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海と少女  作者: 緋色ざき
7/31

家出少女

 夕食を食べ終わる頃には七時半を回っていた。

 今日の夕食は海里がいたこともあって、いつもよりも賑やかなものだった。海里と大家さんがずーっと話していたが、どうやら二人は馬が合うみたいだ。海里なんて、途中から大家さんのことをゆかりさんと名前で呼んでいたし。

「さて、そろそろお開きにしようか。一帆、海里ちゃんを送っていきなさい」

 重ねられた食器を運ぶ僕の背中にそう声がかかる。

「了解」

 言われるまでもなくそのつもりだ。食器を洗面台に放り込んで机の前でのほほんと座る海里の方へと向かう。

「じゃあ行こうか。忘れ物とかは大丈夫?」

 そう聞いてはみたものの、よくよく考えてみると海里はもともと荷物なんて持っていなかった。

 海里はワンピースのポケットの中に手を突っ込むと、なにやら確認して、それから、おもむろにコートを脱ぎだした。

「はい、一帆。ありがとね」

 しかし、僕はそれを受け取るべきか迷った。

「もうだいぶ外は冷え込んでるし、別にまた今度会ったときにでも返してくれればいいよ」

 海里とはもう会うことなんてないかもしれないのに、僕はなぜか全くそうなるとは思わなかった。根拠なんてないけど、またすぐに会えるようなそんな錯覚がした。

 ただ、海里はそんな僕の申し出に首を横に振った。

「やっぱりこれは返しておくよ」

 そう言って、僕に押しつけるようにコートを渡す。本人がそう言うのなら、これ以上押しつけがましくするのもどうかと思い、コートを丸めて机の脇に置いた。

「よし、じゃあ――」

「帰らないよ」

 しかし、僕の言葉は海里に遮られた。意味が分からず問い返そうとするが、そのときにはすでに海里は僕に背を向けて大家さんの方へと歩みを進めていた。

「うん、どうしたの、海里ちゃん?」

 気配を感じてか、食器を洗いながら上半身だけ反転させる大家さん。

「あの、私、ここで暮らしたいです」

「えっ、どういう……」 

 思わず僕の口から驚きが漏れた。だがそれも致し方ないことだろう。急にここで暮らしたいなんて、一体全体どういうことだ。

 驚きと疑問が頭を駆け巡る僕とは裏腹に、大家さんは全く動じた様子もなく、あー、やっぱりそうなのねと呟いた。

「お金ならあります。だから、お願いします」

 海里はワンピースのポケットから長財布を取り出した。あのお財布は、喫茶店でお会計をしたときに使っていたものだ。ただ僕が見た感じそんなにお金は入っていなかったと思う。たしか一万円札が一枚くらいで、それもお会計によって崩されてしまっていた。いくらなんでもそれっぽっちでは一ヶ月はおろか一週間分の家賃にすらならないんじゃないだろうか。

 しかし、海里がお財布から抜き出したのはお札ではなく、キャッシュカードだった。

「ここに百万円入ってます」

 切実な声をあげる海里。

「うーん、お金の問題じゃないんだよなあ……」

 大家さんは苦々しげな表情を浮かべる。

「あの、どういうことですか?」

 僕は思わず口を挟んだ。さっきから二人の間では会話が成立しているみたいだが、僕は全くの蚊帳の外にいて、なぜ海里がさざなみ荘に住むか否かの話になっているのかが全然理解ができないでいた。

「あれ、一帆、分からないの?」

 はあ、と呆れたように大家さんがため息をつく。

「つまりね、海里ちゃんは家出少女ってわけよ」

 その言葉に僕の頭は今日一番の驚きに包まれたのであった


 家出。

 この言葉には僕も少しだけ馴染みがある。幼い頃に何度も僕は家出しようとした。理不尽なことや嫌なことがあって、衝動的に家を飛び出した。でも、すぐに理解した。いまの僕ではどこに行くこともできないと。だから家の近くをぐるぐると回って、心が落ち着いてから帰ってきた。

 そして、大学受験を経て、実家を離れ一人暮らしを始めた。そう考えてみると、いま現在、僕は家出中ともいえる状況なのかもしれない。

 しかし、目の前の少女を僕と同列で考えるわけにはいかない。

 海里はまだ高校生だ。その身分での家出にはいろいろな問題がつきまとう。

「私、ここに住めないなら公園で寝ます」

 海里と大家さんの話し合いはまだ続いていた。大家さんはあまり海里の提案に賛同しかねているようだ。

 しかし、公園か。たしかに駅からここまでの道のりに公園はあるけれど、決して人が泊まれるような場所ではない。ベンチとそれから遊具がいくつかしかない小さな公園だ。

 そもそも、事の発端を辿っていけば僕に行き着く。海里を連れてきた僕の責任でもあるのだ。

ただ、大家さんはそれに関して何も言わなかった。海里が泊めて欲しいと言ったときもさほど驚いた様子はなかったし、きっと初めからこうなることをなんとなく想定していたのだろう。

 だが想像していたからと言って、すぐに泊めようという話にはならない。でもこのままでは海里が公園で寝泊まりしかねない。それはいくらなんでも問題だ。それなら、

「あの――」

「まあいっか。泊まっていきなさい、海里ちゃん」

 大家さんのあっけらかんとした声が僕の言葉を遮った。海里はそれにほっとしたような、少し嬉しそうな表情を浮かべていた。

「ただし、一つこちらのお願いを飲むこと」

 人差し指を立てる。ごくりとつばを飲む海里。

「明日アパート周りを掃除するんだけど、それを手伝いなさい」

「えっ、あっ、分かりました」

 海里は呆気にとられたような声を出して頷いた。おそらく、もっと他のことを条件提示してくると思ったのだろう。僕だってそう思った。

「うむ、よろしい。ところで一帆。何か言おうとした?」

 大家さんがこちらに視線を向ける。僕は首をぶんぶんと横に振った。

 あのとき、それなら僕の部屋に泊まればいいんじゃないかと言いかけたが、ここに泊まれるのであればそれに越したことはない。

「じゃあ海里ちゃん。部屋に案内するね」

 大家さんは海里を先導し部屋を出る。僕もその後ろをついて行く。

 大家さんはさざなみ荘の左端まで行くと、歩みを止めた。

「さて、海里ちゃんの部屋はここ、一○五号室よ。好きに使ってね。あと、お金に関してだけど、細かい話は明日にでもするとしましょうか」

 そう言って、大家さんは海里に鍵を手渡した。

「はい、ありがとうございます」

 海里は嬉しそうに頷いて、鍵を差し込んで扉を開けると部屋の中へ入っていった。部屋の前には僕と大家さんの二人だけが残るかたちになった。ちょうどいいタイミングだ。

「あの、大家さん。僕が言うのも何なんですけど、海里の素性とかって聞かなくていいんですか?」

 大家さんという職業は、相手の素性把握がとても重要だと思う。そうじゃないと、いざ何か起こったときに取り返しがつかなくなってしまう。それに、海里が本当にお金を持っているかだってかなり怪しい話だ。

「別にいいわよ。多分、聞いても教えてくれないだろうし。それに、誰にでもああいう時期は訪れるのよ。私も昔あったなあ……」

 視線を僅かに上げてそう述懐する。一体いつの話だ。もう二十年以上も前のことなんじゃないか。

「何か言いたそうね、一帆」

 微笑みを浮かべる大家さん。しかし、その目は全く笑っていない。

「な、何でもないですよ。どうしたんですか」

 大家さんのじとーっとした視線からぱっと顔をそらす。

 大家さんは、はあ、まあいいかと小さく呟いて、それから自分の部屋へと戻っていく。が、数歩足を進めたところで止まって振り返る。

「そうだ。一帆も明日掃除を手伝ってね」

「えっ、僕も?」

 思いがけない言葉に驚く。今日はいろいろなことがあったし、明日はゆっくり休もうと思っていたのだが。

「どうせ暇なんだからいいでしょ」 

 たしかにその通りで、ぐうの音も出ない。僕は渋々頷いた。まあ、今日のことに対するお詫びとでも考えれば安いものか。

「じゃ、お休み」

 ひらひらと手を振って、大家さんはまた僕に背を向けた。

 お休みなさい、とその背中に返して、僕も自分の部屋へと戻ろうとするが、それを妨げるかのようにバンと扉が開き、海里が飛び出してきた。

「ねえ、一帆、大変だよ」

 慌てた表情の海里。一体全体どうしたっていうんだ。

「服がない。あと、ベッドも」

「そりゃ大変だ」

 でも、よくよく考えればある方がおかしいか。入居したばかりなんだし。

「ど、ど、どうしよう」

 混乱してあたふたとする海里。たしかにそういうものが一切ないなんて死活問題だ。となると、

「買いに行こうか」

 僕の提案に海里は勢いよく首肯した。


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