副隊長は危機感を覚え、部下に怒声をあげる。ルートヴィヒは、ゴーマの顔を切り裂く。
あとすこしだ。 あとすこしで、俺に刃を向けるこのむかつく傭兵どもを全員葬れる。
戦いのなか、ジマは笑みを唇に深く刻む。返り血で顔を汚していることもあり、その笑みは副隊長には凄惨に見えた。
気圧されまいとして、副隊長は剣を袈裟斬りに叩き込んだがジマには通じない。
疲れながらもジマはやや後方に跳躍し、その攻撃を避ける。攻撃を避けられて苦い顔をする副隊長に、ジマは得意そうな表情をしてみせる。
だが油断はできない。すぐにちがう方向から、べつの傭兵が攻撃を仕掛けてくる。副隊長も続けざまに動いてくる。ジマは剣を振るい、その連中からの攻撃を器用にさばいていく。
これまでルートヴィヒの策を、ジマも戦いながら聞いていた。それでその策が諸刃の剣だと知ったジマは、ぜいぜいと息を切らせて剣を振りながらもいまこう思っていた。
傭兵どもを殺しきれば、ルートヴィヒの野郎の策を逆手にとれる。
俺は仲間と合流して、こっちが勝つ流れをつくってやる。
くくく、と返り血に染まったジマが低く嗤う。
てめえの策を逆手に取られたときの、ルートヴィヒの面を見るのが楽しみだぜ。さぞや見ものだろう。その目論見が裏目に出たときの、奴の顔は。
やがて激しい攻防のさなかに、ジマの剣が重なりあう。頬傷の傭兵の剣と。なんとかこの傭兵も、これまで命を取り留めていたのだ。
だがその直後、おあっと気合を込めてジマは剣を力でまえへ押す。ジマの力はすさまじく、頬傷の傭兵は抗しきれなかった。 あえなく後方へ吹っ飛んだ。尻から床に着地したあとは、すり音をたてて床をすべっていく。
このときをジマは逃さない。とどめをさそうと、その傭兵のもとへ走り寄る。その動きを見て、すぐさま副隊長が妨害に入る。
させるか。副隊長がジマの前面に立ちふさがり相手をしてくれたことで、頬傷の傭兵はとどめは刺されずにすんだ。しかしよろよろとした動きでふたたび立ち上がっても、もう戦いに戻ろうとはしなかった。
ひいっ。頬傷の傭兵は怯えて悲鳴を上げると、ついに戦意を失った。
「やべえ、こいつは強すぎる。このまま剣を交えていたら殺されちまう。死にたくねえ。もう褒美なんかいらねえ。おりゃ、やめた。こいつと戦うのはやめた」
頬傷の傭兵はうしろを見せ、逃走を図ろうとする。
待て。副隊長が怒鳴るが、頬傷の傭兵は止まらない。
しかしジマも逃がす気はない。躰をひねり、目のまえの副隊長を後ろ回し蹴りではじきとばすと、その傭兵の背後目がけてジマは跳躍した。
その跳躍は尋常ではなく猿のように敏捷で、頬傷との傭兵との距離が一気に詰まる。
ぎゃああ。逃げた頬傷の傭兵は叫んだ。
兜をかぶっておらず、むきだしになっていたその後頭部がジマの剣によって切り裂かれていた。頬傷の傭兵は息絶え、両ひざをついてから前方へ倒れ込む。
休む間もなく、ジマは副隊長の方へ振り向いた。
「あと、ひと、り」
これで残る傭兵どもは、目のまえの野郎だけ。副隊長と呼ばれる男だけになった。その副隊長も打ち倒してやる。
そう考えてそちらへ歩を進めたものの、さすがにジマも消耗していた。
躰が重い。足を動かすだけでつらい。
ジマにはそう感じられ、おかげでその足どりはひどくゆっくりだった。
それでもぜいぜいと肩で息を切らせ、ジマは副隊長の方へ着実に近づいていく。その出方を見ながら。
ぞくり、と副隊長は背筋に悪寒を走らせる。
まずい。一人きりになったことで、副隊長は窮地に陥ったことを察した。緊迫して様々な思いが、副隊長の頭のなかで巡っていく。
冗談じゃない。さすがに俺一人では、こいつには敵わない。かといって、自分がやられてこちらの策を台無しにするつもりはない。一戦交えたからには勝ちてえし、手下の仇だって討ちたい。なにより、死にたくない。
苦境に立たされたことで副隊長はいらただしげに、がりがりと頭を掻く。
ならどうする? 副隊長は打開策を講じる。
隊長はまだあらわれないし、ルートヴィヒも敵とまだ戦っている。都合よく、両者の助けの手を期待できはしないだろう。
副隊長は顔を険しくしたが、そのときにふと思い出す。そういえば、もう一人味方が残っていたな、と。もぞもぞと床で蠢く人影を、目の端にとらえたことで。
「おらぁ、いつまで寝てやがる。とっとと起きて、助けに入りやがれ」
副隊長は怒鳴った。床に転がる手下に向かって。それはルートヴィヒに反感を持っていた、あの鼻の大きな傭兵だった。
骨を折られて以来その苦痛に苛まれていた彼は、ずっと戦いに戻ろうともしないで床に倒れたままの状態でうめいていた。そのために、これまで命を長らえていたのだ。
副隊長はにらみつけて、その傭兵の様子をうかがう。
未だに床に倒れて、苦しそうにうめいていやがる。そんな状況では、ろくすっぽ戦えないかもしれねえがよ。奴の容態など知ったことじゃない。
けが人であれ誰であれ、とにかくいまは援けが一人でも欲しいんだ。
副隊長も窮地を脱するために必死だった。
「はやくしろ」
ふたたび副隊長は怒鳴りつけた。いつまでも動かない、最後の生き残りの手下にいらだって。
そんな。絶望して、鼻の大きな傭兵はぶるぶる震えた。彼は恐ろしかった。自分の骨を砕いた敵が。
結局のこっていた傭兵仲間にしても、こいつに殺されちまった。
こんな手練れに立ち向かったのは、間違いだったんだ。こんな奴の相手は、もうしたくない。
また相手するよう副隊長はせかしてるが、俺に一体どうしろって云うんだ。味方も、ほかにいねえじゃねえか。
これじゃあ、もうどうしたって勝ち目はねえよ。そう俺には見える。それなのに立ち向かえって云われたところで、こっちは困るんだよ。
鼻の大きい傭兵は動かない。
なにやってんだ。副隊長の再度の怒号が飛び交うなか、まずいとジマは思っていた。
疲れがひどすぎる。躰はもう限界だ。ここでまた敵に味方が増えたら、対処できるかどうかわからない。
「殺さねえと」
ジマは歩く方向を変えた。その倒れ込んでいる傭兵の方へと。
「やらせねえ」
ジマの考えを見抜いた副隊長は叫ぶ。ジマのまえに立ちふさがり、最後の仲間を殺させないようにする。きつく剣を握り、副隊長はその切っ先をやってくる敵に向けた。
はっきりいって、一人で目のまえの敵の相手をするのは恐ろしい。
普通ならごめんこうむりたいところだが、この敵はいまやかなり疲労困憊している。
俺一人でもなんとか殺されずに、その相手として立ち回れるだろう。
ただし、俺の実力はこいつより劣る。
俺一人では殺されないようにするのが、やっとだ。この敵を殺そうとするなら、やはりもう一人味方が欲しい。もう敵は限界に見える。あと一人。あと一人いれば、きっとこいつは倒せる。
「てめえ。動かねえなら、俺がてめえを殺すぞ。いいか。それが嫌なら、とっとと動け。このうすのろが」
どすのきいた声で副隊長は恫喝する。
それは嫌だ。鼻の大きい傭兵はぶるっと震える。
やばい。副隊長は話のわかるところもあるが、厳格な一面もある。味方にも平然と懲罰をくわえる。その副隊長が云ったなら、本当にやるだろう。
鼻の大きな傭兵は顔をしかめる。
敵は恐ろしい。が、副隊長はもっと恐ろしい。これまで灰色の狼に属していて、その厳しさは充分に知っている。副隊長の怒りは買いたくない。
鼻の大きな傭兵は副隊長の脅しに屈した。渋々ながらも立ち上がる。折れていない左手で、落ちていた剣も拾う。副隊長はにんまりと嗤う。
「それでいい。いいか。この敵はもう消耗しきっていて限界だ。俺一人でも動きに対処できる。こいつは俺が止めているからよ。そのあいだにてめえは、隙を見てこいつを殺せ」
わかりました。命じられて、鼻の大きな傭兵はジマの方へ向かっていく。骨を折られた苦痛でときに顔を歪めつつ、ジマに手を出す隙をうかがいながらゆっくりと歩いて。
一方で副隊長は言葉どおり、ジマに斬りかかっていく。
やばい。攻勢に出てきた副隊長の相手をしながら、ジマは焦った。
近づいてくる傭兵を殺してやりたいのは山々だが、いまの状態では副隊長を相手にするのが精一杯だ。それなのに、もしやってくる傭兵が俺に近づけばどうなることか。
ジマは、ぞっとする。
もう終わりだ。このやたらと鼻のでかい傭兵の手にかかって、俺はすぐに殺されてしまうだろう。
骨折による苦痛で、こいつはもうろくに動けないってのに。
こんな程度の傭兵など、普段の俺なら歯牙にすらかけないというのに。
たとえ、何人いようが。よしんば、相手が怪我をしていなくとも。
ジマは歯ぎしりをする。
そのさなか、いま一人の弟子も苦境に瀕していた。
くそが。ゴーマは内心で毒づく。
この俺がルートヴィヒごときに、こうまで追いつめられるとは。
ルートヴィヒの執拗な攻撃を次々と剣を右に左に振って受け止めながらも、ゴーマはじりじりと後退を余儀なくされていた。
からくも、まだもっちゃいるけどよ。このままじゃ俺はルートヴィヒの野郎に殺されかねない。
ゴーマは顔を険しくする。畜生。こんなやつに。こんなやつに。はらわたが煮えくり返るような思いが、ゴーマにどっと押し寄せる。
この俺が殺されるだと? これまで弱っちくて、散々にいびって苦しめてきたこいつに。
冗談じゃないぜ。そんなことになって、たまるものかよ。赫怒してみたものの、ゴーマとしては冷や汗をかかざるをえない。
くそったれ。しかし現実をみれば、いまや刻一刻とそのときが迫っているのは火を見るよりもあきらかだ。いまのままじゃ、俺はまじでやばい。そんなことになるまえに、なんとか状況を打開しねえと。
ジマ同様、ゴーマも焦っていた。
そのためにも、とにかく攻勢にでねえと。このままじゃジリ貧だ。なにより攻めなきゃ、形勢は変わらねえ。勝てねえんだから。
第一、俺はこいつの兄弟子だ。こいつよりも立場がうえなんだ。こんな昔からいじめていた下っ端に、いつまでもやられていてたまるものかよ。負けられるか。
危機感と自らの矜持が、ゴーマに強く攻勢をうながした。
ルートヴィヒから袈裟斬りに振り下ろされた剣を受け止めたあと、ゴーマは渾身の力を込めて突きを放つ。
この一撃で変えてやる。奴との勝負の流れを。
ゴーマは荒々しい吠え声を上げた。
もちろん、師に云われたことは忘れちゃいねえ。こいつは殺しやしねえよ。だが動きは止めさせてもらうぜ。ルートヴィヒの肩に大穴を穿ってやってな。
その突きは渾身の力が込められているだけに、ゴーマのこれまでの攻撃よりも数段はやい動きでルートヴィヒに迫った。思わずゴーマの口元に喜びが刻まれる。
よし、決まった。
もはやゴーマの刃はルートヴィヒの左肩に当たる寸前だった。その瞬間、ルートヴィヒの躰が動く。
なにぃ。ゴーマは叫んだ。信じられなかった。ルートヴィヒは躰を左に半回転させてずらし、ゴーマの一撃は空を切っていた。渾身の一撃だったはずが、それをはずされてしまうとは。
しかも躰をずらすと同時に、ルートヴィヒが高々と振り上げた剣が勢いよく降りてくる。
ちいっ。ゴーマは舌打ちする。普段から師に鍛えあげられているだけあり、反射速度は迅速だった。即座に反応する。
ゴーマはあわてて上体を、わずかばかりにうしろへそらす。
しかし遅かった。すこしばかり遅かった。
びゅんと空気を裂く音を鋭利に鳴らすと、ルートヴィヒはその剣で斬り裂いていた。ゴーマの顔を。額から左目を通り、その下の頬に至るまでをまっすぐに。




