まるで最愛の女の胸のなかで死ぬようなもの
「いいだろう」
ルートヴィヒは抵抗しなかった。死にゆく者の最後の願いだ。それもその程度の願いなら、お安い御用だ。聞き届けてやる。
師も文句は云わないだろう。身に危険が及ぶ恐れがあるなら、師も許さないだろうが。素顔をさらし、自分たちの正体がばれることで。
しかしそもそもが、こいつは知っているのだ。覆面をしている連中が、死刑執行人だということを。すでにこちらの素性を知っている相手になら、いまさら隠す理由もないだろう。こちらの素顔を。
それに、いまの状況ではけっしてあるまい。素性を知られてしまうことで、こちらの身に危険が差し迫るという懸念などは。傭兵たちも町の住人も全滅した。この町で全員死んだ。誰も町の外へこちらの素性を漏らしに行った輩もいないはず。
もし新たにこちらが知らぬ間に旅人なりが町のなかへ入ってきていたとしても、なにも問題はない。
この部屋は、いま密閉されている。部屋に窓はあるが、そのすべてに鎧戸がおりている。出入口の扉も閉まっている。おかげで、外からこの部屋の様子をうかがい知ることなどはできない。いまこの場で素顔をさらしたところで、外から見られることはない。
おまけに礼拝堂の壁のつくりも厚そうで、ろくに音を通さしそうにない。よほど大きな音でも立てない限りは。多少話をしたくらいでは、その内容は外部に漏れ聞こえることもないはず。
ただ扉の左右の壁には隙間がある。なのでその隙間からは、外に音が漏れはする。そこから中を覗き見ることもできるだろう。
だからさきほどまで自分たちがいた通路に人がいれば、窺い知ることはできてしまう。この礼拝堂の内側の様子を。
しかしいまのところ、その通路には誰もいないと思える。
いや、それどころか間違いなく、俺たちだけしかいないだろう。いまや、この教会にいる人間は。俺たち以外に、この教会に人がいる気配などまるでしないことから。
つまり、いまの状況では起こりようもないというわけだ。ここで俺が素顔をさらそうとも。この隊長とどんな話を交わそうとも。そうすることによる弊害は、なに一つとして。
こんな状況下にあるなら、好きにするがいい。ルートヴィヒは冷ややかにミゲールを見つめる。おまえが俺の顔を、どうしても見たいというのなら。
ミゲールの腕が下へ向かうにつれ、ルートヴィヒの覆面もずれていく。
「あいつ、ルートヴィヒの覆面を剥ぎ取る気みたいですね」
ゴーマはそうつぶやいた。だが結局はすぐにルートヴィヒと同じ結論に達し、ゴーマはこう付けくわえた。
「まあ素顔を隠す必要性があって、俺たち全員は覆面をしているわけですが。いまは問題ないですかね。素顔をさらしても」
「そうだな。かまわん。やらせてやれ」
師も許した。
いまの状況では、その素顔をルートヴィヒがさらすことを止める必要がない。それに、ミゲールの奴も最後だ。せっかくだから、むしろとっくりと拝んで逝くがいい。ルートヴィヒの素顔を。
そう考えながら、師は状況を見守った。
やがて黒い覆面は剥ぎ取られ、ルートヴィヒの素顔があらわれる。ミゲールの手から、黒い覆面がひらひらと落ちる。
おお。ミゲールは双瞳をおおきくし、瞠目した。
驚かずにいられない。彼の目のまえにある顔。艶やかで長い黒髪。その髪と同じ色の大きく美しい黒い瞳。高雅で凛然とした美貌。
どう見たって、そっくりだ。こいつの顔は、かつて俺が愛した女と。この礼拝堂に石碑も建てられ、慰霊もされている女。かのアルプレヒト公爵令嬢と。
このときには、すでにミゲールからは失せていた。ルートヴィヒの容姿を嘲る気などは。
覆面を剥ぎ取ったあと、ルートヴィヒの両肩にかけていたミゲールの両の手はわなないた。
すこしでも醜くこの目に映れば、嘲笑ってやったのに。しかしこれほどの美貌を持つ男を、容姿で見下せるはずもない。
その代わりに疑問が湧いてくる。なぜ、こいつは彼女そっくりの顔なんだ?
やにわに、その解答が頭に思い浮かぶ。
血縁なのか? さもなければ、こんなに似るはずがない。あまりに似すぎているために、そう思わざるを得ない。
ミゲールは、しげしげとみつめる。ルートヴィヒの顔を。
もちろん、彼女とこいつの顔には若干の違いはある。男と女の差が両者の顔の造形に、多少ながらも異なりをつけてはいる。しかしそれでも、こいつの顔は公爵令嬢そのものだ。まさしく生き写しと云っていい。
かつて激しく愛しただけにかの令嬢の顔は、いまなお脳裏に焼きついていて憶えている。
記憶違いということもない。視界は急速に暗くなりつつあるものの、まだものは見えている。自分の見間違いということもない。
「どう、して」
ミゲールは喘ぎながら、自分なりの答えを出す。
やはりこれだけ似ているということは、なにかしらの血縁があるのだろう。かの公爵令嬢と。
あるいは、彼女の息子なのかもしれない。目のまえの、この彼女似の若僧は。
かの公爵令嬢が子を産んだとは聞いてはいないが、そうとしか思えない。
ということは。死にかけのミゲールの脳裏に、ある閃きが走った。
ひょっとして俺が敗れたのも、彼女の霊が息子を守ろうとしたのかもしれない。
この若僧との勝負は、俺の方が有利だったはず。
このままでは息子が殺されかねないと知り、それで彼女の霊が手助けに入ったのかも。この若僧が殺されないように。
考えてみれば、俺が敗れることになったのも突如として折れたからだ。俺の剣が。
安手の剣だから折れたと思っていたが、案外そうではないのかもしれない。そうなったのも、もしかすると彼女の霊による息子への加護があったからかもしれない。
ここの礼拝堂には彼女の墓はないが、その慰霊はされている場所だ。彼女を祀る石碑もある。彼女ゆかりの地だ。もし霊というものがあるのなら、ここへ来たとしてもおかしくはない。彼女の霊が。
まして俺が使っていた剣。そいつは彼女に捧げられた剣だ。いわば彼女の剣なんだ。
それだけに、その自らの剣で息子が傷つくことを彼女は厭うたのかもしれない。だから彼女の霊が助力に入り、俺の剣を折ったのかも。自らの剣で息子が殺されないようにするために。
「そういうことか?」
ぜいぜいと喘ぎながらつぶやいたものの、ミゲールは唐突に自身の考えを一笑に伏す。
なにを馬鹿なことを。霊の助力だなんて。死に瀕して、少々くだらぬ考えに憑りつかれてしまったようだ。
いや、死に瀕しているからこそ、そんなくだらない考えに憑りつかれたのかもしれない。
「らちもない」
ふっとミゲールは嗤うと、一気に目のまえが暗くなった。もう呼吸もろくにできない。ひどく息苦しい。痛みもこれまでになく激しい。ついに俺も召されるのか。神の御許へ。
「神よ」
結局、それが彼の口から出た最後のつぶやきになった。彼は最後にいま一度、派手に吐血した。ルートヴィヒの衣服を汚しながら、彼は前のめりに倒れ込む。
ルートヴィヒの胸のうちに、ミゲールの頭が沈んだ。
彼は、しばらくはまだ息があった。倒れまいとしてルートヴィヒの衣服をがっしりと握り、その身にしがみつく。
ふふふ。死に方としては悪くないか。そう思いながら、ミゲールは最後に微笑する。
アルプレヒト公爵令嬢は、かつて俺が恋焦がれた最愛の女だった。いまにしても、そうかもしれない。彼女に焦がれる残り火は、俺の心の奥底で未だにくすぶっている。
そしていま俺は、その彼女に酷似する若僧の胸にしがみついている。この状況は、そうまるで。言葉を切ったとき、ミゲールの意識は遠のきつつあった。おかげで、思いつく言葉も途切れ途切れになってきていた。
まるで最愛の女の胸のなかで死ぬようなもの、だ、か、ら、な。
いま、彼の命の灯火はまさに消えようとしていた。ミゲールはゆっくりと、まぶたを閉ざす。ついに彼は力尽きた。その躰は、ずるずると力なく下へ沈み込んでいく。やがて床に倒れ込んだときには、その躰はもはや二度と動かなかった。
ミゲールが息絶えことは、ルートヴィヒにもわかった。
なんだ? なにを驚いていたんだ?
ルートヴィヒはミゲールの様子を不審に思った。
けれど、その理由がわからない。ましてこいつが息絶えたいまとなっては、その理由を本人に尋ねることもできない。
困って、ルートヴィヒは師を見やる。
師なら、もしかするとなにか知っているかもしれない。師はこの隊長と、昔に付き合いがある。いまの隊長の態度を見て、なにか思い当たることがあるかもしれない。
そう思いつき、師にルートヴィヒは尋ねてみる。
「いまのこいつの態度は一体? なぜ俺を見て、驚いていたんでしょう?」
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