サイプラス
〇地中海洋上、アラブ商船の甲板
穏やかな日である。
地中海の波も静かで、潮風がゆるく吹いている。
ダグ、ユリウスがらって、甲板にいる。
ダグ(男 30代):親父殿の眼がないかのんびりしすぎるなよ。
ダグ: サイプラスに寄港するんだって?
ユリウス(男14才):ええ。
水と食糧も欲しいし…。
サイプラスのコルベルト家の当主が亡くなられたって話です。
養父さんの知り合いだったから、代わりに挨拶に行った
ほうがいいかなって。
ダグ: 出来た息子だな。
ユリウス: 嫌味ですか。
ダグ: 『商人たるもの人を軽んずるな』って、親父殿の台詞だったっけ?
ユリウス: …知らないわけじゃないんです。
僕が拾われた時、クエトに戻る途中、コルベルト家でお乳を飲ま
せてもらったんだって。
ダグ: ふーん。
まぁ、義理堅いのはいいことさ。
それにお前さんが今回の責任者だしな…。
時に、若、コルベルトの現当主って知ってるか?
ユリウス: いいえ。噂じゃ、西国から来た人だって。
ダグ: ああ、イングランドらしい。
俺ほどじゃないが、いい男だそうだ。
十字軍の流れ者でコルベルトの傭兵になったが、先代に見込まれ
て娘婿に納まった。
異例の婿殿だが、周りに有無を言わせなかったらしいから、
相当に出来る奴かも知れんな。
ユリウス: どうして知ってるんです?
ダグ: イイ男の話ってのは、女の間じゃ早く詳しく拡がるものなのさ。
寝床で横になってたって、ヤルばかりが能じゃない。
情報を仕入れるのも仕事のうち。
ユリウス: ダグ!
ダグ: なんなら、今度、手ほどきしようか、若殿。
ユリウス: 結構です!
ファル(女14才): ねえ、何の話、してるの?
ダグ: 男の話。
ユリウス; ファルには関係ない。
ファル: ひっどーい! 約束通り、ちゃんと『男』やってるじゃない。
そーゆーときだけ、『女』って言うの!
ユリウスの意地悪!
ダグ: それより、甲板の掃除、終わったのか、密航者くん。
ファル: まだ、それ言うの!
ユリウス: ファル、あ、また、頭布を忘れてる。
旅の間は『男装』でいるって約束だよ。
ファル: あら、ユリウスだって。
ユリウス: ハサンに言い付けるぞ。
ファル: いいわよ。兄貴なんて恐くないもん。
風が気持ちいいね、ダグ。
ダグはファルの帯から頭布をとると黒髪に被せる。
ファル: ダグ!
ダグ: 海の女神は嫉妬深いんだよ、ファル。
俺はまだ、死にたくないんでね。
〇サイプラス島
ナレ: サイプラスは地中海の寄港地として古代から栄える島である。
欧州とアラブ、エジプト航路の要所であり、
人も商品も集まっては方々に散っていく。
対岸では、十字軍が戦いを繰り返していたが、
十字軍寄りの王を戴くサイプラスは、その物資の補給地でも
あった。
そのサイプラスで、コルベルト家は、第一の勢力を誇る。
代々、島の実力者であったコルベルト家は十字軍の遠征で
巨万の富を得るに至り、その名は地中海界隈に知れ渡っていた。
〇コルベルト家(夜)
馬車がコルベルト家の玄関に止まった。
ユリウスとダグは、コルベルトの執事に主人のもとへ案内された。
執事(男): 旦那様、クエトのラジド様のご子息様でございます。
二人が部屋に入る。
ダグ: いい男だ…。(囁く)
ジュリアス: ようこそ、ラジドの若殿。
ジュリアス: 初めまして、私、ジュリアス・コルベルトと申します。
どうぞ、お見知りおきを。
ユリウス: は、初めまして。ユーリ・ハールーン・ラジドです。
この度は、大変な事で、お悔やみ申し上げます。
ダグ: ご挨拶でございます。
ダグが皮袋をコルベルトに差し出した。
当主は受け取ると袋の感触を確かめ、香料の袋はそのまま
戸棚にしまわれた。
ジュリアス: ありがとうございます。
生前の義父は、貴方のお父上であるハールーン・ラジド殿
とご懇意にさせていただいたそうで、お話はうかがって
おります。
どうぞ、お掛けください。お供の方も。
執事がコーヒー盆をかかげて入ってきた。
ジュリアス: じきに夕食の支度が整うでしょう。私の家族ともお会い
ください。
ジュリアス: 航海はいかがでしたか?
ユリウス: え、は、はい。(慌てる)
ジュリアス: ラジド家の若君のお噂はうかがっております。
年若くありながら、よき商人として各地で歓迎されて
おられると。
ユリウス: と、とんでもありません!
私はまだ未熟者で、父ハールーン・ラジドの人望があって
こそ仕事をさせていただいております!
ダグ: 落ち着け。(彼の若主人に囁く)
ジュリアス: 貴方のお父上は、世の東西を問わず尊敬されていらっしゃる。
私も商いを生業にする者として、見習いたいと思っております。
ユリウス: …コルベルト様なら、父以上になられると思います。
ユリウス: …。
しかしながら、ここのところまた、東と西の間の空気が
悪くなっております。
私共はただの商人でございますが、アラブであることで
断られた取り引きもございます。
私共の商いは、西国の求めるアラブの財を提供して利益を
いただいております。
スパイスや織物、今では西国になくてはならないものとなって
おりますのにアラブのすべてを否定されてしまって、
いささか困惑しております。
ダグ: おい、(小声)
ジュリアス: …。
ユリウス: また、西からの遠征が始まるのでしょうか。
ダグ: 若!
ダグ: 若、滅多なことを言うものではありません!
コルベルト様、なにぶん子供ですゆえ、お許しのほどを。
ユリウス: 下々では、また戦さだと噂されております。
ジュリアス: …。
若君は何をおっしゃりたい?
ユリウス: 戦さをさせないで下さい。
ダグ: 若!
ユリウス: サイプラスは、軍の中継点です。
ここで物資の調達ができなければ、戦さを続けることが
できません。
戦さができなければ無用な血は流されなくて済みます!
それには我々商人が物を売ったり、軍資金を貸さなければ
いいんです!
貴方はサイプラスの実力者です。貴方が協力してくだされば、
ジュリアス: ラジド殿、
今日のサイプラスの繁栄は、十字軍によるものです。
それゆえ、当家も十字軍のお世話をいたしております。
西国の、聖地を崇める者としては、異教の者に踏み荒らされて
いるのを見ているわけにはいかないのですよ。
ユリウス: 我々にとっても聖地です。
お互い、聖地だというなら、血を流して汚すことなんかない
はずだ…。
ジュリアス: 若君のおっしゃることは、商人の言葉とは思えません。
ユリウス: …。
ジュリアス: 商人ならば、よい商いの機会として富を増やすことをお考え
になるべきではありませんか。
ユリウス: …。
扉の開く音。
執事: 旦那様、
ジュリアス: さあ、食事の用意ができたようです。
どうぞ。
ダグ: ご当主、
ダグ: せっかくのご好意を申し訳ないのですが、どうも我が主人は
具合いが悪いらしく、今夜のところは引き取らせていただきたい
のでございますが。
長い船旅で疲れが溜まっておりまして。連れ帰りたいと
存じます。
ジュリアス: そのようですね。
今宵の処は、その方がよいやもしれません。
ダグ: さあ、ユーリ様、船に戻りましょう。
ユリウス: ダグ、僕は…、
ダグ: 今日のところは、帰るんだ。
〇コルベルト家 玄関先(夜)
島に打ち寄せる波の音が響く。
馬車の車輪の音がする。
ダグ: ときに、静かな夜ですなぁ、ご当主。
ダグ: 昼間の喧燥が嘘のようだ。
ジュリアス: そうかもしれません。
サイプラスの本当の姿は、このように静かなものです。
ダグはジュリアスの背後に人影を見つけた。
ダグ: ご当主! 後ろ!(叫ぶ)
ジュリアスは自分を襲った敵を交わした。
襲撃者(男): 殺れ!
襲撃者に呼応する声が響く。
ジュリアス: 出合え~!
コルベルト家の傭兵達が駆けつける。
双方が入り乱れ、剣の音が響く。
ダグ: 若、身を守れ!
ダグがユリウスに長剣を投げる。
ユリウス: え?
ユリウスを襲った男が、地面に倒れた。
そのあとにジュリアスが現れる。
ジュリアス: 大丈夫か。
ユリウス: は、はい!
ジュリアス: 私のそばを離れるな!
ジュリアスは、ユリウスを庇いながら、あらかたの敵を倒した。
ダグ: 若、怪我は!?
ユリウス: だ、大丈夫…。
ご当主殿が助けてくれたから…
ダグ: あ~あ、これだから!
我が身を守れるように稽古しなさいといったでしょう!
ジュリアス: ラジドのご子息は、争いごとが本当にお嫌いなようだ。
ダグ: で、今の連中は?
ジュリアス: 巻き込んでしまって申し訳ない。
連中は、この島の中で反サラセンを主張している。
ダグ: ほう。
ジュリアス: が、その実、サラセンと交易している当家を邪魔に思って
いる者達の差し金でもある。
ダグ: ご当主も苦労が多そうだ。
ジュリアス: さあ、もう一度、馬車を用意させましょう。誰か!
ユリウスは、自分の前に長い影が伸びたのに気づいた。
ユリウスは、そばの ジュリアスの身体を押した。
ジュリアス: ラジド殿、何を?
矢の音
ダグ: ユーリ!
ジュリアス: ラジド殿!
ユリウス: か、からだ…、しびれ…
ジュリアス: これは!?
〇コルベルト家 客間
少女の泣き声。
ユリウス、ゆっくり目を開ける。
ファル: ユリウス…
ファル: ユリウス!
死んじゃったかと思った~!
ファルがユリウスの首に抱きついた。
ダグ: こら、ユリウスは怪我人なんだぞ。
ダグ: わかるか?
ユリウス: ここ…
ダグ: コルベルト家だ。
ご当主が面倒を見て下さってる。
あの時の矢に毒が塗ってあったらしい。
ファル: 死にかけたのよ!
ダグ: 手当てしてくれた修道士の話じゃ、動けるようになるには
もう少し、養生が必要だそうだ。
ユリウス: うん。(声にならない)
ファル: ユリ!
ユリウス: ファル、心配ない。大丈夫だよ。
ファル: うん。
ダグ: ファル、ユリウスについててくれ。
〇コルベルト家 中庭
ダグ: ん?
ダグの足元に毬が転がってきた。
アンジェ(女5歳): あう、あう。
ダグ: お嬢ちゃんのかい?
ダグが毬を幼女に返した。
アンジェは、毟り取るように毬を取り返す。
ダグ: お、おい。
ティナ(女30代): アンジェ、アンセルリーナ!
貴婦人が現れた。
ダグは呆然と突っ立っていた。
ティナ: アンジェ、
ティナ: 申し訳ございません。娘が、お客様にご迷惑を…
ダグ: い、いえ、な、何も。
ダグ(独白): なんだ、子持ちか…
ティナ: さ、アンジェ、お部屋に戻りましょう。
アンジェ: う、うー!
ティナ: ア、アンジェ…
ダグ: お嬢ちゃん、お母様を困らせちゃいけないなぁ。
アンジェ、暴れる。
ダグ: げ、元気過ぎるお嬢さんですな。
ティナ: …。
ジュリアス: どうした、ティナ?
アンジェ: あー、あー!
ジュリアス: 娘がご迷惑をかけたようですね。申し訳ない。
ダグ: ご当主のお嬢様で?
ジュリアス: ええ、紹介が遅れて申し訳ない。
妻のティーリアと娘のアンセルリーナです。
ティナ、ラジド家のダグ殿だ。
ティーリアが膝を少しかがめてダグに頭を下げた。
ダグ: と、とんでもない。奥方殿にこのような。私はラジド家の
使用人にすぎません。
ジュリアス: ダグ殿、何か?
ダグ: あ、そうでした。
主人ユーリの意識が戻りましたので、ご当主様にお知らせを
と思いまして。
ジュリアス: それは良かった。お会いできますかな。
ダグ: ええ。
ティナ: あなた、アンジェを。
ジュリアス: アンジェ、母さまの方へ…
アンジェ、離れない。
ダグ: よろしければ、お嬢様もご一緒に。
ジュリアス: 申し訳ない。
〇コルベルト家 客間
窓から、海風が入ってきた。
ファル: 気持ちいいでしょう。
ユリウス: 何があった?
ユリウス: ここから帰ろうとしたときに、襲われて… そうだ、肩!
痛っつ!
ファル: バカねぇ!
やっと、塞がったばかりなのよ! おとなしくしてなさい!
ファル: 三日もうなされてたの。本当に死んじゃうと思った。
ユリウス: ファル…
ファル: ここのご当主様の手当てが早かったから助かったのよ。
ダグがそう言ってたわ。
ユリウス: …。
ユリウス: よかった…。
扉の開く音。
ダグ: ユーリ、
ユリウス: ご当主様…
ファル: こちらへ。
ジュリアス: ありがとう。
ジュリアス: 助けていただきました。お礼を申し上げます、若君。
ユリウス: え?
ジュリアス: 若君に庇っていただけなければ私が命を落として
おりました。
ユリウス: い、いえ。私のほうこそ、こうして…
小さな手がユリウスの指を握った。
ジュリアス: アンジェ、だめだよ。
ジュリアス: 娘のアンジェ、アンセルリーナと申します。
ユリウス: こんにちは、アンジェ。
ジュリアス: お客様を珍しがって、申し訳ありません。
ユリウス: 可愛いお嬢様ですね。
ジュリアス: ありがとうございます。(嬉しそう)
ところで、ご気分はいかがです?
ユリウス: まだ… なんだか、ふらふらします。
ジュリアス: ゆっくり養生なされるといい。
ユリウス: ありがとうございます。
〇コルベルト
家 執務室(夜)
机上に地図を広げている。
ジュリアス、ユリウス、ダグ、コルベルト家傭兵隊長のシャール
がいる。
ダグ: 砦までは一本道、背後は潮流速い外海・・・
…夜襲は厳しいなぁ。
ナレ: コルベルト家の居間で、男達が頭を付き合わせていた。
その原因は…。
夕刻、日が背後の山にかかるころ、コルベルト家の門に
一通の手紙と子供の上着が投げ込まれた。
手紙の内容は、コルベルト家の幼女を誘拐したこと、
返して欲しければ当主が身代金を持参して、
明朝の日の出の時刻に島南端の砦まで来るようにという
ものだった。
あまりにも稚拙な誘拐劇に彼らは頭を抱えることとなった。
ジュリアスの一人娘、アンセルリーナはその日、ファルや
使用人達と一緒に港の市場へ出かけた。
アンジェにもファルにも男子の服を着せて、コルベルトの
子供だとわからないように注意させたのに、供の不意を付いて、
数名の男達が子供たちを攫っていったらしい。
救いはファルがアンジェと一緒にいることだ。
ジュリアス: 金で解決できるなら… 造作もないがな。
シャール: ですが、お館様、奴らの目的は金ではないでしょう。
ダグ: …ご当主のお命?
ジュリアス: ここまで、嫌われているとは。
ダグ: …。
ジュリアス: 身代金を用意しよう。私が持っていく。
シャール: はい、お館様。
ダグ: ですが、ご当主が行かれたところで、二人が無事に戻る保障は
ないのでしょう。
ダグ: それは困る。
ジュリアス: 謝罪する言葉もない、ダグ殿。大切なファル殿まで巻き込んで
しまった。
ユリウス: ファルは、必ず、取り戻す。貴方のお嬢さんも。
ユリウス: 船を出せますか。
シャール: え?
ユリウス: 足の速い船がいい。
ダグ: 若?
ユリウス: 岬の砦、海側は崖ですか。
高さはどのくらい?
ダグ: 何、考えてる?
ユリウス: …海側から砦に入る。
ダグ: !?
ユリウス: 正面からは、ご当主にお願いする。
ご当主が現われればその間、砦の中が手薄になるだろう。
ダグ: おい、敵がどのくらい、いるのかわかってないんだぞ。
ユリウス: せいぜい、五十ぐらいだよ、ダグ。
百もいれば食糧だのなんだのと目立つ荷が砦へ向かう。
そういう噂は必ず立つ。ひと月ふた月なんて考えてる
はずがない。
ご当主を亡き者にしたいだけなんだから。
ダグ: …。
シャール: …岬の崖は、20ヤードほど。
砦は海に張りだした形であります。
その下の海は潮が速く、流されやすい、危ないところです。
ユリウス: だから、潮に乗れば、音を立てずに崖下にたどり着ける。
ダグ: …。
ユリウス: 弩を貸してください。
ジュリアス: え?
ダグ: 若には、扱えないでしょう。
ユリウス: クラクの砦で、習ったよ。
ユリウス: 潮の流れに沿って、崖に近づく。
砦の下を登り、奴らの背後から中に潜入する。
ご当主は、取引に応じたふりをして正面から乗り込んで
ください。
貴方が目当てなのですから、砦の注意は貴方に引きつけられる。
背後は手薄になります。その間に二人を助けます。
ジュリアス: …漁師のリュードに水先案内をさせよう。
この辺りは彼らの漁場だ。ラジド殿とともに行く者を用意せよ。
シャール: はっ。
ユリウス: 鉤付きの縄と縄梯子も。
ユリウス: 夜明け前には、砦の下にいきたい。支度を。
ジュリアス: 時間がないな。
シャール、急いでくれ。
ダグ: 行くって…、若では、かえって足手まといだ。
ユリウス: ダグ、貴方はご当主の警護を。
身代金の荷車には馭者もいるだろうし。
ダグ: ユーリ!
ユリウス: ダグは、泳げないだろう。
ダグ: ご当主も子供の言うことを聞くなんて!
ジュリアス: 私も若君と同じことを考えていました。
ダグ: ご当主~!?
お嬢さんやファルがいるんです。
危険に晒らす気ですか!
ジュリアス: …決着をつけるしかないのです、ダグ殿。
ジュリアス: お二方も支度を。朝までそう時間はありません。
扉の軋む音。
コルベルト夫人が入ってきた。
ジュリアス: …ティナ。
ジュリアス: 部屋にいるように言っただろう。
ティナ: あなた…
ティナ: お願いですから、行かないで下さい!
ティナ: お願い… あの子のことは諦めて。
貴方のほうが大事なの!
ジュリアス: 何、馬鹿なことを言っているんだ、ティナ。
ティナ: 貴方の子供じゃないわ!
ユリウス: …。
ダグ: …。
ティナ: あんな子!
ジュリアス: やめなさい!
ユリウス: !?(驚く)
ジュリアス: …済まない、取り乱した。
ジュリアス: ティナ、ラジド家のファル殿も一緒なのだ。
助けないとラジド殿に申し訳が立たない。
ジュリアス: 心配はいらない…。
〇岬の砦 最上階の部屋(夜)
ファル、窓から空を見る。
ファルは眠っているアンジェを抱いている。
ファル: …心配はいらないわ。
ダグが助けてくれるもの。
(回想)男: ここから海に飛び込んで逃げようなんて考えるな。
下は岩場で、潮の流れも速い。
ファル: あたしだけならね… (アンジェを抱き直す)
助けがくるまでの我慢かぁ…。
(笑って) …ユリウスじゃ、アテにならないわね…。
ファル: 星が降ってくる…。
『星の降る井戸』にしては大っきいわよねー。
エミールの話だと、普通の井戸らしいけど…
おっきくても願いはかなうのかなぁ…。
ファル: アル・カドルの夜じゃないけど、
ファル: 神様、どうか…
〇岬の道
ゆっくり、荷馬車が走っている。
財貨を入れてある甕の触れ合う音。
ダグ: そろそろ、射程距離に入る。(小声)
ジュリアス: 砦が見えてきた。射手も数人いるようだ。(小声)
ジュリアス: 馬車を止めろ。
馬車が止まる。
ヒューっと音がする。
ダグ: 合図だ!
荷馬車の甕から短弓を構えた射手が飛び出し、矢を射る。
〇砦
ジュリアスとダグが、砦になだれ込む。
激しく剣の打ち合う音。
ダグ: ご当主、ご無理なさらずに!
ジュリアス: 貴殿こそ!
男の声: 火だ!
〇砦 最上階(明け方)
ファル; なんだか、空気が落ち着かないわね。
アンジェが目を覚ます。
ファル: おはよう、アンジェ。『お・は・よ・う!』
アンジェ: お、お、おはよ!
ファル: さ、もうじき帰れるわよ。
きっと『お父さん』が迎えに来てくれるから。
激しく争う音がする。
ファル: 始まった…
扉が数度、激しく音を立てた。
扉そのものが部屋に倒れこんできた。
男: ぐぇっ!
男が倒れた。
その甲冑の急所からユリウスが長剣を引き抜いた。
ファル: ウソ…
ユリウス: 大丈夫?
ファル: 何しにきたの?
ユリウス: 何って? (笑う)
助けに来たに決まってるだろ。
下で、ご当主とダグが敵を倒している。
ユリウス: 行くよ。
ファル: う、うん!
部屋の外、煙が上がってくる。
ユリウス、ファル、咳き込む。
ファル: 火をつけるなんて、何、考えてるの!
ユリウス: ご当主が砦の中に入った。
焼き殺す気なんだ。
ファル: ばかな連中!
ユリウス: ああ。
ファル: 下には行けないわ!
ユリウス: 後は… 窓か…
ファル: 冗談でしょ!
ファル: アンジェもいるのよ!
それにここから飛び降りたら、岩にぶつかって、
潮に流されて、死んじゃうって!
ユリウス: 岩場はないよ、この下。登ってきたからわかる。
ファル: だけど…
ユリウス: 僕らは、罪を犯したわけじゃない。
ファル: う、うん。
ユリウス: だから、神様が守ってくれる!
ファル: (頷く)
ユリウスが剣を投げ捨てた。
ファルの手を力強く握る。
ユリウス: いち、に、の!
〇砦の中段
ダグ: なんてこった!
ご当主、子供らが海へ!
ジュリアス: ダグ殿! 後を頼む!
ジュリアス、窓から海へ飛び込む。
〇海中
ユリウス(独白): 沈んでいく…。
何処まで沈むんだろう。
ファルは大丈夫かなぁ…。
ユリウス、誰かに掴まれる。
ユリウス(独白): 誰? エミール?
〇海面
ジュリアス、ファルとアンジェを見つける。
二人を掴んで、船に引き上げる。
ジュリアスも船に上がる。
ジュリアス: ファル殿! アンジェ!
アンジェが泣き出す。
ファルも目を開けた。
リュード(男・50代): お館様、お嬢様とラジドの方が、気がつかれました!
ファル: ユ、ユリウスは!
ジュリアス: え?
ファル: ユリウスよ!
ジュリアス: まだ、見えない。
ファル: ユリウスー!
あ、向こう! なんか光ってる!
きっと、ユリウスよ!
ジュリアス: え?
ファル: ユリウスの金髪が光ってるんだわ!
船を早く!
ジュリアス: あ…
ジュリアスが飛び込む。
ファル: ご当主様!
リュード: お館様!
ジュリアスは、波間に漂っていたユリウスを掴んだ。
女の声: お願い… 坊やを、お願い…
ジュリアス: えっ?
ユリウスの向こうに女人の影。
ジュリアス(独白): え!? 人魚!?
いや、違う…。
彼女は…!
女人の影は、ジュリアスに微笑んで消えた。
ジュリアス(独白): まさか…? あの女…なのか…
リュード: お館様!
リュードが二人を船に引き上げた。
〇港
ユリウス達が乗る船が出港準備を終えている。
ジュリアス: …髪を染めておられたとは。
ユリウス: …ご当主様も、でしょう。
それは白髪じゃない。
ジュリアスとユリウスが桟橋近くに並んで立っている。
ユリウス: ヘンナで染めています。
この前は、波で落ちてしまいましたけど。
金髪のほうが周りに気を使わせるし、目立ちすぎますから。
これでも赤ん坊の時は赤毛だったそうです。
ジュリアス: ファル殿が『ユリウス』と呼んでおられた。
アラブの呼び方ではありませんね。
ユリウス: 母がつけてくれた名だそうです。
ジュリアス: …。
ユリウス: 母はサラセンの人だと聞いています。私を産んで亡くなったと。
ジュリアス: …。
ユリウス: 『ユリウス』というのは西国の呼び方です。
ハールーンは、そう呼んでくれます。
でも、アラブの商人には似合いませんから、
普段は『ユーリ』と。
ジュリアス: …。
ユリウス: …実の父母のことがわからなくてもいいんです。
ハールーンが良くしてくれますから。
早く大人になって、彼の役に立ちたい。
ジュリアス: そう…
ユリウス: …ご当主様は?
ジュリアス: 当分は、心配、なくなりました。釘をさしておきまし
たから。
ユリウス: ?
〇サイプラス王の謁見室(回想)
ジュリアス: 『…私の顔がわかるだろう。』
彼は金髪をかきあげ、息がかかるほど王に近づき、
その耳元に囁いた。
ジュリアス: 『ならば、この島の王でいるにはどうすればよいかも
わかるはずだ。
今後、当家への手出しは、ないものと確信する。』
ナレ: サイプラスの王はぞっとする冷笑に今は亡き獅子心王
と同じ顔を見た。
〇港
ジュリアス: そう… 静かでいられます。
ユリウス; でも…。
軍が向こうを発ったとか。
休戦は破られ、戦さが始まります。
ジュリアス: ここは、補給地になります。当然のこととして。
ユリウス: そうなったら、寄り道できないな。
ジュリアス: 戦場へは?
ユリウス: 私は『商人』です。
『軍人』じゃありません。
ユリウス: ひと財産、築きます。
ジュリアス: …。
ファル殿が手を振っていますよ。
〇港 桟橋
ファル: じゃあね、アンジェ。
ダグ、早く乗らないと置いてくわよ。
ファル、アンジェとティナと別れる。
ダグ、しぶしぶと船にやってくる。
ダグ: 不思議なもんだな。
ファル: 何?
ダグ: ユリウスとジュリアス殿。
あの二人、おんなじ後姿、してんだぜ。
ファル: そう?
ダグ: 名前が一緒だからな。
『ユリウス』はイングランドじゃ『ジュリアス』だ。
ファル: ふーん。(興味なさげ)
ユリウスが戻ってくる。
ユリウス: じゃ、コルベルト様、行きます。
ファルがジュリアスに振り返った。
ファル: 差し出がましいようですが、ご当主様、
ジュリアス: はい?
ファル: アンジェには、兄弟がいたほうがいいと思います。
ジュリアス: え?(困惑)
ファル: 一人っ子じゃ寂しいです。兄弟は、多いほうが楽しいもの。
ユリウス: ファル!
ファル: 子供が多いと夫婦仲も良くなるものよ。
ユリウス: ファル!
ユリウス: すみません、ご当主様。
ジュリアス: おっしゃる通りかもしれません。(恥ずかしそうに)
船は桟橋を離れた。
〇船 甲板
ファル: ねえ、
ユリウス: 何?
ファル: …あんなに強かったんだ。
何で、隠してたの?
ユリウス: 別に隠してたわけじゃないけど。
ファル: だって…
ユリウス: …前に言われたことがある。
『人は自分の大事なものを守るために強くあればいい』って。
ファル: 大事なもの…?
ユリウス: あの時は、強くありたいと思ったんだ。
僕は、…。
波が船にぶつかる音
ファル: あとのほうが聞こえなかった!
何て言ったの!
ユリウス: ないしょ!
波の音が続く。
ボイコネ用のシナリオ編です。
同じタイトルで、ノベライズ編もあります。
これは「星の降る井戸」というシリーズの1編です。
謎っぽくなっている部分がありますが、このシリーズをお読みいただければ世界観もわかっていただけるかな?と思っています。