風。

 あれは、きっと――――。


「ずっと、私の傍にいてくださり、ありがとうございます」


 後で聞いたのだが、幼い頃、初めてあの祠を訪れた時から、白南風しらはえは自分の事を見守ってくれていたらしい。谷の近くの祠から村への道までだが、なにかあったらといつも傍にいてくれたのだとか。


 それを聞いた時、ずっと胸の中にあった感情が込み上げて来て、また泣いてしまう。白南風しらはえはなにも言わず、樹雨の涙が止まるまで頭を撫でながら傍にいてくれたのだった。


 そして、番となることを承諾した。


 あれからもう四年の月日が流れたのだ。この領域にいると時間の感覚がなくなるため、そんなに時が経っている気がしない。けれども確かに、ふたり、ここでその時間を過ごして来たのだ。


「俺の傍にいてくれて、ありがとう、」


 ずっと、自分のために祈ってくれてありがとう。

 ひととしての時間を失ってしまったことを、樹雨は後悔しているだろうか。


 龍神の番となることは、その時間を共有することを意味する。自分が生きている限り、死ぬことは赦されず、自分が死ねば共に死ぬ。そんな運命を背負わせてしまったことを、樹雨が本当はどう思っているのか。


 いつだって、樹雨は笑みを絶やさず、穏やかな気持ちで傍にいてくれた。


「番になれば、村には戻れない。ひととしては生きられない。それでも、」


「それでも、私は、白南風しらはえさまと一緒にいたいのです。贄としてではなく、あなた様の番として、」


 そう、迷うことなく言ってくれたこと。

 その気持ちも。


白南風しらはえさま?」


 珍しくぼんやりとしていた白南風しらはえの顔を覗き込み、樹雨は首を傾げる。あの時も今も、樹雨はどこまでも美しかった。あの日、ある者に対して自分が下した結末を告げたら、その澄んだ水面のような心は淀んでしまうだろう。


 だから、その事は永遠に告げない。

 知る必要もない。


「樹雨、お前が欲しい」


 見上げていた樹雨の顔が真っ赤に染まった。それに満足した白南風しらはえは、油断している樹雨を抱き上げ、小さく笑みを浮かべる。

 番になってからも、樹雨が大人になるまではと、口付けさえも我慢してきた。


 樹雨はその言葉の意味を知り、耳まで真っ赤になっている。もう自分も子供ではないし、あの頃よりも少しだけ大人っぽくもなったと、思う。


 白南風しらはえに対して、触れたいと思ったり、その先のことも意識はしていた。

 ただ、その知識は口付けくらいで、あの時組み敷かれた感触を思い出すと、胸の辺りがざわざわと落ち着かなくなることもあった。


 抱き上げられたまま、四阿あずまやの方へと連れられて行く。飾られた花々に囲まれて、かぐわしい匂いと澄んだ空気に、少しだけ気持ちが安らぐ。寝台にそのまま降ろされ、白南風しらはえが見下ろしてくる。


 あの日の続きを、希う自分がいた。

 それは恥ずかしくも、嬉しい気持ち。

 触れられた唇に、あたたかさを感じながら。

 深く結ばれるという感覚に、酔いしれた。


 あの日、谷の底へ贄として捧げられた少年は、やがて龍神の番となり、自分が信じるその神に、永遠に焦がれ続ける。



 夏の果て。

 また、廻る。


 終わることのない、この箱庭の中で――――。 




~ 夏の章 了 ~




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