帰ってきた勇者の試練
ある日、この世界に魔王が復活した。
世界は暗闇で満ちた。
そんな中、人々の希望となった一筋の光。それは、勇者の存在だった。
勇者に選ばれた小さな村の青年、フランツは、魔王を倒すための旅に出た。
自らの恋人に「待っていて欲しい」と告げて。
仲間たちと共に魔王を倒した勇者フランツは、恋人の待つ村へと帰還した。
――しかし、感動の再会、とはならなかった。
勇者の恋人である少女、ターニャの第一声がこうだった。
「ようこそお越し下さいました、勇者様」
無表情に他人行儀に深く一礼されて、フランツは絶句した。
父と母の待つ実家に戻れば、両親は変わらなかった。
「お帰りなさい」
ターニャに一番に言って欲しい言葉だったが、両親に少し涙ぐみながら言われれば、フランツも素直に「ただいま」と答えることができた。
せっかく村に帰ってきたのに、居心地が悪い。
それというのも、両親以外の村人が皆他人行儀だからだ。
名前を呼んでくれない。勇者様と呼ばれる。
恋人だけじゃない。
一緒に遊んで悪さもした友達も、そんな自分たちを叱り飛ばしていた村長も。
「娘を貴様なぞにやらん!」
そう叫んでは拳を飛ばしてきた恋人の父親も。
両親に聞いてみたら、とぼけられた。
――が、わずかに表情が強張ったことにも気付いた。
だから、強硬手段に出ることにした。
「ターニャ」
恋人が一人でいる所を見計らって近づいた。
ここ数日で、よく村はずれに立って空を見ている事に気付いた。
その時間が長く、そしてそうしている間は、誰も他の村人が近づかないのだ。だから、絶好のチャンスだった。
俺が声をかけると、驚いたように振り向く。
「フラ……、いや、じゃなくて……勇者様、何かご用でしょうか」
取り繕ったように頭を下げるが、最初に言いかけた言葉は聞き逃さなかった。
――俺の名前を呼ぼうとしたんだろ?
俺はそのままターニャとの距離を詰める。
歩みを止めない俺に、ターニャは後ろに一歩ずつ下がっていく。お互いの距離が縮まらない中、しかし俺は口の端を上げた。
トン、とターニャの背中が木に当たった。
ターニャが後ろを見た隙に、俺は一気に距離を詰める。これでも勇者だ。別に難しくも何ともない。
ターニャの両脇に手を置いて、逃げられないようにすることに成功していた。
「……あ、の……勇者様」
「フランツ、と呼んでくれよ。さっき、そう言いかけただろ? 何でそんな呼び方をするんだよ?」
真正面からターニャの顔をのぞき込む。何よりも言いたい、俺の叫びだ。
けれど、ターニャは顔を逸らす。
「……お許し下さいませ」
戻ってきた返事は、そんな望んでもいない返事だ。
もっと叫びたいのを我慢して、次の質問をした。
「おばさんはどうした? それにアデルも見てない。どこかに行ったのか?」
聞いたのは、ターニャの母親のこと。そして、妹のアデルのこと。アデルは体が弱い。そうそう旅などできるはずがないのに、帰ってきてからその姿を見ていなかった。
俺の質問に、ターニャが明らかに動揺した。
「わ、我が家の問題ですので……勇者様に気にして頂く必要はございません」
話し声にも動揺が隠し切れていない。何かあると言っているようなものだ。
「そ、それよりも……、勇者様が王都にお戻りになるのは、いつになるのでしょうか?」
続けられた言葉に、俺は自分がたてていた仮説が当たっていたことを確信した。
だが、詳細は分からない。
この状況を変えようと思えば、もっと詳しい情報が必要だった。
だから、ターニャが顔を逸らせた事でむき出しになっている首筋に、俺は口付けた。
キスマークを三つほど付けて、俺はターニャを解放した。
目的を果たすなら一つで良かったのに、つい夢中になってしまった。
自室に戻った俺は、横になって集中する。
キスマークには、俺の魔力も一緒にたっぷり乗せてある。
自分の魔力を通して、相手の会話を聞くことができるのだ。盗み聞きに他ならないが、手段を選んではいられなかった。
集中し始めて少々時間が過ぎた頃、パタンと音がした。同時に声がする。
『ただいま、ターニャ。……どうした?』
聞こえた声は、おじさんの声。娘はやらん、といつも俺を殴ってきたムカつく親父だ。
ターニャの声はしない。また聞こえたのは、おじさんの声だ。
『……もしかして、フランツ君と何かあったのか?』
フランツ君、という呼び方に息を呑んだ。
おじさんだって勇者様としか呼んでくれなかった。俺のいないところでは、昔のように呼んでくれていたのだろうか。
ふと気付いた。
ターニャが見ていた空は、王都の方向だ。
やっぱり、村人達の態度には何かある。
ターニャが、いつ王都に戻るのか、と言った時、理解した。
魔王を倒した後、俺が村に戻るのを反対する貴族が多かった。何人もの貴族が、自分の娘を俺に押しつけようとしてきた。
王様たち王族が貴族達を押さえてくれた事もあって、俺はこうして村に戻ってこられたわけだけど、すでにその貴族の誰かの手が、村に回されていたとしたら。
村にいないおばさんとアデルが、人質に取られていたとしたら。
村人達の態度だって、納得がいく。
問題は、その貴族が誰か、という事だ。
『ターニャ、フランツ君に全部話してしまおうか』
『そんな事したら、お母さんとアデルが!』
『フランツ君なら、お前を守ってくれるだろう。二人のことは気にしなくていい。お前だけでも幸せに……』
『無理! そんなのできないよ!』
聞こえる会話は、俺の予想を悉く肯定する。
盗み聞きしなくても全部話してくれるならその方が良いが、この感じではおそらく口止めもされているんだろう。
それにしても、いつも殴りかかってきたおじさんに、神妙な口調で「守ってくれるだろう」とか評価されるのは新鮮だ。
『お父さん、私はいいの。フランツが王都に行けば、お母さん達帰ってくるんでしょ? 大丈夫だよ。フランツだって王都に行けば、私のことなんか、すぐに……忘れて……』
後半、泣き声が混じったのが分かった。
唇を噛みしめる。
今すぐにでもターニャの所に行きたい。その気持ちを必死に押さえる。
行った所で変わらない。
――相手は、おばさん達を捕らえている貴族は、誰だ?
その名前さえ出れば、いくらでもやりようはあるから。だから、言ってくれ。
そんな俺の願いが、届いた。
『本当にすまない、ターニャ。貴族様というだけで我々にはどうすることもできないというのに……、相手がロアーヌ公爵様では、言いなりになるより他、何もできずに……』
おじさんの声が、後半消え入りそうなくらいに小さくなる。
だが、それに構わず俺は盗み聞きをやめた。
ロアーヌ公爵。その名前は知っている。
勇者に選ばれた当初は、平民だと馬鹿にしてきたくせに、魔王を倒して戻ってきたら、娘共々俺にまとわりつき、媚びへつらってきた男。
悪評だらけで、裏では違法なことに手を染めている、とも言われているが、なかなか証拠がつかめなくて困る、と聞いたのは王太子からだったか。
再度集中する。
今度は王都への連絡。その連絡先は、一緒に旅をした仲間、第二王子のヴィルムだ。
『どうしたの、フランツ?』
村に帰ってきて数日しか経っていないのに、懐かしく感じる。
事情を説明する。『へえ?』と小さくつぶやいた声が微妙に怖いが、頼もしくも感じる。
『分かった。父上に話すけどいいよね? フランツも一度こっち来てよ』
「了解。今からそっちに飛ぶ」
通話を切る。
起き上がって自室の扉を開ければ、そこにいたのは母さんだった。
いたのは気付いていた。たぶん、俺の話も聞こえていただろう。
「……フランツ」
唇を震わせながら、俺の名前を呼ぶしかできない母さんに、俺は笑いかけた。
「父さんと母さんだけは、変わらないままだから、すごく嬉しかった。ちょっと出かけてくるよ。おばさんとアデルを連れて戻ってくるから」
母さんの反応は見なかった。
俺は王都へと転移した。
転移した俺を迎えたのは、ヴィルム。そして、ヴィルムの兄、王太子のフリードだ。
「……なぜ、王太子殿下がいらっしゃるので?」
俺は王太子が苦手だ。こいつにだけは会いたくなかったし、もちろん手を借りたくもなかったのに。
それを知っているはずのヴィルムを見れば、顔の前で両手を合わせていた。
「ゴメン、フランツ。父上に話をしたはずなのに、気付けば兄上が主導権を握ってて」
噂を思い出す。
国王だって相当なやり手なのに、王太子はそれ以上だ、という噂だ。
「ロアーヌ公爵だろう? あの男を叩く絶好の機会を見逃すはずがないじゃないか」
王太子の笑みは、はっきりいって怖い。
こいつが違法なことに手を染めていると言われても、納得できる笑い方だ。
「具体的には、どうすればいいんだ?」
腐っても相手は公爵。無駄に権力を持っている相手だ。
王族や勇者であっても、真正面からぶつかれば、権力で潰されかねない。
「フランツは、公爵邸を真正面から乗り込め。死人はできれば出さないで欲しいが、怪我人はどれだけ出ても構わない」
だというのに、王太子から出た言葉は、俺の考えをぶち破ってきた。
思わず凝視する。
「目的の二人を救出したら、そのまま屋敷から脱出しろ。貴様が乗り込んだ混乱に乗じて、私たちも動く。悪いようにはしないから心配するな」
「……その言葉、信じますよ?」
王太子もヴィルムも真剣な顔をしていたから、俺も信じることにした。
ロアーヌ公爵邸に乗り込んだ俺は、暴れまくった。
公爵本人や娘がまとわりついてきたが、気にせずにぶっ飛ばした。
加減はしたから、死んではいないだろう。
そして、幽閉されていたおばさんとアデルを見つけた。
俺を見て、おばさんは目を見張った。
「……フランツお兄ちゃん!」
アデルは、俺にしがみついて、泣き出した。
その背中を撫でてやりながら、そのまま持ち上げる。
「おばさん、歩けますか? 村に帰りましょう」
おばさんもアデルも大分やつれているが、大きな問題はなさそうでホッとした。
屋敷から出れば王太子が外にいて、声をかけてきた。
「無事だったか。良かったな」
「ええ。俺たちは村に帰っていいんですよね?」
「ああ、後は心配ない。さっさと帰れ。ヴィルムは屋敷の中だからな。帰ったと伝えておこう」
ヴィルムのことを聞く前に言われた。伝えてくれるというなら、任せよう。
王太子の目の前で転移するのもどうかと思ったので、その場から離れたら服をクイッと引かれた。
「フランツお兄ちゃん、あのお兄ちゃん、だれ? 王子様みたいですごくカッコイイ……!」
アデルの目がキラキラ輝いていた。
みたいも何も王子様だ。確かに見た目は良い。
が、性格はものすごく悪いからあいつだけはやめておけ、と言うことを、どうやってアデルに言い聞かせるべきか、悩む羽目になった。
ちなみに、ロアーヌ公爵とその一家が逮捕されて、家が取り潰されたという話が村に伝わってきたのは、およそ一週間後の事だった。
おばさんとアデルを連れて転移で村に戻ったら、たくさんの村人たちが集まっていた。
中心にいたのは、俺の両親と、ターニャとおじさんだ。
「お姉ちゃん! お父さん!」
俺の腕の中にいたアデルが、降りて駆け出す。
「アデル……! 無事で……!」
ターニャが泣き出しそうな顔で、駆け寄るアデルを抱きしめた。
「フランツお兄ちゃんが、助けてくれたんだよ!」
満面の笑みのアデルの報告に、ターニャは複雑な顔をして俺を見た。
色々、何かを言いたそうにした。しかし、最終的に見せてくれたのは笑顔だ。
「助けてくれてありがとう。――フランツ」
「ああ」
勇者様じゃない、ちゃんと俺の名前を呼んでくれた。
そして、旅に出る前にあった、当たり前の日常が戻った。
ターニャと二人、地面に寝転ぶ。
どうやっておばさんとアデルのことを知ったのか。公爵のことを知ったのか。そう問い詰めてくるターニャに、俺は素直に答えた。
真っ赤になって、俺が付けたキスマークの辺りを手で押さえるターニャが可愛かった。
多分まだ痕は残っているだろうけれど、服で隠されてしまっているのが残念だ。
「――フランツ」
「ん? 何だ?」
ターニャが俺を見ている。笑顔になった。
「お帰りなさい、フランツ」
聞きたかった言葉だった。
「ただいま、ターニャ」
俺も、言いたかった言葉を伝えた。
「……ゲッ!」
ターニャを送って家まで来ると、玄関前に仁王立ちになっているおじさんの姿が見えた。
見覚えがありすぎる。
「フランツ君、こんな遅い時間までうちの娘を連れ出して、何をしていた?」
指をばきぼきと鳴らしながら凄んでくるところまで、覚えがありすぎて嫌だ。
「まだ夕方にもなってないじゃないですか。どこが遅いんですか?」
反論する。この時間で遅いと言われても困る。
ターニャは俺から離れていた。今までも思っていたが、たまには俺を庇っておじさんを止めに入ってくれてもいいんじゃないだろうか。
「うっせえ、くそガキ! 何度も言ってるだろう、貴様なんぞに娘はやらん!」
俺に殴りかかるときに言葉遣いが荒くなるのも、昔と同じだ。
だが、こっちは勇者だ。殴られるしかなかった昔と一緒にされては困る。
「お父さん、やめたら? 今じゃもう、殴っても負けるのはお父さんだと思うよ」
離れた所から、ターニャの声が聞こえた。
座って頬杖をついている。口は出しても、止める気ゼロなのが分かる。
おじさんがニヤリと笑った。
「知ってるか、ターニャ。勇者様というのは、弱きを助け強きを挫くってお方だ」
「……は?」
ターニャと呼びながら、視線は俺だ。そしていきなり勇者について語りだす。
何を意図しているのか分からない。
「つまりだ。俺みたいな弱っちい奴が何をしたところで、勇者様は何もせずに大人しくしていてくれるものなんだよ」
「……はあ!?」
なんだその無茶苦茶な論法は。
つまり、俺に大人しく殴られろと言いたいわけか? ふざけるな!
しかし、結局。
何てことないはずのその拳を避けることができずに、まともに食らったのだった。
ターニャが近づいてきて、俺を指先でツンツン突っつく。
「やっぱりこうなっちゃったかぁ。――フランツ、大丈夫?」
やっぱりって何だ。あまり心配されている感じがしない。それも昔と同じだ。
「ほっとけ、ターニャ。家に入れ」
「うん。――じゃあまた明日ね、フランツ」
おじさんの言葉に従って、あっさりターニャは帰って行く。
「俺に負けるようじゃ、いつまで経っても娘はやれないぞ!」
高笑いをしながら家に入っていくおじさんを見送り、俺は叫んだ。
「こんの、くそオヤジ!!」
俺を認めるような発言してただろうが、と言いたいが、盗み聞きしてたなんて知られたら、それをネタに何を言われるか分からない。
どうやってくそオヤジを負かして、ターニャを手に入れるか。
俺の戦いは、まだまだ続きそうだった。