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残忍な神の幻すらも、見えるようだ。

 ルートヴィヒは師の顔を見上げる。その顔には、いやらしい笑みが浮かんでいる。


 俺に屈辱やら恐怖を与える悦びに浸っているんだろう。


 ルートヴィヒは看取する。

                    

 俺を打ちのめし、自分の嗜虐性を満足させながらこちらの支配を試みる。いまこいつは、まさしく一挙両得なことを実践しているわけだ。

 

 ルートヴィヒは黒い瞳に、ぎらっと鋭い光を走らせる。


 俺で悦びに浸りやがって。腹ただしい。しかも俺を屈服させて、支配できる気でいやがる。見くびりやがって。


 ルートヴィヒは眉間をしかめる。

                    

 それはたしかに、俺はおまえに長年のあいだ従ってきたよ。そのことは否定しない。でもこれまで一度だってありはしないんだ。俺が心の底からおまえに屈服して支配されたなんてことは。

 

 今後にしたって、そのつもりでいる。いくらおまえが俺を支配しようとしたって無駄なことさ。

                    

 その弟子の鋭い視線を受けて、酷薄な口調でこうも云い足す。


「ほう。まだ眼が完全に死んでいないな。心の奥底では、まだ俺に屈服していないとみえる。心くじかれていないというわけか」


 ふん、と師は鼻を鳴らす。


「では、あくまでも拒むか? 俺に帰順することを。だとすれば、仕方ない。失うには惜しいが、そうまで死にたいというのなら殺してやるしかないな」


 師は舌なめずりをする。師の灰色の瞳は冷ややかだが、その奥底には愉悦を期待する剣呑な光も宿っている。

 

 どうせ殺すなら、そのときにはできる限り愉しんでやろう。

 

 嗜虐性の高い師がそう思っているのは、ルートヴィヒには見え見えだった。

                    

 もし首を振れば、殺される際に残忍な拷問を受けるのは間違いない。ひどい苦痛を味わわされて死ぬ破目に陥ることだろう。


 くそ、とルートヴィヒは内心で毒づく。


 その運命を避けたいなら選択肢はただ一つだけ。深い嘆息をつく。

 やっぱり俺は、またこいつのもとに戻らなくちゃならないのか。いままで何度も逃げては連れ帰らされてきたように。

                    

 もちろん拒むことはできる。いまからでもこの劣勢を覆せるというのなら、そうしよう。

 拒んで、剣で斬り結んでやる。


 こいつら全員を相手にすれば、あるいは死ぬことになるかもしれないけれど。


 俺にしたって正直に云ってしまえば、死は怖い。でも目的が達せられる目があるというのなら、死の危険を犯すのはやぶさかじゃない。

                    

 けれど、いまの状況でこいつらに勝つなんて無理だ。もし下手に剣で切り結ぼうとすれば、俺は。

                    

 ルートヴィヒは言葉を止める。生か死か。二者択一を迫られて、額に冷たい汗も出てくる。


 戻りたくはない。こいつのもとへなんか。でも。ルートヴィヒは苦悶の表情を閃かす。

                    

「さあ、どうする? まごまごせずに、とっとと選べ」


 待たされることにいらつき、師は督促する。くっ、とルートヴィヒはうめいた。


 こいつのもとに戻るのは屈辱だけど。ルートヴィヒは両の眼を閉ざした。それ以上に、俺はまだ死にたくない。ついに答えを出す。


 生きてさえいれば、またべつの機会だって巡ってくるはず。こいつらを殺すための。俺の望みを遂げるための。


 そっと黒い覆面に手を伸ばす。ルートヴィヒは、師に自分の意思を示した。まもなくその顔は、黒い覆面で包まれる。


「それでいい。おまえは、俺の手元で生きるのが似合っている」


 哄笑し、師は満足そうに破顔した。

                      

「付き従え、ルートヴィヒ。俺に今後とも」


 がくりと肩を落としながらも、ルートヴィヒは師を見あげて無言で首肯する。


 悔しい。こいつの命令に従わざるをえないのは。本当に屈辱だ。裏切って殺そうとまでした奴のもとで、また仕えさせられるのは。

 俺は死刑執行人が嫌で裏切って出て行ったのに、これでまた逆戻りだ。哀しい。

                   

 神が嘲笑う声が聞こえてくるようだ。


 おまえは失敗したのだ。敗北したのだと。

                    

 ルートヴィヒの魂は酷な運命を課されて血を流し、痛みと苦しさで打ち震える。

                    

 神はやはり無慈悲だ。俺をこんな目にあわせるなんて。


 負の想いがつのり、ルートヴィヒの黒い瞳がより憂愁の色合いで濃くなっていく。

                    

 虚脱感が苛み、敗北感とともに襲いかかってくる。その心に翳りが射す。


 ルートヴィヒは絶望する。その直後、彼は目をつむる。脳裏のなかでは、絶望感から鮮明な光景が浮かんでいた。


 彼の躰は、暗闇に閉ざされている。その足下では、亀裂が走る。すると地の深淵から、神の光り輝く白い手が伸びてきて足首をつかむ。神の声も嘲笑とともに聞こえてくる。

 

 おまえの望みなど叶えさせやしない。絶対に。おまえは苦しめ続けてやる。


 ルートヴィヒは必死にもがき、神の手を引き離そうとする。しかし神の手は、しっかりと足にくらいついて離れない。

                    

 そんな幻さえ、絶望で打ちのめされたことで見えるようだった。


 とはいえ、一度の失敗やこんな幻で打ち砕かれてしまうほどルートヴィヒは弱くなかった。

                    

 復讐を渇望する黒い瞋恚の焔が、彼の魂に息を吹き込んだ。目をしっかりと開き、その瞳に鉄の意志を甦らせる。ルートヴィヒは歯をくいしばった。

                    

 でも仕方ないんだ。いまは。死ねば、すべてが終わりになってしまう。

 

 それはだめだ。生きてさえいれば、どこかでまた巡ってくるはず。こいつらを殺し、師の手元から離れられる機会が。 

                    

 そのときまでは甘受してやる。ふたたび奴の手のうちに戻らざるを得ない、この運命を。


 俺は生きなければならないんだ。いつかどこかで報復を成し遂げるために。


 今回は失敗したものの、生きてこいつらにふたたび牙を剥いてやる。

 

 もちろん、世間や無慈悲な神にだって。


 世間や神も、このまま捨て置く気なんて俺にはないんだ。だから、いま死ぬわけにはいかないんだ。

                    

 そう思いはしたものの、敗北にしたことよる受難はなおその身に降りかかる。高らかに、弟子二人の嘲笑の声が響き渡った。



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