理系オタクは推しキャラの夢を見るか?
前作のクリスティアン視点です。
クリスティアン・フィリップがシェリンガム家の養子になったのは10歳の時だった。
実家は子爵家。才覚のある祖父と父が領地の特産品の量産に成功したので子爵家としては裕福な方だ。しかし三男である僕は後を継ぐ事は出来ない。
お祖父様は小さな僕に、しっかり勉強して自分を磨き続ければ必ず良いことがあるよ、努力は裏切らないさ、と言って頭を撫でてくれた。そのお祖父様の言葉が嘘ではないと知るのはそれから直ぐのことだった。
我が家の本家筋に当たるシェリンガム侯爵家から、養子の打診が来たのだ。長兄は子爵家の跡取りだし、次兄はシェリンガム家のお嬢様より歳が上。侯爵様は、『マリールゥには弟が良いと思うのだ。』と言われて、僕を選んだ。
その時の僕の喜びをどう伝えたらわかってもらえるだろうか。まさか、あのマリールゥ・シェリンガムの義弟になるだなんて、誰が想像出来ただろうか。
寝るのも惜しいくらいにのめり込んだあのゲームの、マリールゥが存在しているというだけでもこの世界は素晴らしいのに、家族になれるって、一体どんなご褒美なんだ。
*
自分の前世に気がついたのは8歳の時だ。
うちの領地の特産品の量産には、僕の作った農機具が大いに活躍している。それらはある日突然頭の中に閃いたんだ。
トラクターとかコンバインとか、そういった単語とイメージが湧いてきたんだ。僕は手習いに使っていた紙とペンで、具体的な設計図と、動力源について書き記した。
この世界の動力源は魔石、つまり魔力なんだ。貴族は力の差はあっても、生活に必要な魔力を持っている。
僕はその魔力を、最低量で最大限のパワーを生み出すシステムを構築する機械を設計した。もともと大学院での専攻は機械工学で、修士課程に通っていた僕は、自他共に認めるガリ勉秀才野郎だったんだ。
僕の設計図を見たお祖父様は、しがない子爵家にいては僕の才能が潰されてしまう、そして悪意のある高位貴族にこの才能を騙し取られるかもしれないと直感した。だから、本家筋のシェリンガム侯爵に連絡を取った。
孫を貴方に預けたい。孫は大層優秀で、このまま埋もれるには余りにも勿体ない。そして必ず侯爵の役に立つはずだ、と。
僕に会ったシェリンガム侯爵は一目で僕が気に入ったらしい。何故なら、自分で言うのもなんだが、見た目がこれまた極上だし、家族の誰とも違って僕の瞳は侯爵と同じく赤かったんだ。
*
それからの僕の人生は本当に薔薇色だった。
義姉のマリールゥに「雷が怖いのです。」と震える声で訴えれば、マリールゥは彼女のベッドで共に眠る事を許してくれた。柔らかいマリールゥのピンクブロンドの髪に顔を埋めればそれはもう良い香りで。
10歳の癖に変態っぽい?仕方ないじゃないか、前世は25の男だぜ、そりゃあオタクだったけど、大学院で機械工学なんかやってりゃ、女っ気皆無だとわかるだろう?
とにかく僕の興味は二次元の女の子で、とりわけヒロインでもなく悪役令嬢でもなく、ただただ巻き込まれてしまう不憫な美少女マリールゥが一推しだったんだ。
マリールゥの側にはいつも侍女のユリアがいた。ユリアがマリールゥを見る目は正直危険だと思う。何と言えばいいのだろうか、同性なのにまるで愛しい人を見るようなじっとりした視線。
それに気がついた僕はこっそりユリアを観察する事にした。
万が一ユリアがマリールゥを傷つけるような事があれば処分しないといけないからね。
ところがユリアはそんな僕を屋敷の裏に呼び出すとこう言い放ったんだ。
「クリスティアン様はバグなんですよね。本来マリールゥ様には義弟は出来ない筈なんですけど?」
もし僕が転生者でなければユリアの発言の意味はわからない。その場合は、何の事?って問い返せば良かったのだけど、僕は迂闊にも「バグかどうかはわかんないだろう?お前だってそもそもバグだろうが!」と言い返してしまったんだ。
その瞬間、お互いに転生者である事、そしてマリールゥ推しの同志である事を瞬時に理解した。
そして僕らはマリールゥを守る会を結成するのだ。
あの、どうしようもない婚約者のオリバー・レイヴンズクロフトとの婚約破棄からの死亡フラグを叩き折って、クソ女を徹底的にやっつけるという目標を掲げて、ただマリールゥの幸せの為に協力する事を誓い合ったのだった。
*
そこからは、これまで以上に勉学に励んで、学院でのマリールゥを守る為にひとつ上の学年に入れるように、とにかく頑張った。家庭教師はこぞって僕を褒めた。ぼっちゃんは天才ですと。
まあ、ある意味当然なんだけどね。元が25歳の大学院生だぜ?出来ない方がおかしいじゃないか。
しかし、これは義父母を大いに喜ばせた。優秀な跡取りが出来たので、早いうちに良縁を結ぼうと言う事でたくさんの釣り書きを持ってきて、婚約者を選ぶようにと言われたが、僕はアピールのチャンスとばかりに、義父に訴えた。
「義父上、わたくしは義姉上の事を愛しているのです。この家に養子に来て心細かった僕を慰めて支えてくれたのは、紛う事なく義姉上なんです!
義姉上以外の女性と結婚するなど想像も出来ません。」
周りくどい事は苦手だから正直に喋った。
義両親はびっくりしていたが、超優秀な跡取りと溺愛する娘が結婚する未来は、案外良いかもしれないと考えたようだ。義父上はそこら辺は柔軟な思考の持ち主なので話が早い。
それに婚約者でありながら、ほとんど交流のないレイヴンズクロフトの息子に対する怒りもあるようだ。
「クリスティアンの気持ちはよくわかった。
マリールゥとクリスティアンか、よく考えたらこれ以上無いくらいにお似合いではないか!」
義父は珍しく大興奮しており、早速レイヴンズクロフト家へ婚約解消を申し出る事にしたのだった。
ところが、婚約を解消しようと話を持って行っても先方の公爵家が、息子がマリールゥ嬢が良いと言うのだと、困った顔をして婚約解消を受け入れてくれなかった。
これがゲームなんだな、と思う。人の感情や想いよりも、決まったあらすじを進むのがゲームなんだ。
そんな馬鹿げたストーリー、ぶっ壊してやる。
僕は本気で思った。その為にできる事を全てやる。
*
貴族学院というのは小さな伏魔殿だ。
とりわけ、女子生徒のマウントの取り合いから始まる過激な攻撃は、一歩間違うと命を失いかねないような物だった。
上履きに画鋲、持ち物を隠す、教科書破く、制服破く、中庭の噴水に突き飛ばす、媚薬を盛る、体育倉庫に閉じ込めて大勢で襲う、階段から突き落とす、頭をめがけて花瓶を落とす、など、よくまあ非道な事をするもんだよなあと思う。
なんだよこれ、犯罪じゃん!家の権力をフルに利用して気に入らない人間を陥れて、命すら奪おうとする行為がまかり通るなんて、なんて民度の低い世界なんだ!とも思うが、ここはゲーム内容に沿った世界なんだから仕方ない。
だから僕は飛び級でマリールゥと同じ学年になって、常に側に控えて彼女を守らないといけないと考えた。
それにヒロイン対策もある。マリールゥに近付いて攻撃したり貶めようとするなら、ぶっ潰さねばならない。
しかし不思議な事に、ヒロインは確か貧乏な伯爵令嬢だった筈なのに、蓋を開けてみれば、下品な男爵令嬢が攻略対象に接近していた。しかも名前が微妙に違う、何故だ?
ユリアは、自分や僕といったバグが発生しているからには、ストーリーが改変されていて、ヒロインに至っては改悪されたのではないか、と言う。たしかにあのヒロイン気取りは胡散臭いし、嫌いだ。あいつが正ヒロインであるわけがない。
ともあれ、学院ではオリバーとつるむ男爵令嬢に鉢合わせしないように、常に気を配り慎重に行動した。その結果、学院内で奴らに遭遇する事はほぼ無かった。
一方マリールゥは、卒業後に家を追い出されると思い込んでいるので、自立を考えて『カフェ計画』を立てていた。
その為に学院内にお菓子作りサークルを作った。僕が守りきれない放課後は、結果的にサークルのご令嬢方に守られることになった。
王太子殿下の婚約者であるエレーナ様がサークルに在籍していることで、手出しがしにくいのも助かっていた。サークルメンバーは伯爵家より上の令嬢か、メンバーの紹介と審査によって入会が決められるので、変な女はまず入ってこられないのだ。
僕はサークル終わりのマリールゥを迎えに行って一緒に馬車で屋敷に帰るのが日課となった。
迎えに行くとサークルのご令嬢達が
「美しくてお似合いのお二人ね。素敵だわ。」
「姉弟といってもお二人は義理の間柄。クリスティアン様とマリールゥ様がご一緒になられたらシェリンガム侯爵家は安泰ね。」
などとヒソヒソ話している声が聞こえて来る。うんうん、僕らはお似合いに見えるんだな。嬉しいぞ。
しかし中にはこんな声も。
「マリールゥ様は確か、レイヴンズクロフト公爵子息様と婚約されていたのではなくて?」
「あら、そうでしたの?でもあの方は、ねぇ?」
「そうですわよね。あの男爵令嬢とべったりですものね。マリールゥ様、お可哀想に。」
『お可哀想に』なんて言葉をマリールゥの耳には入れたくない。彼女は抗っているのだ。両親に見捨てられ修道院に送られて、その途中で命を落とすストーリーをぶっ壊すために、抗っているんだ。
だからお菓子作りサークルを作ったのだし、不実な婚約者に関わらないようにしてるんだ。そもそも、婚約も拒絶したのにゲームの強制力ゆえか、義父母はマリールゥの気持ちを聞き入れる事なく婚約を成立させてしまった。
その時まだ僕は子どもで何の力もなくて、悔しくて歯痒くて。
がっかりしているマリールゥの部屋を訪ねると彼女は泣いていた。
『お義姉さま、泣かないで。』
僕はマリールゥを抱きしめたんだ。まだ背丈は同じくらいだし、彼女は僕を弟としか見ていないので、腕を回して抱きしめ返してくれた。
おわかりだろうか。前世25歳で童貞のまま死んだ僕が、鼻血を出しそうになりながら、マリールゥのその柔らかい体を抱きしめて、どれほと幸福でどれほど満たされていたか。
僕は彼女をこれ以上泣かせない。強くなって守り抜く、そう決めていたんだ。
*
マリールゥが斜め上の突っ走った行動力で、隠れ家探しを始めたとユリアが教えてきた時、いよいよ物語が進んだことを悟った。
女の子2人きりで家探しなんて危険だからと、護衛代わりを申し出たんだ。そしてあそこは方角が良くない、あの家は家相が悪い、導線がどうの、水回りがどうのと、あれこれ誘導して、結果的に一軒しか選べないような状況に持ち込んだ。
ユリアは、独占欲強すぎ、クリス様ってばストーカーよね、と非難してきたが、そんなのは当たり前だ。大切なマリールゥを守る為なら、僕はストーカーになる。
それからは、先回りして家の持ち主に支払いを済ませて、雇った何でも屋に持ち主のふりをさせて、マリールゥが宝石を換金して作ったお金を受け取るように指示したんだ。
あ、そうそう、家を買い取るための資金は、実は義父から預かったものだ。
僕は義父母を巻き込んで一芝居打つ事にしたんだ。ゲームのストーリー通りに両親に捨てられると思い込んでいるマリールゥに、ここはゲーム世界じゃないんだなんて言っても信じないだろうし、何より僕が転生者である事は隠したい。
だから彼女の望みを叶えてあげようと思った。それも家族ぐるみで。
理由は言えなかったけど、マリールゥがこの家から出て自立しようとしていることを義父母にこっそり相談して、僕が義姉さんを支えて守りますと宣言した時に、義父母は心を決めた。
なあなあになっていたオスカーとの婚約は必ず解消して、僕とマリールゥを結婚させると義父は宣言した。
この頃、義母の体調がすぐれない日が続いたのだが、なんと懐妊している事がわかった。義母の体調を心配した義父は、安定期に入るまで二人で静養する事に決めたらしい。
しかしその行動を、マリールゥは『自分を避けている、疎まれている』と感じたようだった。
マリールゥを驚かせて喜ばせたいと言う義両親の頼みで、僕は黙っている事にしたけど、不安がっているマリールゥに本当の事を伝えて安心させた方が良かったと思っていた。
しかし、あれほど彼女を溺愛していた義両親がマリールゥを避けると言う行動は、まさにゲームの強制力に他ならないとも感じていた。
その点はユリアも同意して、避けようとしているのに、避けられない出来事が必ず起こるのだと溢していた。その最たるものが、オリバーとの婚約だと言う事を僕らは知っている。
「クリス、マリールゥの事を頼んだよ。」
「わたくし達が留守だからといって、まだ婚約も済ませていないのに不埒な行為をしてはいけませんよ。クリスは突っ走るタイプだから心配だわ。ふふ。」
8年程しか親子をやっていないのに、お義母様の慧眼には驚く。大丈夫、マリールゥの事を本当に大切に思っているのだから軽率な事はしない。嫌われたくないからね。
それに、彼女は僕が婚約者を決めないのは、実子である自分に遠慮しているせいで、自分が邪魔をしていると思い込んでいるくらい謙虚なんだ。あんなに綺麗なのに、モブ当て馬だからと全く自分に自信がないんだ。
僕がどれほど愛を語っても、そういう言葉は愛する人のためにとっておくものよと、笑って逃げてしまう。
本当にマリールゥは、僕がどんな気持ちで見つめてきたかわかっていない。
*
家出先の準備も整い、あとは卒業式とその後のパーティでの婚約破棄となった時に、レイヴンズクロフト家から豪華なドレスが送られてきた。
マリールゥがあのドレスを選んだら……、僕は内心気が気ではなかった。何故なら僕もまた彼女にこっそりとドレスを贈っていたんだ。そしてそのドレスはクローゼットに収まっている。
侯爵令嬢なのに贅沢や飾り立てることを嫌うマリールゥは、贈り物の宝石類のほとんどを換金して隠れ家兼カフェの為に使った。
しかし、そう思っているのは彼女だけで、換金した後の宝石は全て買い戻してある。義父や義母からのプレゼントすら換金しちゃうなんて、余程切羽詰まっているのかとことん宝石に興味がないかだな。
とにかく飾り立てる事にさほど興味のないマリールゥなので、僕が贈ったドレスも、元からそこにある物だと思ったようで、あれこれ策を練ることなく、当たり前のように僕色のドレスを着ていた。
義母は「執着丸出しね」と笑ったけど、怒ってはいない。むしろ、あいつのドレスではなく、僕のドレスを選んだ事を喜んでくれた。
そしていよいよ断罪の時がやってきた。
*
ストーリー通り、オリバーが婚約破棄の言葉を告げようとした途端に、マリールゥはその言葉を遮って堂々とパーティ会場を出て行った。
後のことはユリアに託してある。ここからは僕のターンだ。
呆気に取られて間抜けヅラをしているオリバー・レイブンズクロフトに向かって言い放った。
「何を告げるつもりだったんだ?お前とマリールゥとの婚約は既に解消されているが?」
その時のオリバーの表情は今でも思い出して笑える。全く知らなかったのだろう、顎が外れそうなくらいに口を開いて目を見張っているんだから。黒髪黒目で整った容姿をした男だが、中身は全くのヘタレ野郎だ。僕は知っているんだよ、本当はお前はマリールゥの事が大好きなのに、ヘタレすぎて目も合わせられずにいて失礼な態度をとり続けていたことをね。
ヘタレも拗らせすぎると、こんなにみっともないんだな。
「な、お前。何を言っているんだ。俺は卒業したらマリールゥを全力で愛して甘やかして、、、だから婚約破棄などではなく、何かもすっ飛ばしてすぐに結婚しようと言うつもりだったのに、なんであんな事に……」
「オリバーさまぁ。宜しいではありませんの。これであたしが正式に婚約者になれますものぉ。うふふ。マーリアは幸せですわぁ。」
そう言って抱きつこうとした男爵令嬢をオリバーはひょいとかわして、心底嫌そうな顔で言った。
「はあ?何を言ってるんだ?なぜお前と婚約するんだ?
お前の家が薬物の違法交易をしているから、学院在学中見張るようにと父上から指示を受けていた、ただそれだけだぞ?」
「ご冗談が上手ですわねぇ。オリバー様、素直におなりになってぇ。マーリアの事が好きなんでしょう?」
「誰がお前みたいな阿婆擦れが好きなもんか。」
「またまたぁ、強がらなくてもいいのですよ。この世界のヒロインのマーリアが、王太子殿下じゃなくてぇ、わざわざオリバー様を選んだのだから、喜びに浸っても良いのですよぅ。」
いかん、あまりの毒気に僕は吐き気がしてきた。演技だとはいえ、あんな女とひっついていられるなんて、オリバーは凄い奴だなと、少しだけ見直した。
その時、入り口から入ってきた騎士達が男爵令嬢を拘束して外に連れ出した。
ま、そういう事だ。ほんと、良くあるゲーム通りの展開に僕は笑うしかない。あの男爵令嬢の実家が悪事に手を染めているのは知っていたが、断罪は国がする事だからと放っておいたんだ。それよりこいつにとどめを刺してやらねば。
「お前、気がついていなかったのか?義父上は不実なお前を見限ってとっくに婚約解消しているし、何ならマリールゥの今の婚約者は僕だ。
何を拗らせてらるのか知らんが、好きな女にちゃんと好きだと伝えられないような情けない男を相手にする筈はないだろう?」
がくりと膝をつくオリバーに、じゃあなと声をかけ、王太子殿下とエレーナ様ににこりと笑いかけた。
「殿下、お目汚しでした。どうぞ良い夜を。」
実は王太子殿下も男爵家の薬物の違法交易については内偵している事をご存知で、証拠が揃い次第断罪する予定だったんだ。それがたまたま卒業パーティの日になってしまっただけで。
スイーツサークルのご令嬢達が口々に僕に話しかけてきた。
「クリスティアン様!マリールゥ様を追いかけて逃がさないで!あの方を幸せにして差し上げてくださいませ。」
言われなくても当然。僕はその微笑みで女子を卒倒させるとも言われた極上の笑みを浮かべて、ありがとう、カフェをオープンさせたら君たちも来てねと告げて卒業パーティ会場を去ったのだった。
*
マリールゥは使用人達に、行ってらっしゃいませと送り出されたらしい。
「お嬢様は目を丸くされていましたよ。」と執事長は楽しそうだった。
そうだね、単なる卒業記念旅行みたいなものだからね。
僕は予め、執事長はじめとする使用人達に告げてきた。
「マリールゥとユリアが変な格好で屋敷を出るが、学院を卒業した記念に、庶民生活体験をするんだよ、だから全員で快く送り出してやってくれ。うん、すぐに帰ってくるから心配要らないよ。行く先はわかってるんだからね。」
僕は義両親へ全て片付いた事を報告してから、マリールゥを迎えに行くと告げた。義父は僕を次期侯爵に指名し、マリールゥをその妻とすると正式に書類に認め王家に提出した。
その手続きに一週間かかったのだった。
そしていよいよマリールゥを迎えに行く時がやってきた。
隠れ家兼カフェの玄関を開けて、愛しいマリールゥを抱きしめた。彼女は目を丸くして状況を理解しようとしている。
庶民が着るようなワンピースも可愛いなと、僕はもうメロメロになっている。
招かざる客がやってきたのは想定外だったが、気がつけば大団円を迎えていた。
ああ、オリバーは泣いていたが、あいつだって伊達に公爵子息をやっているわけではないのだから、いずれ立ち直るだろう。
僕は彼女の手を取り跪いて愛を請うた。どうか僕の手を取り、共に生きてほしいと願った。
義弟として見ていたので即答は出来ないと言ったマリールゥだが、僕は彼女の目が潤んだ、頬が赤らんでいたのを見逃さなかった。
「もう逃げなくていいんだよ。僕の愛を受け入れて。」
そうしたらマリールゥは、わたしだっていつの間にかクリスを好きになっていたけど、わたしは家から追い出されちゃうし、貴方にはきっと直ぐに素敵な婚約者が出来てしまうから、わたしの存在が邪魔になる…とかなんとか、ごちゃごちゃ言い始めたので、彼女の唇を強引に奪ったんだ。
「そんな事を言うなんて悪い子だね。」
僕は自分の中にある執着心全開で、マリールゥの柔らかい唇を貪った。それから彼女を壊してしまわない様に、優しく抱きしめた。僕の腕の中にすっぽりと収まったマリールゥは、おずおずと控えめに僕の背中に手を回してくれた。
ああ、なんて幸せなんだ!
その後は、義母からクギを刺されていたので、なんとか持ち堪えた僕を褒めてほしい。
漸くだ、漸くマリールゥが僕だけのマリールゥになったんだ。結婚式までの辛抱だ!
*
さて、僕がマリールゥにプロポーズをして受け入れられた後、この物語がどうなったのかを記しておきたいと思う。
マリールゥはカフェをどうしたのか?
オリバーはどうなったのか?
それから前世男だったユリアとエドウィンがはたして上手くいったのか、気にならないかい?
僕とマリールゥはシェリンガム家のみんなから祝福されて結婚した。それをきっかけに義父母は領地の屋敷に移り住んだ。
その前年に義母は女児を出産したんだ。僕らにとっては妹だ。その妹が生まれて一年半後に、僕とマリールゥの子どもが生まれた。こっちは男の子。髪の色は僕の色、瞳の色は両親譲りの赤色だ。そして顔立ちはマリールゥに似ている。
僕らは小さい天使達にもうメロメロになっている。立て続けに赤ん坊がやってきてシェリンガム侯爵家は、とにかく幸せに満ちている。
そうそう、生家の子爵家からも、両親と兄達がお祝いに来てくれた。お祖父様に僕達の子どもを見て貰えなかったのは残念だけど、天国のお祖父様に伝えたい、『努力は裏切らなかった』と。
僕は王太子殿下の側近となり、マリールゥは王太子妃エレーナ様の親友として王族を支えている。
前世の知識を活かして殿下と共に国内インフラを整えているので、殿下が国王となられる頃には、この国はさらに豊かで強い国になっているだろう。
『しあわせカフェ』はユリア夫婦(エドウィンと無事結婚した)に任せているが、マリールゥはしょっちゅうカフェを訪ねて新作スイーツの開発に余念がない。
スイーツサークルの仲間のご令嬢達が多数来てくれるようになって店が手狭になり、『しあわせカフェ』は王都に移転したんだ。
出資者はもちろんシェリンガム侯爵である僕で、マリールゥはオーナー兼アドバイザーとなった。
僕達に第二子が生まれる前に、意を決して僕が転生者である事をマリールゥに告白したら、僕の愛しい奥さんは、知っていたわ、だってわたしも転生者ですもの、と笑顔で答えた。
「だって貴方、ユリアと話している時に、推しがどうの二次元の嫁がどうのって、無意識に口に出してるわよ。
クリスの前世ってオタクだよね?光る棒を持ってオタダンス踊ったりしてなかった?なんだかアレ、ダイエットに良さそうだから教えてほしいな。」
なんだよ、僕の奥さんが可愛すぎるぞ。オタダンス、いいだろう教えてあげよう。あれは腕の振りが結構難しいし体力を使うんだよ。
「そんな僕の事を、君は嫌いだったりする?」
「まさか!モブに過ぎなかったわたしを見つけてくれてありがとう!世界で一番大好きよ。」
ああ、今日も僕の嫁は尊い。僕は幸せ者だ。だから毎日でも言うよ。
推しに会いたい、推しを愛でたい、そう願い続けて夢を見続けて本当に良かったと。
お読みいただきありがとうございます。
クリスの、獲物を追い詰める感がエゲツない。
まあでも、みんな幸せそうだからいいかな。