信じていた神に、見放された気分はどうだい?
「俺の勝ちのようだね」
黒い覆面のなかで、ルートヴィヒは閃かせた。美しいが、歪んだ笑みを。
俺の剣を奪おうとする、おまえの狙い。その狙いを逆用させてもらったよ。
手練れのおまえなら単に突きを放っても、きっとそれを避ける。
だから俺の右腕からの突きは、おまえの体勢を崩すために利用させてもらった。だけでなく、おまえが逃げる方向を誘導するためにもね。
俺から見て多少軌道を右寄りに狙って突けば、さしものおまえも剣が来る逆方向、つまり左へと反射的に避けるしか道がない。剣が向かってくる右には避けづらいだろうしね。
そうなれば俺は左手に持つ折れた剣を、おまえに叩き込める。そのときには、いくら手練れのおまえでも無理なはずだしね。
折れた剣を使っての、俺の攻撃をとっさに躱すことなんて。すでにそのときには最初の突きを避けたことで、体勢を崩されているであろうから。
こういう考えがあったからこそ、俺は折れた剣を捕らえたのさ。
狙い通りになったことで、ルートヴィヒは笑みの歪みの度合いを深くする。すべてを読み切ったうえでのルートヴィヒの勝利だった。
「これで、おまえも最後だ」
ルートヴィヒは、折れた剣を握る手に力を込める。そのまま折れた剣を、右斜めうえにあげていく。ミゲールの腹を裂いていく。
たまらず、ミゲールは苦痛の叫びをあげる。口から激しく吐血もした。
その血を、ルートヴィヒは覆面にまともに受ける。それでもかまわずに、ルートヴィヒはとどめを刺そうと腹を裂くのを止めない。
「してやられたみたいだな、どうやら」
痛みで喘ぎながらも、ミゲールはつぶやく。いまやミゲールはルートヴィヒの意図を察していた。
いまなら、わかる。なぜこいつが、折れた剣を手にしたのか。最初の突きを、こいつが自分から見てすこしばかり俺の右寄りに放った理由も。
見事だよ、敵ながら。吐血しながら、眼前の黒い覆面の男にミゲールは微笑を投げかける。
俺は奴の右からの突きは考える余地も与えられず、ただ避けるしか手がなかった。
それも当然だ。奴から見て右寄りに放ってこられれば反射的に、つい左に避けてしまう。そちらの方へ動いた方が、避けやすいこともあって。
ついでに避けた影響を受けて体勢も崩されてしまった。そうなれば、もうとっさには動けない。奴の左からの突きを喰らわざるを得なくなってしまう。
あげく、このざまだ。俺は見事にはまっちまったってわけだ。こいつの術中に。いまにして気づくとは、遅すぎた。考えなしに最初の突きを逃れた、自分の迂闊さが呪わしい。途中から、勝負は完全に奴の支配下にあったわけだ。
「詰まれたな、ミゲール。ルートヴィヒによって最後に」
勝負をみつめていた師も、戦いの流れを把握してそう感想をもらした。
本来なら、ルートヴィヒは負けていただろうに。にもかかわらず剣が折れたミゲールの不運をうまく利用し、勝利を呼び込むとは。ルートヴィヒの奴め。やりやがる。
「くそが。俺が負けただと? 信じられん」
ミゲールは大きく目を見開いた。
「俺は殺せたはずだったろうが。死刑執行人どもを。本来なら、こいつらを皆殺しにできたはずなのに。手下どもを引き連れてこの町へ出向き、こいつらを襲いさえすれば。グローの野郎も、その弟子も倒せたはずなのに。
こいつらの住まいに訪れ、そこで目にした訓練を参考に立てた俺の見立てでは」
ミゲールは苦しそうに吐き捨てる。
「間違ってなかったはずだ。その訓練を見て、俺がつけたおまえたちの力の見立てのほどは。まちがいなく、こちらに倒される程度だったはず。なのに、なんだってこうなるんだよ? どうして、こんな結末を迎える破目に陥っちまったんだ?」
「なるほど。我々の住まいに訪れたときのこちらの訓練を見て、おまえは俺たちに勝てると考えたのか。そいつは初耳だ。それで自信たっぷりに勝算ありと見込んで、俺たちを襲ったってわけか」
納得した師の科白に、ああ、とミゲールは返答する。ふっと師は嗤う。
「そうだな。もし今回そちらの相手をしたのが、傭兵時代の俺ならおまえの云う通りだ。俺はおまえに殺されていたかもしれんな。それほどに、おまえが強くなったのはたしかだしな」
「そのとおりだ。俺は相当に強くなった。傭兵時代のおまえを上回るほどに」
「だが俺とて、あのころのままじゃない。俺も修羅場を渡り歩いていたんでな。傭兵を引退して、おまえとわかれたあとも。賊として暗躍して。おまえが傭兵として修羅場をくぐりぬけているあいだにも。
その結果、この俺も力を増したんだ。修羅場で自らを鍛え上げて」
「そいつは聞いたがよ。俺も、さっき礼拝堂の外でてめえと新参とが交わした話を聞いて。
だが賊として暗躍してたとしてもよ。たった四人じゃ、どうせ大したことなどしてないだろうに」
息も絶え絶えに、ミゲールは反問する。
「そうかな? 朧、と云えばわかるか? それは俺たちのことと知っても、そう云えるか?」
にやり、と師は笑んだ。ミゲールは舌打ちをする。
「朧だと? あの凄腕と噂の賊が、おまえたちだったのか。だからこそ力をつけたはずの俺と、おまえは対等に戦えたってわけか」
「どころか、最終的に勝てもしたんだ。たしかに途中までは俺も全力を尽くし、おまえと戦っていた。おまえもこれまで鍛え上げてきただけに、俺と互角に戦えた。
だが俺たちがわかれて以後、それぞれが修羅場を踏んで培ってきた経験の差。それが戦ううちに、ものを云った。互いの腕前に、如実にあらわれたんだ。
生来のおまえと俺の天分の差もある。そのせいで最初は互角でも、次第におまえは戦ううちに俺に押されて行き、最終的には敗れたというわけだ。この俺に」
ふん、と師は冷笑する。
「云ってしまえば、おまえの敗因はだ。おまえ自身の、自らの実力に対する自惚れだ。その自惚れにより、おまえはこちらを見下した。おかげでその目も曇り、こちらの力を見誤ってしまい、ついにはこうした結果を迎えたというわけだ」
ミゲールは悔しそうに唸った。そのとおりかもしれない。師は軽く肩をすくめる。
「もっとも、おまえもうぬぼれるだけのことはある。かなり手強かったぞ。なので、俺としても覚悟したものな。おまえに最終的には勝つとは思っていても、手傷を負わされることを。おまえと剣を交えた当初には。
しかし存外、あったようではあるが。おまえと俺とのあいだには、力の差が。それで結局のところ、俺はおまえに余裕しゃくしゃくで勝てたんだよ」
低く、師は嗤った。
「悔しいが、結果がすべてだ。敗者にはなにも云う資格がない。俺に勝った理由をおまえがいくら、したり顔でまくしたてようとな」
ミゲールは吐血した。ごほ、ごほ、と息が詰まるように咳き込む。
「死ぬのか? 俺は。こんなところで」
「そうも腹を割かれていては、死はもはや避けられまい」
師が云うと、だな、とミゲールは微笑する。
「しかし迂闊だった。朧がおまえたちだとは。王都周辺で暗躍する凄腕の賊、朧。その正体がおまえたちだと、なぜもっとはやく気づけなかったのか?
そんな凄腕の賊になり得る者なんて限られている。よくよく考えれば、王都周辺ではおまえくらいしか考えられないだろうに。なれそうな者なんて。そのことを見抜けなかったばかりに、おまえたちの力を見誤っちまったぜ」
ミゲールの苦しそうな姿を眺めながら、師は勝ち誇る。
「おまえはわが家に来たとき、俺たちの訓練を見た。その際、俺は全力を出しておらず弟子連中に手加減していたんだ。傭兵時代の全盛時より、やや劣る程度の力くらいに。賊として暗躍して以降、磨いた腕前を見せずにな。
弟子連中にしても、それ以前の訓練で俺にいたぶられて本調子ではなかった。ゆえにその程度の力で相手をしても、弟子どもをあしらえたのでな。なのにその訓練を見ただけで、おまえは俺たちの力の見当をつけたとあってはな。それでは、俺たちの力のほどを見誤るのも当然だ。
残念だったな。おまえがこちらの力を見誤らなければ今回襲撃なんて企てず、怯えて俺の手から逃げる選択をしていたかもしれんぞ。そうしていたらいまこの場で死なず、生きのびることができていたかもしれんのに。その身を俺の手が届かぬどこかへ隠して」
「まったくだ。それに、新参」
ミゲールはルートヴィヒを睨みつける。
「こんなことになるなら、おまえの策になど乗らなければよかったぜ。おまえの策に乗ったばかりに、こんなざまになっちまった」
苦しそうにミゲールは眉間に皺を刻みこみ、愚痴った。
いまさらだが、思わなくもない。新参の策なんて用いなければ、と。ベルモンの奴らが乗り込んでくるまえに、この教会から逃げ出していれば、と。この教会にベルモンたちがやってくるまえに、逃げ出す時間はあったのだ。
そうしておけば、俺は陥りなどしていなかったろう。こうして敵に囲まれる窮地にも。こんなふうに腹を裂かれて死んでいく破目にも。
そう思うと、忌々しさと悔しさが込みあげてくる。
「いまさら、ぐだぐだと愚痴をこぼすのはやめてもらおうか。俺の策に乗る選択をしたのは、おまえ自身の意志だろう? ならこんなざまになるのも、おまえ自身のせいだ。受け入れろ。自身に降りかかった運命を」
凛然と相手をにらみつけて、ルートヴィヒはたしなめる。折れた剣を握る手に、ミゲールの腹からこぼれ落ちてくる鮮血のぬめりとぬくもりを感じながら。
「若造のくせに。生意気なことをほざきやがる。しかしまあ、たしかにそのとおりではあるが」
ミゲールは自嘲する。
こいつの云うことは正しい。こんなざまになってつい愚痴ってしまったが、こいつの策に乗る選択をしたのはこの俺だ。
そもそも勝てると見込んで、ベルモンとその弟子どもを殺そうと手出しすることに決めたのも俺自身だ。俺の目算では兵の数も質もこちらが上回り、勝てるはずだった。
新参の策も、聞いた時には悪く思わなかった。むしろ良い出来だと思った。策に乗れば、ベルモンとその弟子を殺せると。
だがあいにくと果たせず、こんな結果になっちまった。どうやら俺の目算自体が甘かったようだ。こんなざまになったのも、すべては俺自身のせいなのだ。
「いまさら愚痴を云うのは、ふふ。みっともなかったな」
ミゲールは咳き込み、激しく吐血する。その血がルートヴィヒにふたたびかかる。
「どうやら、俺はここまでのようだ」
ミゲールの声は弱々しい。腹を裂かれたが、間違いなくこれは致命傷だろう。苦痛で力が入らない。もう反撃する余力もない。戦うどころか、あとどれくらい生きられるかもあやしい。
ふっとミゲールは嗤う。
「間もなく俺には死が訪れるだろう。こんな傷を負わされてはな。だが死ぬということは、俺は見放されたというわけか。信じていた神に」
ミゲールは首を傾けた。傍らにある祭壇の方へと。その祭壇をミゲールは見つめる。いまや死にかけて光彩が衰えた淡い茶色の瞳で。
さきだって、あれほど神に祈りを捧げたのに。なのに神に見捨てられるのは悲しいが、これも運命か。
死刑執行人どもを殺そうと、町の住人まで皆殺しにしたんだ。町で略奪も働いた。これまで生きるために、悪事にもずいぶんと手を染めてきた。
その報いが、ようやく身のうえに降りかかったということか。
天罰があたっちまっようだ。見事に。
今回、俺は神に乞うたはずなのだが。この町で犯す悪事についての許しを。いや、悪事を犯すときには常に許しを得ようと、その都度一心に神へ祈りもしてきた。ずっとこれまで。
しかし積年の悪業の報いか。結局のところ許しは得られず、ついに神に見放されたということか。こうなったということは。
一方でルートヴィヒは、はっと気づいたあとに思わず嗤う。
そうだった。こいつは神を深く信じていたんだったね。
ミゲールの傭兵隊へ入るときに副隊長から聞いていた話を思い出す。
ルートヴィヒは嘲笑するかのような口調で尋ねた。
「信じていた神に、見放された気分はどうだい?」
「最低だよ」
ミゲールは視線をルートヴィヒに弱々しく戻しながらも、嘲笑の響きに気づいて憤然と云った。
「じゃあ、せいぜい恨み言をいうんだね。もしあの世とやらが在り、そこへ行き、神がいたとしたら」
冷然とルートヴィヒは云い捨てる。ミゲールの腹に刺さった剣を、もっと深くねじ込みながら。
ミゲールは絶叫を上げる。苦痛に苛まれ、ルートヴィヒに返答するどころではない。
彼の視界は急速に暗くなりはじめている。俺に残された時間はあまりない。もう、きっと。光を失いつつあるせいで、そのことを彼は知った。
「いよいよ、俺も終わりだ」
ミゲールはぜいぜいと喘いだ。
「せめて最後に、俺を殺した人間の顔を見せてくれ」
ミゲールは右腕を震わせながら、ゆっくりと自分の右手を前方へ伸ばす。
こいつの素顔は、まだ見たことがない。死刑執行人の家ではじめて会ったときも、こいつは覆面をかぶっていて素顔は見れなかった。
だが俺としては、自分を殺す男の素顔くらいは拝んでおきたい。
どうせ死ぬんだ。意味はないんだろうが。いまさら自分を殺そうとしている相手の顔を知ったところで。それでもどういう奴が自分を殺そうとしているのか、純粋に興味もある。
その顔は見ておきたい。どんな奴が俺を殺すのかを知るために。
それだけじゃない。俺の命を奪おうというんだ。美しい男と副隊長から聞いてはいるが、もし見た感じ俺の目にすこしでもそう映らないなら、容姿が醜い奴として嘲笑ってその矜持を傷つけてやる。俺の命を奪わんとする、せめてもの仕返しにな。そのためにも顔が見たい。
ミゲールはルートヴィヒの黒頭巾をつかみ、ずり落とそうとした。
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