9話:伊賀の結婚と新婚旅行
しばらくして、十分楽しんだと言い、ケーブルカーで下山して、お前も疲れたろうと言い、近くの喫茶店にはいりケーキセットを注文して、ご馳走してくれた。その後、車で高尾から帰宅すると渋滞に巻き込まれこれだから東京は嫌いなんだ。なんで、東京にばかり人が集まるのかと怒った。そして、人間は、何円経っても能なしばかりだと興奮するので伊賀が、体に悪いから落ち着いて下さいと告げた。
その後15分位すると静かになりバックミラーを除くと、眠りについていた。まるで、単なる、だだっ子と同じだなと思い、なんだから先生は、子供のように思え可愛らしかった。1時間ほどで目黒の先生の自宅に到着し、先生、つきましたよと言うと、ご苦労と言い車を降り家に入った。吉野さんが、先生にお風呂にしますか、お食事にしますかと聞くと風呂に入ると答えた。
そして風呂場に向かい15分で出てきて、お茶と味噌汁と焼き魚の夕食となった。それが終わると、これから俺の自由時間だからと言って、部屋を後にした。その後、伊賀が、食事して、風呂に入って、テレビをみて、今日、先生から聞いた話を以前の話と結びつけるように文章化する仕事をして22時は、床についた。翌朝5時半、起床で6時には、散歩の準備をする。
その後、6時過ぎ先生の一番好きな散歩にお供するが、先生が、百歳近いとは信じられない程の健脚で、早足で30分弱、決められたコースを散歩。汗びっしょりになり朝風呂に入り珈琲を飲むのが最高の時だと語った。その後、朝のニュースを見て調子の良い時は9時から昼まで先生が自分の日記をゆっくり読みながら解説してくれた。やがて1991年となった。
しかし、冬の寒い日は、うつになって、今日は、やめと言って、部屋に入って静かにして、おなかがすくと昼食もってこいとか、おせんべい、クッキー、ケーキと珈琲とか、いろいろと注文してくる。また、外に出たくないときは、雑誌、本、新聞も伊賀に、買ってこいと言いつける。まれに、体調が悪いとかかりつけの医者を呼んで、診察してもらったり注射、薬をもらったりした。
こういう生活が3年近く続き1991年12月、一通り先生の日記全てを終えてB4のノート10冊に文章を書き終えた。そして、先生に監修していただけますかと聞くと、もう良い、勝手にしてくれと言った。もし、本が出る頃には、たぶん俺は、死んでるから、どうでも良いと言うのである。それに、真剣に、反論しても意味がない事は十分に理解した伊賀は、優しく、了解しましたと答えた。
ただし、倉木先生が、伊賀に、俺の日記は、絶対に、他人に見せるな、売るな、これだけは絶対に守れ、さもないと、死んでも、お前の枕元に幽霊として出て、きっと復習するからなと、恐ろしいことを言った。もちろん、守秘義務は守るから安心して下さいと答えていた。ところが、先生の危ない過去と、思われる日記の文章が、伊賀の頭から離れなく、最近、時々、悪い夢を見るようになった。
しかし、先生は、相変わらず、早朝の散歩を欠かすことはなかった。そして12月とへ、12月中旬、散歩から帰り、お茶をしてる時に、先生が、年末年始、新婚さんだから帰ってやれと言い12月24日から1992年1月3日間、休みをやろうと言った。この言葉を聞いて本当に心の優しいのだろうと、涙を見せると、お前は、弱い奴だなと笑った。
1991年12月24日、散歩から帰ってくるとメリークリスマスと言うと帰ってよいと言った。言われた通り正月休み後1992年1月4日、戻ると、こんなに早くなくても良いのにと言った。しかし、先生が、せき込んでるのが気になった。
「翌日も加減が悪そうなので散歩を中止にしたらいかがでしょうと提言」
「うるさい、大丈夫、僕の一番好きなティータイムを奪うなと先生が言った」
「やがて1992年2月26日の朝は、特に寒く、みぞれが降り始めた」