ルートヴィヒは死刑執行人を裏切り、去る。
「けっ、俺らを殺しにきやがったってわけか」
そう吐き捨てたのは、ゴーマだった。やや離れた隣には、ジマもいた。彼らはすでに、宿の外に灰色の狼の連中が来ていることに気づいていた。
彼らは宿の二階の一室で眠りについていたが、馬が走ってくる音を聞きつけて二人とも目を覚ましたのだ。その際に怪しさも覚えていた。夜中にこんなさびれた町の宿に武装した集団が訪れたらしい音が響くという、平和な日常にあるならありえない事態に。
危険を覚えた彼らは寝台から身を起こすとわずかに窓の鎧戸を開き、その隙間から外の様子をうかがっていた。最初は、賊でもやってきたのかもしれない、と彼らは思った。隙間から覗き見ると、やってきた奴らはあきらかに武装している。武装して集団で宿にやってくる連中は、賊くらいだろうとしか思えなかったからだ。
いまでは鎧戸の隙間から外での会話も聞こえ、ゴーマとジマの二人にもやってきた奴らの正体がわかった。
どうやらやってきたのは例の灰色の狼という、師が殺そうとしている傭兵隊の連中のようだ。話を聞いて、奴らがここへ赴いたその目的もすでに理解した。
自分たち死刑執行人の殺害。町の住人の皆殺し。町での略奪。
奴らは賊まがいの企てを、実行することを目論んでいるようだ。結局、賊がやってきたという当初の考えは、そこまで誤ったものでもなかったようだ。
奴らは立派に、賊に等しい存在なんだから。傭兵といえども、賊まがいの荒事を実行しようと目論んでいるからには。
ゴーマが舌打ちする。そのときにそれぞれちがう窓の隙間から覗き込む、二人の弟子の目に映った。傭兵隊の連中が歩いて、宿に近づいてくる姿が。
「みろ、ジマ。奴ら馬から降りて、ぞろぞろ宿に向かってきやがるぜ。いよいよ、俺たちの殺害にとりかかろうって腹積もりらしい」
ゴーマがそう云うと、ジマがたずねた。
「それで? そんな奴らに対して、俺たちはどう出る?」
「そーだな。どうするか。まず奴らの動向を、もっと知って決めたいと思うが」
ゴーマが外の周囲を、窓の隙間から手早く観察する。
「ついさっきまでそこにいた副隊長とやらが、いろいろ命じていたけどよ。そのいいつけどおりに、しっかりと奴ら動いてやがるようだ。
見たところ宿に向かって来る連中のほかに、どうやら奴らの一部は四方に散って狙いを定めようとしているようだ。弩でこの宿を。どうもこれは、射殺せるようにする準備だな。俺たちが、ここから逃げ出したときに備えての。
これじゃ、単にここから逃げ出したとしてもよ。狙い撃ちにあって、やられちまう危険があるな」
「下手に、宿から逃げられねえってことか」
ジマが眉根をひそめる。
このあいだにも、灰色の狼の傭兵たちの一部は確実に宿への距離を詰めてきていた。彼らの一人がついに宿の表口にたどりつくと、その扉を開こうと試みる。
だが押しても引いても、扉は開こうとはしなかった。
「駄目だ。夜なんで用心のためか、見た感じどおりやっぱこの宿は戸締りばっちりだ。この扉にしても、裏手から閂がかかってやがる。これでは開けられねえぜ」
「じゃあ、扉をぶち壊して押しいっちまえ」
その声を合図に、傭兵たちのうち大槌を持った二人が交互に扉をたたきはじめた。その音が、夜陰におおきく響き渡る。
「奴ら、派手に扉をこじあけようとしてやがる」
ゴーマが傭兵たちの様子を二階の窓の隙間から見下ろして、いらだたしげにそうつぶやいた。ジマが肩をすくめる。
「下手に逃げられねえ。連中の一部が、この宿に押し入って来ようともしている。もうこうなりゃ、応戦するしかねえよな?」
「そうだな。そうするしかねえな。俺たちとしちゃあ。てめえの身を守りたけりゃよ」
ゴーマは淡々と答える。その直後に、ジマが鋭くゴーマに向かって声を上げた。覗き込む窓から、見慣れた人物の姿を目にとらえたことで。
「おい、あれルートヴィヒじゃないか?」
「お、本当だ」
見れば、ルートヴィヒが馬を駆り、宿から遠ざかろうとしていた。扉を開けようとしている傭兵隊の後方には、宿とは正反対の方角へまっすぐ伸びるあぜ道がある。その道に宿の右隣りから、ルートヴィヒは入ってきていた。
「おい、ルートヴィヒ。てめえ、馬に乗ってどこへ行くつもりだ?」
ルートヴィヒはなにをしようとしているんだ? ひどく気になるあまり、思わずゴーマは鎧戸を開け、窓から上半身をのぞかせて叫んだ。
ルートヴィヒも、ゴーマの声に気づいた。馬を操りながらもその声が聞こえた後方を振り返り、叫んで返答をする。
「俺は、おまえらを裏切る。奴らの方へつく。奴らと組んで、おまえらを始末してやるよ。そう師にも伝えておけ」
「ああ? なんだと?」
ゴーマは不機嫌さをあらわにしたものの、語をつなげられなかった。
宿の周りにいる傭兵たちの射手は見逃さなかったのだ。ゴーマが、窓から身を乗り出していることを。
彼らは自らの弩を咆哮させる。ゴーマに向かって、矢が鋭く幾本も飛んでくる。
そのことにゴーマも瞬時に気づく。
やばい。彼は素早く窓のしたに頭を潜める。直後に、素通りする。その頭があった場所を、数本の矢が。そのまま彼のいる部屋の壁に突き刺さる。
ゴーマは胸を撫でおろした。すぐに身を隠したことで、幸いにも彼自身は無事だった。矢の餌食にならずに済んだ。
次第に遠ざかっていく宿でのその様子は、月の光もあってルートヴィヒにもよく見えた。
ルートヴィヒはうしろを振り向きながら、まっすぐのびるあぜ道を馬でいまや疾駆している。
彼はほくそ笑むと、こうも叫ぶ。
「そこにいる傭兵たちは、どうやら死刑執行人たちを皆殺しにしたいらしい。おまえたちだって、死刑執行人なんだからさ。そこの連中に殺されないよう、せいぜい気をつけるんだね」
ルートヴィヒは高笑いを上げると、馬とともに闇のなかへ消えていった。玲瓏な笑いの残響を、夜に刻み込みながら。
その余韻が未だ冷めやらぬあいだに、ジマが表情を曇らせる。ルートヴィヒの姿を飲み込んだ闇を、窓から見つめながら。
「なんだ、あいつ。裏切るだと?」
ジマもそう長くは、窓から闇を見つづけてはいられなかった。弩で狙う傭兵たちが、彼の頭を目がけて矢を撃ち込んできたのだ。
そのことに気づくと、多少の焦りを見せながらも飛んできた矢をすかさず頭を下げてジマは避けた。矢は勢いよく、部屋の壁に突き刺さる。
事なきを得たジマは壁に身を隠しながら、そのまましゃがみこんだ。その横から、いらただし気なゴーマの声が聞こえてくる。
「俺らの敵に回る気か、あの野郎」
ゴーマも眉をひそめて、怒りをあらわにした。床に腰を下ろし、その背を壁につけて敵から身を隠しながらも。
ルートヴィヒに反応を示したのは、彼ら二人だけではなかった。ルートヴィヒの動向を見て、傭兵たちもざわめきだしていた。
「おい、俺らの馬をかっぱらって、逃げた奴がいるぞ」
「あの逃げた奴も、ここの宿に泊まっていた死刑執行人の一人か?」
「じゃねーの? 宿の奴らと交わした、いまの会話からして」
「だな。宿の窓から顔をのぞかせている奴らはよ。たぶん死刑執行人どもだろ。そいつらを裏切るって、逃げた奴は云ってたからよ。逃げた奴も、その仲間の一人だと思うぜ」
「でも、わけわかんねえんだが。逃げた奴が云ってたろ。死刑執行人を裏切って、こっちにつくとか。ありゃ一体、どういうことだ?」
「さあな。知らねーよ」
「あんな野郎の云ったことなんて、どうでもいいじゃねえか。わけわかんねえことをぐだぐだ考えたって、仕方ねえだろう?」
「まあ、そーだな」
「でも、いいのかよ?」
「なにが?」
「皆殺しにしなきゃならねえんだろ。ここの宿に泊まる死刑執行人どもは。だったらさっき逃げた奴も、やっぱ殺さねえといけねえんじゃねえのか?」
「まあ、そーだろうな。逃げた奴も、死刑執行人なんだしよ」
「じゃあ、どうする? 逃げた奴もあとを追って、始末するか?」
「ほっとけ。ほっとけ」
以前、死刑執行人が乗る馬車に泥水をかけられた男は、手に持っていた兜をつける。これから宿でおこなわれるであろう、戦闘に備えて。
「いいのか?」
「追うことにしたら、嫌でもこっちの人数を割かなきゃならなくなっちまうじゃねえか。そんなことする必要はねえよ。これからこっちも、厄介な仕事をこなさなきゃならねえってのによ」
「だな。俺らは、始末しなきゃならねえんだぜ。昔は、かなりの手練れの傭兵だったっつう初代隊長をよ。いまから、そんな奴を相手にするんならよ。こっちとしては人数を減らしたくねえわな。
人数を減らしてしまえば、こっちが相当な手練れの初代隊長に敵わず、逆に返り討ちにあう恐れだってあるかもしれねえんだしよ」
「まったくだ。ほかにも、それなりに鍛えられているっつうその弟子もいるわけだし。その相手もしなきゃならねえんじゃ、やっぱ兵は減らせねえよ。俺らの、身の安全を考えるなら」
「それに逃げた奴は、副隊長が進んだ方角へ向かって行ったからよ。ほっときゃ、副隊長が見つけて始末すんだろ」
「こっちが初代隊長と、ほかの死刑執行人どもを殺してよ。副隊長が逃げたいまの死刑執行人を殺せば、結局は達せられるだろ。死刑執行人どもを皆殺しにするっつう、こちらの目的はよ。だったら、いま一人ぐらい見過ごしたって、べつに問題ねーよ」
「そうだぜ。大体、町には俺らの仲間だって多くいるしよ。そいつらが、逃げた奴の素通りなんて見逃すはずねえ。こっちは逃げた奴なんざ、とりあえず無視してよ。宿に残った奴らを、皆殺しにすることだけに専念しようぜ」
「そーすっか」
このとき、聞こえてきた。これまで二人の傭兵の大槌によって、叩かれ続けていた宿の扉から。より一層の、おおきな鈍い響きが。
「よし。扉が破れたぜ」
大槌によって宿の扉をついに破った傭兵の一人が、笑みを漏らした。
「じゃあ、さっそく宿に入るぞ」
傭兵たちの一人が、声を張り上げて指示をする。
「おい、外に残る奴ら。二階の窓から、死刑執行人たちがのぞいているみてえだしよ。奴らが窓から逃げねえよーに、しっかり弩で狙いつけとけよ」
「遠慮なく、狙いをつけて射殺してやれ。逃げ出そうとしたり、窓から顔のぞかせてる奴がいたなら」
こうした味方の声に、弩で狙う連中の一人が無言でうなずく。その姿を見てから、傭兵の一人が仲間たちをうながした。
「さて、ほんじゃあよ。俺に何人かついて来いよ。宿の一階を、一緒に見て回ることにしようぜ。残った奴らは二階へ上がれ。行って、俺らが殺さなくちゃならねえ奴らを始末してこい」
この声が合図となった。傭兵たちは宿のなかへ、破れた扉から足を踏み入れる。その後、二手に別れる。一組は一階へ。もう一組は二階へ行くために。
「奴ら、俺たちを殺す気まんまんじゃねえか。なめやがって」
ゴーマは怒りの形相をあらわにした。敵の弩から逃れられるよう、窓の隣の壁を背にしながら立ち上がる。その後、部屋を出て行こうとした。扉へ向けて歩を進める。
そんなゴーマの背後から、ジマは尋ねる。
「どこへ行く?」
ゴーマは一旦立ち止まると、ジマを振り返る。
「知れたこと。返り討ちにしてきてやる。宿に入ってくる奴らを。俺らがそう簡単に殺れるか、奴らに思い知らせてやらあ」
ゴーマは床に唾を吐き捨てて、ジマに指示を出す。
「ジマ。おまえは、そこにいろ。奴らのなかには、二階の窓から宿に入ろうとする奴もいるかもしれねえ。もしそんな奴らがいたら、そいつらにはおまえが思い知らせてやれ」
「そうするよ」
とくに断る理由もないので、ジマはうなずいた。
頼む。ふたたびゴーマは、ジマに背を向ける。部屋の扉に近づいてそれを開けると、足音を響かせながら歩み去っていった。




