夕食
「ふんふふーん」
楽しげな鼻唄を浮かべる海里。
あのあと僕らは大家さんの部屋にお邪魔して、居間のちゃぶ台の前に座っていた。
大家さんはキッチンで食事を作ってくれている。実は、こういうことは初めてではない。大家さんは頻繁に夜ご飯を作ってごちそうしてくれる。意外と世話好きな人なのだ。僕は自炊が苦手なのでかなり助かっている。
「海里ちゃん。アレルギーとかあるー?」
台所の方から声がかかる。
「とくにないでーす」
海里が陽気にそれに答える。
僕はそんな姿にほっこりとしながらも少し不安を感じていた。成り行きで一緒に夜ご飯を食べることになってしまったが、大丈夫なのだろうか。海里はどこかに連絡する素振りを一向に見せないが、親御さんは心配するのではないだろうか。
そのことを聞いてみたが
「大丈夫だよ」
と朗らかな声が返ってくる。まあ本人がそう言うのであれば問題はないとは思うけど。
「ところで一帆。ここのアパートってさ、一帆以外誰もいないの?」
先ほどまでの明るさから一転、声を潜める海里。大家さんに聞かれるのは憚られると思ったのだろう。たしかに、大家さんに直接聞くのは不躾だ。意外と気を遣うこともできるらしい。ただそれもいらぬ心配だが。
「僕以外にももう一人いるよ。最も、その人はいまは帰省中だけどね」
「えっ、それ大丈夫なの?」
間違いなく大丈夫ではないだろう。僕は海里の問いにあははと曖昧な笑みを返す。
「あら、海里ちゃん。もしかして心配してくれた?大丈夫よ、こう見えて貯金もあるしね」
ちょうど野菜炒めの盛り付けられた大皿を持ってきた大家さんがそう口にする。どうやら僕らの話を聞いていたみたいだ。海里はそれにちょっと気まずそうに苦笑した。
「だから、好きなだけ食べてね」
海里を慮ってか、ウインクする大家さん。海里はそれに笑顔で頷いた。こういう寛大で優しいところが彼女を憎めない人だと思わせる。これでたまに出てくるうっとうしさがなければ最高なのだが。
「でもそうすると、一帆は帰省してないってことになるよね。どうしてなの?」
きょとんとして首を傾げる海里。どうして、か。
「なんというかさ、帰りたくないないんだよ」
僕はぼかしてそう答える。そう、帰りたくないんだ。いろいろとしがらみがあって。
「そうなんだ……。分かるよ、その気持ち」
海里が儚げな笑みを浮かべてそう共感する。その表情からは、同情ではなくて彼女自身の苦しみが見えた気がした。切れ長な瞳を細めて虚空を見やる海里も家庭にしがらみを抱えているのかもしれない。もしや、それが原因で帰りたくないのだろうか。
「なあにしんみりしてるの、二人とも。ご飯を食べるよ」
大家さんはそう言って、僕と海里の間を割るように肉の盛り付けられた大皿を机に置いた。それで我に返る。
「ご飯、よそりますね」
慌てて立ち上がりキッチンに向かう。
「あっ、私も手伝います」
「あー、海里ちゃんは座っていいよ。一帆にさせるから。ほら、早く持ってこーい」
とんだ差別だ。僕は肩を落として炊飯器を開けた。