2話:伊賀と妙子の出会いと大学受験
伊賀俊二は、山梨県藤野町で、1967年8月に生まれた。伊賀家は、本家と分家4軒あり武田氏の流れをくむ由緒ある家だと聞かされ育った。しかし集落の周りは、全て山に囲まれ、藤野駅まで徒歩10で分。藤野から、八王子まで電車で20分。
自宅から自転車で15分足らずで相模湖へ行ける風光明媚な場所にあった。その川を東京方面に3キロ行くと相模湖となり5キロ東に向かえば、神奈川の津久井湖に出る自然に恵まれてた所で生まれた。しかし俊二の両親は、藤野からバスで40分かかる田舎で育った。
俊二が、都会が良いと言うと、俊二の祖父母が、藤野の駅から徒歩10分の古家を10年前に購入。祖父の退職金から金を出してもらった。退職後、俺が食わしてやると俊二の父、伊賀久雄が、祖父母を説得した。
伊賀久雄は、体が丈夫で、誠実な性格で地元の高校卒業後、家の近くの消防署に就職。母は、農家の出で、中学卒業後、藤野駅近くの食堂に、ずーっと勤めていて、売れ残りの食品を持ってきては、冷蔵庫、冷凍庫に保存し、食費が助かっていた。
祖父母は、週に一度、八王子へ行き映画を見たり喫茶店に入り人生を謳歌していた。伊賀俊二は、中学になると、近くに住む飛騨妙子と親しくなり、よく遊んだ。ある日、伊賀と飛騨さんと友人の山下と正木さんの4人で相模湖に出かけた。
そして、伊賀と妙子、山下歩美がペアになり相模湖でボートに乗り競争しようと言うことになった。ボート競争が始まると、山下が、歯を、かみしめ、しかめっ面で、オールを力いっぱい漕いだ。
「一方、妙子の方は、数を数えながら、繰り返しリズムを取った」
「伊賀は、腕と共に足の曲げ伸ばしを同じテンポで、リズミカルに漕ぐ」
「最初、山下が,リードしたが5分足らずで速度が落ちて伊賀に追いつかれそうになった」。
「すると顔をゆがめて腕に力を入れるがスピードが、一向に上がらない」
「次第にリズム感のある伊賀と飛騨のボートに追いつかれ、ゴール寸前で追い抜かれた」
「ボートから下りてコーラ、ジュースを飲みながら、山下が、また負けたと肩を落とした」
「ペアを組んだ正木さんが、山下君は、先行逃げ切れないが型だねと大笑い」
「これを聞いた伊賀が、スポーツも勉強もリズムとセンスだと言い切る」
こんな楽しい中学生活が終わる頃、山下君が東京の蒲田へ、正木さんは、大阪の難波へ父の転勤で引っ越し。伊賀俊二と飛騨妙子は、中学三年の春休みから八王子の高校を目指して、地元の進学塾で受験勉強。もともと2にんは、成績は良く、記憶力・計算力に優れていた。同じ八王子西高校へ進学。その後も、デートをして映画を見て、お互いの家を行き来し親交を深めた。
その中に幼なじみの飛騨妙子がいた。彼女が正義感が強く、曲がったことは大嫌い。俊二が、隠し事をしても、すぐに見抜かれた。伊賀俊二は、記憶力よさ、計算の速さで中学でも上位の成績で、八王子西高校に合格。飛騨妙子は、正義感が強く弁護士にあこがれていて法学部へ、
伊賀は、小説をよく読み、文学の道を希望。その後、飛騨妙子は、中央大学法学部、伊賀俊二は、文学部に合格して、また4年間、通った。幼なじみの飛騨妙子も同じ高校に合格し通い始めた。その後、伊賀俊二は、中央大学文学部に、飛騨妙子は、中央大学法学部に合格。
大学を出てから、伊賀は、東京の出版社へ、飛騨は、八王子の弁護士事務所に見習いとして就職した。伊賀は、新入社員として先輩と小説家の先生の所へ行き、期日までに原稿をもらってくる仕事を始めた。俊二は、物心ついた頃から祖父の部屋に入り本を読むのが好き。
祖父が短波放送で株価を聞き、喜んだり、怒ったりしてる姿が面白かった。たまに株で儲かると奥さんと孫の俊二と妙子を八王子のレストランに連れて行って美味しい洋食を食べさせてくれた。そのため俊二も株取引に興味を持った。妹は、祖父がラジオから流れてくる洋楽の素敵なメロディーに魅了された。
映画音楽、ビートルズ、洋楽のロックなどを中心に洋楽を聞き英語に興味を持ちを勉強した。俊二は、計算が早く、理系大好き。俊二が中学に入ると、数学と理科、国語、英語も、トップクラスで中学を卒業。すると飛騨妙子さんも同じ八王子西高校に合格。
彼女も海外の小説を読むのが大好き、伊賀は、日本文学、川端康成、芥川龍之介を愛した。そんなこともあって、八王子西高校では、文学部に入部。小説を書いたり批評したりして夕方遅くまで議論を継続。その後、高校2年の夏休み、2人は相模湖でデートし、妙子さんが一緒に中央大学を受験しようと誘った。