師は宿に襲撃に来た敵をすべて始末しようとして、傭兵を利用する。
すでに広間に入り込んだ傭兵のうち、まだ命が残っているのは二人のみになった。
その二人のうちの一人も、ベルモンに右腕を斬り落とされて半死半生の状態になってしまった。
その男は斬られたあとには師によって蹴り倒されてもしまい、いまは床に尻もちをついている。
ひいい。腕を失った傭兵は、怯える目で師を見上げた。圧倒的な強さを誇るこの相手から、後ずさりして逃れようともする。
「強ええ。強すぎる。こいつは」
腕を失った傭兵は、うしろを振り返った。逃げようとして、立ち上がろうと試みる。
急ぎこの場を離れたかったものの、どうやら焦りすぎたようだ。自分と仲間の体内から流れ出てできた血だまりに足をとられてすべり、無様にもまえのめりに倒れ込む。
そのあいたに、ベルモンがうしろから近づいてきた。容赦なくベルモンは、傭兵の後背からその首筋に剣を差し込んだ。その傭兵はとどめをさされた。哀れな末期の吐息を、ちいさく洩らして絶命する。
広間に残った傭兵は、あと一人となった。
その傭兵は運よく生き残っていたものの、もはや戦意はなくなっていた。こうも圧倒的な強さを見せつけられては、相手に立ち向かう気力など微塵も生じない。
その傭兵は、震え上がっていた。そうしながらも宿に入るまえに戦闘にそなえて頭にかぶった兜の隙間から見つめる。たったいま殺された仲間の首筋から、ベルモンが剣を引き抜く光景を。
「このままじゃ、こっちがやられちまう。やべえ。逃げねえと」
最後に残った傭兵は身をひるがえした。恐怖に駆られて、脱兎のごとく広間から飛び出す。そのまま外にまで逃げのびようとしたが、叶わなかった。
横の階段から転げ落ちてきた相手に、表口に向かう途中で邪魔をされてしまったのだ。
うわ。思わず傭兵は叫んだ。その相手と、最後まで残った傭兵は激突した。うえから相手の躰がのしかかってきて、その重さで傭兵は床に転倒する。傭兵は怪我をせず無事だったが、転倒した衝撃で苦痛にうめいた。
逃げたい一心から苦痛に耐えながらも、まもなく傭兵は起き上がろうとする。自身のうえに覆いかぶさるように乗っている、相手の躰をどけようとした。
しかしその途中、転げ落ちてきた相手の顔が傭兵の目に入る。
そのときになって、ようやく傭兵にはわかった。その相手が誰であるかが。落ちてきたのは、二階に向かったはずの仲間の一人だった。
ひ。仲間を見て、傭兵は怯える。その仲間が、無事という状態ではなかったからだ。
その胸には、深い刺し傷を負っている。ほどなくして、うめき声とともに血を吐いた。その血はびしゃりと音をたてて傭兵の顔にかかる。傭兵は嫌悪の叫びを上げて、顔を盛大にしかめた。
血を吐いた仲間からの謝罪の声はない。
いまやその仲間は虫の息で、意識が朦朧としていたのだ。
そのよどんだ意識のなか、血を吐いた彼は自身の躰のしたに見覚えのある兜を見つける。その兜をかぶっていることでそいつが仲間だとわかり、階段から落ちてきた男は息も絶え絶えにこう云った。
「二階に、行った奴らは、全滅だ。俺、以外は。うえに一人、ひどく強い奴が、いて、あっさり、やられちまった」
そこまで云うと、階段から落ちてきた男は首をだらりと下げた。
その躰の下にいる傭兵が見やると、すでに相手はこと切れている。これにより、その傭兵は悟った。自分以外の、この宿に入ったすべての仲間が全滅したことを。
自分がこの宿に入った傭兵のうち、最後の生き残りになったことを。
あわわわ。最後の一人となった傭兵は恐慌をきたした。
彼も傭兵だけに、仲間が戦場で倒れる姿を何度も見ている。もはや慣れてもいて、通常なら激しく動揺などはしない。単に仲間の屍を目にしたくらいでは。
ただ、いまは彼の身のうえにも危険が差し迫っている。
なにせいま彼の間近には存在するのだ。一階だけでなく、二階にも。それなりに手練れでもあり、徒党も組んでいたこちらの味方をなんなく皆殺しにできる奴が。
そんな危険な輩がいる宿のなかに身を置いていたら、次の瞬間には自分もみじめな末路をたどることになるかもしれない。強制的に朽ち果てざるを得なくなった、仲間たち同様に。
そう思うと、せりあがってくる恐怖を抑えることができなかった。
いまや傭兵の躰は、恐怖で完全に麻痺してしまっていた。
自分の身を守るためにこの場から逃げだしたくても、恐怖で手足がしびれてろくに動かない。
それでもなんとか逃れようとして、彼は必死にもがいた。仲間の屍を押しのけ、外へ向かおうとする。
だがそうするうちに木造の床をきしませながら、二人の男が前後から彼に寄ってきていた。
彼の後背からやって来る一人は、ベルモンである。逃げた傭兵にとどめを刺すべく、そのあとを追ってきたのだ。
前方から姿をあらわしたもう一人は、ゴーマだった。血塗られた剣を右手に握りしめて、彼は屍が落ちてきた階上に立っていた。
ひいい、と傭兵は怯えた声を上げた。傭兵は、もはや逃げられそうにないことを悟った。手練れだった自分の仲間たちを、それも多数対一人でこうもたやすく屠れる男二人に前後から挟まれてしまっては無理に決まっている。
傭兵は観念し、自らに死が訪れるのを待った。
しかし師のみならず、ゴーマもその傭兵をすぐに始末しようとはしなかった。
ゴーマとベルモンが双方ともに、間近にあらわれたお互いの姿に気をとられて会話をはじめたからである。
「おう、ゴーマか。どうやらその様子だと、おまえも侵入者どもを始末したようだな」
階上を見上げて尋ねてくる師に、ゴーマはうなずく。
「はい、二階にあらわれた連中はすべて始末しました」
「そうか。で、こいつらが一体何者なのか知っているか?」
ベルモンは、未だ知らなかった。これまで相手にしていた連中の正体を。外での会話は多少聞こえていても、とくにその正体まではまだ耳にしていなかった。
そこで弟子がその正体を突き止めている可能性を考え、尋ねてみたのである。
「ええ、まあ」
師の問いに、ゴーマは微笑する。
「どうして知っている?」
師は尋ねた。弟子が襲撃者の正体を、どう突き止めたのかを疑問に思ったのだ。
「こいつらが、外で交わしていた会話を聞いてたんですよ。宿の周囲に怪しい連中が来たことがわかったんで、窓をうっすらと開いて外の様子を二階でうかがいながらもね。それでわかったんですよ。こいつらがどこの誰で、どういう目的を持っているのかが」
「ふん。その会話は多少、俺の耳にも届きはしていた。ただ俺のいた広間までは、奴らの声はすべて届きはしなかった。奴らと俺のいた場所の距離が、開いていたせいだろうな。
なので、俺にはこいつらの正体も目的もまだわからん。
まだ生かしてあるそこの傭兵を締めあげて、吐かせようと思っていたがな。おまえが知っているなら、その必要もない。おまえに聞こう。とくと教えてもらおうか。こいつらの正体とその目的とやらを」
「わかりました」
ゴーマは説明する。ゴーマから教えられると、師は傭兵をにらみつけた。
「ほーう、そういうことか。おまえらの正体は灰色の狼で、目論んでるってわけか。俺たちの始末と、この町の住人の皆殺しを。ついでに、この町での略奪も」
ベルモンの視線を受け、傭兵は兜から露わになっている顔半分を、へへへと卑屈ににやけさせた。下手な応じ方をして相手の怒りを買わないために傭兵は愛想笑いを浮かべたわけだが、それは逆効果だった。
「なにがおかしいんだ、てめえは」
傭兵の下卑な笑みに、ベルモンは嫌悪と反感をつのらせた。足をまえに強く突き出し、靴の裏で傭兵の頭を蹴とばす。その衝撃で、傭兵の頭がおおきく揺らぐ。そのとき兜も取れてしまい、傭兵の顔もあらわになった。
「ん? こいつの顔は見覚えがあるな」
師は片眉の角度を微妙に変えた。
「もしかすると、あいつじゃないですか? ほら、このあいだ因縁をつけられたでしょう? 処刑を王都で終えたあとに。俺らの乗る馬車に泥水をつけられたとか云って、傭兵の一団に。そのなかの泥水をつけられた男じゃないですか?」
弟子は指摘する。
「おお、あの泥水男か」
師も気づき、傭兵に適当なあだ名をつけて呼ぶ。
「そういやおまえにゃ、まだしていなかったよな。あのとき、俺らに因縁をつけてきてくれた礼をよ」
唇を歪ませると、ぎしぎしと音を響かせながら階段を降りてゴーマは傭兵に近づいていく。
「おい、殺すなよ。こいつには、まだ使い道がある」
「わかりました」
師の注意を受けてゴーマはうなずくものの、足を止めない。危険な相手が向かってくるのを見て傭兵は、うわわと怯える。
「さんざん、俺らの乗っていた馬車を蹴っ飛ばしてくれてありがとうよ。その返礼に、蹴り返してやるよ」
傭兵のそばに寄ったゴーマは、勢いよく右足をまえに突き出した。靴のかかとで顔面を蹴とばされた傭兵は、ぎゃっと悲鳴をあげた。衝撃で、顔がひどくひねられる。
相当な痛みが走ったが、ゴーマに殺意がなく手加減したこともあってこの蹴りで傭兵は死にはしなかった。
傭兵は片手で口をおさえ、苦痛に顔をしかめていた。おさえた手からは、血が数滴こぼれ落ちてくる。
いまの蹴りで傭兵の前歯は砕かれていた。
ううう。傭兵は痛みでうなっているようだが、知ったことではない。師はそんな傭兵の様子など気にも留めなかった。むしろここに姿を見せないもう一人の弟子の動向が気になり、ゴーマに尋ねた。
「ジマは?」
「ジマは、二階で外にまだいる敵に応戦してるはずです。しかし、ルートヴィヒの奴は裏切りました。耳障りかもしれませんが、そのことは一応お報せしておきます。
弟子の裏切りは、師に伝えるべき重要な案件だと思いますので。その対処をいかにすべきかを、師に問うためにも」
その一報を受けて、師は承知していると云いたげに首を縦に数回細かく刻む。
「ルートヴィヒの動向はわかっている。奴の声はおおきく響いて、しっかり聞こえたのでな」
師の答えに、ゴーマは肩をかすかにすくめる。引き続き、問いも発する。
「で、どうします? これから」
「とりあえず、我々はこの宿から出るぞ」
「といっても、この宿の外には結構いますが。俺らが出てきたら、弩で射殺そうと狙っている敵が。そいつらがいる限り、そうやすやすと宿から出られないかもしれませんよ?
出たら、すぐに矢が幾本も飛んでくるでしょうし、それを躱すのはなかなかに厄介そうですしね」
「そのことはわかっている。一階にいて、広間で酒を飲んでいたときに聞こえたんでな。弩を使った矢が、二階で壁に突き刺さったような音が。
まあいるならいるで、そいつらは始末する。この生き残りの傭兵を使ってな。それで生かしておいたんだしな、こいつを」
「こいつに使い道があるって師がさきほどおっしゃった意味は、弩を使う敵を倒すにあたって利用するということですか。こいつを」
「そういうことだ。こいつには一役買ってもらう。弩を持っている奴らを含めて宿の周囲にどれだけの敵がいるのか知らんが、そいつらを一気に片づけるためにな」
ふたたび師は傭兵に目を向けて命じる。
「おい、おまえ。外にいるであろう、おまえの仲間どもがこっちへ来るようおびきよせろ」
「お、おびきよせるって、どうやって?」
命じられたところでその方法がわからない。傭兵は戸惑いを見せた。
鼻で軽く嗤ってから、師はよどみなく口を動かして答えを突きつける。
「適当な理由をつければ、外にいる連中はおまえの方へ来るだろ。俺たちを始末したので、もう外にいる必要はねえとか云えばよ。
なんでもいいからうまく適当に理由をつけて、そいつらを宿のなかへ入れろ。
おまえにはそいつらをおびきよせる餌になってもらう。外にゃ俺たちを狙っている奴らがいるんだ。そいつらを殺すには、こっちへおびきよせた方が好都合なんだよ。
わざわざこっちが出向いて行って始末しようとすれば、そのあいだに狙われて射殺されるかもしれねえしな。
だったらもう敵はいねえと油断させて、外の連中をこちらに引き寄せてだ。こちらに狙いをつけていないところを襲えば、俺たちは射殺されることもない。なんの工夫もなく正面から襲うよりも、はるかに安全におまえの仲間を殺せるからな」
説明を終え、師は命ずる。傭兵の喉元に、剣の切っ先も突きつける。
「いいか、わかったな。わかったなら、さっさとやれ。でなきゃ、おまえから始末する」




