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「あ、ありがとうございます」


 テーブル席のカップルが立ち上がったことに気がついて、店主の大地(がいあ)は、ぱっと顔をあげてレジへと移動し、会計の対応をした。(とびら)のベルを、カランカランと小気味(こきみ)良く鳴らして出ていくカップル客を、大地は丁寧(ていねい)に見送る。“open”の()け札を“closed”に裏返(うらがえ)し、入口前に置いてあった、メニューが書いてあるイーゼルを店内へと運びこんだ。


「ああ、そっか。ごめん。もう閉店(へいてん)だよな」


 カウンター席から立ち上がろうとする晴翔(はると)手振(てぶ)りで制止し、大地は言った。


「いやいや! 閉店したんだから俺も飲むぞ! 付き合ってくれよ。晴翔と会うのも、(ひさ)しぶりなんだから」


「それは願ったりだけど、いいのかな」


「もちろん! ちょっとだけ、待っててな。」


 大地はそう言ってテーブル席を手早く片付(かたづ)け、カウンター(うら)にあるシンクで、お皿もささっと(あら)ってしまう。


 大地が動いて空気が揺らぐたびに、ふわりと鉢植(はちう)えの金木犀(きんもくせい)(かお)りが(ただよ)った。自然とそちらの方に目をやりながら、晴翔が言った。


「そういえばあの(ころ)(から)のプリンカップに水張って、その中にこの花散らして、乾杯(かんぱい)してたよね」


「ふふふ、あるぞ、それ」


 あの頃と同じ得意げな笑みを()かべた大地は、酒瓶(さかびん)(なら)んだ(たな)から、ある一本を取り出した。


桂花陳酒(けいかちんしゅ)っていう中国のお酒なんだけどな、白ワインに金木犀を()(けこ)んだものなんだ」


「へぇぇ!」


「空のプリンカップに入れたいところだけど、生憎(あいにく)、用意がないな」


 大地はグラスを二つ並べると、桂花陳酒を(そそ)ぎ入れる。そして、どこからか椅子(いす)を持ってくると、カウンターを(はさ)んで、晴翔と向かい合わせに(すわ)った。



 ****



 もちろんハルトは、親が仕事で(おそ)い日は必ず秘密基地(ひみつきち)に行った。つまり、ほとんど毎日だ。ガイアとレイはいつだってそこにいた。雨の日も変わらずにいた。秘密基地のある囲いの中は、まわりの木々がうまく風雨をしのいでいるのだろうか、雨がまったく当たらなかった。もう寒くて半袖(はんそで)ではいられなくなってきた夕方でも、ここは(あたた)かかったので、公園のどこよりも快適に過ごせた。


 ある日ハルトは、お菓子やデザートを、コンビニ(ぶくろ)いっぱいに()めて持っていった。ごはんを食べたあと、それを得意顔でレジャーシートの上にばらまいた。


「すげぇ! これどうしたんだよ!」

「最近、コンビニでお弁当買ってなかったからさ。夜ご飯用のお金で買ってきた」


 何日か秘密基地で食べて帰っている間、ハルトはテーブルのお金のことをすっかり(わす)れていた。お母さんは、お金が使われていないのを不思議に思って「ちゃんと夕飯食べてる? なにを食べてるの?」と、聞いて来たのだ。

 ハルトはとっさに、たまっていたお釣りで足りていたんだと、誤魔化(ごまか)した。


 実際、今までの買い物のお釣りは全部、ハルトの貯金箱の中に入っていたし、お母さんもそれを知っている。この時は納得(なっとく)してくれたけれど、これからもお金が減らないのは、確かに不自然なことに気がついた。

 だからこれからは、食後のお菓子に使ったり、使ったふりをして貯めることに決めたのだ。


「すごいなぁ。いいなぁ! 子どもにお金くれて、好きになんでも買わせてくれるなんて、めっちゃ金持ちだな!」


 ガイアが(うらや)ましそうに言った。羨ましがられてもちっとも(うれ)しくなくて、ハルトは眉根(まゆね)を寄せて(かた)をすくめる。

 テーブルの上の千円札は、お母さんにとっては、子どもを(つな)ぎとめているモノのつもりかもしれないけれど、ハルトには絶縁状(ぜつえんじょう)にしか見えない。


「そうじゃないよ。ぼくに興味がないだけ。お金だけ(わた)しとけば、ごはん作るために早く帰って来たりしなくても、コンビニが用意してくれるもんね……」


 友達との楽しい時間に(おお)(かく)されていた(さび)しさを、(かれ)は思わず、ポロリともらした。


「そういえば、ガイアとレイのおうちの人も、帰りが遅いの? 真っ暗になっても外にいて、(おこ)られない?」


「オレんとこも、子どもに興味ねぇんだよ。オレが毎日、夜ごはん食べてるかどうかも知らないと思うぜ?」


(ぼく)は……そうだね。同じ感じ」


 ガイアとレイが答え、三人はにやりとして顔を見合わせた。

 (さび)しい心うちを打ち明けて、でも目の前に、それぞれ(ちが)うながらも同じように寂しさを感じている仲間がいるのが、(うれ)しかったのだ。だから、お菓子をつまみながらもう少しだけ、(かれ)らはこの話を続けた。


「秘密基地でママゴトが本物になるようになってから、お腹すいたの我慢(がまん)しなくて良くなったんだ! 夜ご飯は父さんがたまに、“端数(ハスウ)”っていうお菓子やスルメを持って帰ってくれるくらい。給食いっぱいおかわりしても、足りなかったもん。」

 ガイアが言うと、ハルトはびっくりして「えぇ!」と(さけ)んだ。


「興味ないって、そんなレベル? うちはお金置いてあるだけマシなのかなぁ」


「マシ、マシ! 絶対マシ! オレなんかいなくていいんだろうな。父さんにとっては」


「ああ、でもそれは一緒。ぼくなんかいないほうが、お母さんも好きに仕事できるんだろうなぁって、思うよ。けど、セケンテイがあるから、ぼくがコンビニ弁当食べてるのは秘密だし、たくさん勉強して立派(りっぱ)な人にならないといけないんだってさ」


「ええー! 勉強させられるのは(いや)だなぁ。そのへんはオレのほうがマシだな! 勉強しろなんて言われねぇもん」


 こうやってお菓子片手(かたて)に、クラスの友達には話さないような、ちょっと秘密の話をしているのは、これまた秘密基地らしくて楽しかった。レイは、ガイアとハルトのようには(しゃべ)らなかったけれど、ずっとにこにことして、二人の話を聞いていた。

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