隊長の骸をあとに、一行は礼拝堂から去る。
いや。ルートヴィヒは考えを切り替える。
しかしなにも今回ミゲールの奴を、自らのもとへ召す必然性は神の側にはないだろう。今回、べつに神としてはこの俺を殺しても良かったはず。
だって、そうだろう? 生かしておく値打ちすらない奴だろうしね。ろくでもない復讐を目論み、無限に罪を犯すことも辞さない俺にしたって。神からしてみれば、充分に。
だったら神がミゲールを誅したかったら、なにも今回じゃなくても良かったのではないのか?
まずはここで俺を殺しておいて、そのあとにどこかべつの機会で奴を始末すれば済むことだったんじゃないのか?
にもかかわらず、そうならなかった。じゃあ、なんで神は俺を生かした? 理由は必ずあるはずだ。もし神が今回この俺に助力し、あえて勝負に勝たせたというのなら。
ここまで頭を巡らせて、ルートヴィヒは急に冷笑する。
ふふ。ふふふ。わかった。神が今回、この俺を生かした理由が。
気づいて唇を歪ませる。
脳裏に見えるようだ。地の深淵から伸びてきた、神の光り輝く手が。この俺の足首をつかむ光景が。師に付き従うことに応じたついさきほどに見た、あの光景が。
神への憎悪が湧き、それをこらえるためにルートヴィヒは唇をきゅっと引き結ぶ。
もし神が今回この俺を救ったのだとしても、それはきっと悪意からだろう。善なる存在であるはずの神は、この俺には悪意を持っているようだしね。
事実、俺はずっと苦しんで生きてきた。
これまで神に救いを求めても、けっして得られやしなかった。神からの救いの手は。
それと同じように、神は今後も俺を苦しめ続けるつもりなのだろう。救いの手を差し伸べもしないで。これからも俺の苦しむさまを見て愉悦に浸り、笑い転げるつもりなんだろう。
おまえは苦しめ続けてやる。
そんな神の声が聞こえてきた。ルートヴィヒの脳裏に響くように。俺の足首を神が握った幻を見たときに聞いたように。ルートヴィヒは、くく、と薄く嗤った。
なら、分かるよ。今回もし神が俺に助力をしたというのなら、そうしたのも。
俺をこれまで散々に苦しめ続けてきた、神らしい意図だよ。まったく。
自身のこの思いつきで、ルートヴィヒは苦々しい思いに駆られる。ため息をもらしてその苦々しさを吐き出すと、気を取り直してさらに内面の思いに浸る。
けれど、今回の勝負で神の助力があったかどうかを考えるなんてね。
そんな考えを抱くのも、当の勝負の相手だった隊長が神に傾倒していたからかもしれないな。
あるいは、俺が神を強く意識しているせいか? まあ、いるかいないかわからない神の思惑なんて、考えたって埒もないんだけどね。口元を綻ばせる。
当然、感謝などしないよ。神になんて。今回、もし神からの助力があったのだとしてもね。べつに今回、俺は特別に慈悲をかけられて神に救われたってわけじゃなさそうだから。
でもいつか。そう内面でつぶやいたとき、ルートヴィヒの双瞳の奥に見える。黒く燃える瞋恚の焔が、ちらちらと。その焔をやんわりと熾火のように燃やしながら、ルートヴィヒは内心で誓う。
いつか、後悔させてやる。神に。ここで俺ではなく、あの隊長を始末したことを。
唇を、ぎりっと噛む。それ以上は、まくしたてない。いまは神への憎悪を。
とりあえず、神への憎しみを吐露したことで多少なりともルートヴィヒは気が済んでいた。その裡で燃えていた神への瞋恚の焔の勢いが、比較的緩やかだったこともあって。
おかげで彼の裡から、その炎は打ち消される。すくなくとも、当面のところは。
だが思索はやめない。彼はさらに思いを馳せる。隊長という語を出したついでに。今度はミゲールの心情が気になって。その骸に目をやり、ルートヴィヒは美しい唇を歪曲させる。
あの男、結局は今回なんらの加護も神から与えられなかった。神に熱心に祈っていたにもかかわらず。最後には崇めていた神にすら見捨てられて、死ぬ破目にまで陥ってしまった。
そうなって、どんな気分がしただろう? 自分を見捨てた神の御許に行って、いまごろあの男はどうしているだろう? 安らかに神の懐に抱かれて休んでいるのだろうか? それとも、神に見捨てられた怨み言を云っているだろうか?
「神よ、か。神を信じる者らしい、最後のつぶやきだったね」
ルートヴィヒは微笑する。
最後には自らを見捨てるような神を信じるとは。あの隊長も哀れな男だったな。
でもその死に接したおかげで、あらためてよくわかったよ。
信じていた者をかくもたやすく裏切る神は、やはり無慈悲だ。信じられないってね。
ルートヴィヒは祭壇を見つめる。
その祭壇は古びていながらも、神々しく見えはする。しかし所詮それだけ。その祭壇から、なんの感銘も受けはしない。神を見下げる俺にとっては。
「でも、これで終わったんだな。俺の今回の企ては本当に」
悄然とルートヴィヒはつぶやく。
これで今回の俺の企ては、すべて水泡に帰してしまったわけだ。
師たちに邪魔をされたせいで。あげくの果てには、俺は強要までされてしまった。自分の手で、自らの望みを打ち砕くことを。
あの傭兵隊長を殺すよう無理やり仕向けられたことで。
ルートヴィヒは長い黒髪を雅やかな仕草で掻きあげる。
もし傭兵隊長とまた手を組んでいれば、あるいは巻き返して望みを叶える可能性もまったくないわけではなかったのに。あの傭兵隊長は今回、俺が望みを叶えようとするなら最後の頼みの綱になる奴かもしれなかったというのに。
なのに俺は殺してしまった。その傭兵隊長を。俺は打ち砕いてしまったわけだ。たったいま自らの望みを。俺自身の手で。そして俺は出られなくなってしまった。師の手のうちからは。これでいまのところは完全に。
ルートヴィヒは天井を見上げる。
俺はなんて非力なんだろう。死刑執行人のもとから抜け出すことひとつできないなんて。
ルートヴィヒは無念そうな表情をする。
自分の非力さがうらめしい。自分の非力さを本当に呪わずにはいられない。
そのうえ、またも打ちのめされてしまった。今回の勝負の結果で。俺は充分に。
師やほかの弟子連中にこの礼拝堂に入るまえに屈服し、さっき打ちのめされたばかりだというのに。
たったいま、つくってしまったことで。ミゲールという隊長を殺し、自らの望みをこの手で打ち砕くという結果を。
いま俺は、敗北感を手ひどく味わっている。事実、遮二無二、敗北感が襲い掛かってくる。自虐的にルートヴィヒは冷笑する。
より俺を罰したいという師としては、さぞや愉快なことだろう。望み通りに、より俺を罰することができたのだから。ミゲールというあの隊長と俺を戦わせることで。それによって俺が、またしてもこうして打ちのめされてしまったことで。
師はさきほど云っていたが。ルートヴィヒは思い出す。ミゲールにもし勝っても、そのときおまえはきっと打ちのめされる、と。
その云ったとおりになってしまった。嗤える。失笑しながらも、陰鬱にルートヴィヒの気は落ち込む。いっそすすり泣きたいくらいに。結局は、師の思惑どおりに事は進んでしまった。
俺自身も、さっき思ってはいたが。ミゲールを殺して自分の望みが完全に絶たれてしまったら、そのときにはきっとそんな結末を迎えるしかなかった自分の非力さを呪うだろうって。
ルートヴィヒは顔をしかめる。
まったく情けないよ。本当にそうなるとはさ。ルートヴィヒは肩を落とす。自分の非力さが憎くてならない。
ルートヴィヒの黒い瞳に憂愁の光がたゆたう。
が、すすり泣いたりすれば嘲笑されるだけだ。俺は恥辱を受ける気なんてない。ルートヴィヒはかろうじて嗚咽をこらえた。
「どうやら裏切りの罰は与えられたようだな。しっかりと」
師はルートヴィヒの様子を見て、満足気にうなずいた。
「俺に刃向かうと、こうして罰を与えられるんだ。しかもこれから帰れば、おまえにはさらなる過酷な罰も与えられることになる。この俺から」
低く師は嗤う。
「どうだ? さぞや辛いだろうな? 罰を与えられる身とあっては」
ルートヴィヒは思う。
それは辛いさ。そちらからの罰で、こうも打ちのめされては。そのうえまだ罰は終わっておらず、帰ってからも待ち受けているとなると気持ちは暗くなるばかりだ。
「俺への恐怖も湧いてこよう? 俺から辛い目にあわされるとなれば」
問いかける師の顔を、ルートヴィヒは見やる。
いまさら裏切るべきじゃなかったとは思わない。刃向かったことに後悔はない。失敗すれば、罰を受けることを承知のうえで、それでもなお刃向かわずにいられずに裏切ったんだ。事が失敗に帰したいま、罰を受けるのも致し方のないことだとは思う。
でも次々と辛い目にあわされるとなれば、師に対して多少なりとも感じずにはいられない。もともと恐ろしいと思う相手だが、いまはより一層の怖さを。いまも辛いのに、これからさらにどんな目にあわされるのだろうと思うと。
そのうえ、今回は師の力の凄さもあらためて思い知らされたような気もする。剣の腕前が飛びぬけているだけじゃない。
今回、師は自分が果たそうとした目的をみな成し遂げた。あの傭兵隊や、町の人間を皆殺しにすることも。俺を鍛えることも。俺を罰することにしても。
なんであれ自分の目的を思い通りに事もなげに成し遂げるのをこうも見せつけられては正直、ぞっとする。これまでの付き合いから知ってはいても、その実力がやはり高いように思えて。
今回まざまざとみせつけられた思いだ。俺と師には力の差があることはわかっていたが、それを。自らの目的を俺は遂げられなかったというのに、それとは対照的に師は達したことで。
俺はやはりまだ師には及ばない。そのことはわかっていたし、だからこそこれまでも恐れていたのだが、いまあらためてその思いがせりあがってくる。心の奥底から。現在の力の差を思い知らされて。
その内面の感情を、ルートヴィヒは隠し切れなかった。
怯えていると認めるのはみっともないので、口に出しては答えない。だがその目が細まり黒い瞳がひび割れてしまい、内面の怯えは無言のうちに師に伝ってしまった。
「どうやら、俺に恐怖しているようだな。おまえの目つきが語っているぞ」
師は静かに嗤う。
これでこいつから、俺に刃向かう気すらもなくなればしめたものなのだが。こいつが恐怖を募らせ、俺に逆らったところで無駄と考えて。
そうなれば、俺はこいつを完全に支配できるのだが。果たして、そうなるかな?
家に戻ればこいつに一層の罰を与えてやるつもりだが、それを受けてそうなってくれればいいのだが。
師は甘い期待を抱く。
「せいぜい俺からの罰をすべて受け止めてさらに辛い思いをし、もっと恐怖するがいい。この俺に」
師がそうつぶやくと、弟子たちから嘲笑の声も低くあがる。だがその声も長くは続かない。今度は弟子たち全員を見回して、師はこう告げた。
「もういいか? おまえたち。充分に休めただろう。そろそろ行くぞ。いつまでも、ここにいても仕方ない。用もない場所にずっといても、いらつくだけだしな。みな来い」
師は踵を返して礼拝堂の扉の方へ向かっていく。ほかの弟子二人も、師の命令には従わざるを得ない。師に逆らって、その逆鱗に触れたくなかった。その思いからまだ躰は重いが、各々立ち上がって師のあとに続いていく。
わかりました、とルートヴィヒも返答した。傍らの床に落ちていた自らの黒い覆面を手に取り、立ち上がる。
すべてが終わった以上、もうここにいる理由もない。いまは大人しく師の指示に従うしかない。
ふたたび覆面をつけると、ルートヴィヒもそちらへと向かった。傭兵隊長の骸をあとにして。
こうしてウルグス町での長い夜は終わりを告げた。
あともうちょっと、話は続きます。




