キャッシュカード
まず僕らが向かったのはATMだ。
海里のいまの残高でもすべてまかなえるとは思うが、何かあったときのためにお金は余分に持っておいた方がいい。
自動ドアの入り口を抜けて、ATMの前に立つ海里。僕は端の方で待機する。
海里は財布からキャッシュカードを抜き出して、そのまま硬直した。
「うん、どうした?」
「あのさ、これってどう使うの?」
振り向いた海里の顔には苦々しげな笑みが浮かぶ。
僕は思わずずっこけそうになる。どういうことだ。いや、言わんとしていることは分かる。下ろし方が分からないということだろう。
でもそんなことってあるだろうか。キャッシュカードを持っているということは自分で作っただろうに。
「それを作ったときに教わらなかったの?」
「うん?これはもらったものだよ」
海里は不思議そうに首を傾げる。僕もつられて首を傾げる。
「それって、海里の名義じゃないってこと?」
もしそうだとしたら、お金が下ろせないんじゃないだろうか。ここまで来て、猫に小判のような展開では非常に困るのだが。
「えーっとね、これは詩乃のだよ」
「いや、誰だよ」
突然知らない名前が出てきて思わず突っ込む。
「私のね、大事な人」
真剣な瞳を返す海里。
これ以上追求していても話が脱線していくだけかと考え、話を元に戻す。
「とりあえず使い方は教えるけど、四桁の番号がないと下ろせないんだよな……。その詩乃って人から何か聞いてたりする?」
「あー、うん。えっとね、四――」
「ストップ」
海里の前に手をかざして制止する。
「聞いてるなら大丈夫。でも、それをむやみに人の前で言わない方がいいよ」
「どうして?」
海里がこてっと首を横に傾ける。本当に何も知らないみたいだ。
「例えばその番号を僕が知ったとして、海里のカードを盗んで勝手にお金を引き出すかもしれないだろ」
「一帆はそんなことしないでしょ?」
海里はさも当たり前だとでもいうようにそう口にした。
もちろん、これはただの例え話だ。僕がそんなことをするわけがない。
けれども海里からすれば、僕は今日知り合ったばかりの他人である。
常人であれば、そんな相手に暗証番号なんて教えない。
そう考えていたからこそ、その無垢な瞳に次の言葉が出てこなかった。今日会ったばかりだというのに、どうしてそう言い切れるのか。不安と不思議と困惑が折り混ざり、おかしな気分になる。
「でも、たしかに番号が一帆以外の人に聞かれると危険ってわけか。なるほど。ねえ、一帆。それでどうやって下ろすの?」
「えっ、あー、うん。それはこうやって――」
隣に立って下ろし方を伝える。暗証番号の入力画面が表示されたときは顔を横に逸らして、それからまた再び画面を見る。
ただ、海里は僕が教えるまでもなく画面の指示に従ってすいすいと進めていた。すぐに金額指定の画面に到達した。そこで海里は十万円ほど引き出した。
「領収書はどうしよっか?」
「別になくても……、って、えっ?」
僕はその画面の違和感に思わず小さく声を漏らした。
「うん、どうしたの?」
発行しないのボタンに指が触れる寸前のところで動きを止める海里。
「いや、残高が……」
僕の視線の先、ATMの画面には僕の予想だにしない金額が映し出されていた。
「九百九十万円?詩乃が百万円以上はあるって言ってたから大体それくらいかと思ったけど、いっぱい入ってるねえ」
海里が横からそんな声を上げた。僕はそこに違和感を覚える。
九百九十万円という金額は、高校生の海里にしても、大学生の僕にしても普通に高額なはずだ。だというのにその反応はなんだ。海里には全く驚いた様子もない。
考えられる結論は一つだ。海里の実家はとても裕福なのだろう。
「よーし。お金も手に入ったことだし買いに行こう、一帆」
意気揚々と歩き出す海里。
僕はそこで考えるのを止めた。きっといまそのことを聞くべきではないし、海里が何者かは現状考える必要のない問題だ。
だから僕は駆け足気味にその横へ急いだ。