12話:早乙女課長とのやりとりと財産分与
「その言葉を聞き、ありがとうとございます言い、伊賀は、大粒の涙を流した」
「しかし、私自身、倉木先生との出会いと過ごした時間で先生の素晴らしさが身にしみました」
「短い間でしたが、僕には、とても勉強になり、感謝してます、本当にありがとう」
「倉木先生を失ったショックから立ち直るのに少し時間がかかると思いますと答えた」
来月の第3日曜はと、伊賀が聞くと1992年4月19日ですねと確認した。そして茶箪笥の引き出しから持ってきた袋には残金2千万円と書かれた通帳があった。その後、倉木先生の遺書のコピーを吉野さんに見せた。
それには、遺言で預金は、お手伝いさんと2人で分けてと書いてあったので預金の半分の1千万円を送金しますと伝えた。伊賀が、送金手続きをしてあげると言うと吉野さんが通帳の情報を連絡しますと言い了解しましたと答えた。
遺言には、もし、私の本を伊賀君が書き上げて出版された時、版権を書き終えてくれた伊賀俊二に譲ると書いてあり飯島編集長が驚いた。もし倉木先生の「軍医時代の経験」「帝銀事件」「下山事件」3冊の本が売れたら印税を彼に渡してと書いてあったのだ。
印税の半分が出版社で倉木先生の取り分が半分の契約になっていると教えてくれた。確かに、お前の今までの苦労もよくわかると言った。伊賀の送金先の銀行口座を書いておけと言うので紙に書いて飯島編集長に渡した。
伊賀が、倉木先生を失ったショックから立ち直るのに時間がかかるので休ませて欲しいと懇願。すると、編集長が、わかった6月末まで特別休暇を許可すると回答。その後、倉木先生の本の出版に向け原稿をまとめてくれと告げた。それを聞き、伊賀は、編集長に頭を下げた。
仲間たちが、拍手してくれるのを怪訝そうに見ている早乙女課長に、飯島編集長が、お前も祝えと言った。その後、家に帰り、奥さんに、この話を細かく説明した。すると奥さんが、良かったねと言いキスをしてくれた。
やがて、先生の四十九日になるので伊賀夫妻と吉野さんが倉木先生のお墓まいりへ。その後、学生時代の友人の朝永安男に電話し倉木先生の家の処分方法を相談したいと話した。そして法律に詳しい人を紹介してもらい相談に乗って欲しいとお願いすると快諾してくれた。
すると後日、知り合いの不動産鑑定士の資格を持ったに滝沢君と一緒に行くと言ってくれた。翌日、倉木先生の預金のある銀行へ行き、銀行の支店長に状況を説明。すると内容話わかりましたと言い書類を持ってきて、ここにハンコを押してくださいと言った。
それが終わると送金しますと言い30分後には、送金の確認が取れた。翌日、吉野さんに今日、1千万円送金しますと言うと、後で確認しに行きますと答えた。処理を終え、自宅に戻ると吉野さんから、お礼の電話が入った。
1990年4月18日、日曜、不動産屋で働くの学生時代の朝永安男と彼の友人の不動産鑑定士と八王子駅近くの喫茶店で待ち合わせた。到着5分後、友人とその仲間が来てくれた。そして倉木先生の目黒の家の図面と権利書など一式を見せた。
すると、友人が、目黒周辺は、地価が高いので有名だと言った。書類を見て土地が82坪で平屋で延べ床25坪。でも、友人が、目黒に、住むのだろと言った。まだ決めてないと言うと移り住んだ方が良いと勧めた。
二度と手に入らないような目黒川に近い大きな土地を手放す手はないと強調。この話をじっくり聞いた伊賀も、そう言われれば、そうかもしれないと再考し始めた。とにかく、奥さんと相談してみると述べた。それにしても随分と贅沢な作りだと言った。
しかし木造で築26年で、まだ十分使えるし、良い家だと言った。壊すには、惜しい物件だと告げると伊賀が、奥さんに電話した。そんなに良い家なら八王子から引っ越して住みましょうと言うので住むことに決めた。
その後、問題の解決のめどがつくとわかると、急に腹が減ってランチを3人前、頼んだ。今日、君たちの意見の聴いて、本当に助かったよとお礼を言い謝礼を渡した。また、わからない時には、教えてくださいと言い必要な費用は支払うと言った。