駅前ぶらぶら
「駅前に到着」
ぐっとブレーキをかけて止まると、海里はすがすがしい顔で自転車から降りる。僕はその後ろで両膝に手をつき、俯いて荒い呼吸を繰り返す。
「あれっ、一帆、大丈夫?」
驚いたように僕の顔を覗き込む海里。いや、お前のせいでこうなっているんだと言おうとするが、息が上がっていて言葉にならない。
本当にここまでの道のりは散々なものだった。海里が道も分からないのに自転車を飛ばしていき、それを僕が追いかける。なんとか追いついて正しい道を教えると、また海里がそっちの方向に突っ走っていく。僕が追いかける。道を教える。海里が――という堂々巡りが繰り広げられた。最後の方には犬にリードでもするかのように僕が後部座席を掴み、海里の疾走を阻止していた。
「それにしても、あれだね。お店はたくさんあるけど人通りはまばらで閑散としてるね」
きょろきょろと辺りを見渡しながらそんな感想を述べる。
「春休みの平日だし、こんなもんだろうなあ」
案の定人は少なかった。もしこれが休日だったら家族連れなんかも遊びに来たりするのだが。
「ところで、一帆。この自転車、どうすればいい?」
自転車のハンドルを両手で持ちながら、首を傾げる。
「うーん、そうだなあ。大学の構内にでも止めようかな」
このあたりは有料の駐輪場がいくつかあるが、そんなことにお金をかけたくはない。しかし、僕の暮らすアパートまで自転車を置きに行くのもどうかとは思う。アパートはここから自転車でも五分くらい、歩けば十分はかかってしまう。
もともと海里を駅前に案内することが目的だったのだから、遠回りしたくないという思いもある。
「大学ってあれのこと?」
「うん、そうだよ」
「おおー、結構高いところにあるんだねえ」
素朴な感想が口から漏れる。
まさに海里の言ったとおりだ。僕らがいま立っているところから二百メートルほどまっすぐに道が続いていき、そこから階段を上ってようやく大学の入り口に辿りつく。周りは木々に囲まれていて、まるで小さな山と一体化したような作りになっている。
「それじゃあ行こうか」
海里はそれに答えるかのように自転車にまたがると、また地面を蹴って進み始める。その後ろを僕が早歩きで追いかける。
階段の手前まで辿りついたところで海里が突然止まった。
「行き止まりだよ」
「あっちのスロープから上がっていくんだよ」
僕が指さす先には曲がりくねった自転車が通る用のスロープがある。
「あー、なるほどね」
海里は一目散にそこへ向かっていく。僕は階段を上りながら僅かな寂しさを感じていた。開講時はあれだけ多くの人々がここを通っていくというのに、いまは僕以外にほとんど誰もいない。
大学の入り口を抜けてしばらく進んでいき、大きな建物の横の駐輪場に自転車を置く。それからまた、僕らは駅の方へと向かう。
「そういえば、海里。足は大丈夫?」
階段にさしかかったところでふと思い出して尋ねる。ただ、当の海里はというと、
「うん、ちょっと痛いけど大丈夫」
と無邪気な笑みを浮かべていた。
「それより一帆。この大学について詳しいけど、もしかして一帆はここの学生さんなの?」
「もしかしなくてもそうだよ」
驚きを浮かべる海里。
そういえば言ってなかった。ただ、僕の行動を見てみれば自ずと気づくことだと思う。普通に考えて大学の関係者以外が構内に自転車を置くことなんてないだろうし。
「なるほどねえ。ここでキャンパスライフを送っていると」
なぜかカタカナにして意味深に頷く海里。
「そういう海里はどこの大学を目指してるんだ?」
「えっ、私?私は、別にどこも目指してないよ」
どこも目指してない。ということは、大学に行かないということだろうか。しかし、先ほど受験生と僕が言ったときにとくに否定はしていなかったはずだ。 受験生だけど、どこに受けるでもない。つまり、
「付属校ってことか」
「うん、その通り」
起伏のない声で海里は答える。僕はそれに驚きを禁じ得ない。先ほどとは打って変わってどこか冷ややかな雰囲気だ。エスカレーターはうらやましいな、なんて言葉が勢いよく喉に戻っていく。
なにか気に障ることでも言ってしまったのだろうか。こうなったの原因を考えてみると大学の話をしてからだ。理由は分からないが、おそらくそれが地雷原となったのだろう。
「まあそんなことより、お店、案内してよ」
それで、抑揚のある海里のそんな言葉に僕は大きく頷いたのであった。
アウトレットやショッピングモールを海里と周り、気づけば三時間が経過していた。あれから海里はすぐにそれまでのテンションに戻り、何事もなく回ることができた。むしろ、服やらなんやらを前にしていちいち新鮮な驚きを浮かべていて、騒がしかったくらいだ。普段、あまりこういうところに来ないのかもしれない。
「ふう、疲れたー」
清々しい顔で空に向かって高く腕を上げる海里。言葉とは裏腹にとても楽しそうな顔だ。
「ちょっと休憩していこうか」
ちょうど僕らの横に喫茶店がある。時間も時間ということもあって、外から見た感じ店内のお客さんはまばらだ。
「おお、これが噂に聞く喫茶店」
隣に立つ海里は興奮気味に顔をガラスに貼り付けて中を覗いていた。慌てて後ろから引っ張って剥がす。
「何やってるんだよ、海里」
「いやあ、初めての喫茶店にびっくりしちゃってつい」
あははと頭を掻く。きっと店内からは変な目で見られたはずだ。ガラスに張り付く高校生なんて奇怪以外の何物でもない。
「というか、喫茶店行ったことがないのか?」
「うん。そうなんだよ」
海里が頷く。僕はそれに思わず首を傾げた。いまどき喫茶店に行ったことがない高校生なんているのだろうか。ただ、本人がそう言っているんだから間違いではないだろうけど。自転車に乗ったことがない話もそうだが、やはり不思議な少女だ。ただの高校生だとは到底思えない。一体どういった出自なのだろう。
「よし、行こう」
そんなことを考えていると、海里が意を決したように扉を開き、お店の中へと入っていった。慌てて僕もその背中を追いかける。
「いらっしゃいませ」
店員からの小気味のいい声がかかる。おしゃれな雰囲気のお店だ。そういえば、僕もこのお店にはほとんど入ったことがない。いつもはもっと安い喫茶店やハンバーガーショップを利用する。
海里はというと、注文を決めたのかレジの方足早に歩を進めていったが、何を思ったのか、急に回れ右をして僕の方へ戻ってきた。
「どうやって頼んだらいいんだろう?」
当然の疑問だった。そりゃあ分かんないよなあ。
「じゃあ、一緒に注文しようか」
こくりと頷いて、海里は僕の横に立った。僕がレジの前まで歩いて行くと、それに合わせるようについてくる。なんだか犬みたいだと思う。
それからメニューを確認する。そこそこいい値段だ。お財布のことを考えるとMサイズにするか。
「海里はどうする?」
隣でメニューを凝視する海里にそう尋ねる。うーんと唸っているところを見るに決めかねているようだ。メニュー数は別段多くないが、初めてだとどれを頼んだらいいのか分からないのかもしれない。
「一帆はどうするの?」
なおも顔をメニュー表に向けたまま問うてくる。
「僕はカフェオレにしようかな」
値段的にも、比較的安そうだし。
「じゃあ私も同じのにする」
ぱっと勢いよく顔を上げてそう高らかに宣言する海里。その姿に店員さんも苦笑いしている。端から見ればおかしな客に映っているのだろう。もしこれが混んでいる時間帯だったらと思うと恐ろしい話だ。
「じゃあ、カフェオレのMを二つで」
「かしこまりました。七百四十円になります」
そういえば、まとめてお会計になるのか。まあこれくらいなら僕が払うとするか。
そう思ってお財布から千円札を取り出してトレーの上に乗せようとするも、綺麗な手によって遮られる。
「待った。私が払う」
決め顔でそう言い放つ海里。店員さんも困惑している。
「じゃあ、千円からお願いします」
僕はそれを無視して、その手の上を通してお札を渡す。
二百六十円のお返しです、とお釣りとレシートをもらって、待つこと三十秒。トレーにはカフェオレが二つ載せられた。
「ごゆっくりどうぞ」
僕はそれに会釈して、それから海里にほら、行くぞと声をかけるも返事がない。まあ、席に向かえばついてくるだろうと思い、歩みを進めると、むくれながらも渋々といった感じでついてきた。そして、椅子にドスンと腰掛ける。
「ほら、カフェオレ」
トレーに乗ったカフェオレを渡すも、海里のじとっとした視線は僕を捉え続けていた。しかし釈然としない。普通ならおごってもらえて喜ぶところではないか。なぜこんなに不機嫌になってしまったのだろう。
「お金、払ってみたかったのに」
海里がそうぼそっと呟く。それからゆっくりとカフェオレに手を伸ばし、口をつけ、
「あちっ」
すぐにカフェオレから顔を離した。どうやら猫舌みたいだ。
「なあ、海里。お金が払いたいんだったら追加で注文してみるか」
途端、顔を輝かせる海里。正直僕には理解できない反応だ。でも、ここまでのことから推測してみるに、きっと海里は僕みたいな一般人とは異なる出自なのだろう。それこそ親がお金持ちのお嬢様とか。もしくは、その正反対だったり。
じゃあなぜそんな海里が海岸にいたのか。そして、いま、僕とショッピングしているのか。それは気にはなるけど、なんだか聞かない方がいい気がした。いまは、お金を払うことに意気揚々としている海里について行こう。
「ほら、行くよ、一帆」
「分かりましたよ、お嬢様」
「えっ、なにそれー?」
ふざけた僕の反応に首を傾げる海里。僕は笑ってごまかして、それからまたレジの前に立ってメニューに目を向けた。