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黒い焔が、彼を焼いていく。

「そのために、俺は何度もおこなってきた。この暮らしから抜けるための試みを、幼いころから」


 ルートヴィヒはつぶやいた。


 その手始めにおこなったのは逃走だ。俺はまずこの方法を選んだ。それがこの暮らしから抜けるための、もっとも手っ取り早い方法だったから。


 ルートヴィヒはそっと目をつむり、物思いに浸る。


 これまで何度逃げだしたことだろう。もう自分でも覚えてないくらい、幼いころから逃走を試みてきた。でもどこに逃げようとも、結局は師に捕らえられた。


 昔から弟子を失う気がなかった師は、その逃亡をけっして許したりしなかった。弟子が逃げたと知れば執拗に追跡して捜索した。鼻を利かせてその居場所を探り、ほかの弟子にも協力させ、ありとあらゆる手を用いて必ず自身のもとへ連れ戻した。


 逃げても逃げても、奴らは追ってくるんだ。俺は連中の手をいつだって振りきれない。こんな状況じゃ、どうしたって俺は奴らの魔手から逃れられない。師やほかの弟子どもが生きて在る限り。


 だとしたら、俺としてはどうすればいい?


 いつしか俺はそう考えて、違う答えを模索した。俺の糧となったわけだ。散々に逃走の失敗を重ね続けてきたことは。俺の発想を変えさせるための。


 出てきた答えは単純だった。


 殺すしかない。つまるところ、あいつらを。


 奴らが生きてある限り、どんなに逃げたとしても無意味なだけだ。


 いつかどこかの時点で、また連れ戻されてしまうかもしれないんだ。また逃げ出したとしても、けっして安心することもできないだろう。いつやって来るかもしれない奴らの影におびえ続ける暮らしを、ずっと余儀なくされてしまうだろうから。


 よしんばうまく逃げたとしても、そんな破目に陥るのも俺はごめんだ。


 だとしたら、師やあの弟子どもを完全に振り切りたいのなら。奴らの手から本当に逃れたいのなら。奴らを殺すのが、もっとも手っ取り早い方法だ。


 そうすれば、もう連中も俺を追えない。

 いくらなんだって、奴らも彼岸から俺に手出しすることなんてできやしない。奴らを殺すことでやっと、俺はその魔手から逃れて自由になれる。いまの暮らしから抜けられるわけだ。


 こうした結論を出した時点から、俺は奴らを殺すことを主に考えるようになった。奴らのもとから逃げ出すことは、頭から締め出して。  


「もっとも失敗続きだったけど。この暮らしから抜けるため、俺がこれまで弄してきたことは。逃亡も。奴らを始末しようとした試みも。そのすべてが通じなかった。一切ね」 


 ルートヴィヒは自嘲するように、その形のいい鼻先でふっと嗤った。


 しかも失敗後にはその都度、常に俺の身に降りかかった。逃走や奴らの殺害という愚行を画した報いとして、師からつらい罰が。


 師がそうした罰を与えるのは、二つの理由があったからだ。


 一つは、俺は師に拾われて育てられた。そうした境遇を思えば師からしてみれば自らの手元から許しなく逃げ出したり、その命を狙うことは育てた恩を仇で返す背信行為でしかない。師への裏切り、反逆に当たることになる。


 裏切られれば誰だって憤るものだが、師はよく逆上する性質でもある。

 

 ましてや師は弟子同士が互いの命を奪ったり、その躰をひどく傷つけあうことを禁じている。


 その禁も俺は犯しているんだ。俺が裏切ればその都度、師は相当に怒りに燃えた。自分の大事な命までも狙われているんだから、なおさらだ。裏切られれば師としては、なんらの罰も与えず嗤って許すことなどできようはずもない。


 二つ目に、師は、人を恐怖で縛って従わす方法を取ることをよしとする男でもある。その方法自体は、嗜虐性が強い男らしい人の従わせ方と云えなくもない。


 が、その方法は師が従わせたいと考える万人に対して向けられる。弟子にもだ。それだけに従わせたい誰かが逃走したり刃向かったりといった師への反逆を為した場合には、手ひどく罰する。



 それによって恐怖を与え、二度と叛く気が起こらぬようにして完全に従えたいという思惑もあって。


 おかげでいつだって失敗したときには、決まって俺は師に虐げられた。かなりの責め苦を受けた。


 罰として鞭打たれたり、暴行を受けたりしながら、裏切り者、と師にけなされたり、さまざまに罵倒されたりするのも常だった。


 あげく、俺は師の思惑どおりに恐怖に縛られてしまい、この暮らしから脱する気が失せるときすらなくもなかった。ことに奴らへの殺意がまだ芽生えておらず単に逃走をしようと狙っていたころには、その気を失くしたときがままあった。


 奴らの命を狙おうと考えてからも失敗後のつらい罰を恐れるあまりに、連中に対して手を出せなくなったときもある。


 ただ、俺としてはここでの暮らしから逃げ出したいという思いの方がはるかに強い。だから完全に恐怖に縛られることはなかった。


 ときに躊躇して思いとどまることはあったとしても、幾度となく繰り返した。逃走も、奴らの始末を望むようになってからはその命を狙うことも。残念ながら、俺にとって望ましい結果は得られなかったけれど。でも、その気持ちはいまも変わることはない。


 できることなら、こんな暮らしからは抜け出したい。奴らとは縁を切りたい。そのために奴らを殺したい。


 とはいえ欲求のままに衝動的に奴らを狙ってみたところで、なんの意味もない。いつものように、返り討ちにあってしまうだけだ。手を出してやりたいのは山々だけどね。


 いまでは、簡単に裏切りには踏み切れない。過去における数々の失敗の経験が、どうしてもこちらの足を鈍らせてしまう。これまでも、ずっと失敗する結果に終わってきたんだ。衝動的に思い立ってであろうと。どんなに入念に計画を練ってであろうとも。


 今度もまた実行してみたところで失敗に終わるんじゃないのかって、どうしても不安に思ってしまうから。


「くそ、いつ抜けられるんだ。こんな生活から俺は」


 ルートヴィヒは拳を握り、柔らかな寝台にたたきつける。


 抜けたくても抜けられない。袋小路に入ったようなその状況は、ひどく苦痛でしかない。


「正直、もう我慢できない。あいつらに虐げられるのも。死刑執行人として世間から蔑まれるのも」



 ルートヴィヒは美しい眉をしかめる。


 もう嫌だ。師の飼われ犬のような身になっていることにも。死刑執行人というこの俺の立場も。



「なんで俺は、こんなにも苦しめられなきゃならないんだ。いつもいつもあいつらや、世間に」


 そう思うと、ひどく悔しくてならない。両の拳をルートヴィヒは強く握りしめた。同時に怒りも込みあげてくる。ルートヴィヒは呪いの言葉を口にした。


「憎い。あいつらが憎い。世間も憎い」


 ルートヴィヒの内面で烈しく燃え上がる。どす黒い瞋恚の焔が。


 その焔は、憂愁の瞳と同様に彼の内面で育てられたものだった。幼いころからの不遇により堆積した、彼の負の感情によって。


「絶対に許せない。師も、ジマもゴーマも。あいつらは決して。いつもいつも俺を虐げて、痛めつけて」


 どす黒い憎悪と怒りの火勢は、とどまることなく彼を焼く。


 いつもあの弟子二人は、俺を苦しめ虐げる。俺への憎しみから。のみならず、俺の命までも狙ってくる。


 俺が奴らの命を狙うように。


 もちろん事が師に露見すれば罰を受ける。弟子たちが互いに相手の命を奪うことを許さない師の禁を犯しているだけに。


 だとしても自分たちが手を下したと師にばれないようにして、俺もあいつらもお互いを狙い続けている。そうすれば、師から罰も受けずに憎い相手を排除できるから。


 俺にしろ奴らにしろ、そうした目論みを策したところで師に公言はできない。もしも成功したときに、相手を殺した疑いをかけられて師に罰せられたくない思惑があるんでね。


 ただ隠したところで、俺たちが互いに相手を始末しようとする思惑を持つということなどはとうに師には見抜かれてしまっているけれど。


 俺も奴らも互いに憎みあっている。常日頃から殺意すら隠さない。実際に、殺すことを目論み、師にばれたことだってお互いあるんだ。それも当然だろう。


 その思惑に師も気づいているからには、手をこまねいてもいない。そうはさせんと絶えず師はその目を光らせている。弟子同士が争いあって命を落とせば、自分の手下が減る。そうなって困るのはほかならぬ師だからだ。


 そのせいで俺も奴らも憎む相手にそう軽々しく手を下すことが、普段からなかなかにできないでいるというわけだ。下手に手を出して、師から罰をくらうのは俺も奴らも避けたいんでね。


 つまり普段から常に俺たちが殺しあわないのは、互いに抱くそうした心情が師に見ぬかれていて、そのことが争いを止める抑止力にもなるからというわけだ。


 ことに師がそばにいれば、そのあいだはまず俺たちは争わない。基本的にいかなる場所であれ、それは同じだ。


 俺たちが互いにいがみ合いながらも、ともに暮らせているのはそのせいだ。


 ともに暮らすこの家には、師が身近にいる。師の怒りを買うのを恐れるあまりに、俺たちは互いに憎みあいながらもいつもそばで共存できるわけだ。


 ただし普段はそうであっても、手を出す特異な例外的状況もありはする。


 稀にだが、感情的になって我を忘れる場合にとか。そんなときは、俺もほかの弟子二人も師が身近にいようが関係ない。憎い相手に衝動的に殺意を見せることもある。


 師の目が届かない状況が訪れれば、そのときにもだ。


 そんな状況では、殺し合いがはじまることだってある。俺が奴らを狙うだけじゃない。


 奴らも俺を狙うことでも。


 師にばれないように憎む相手を殺せる、その絶好の状況を互いにみすみす放っておけないからね。


 とはいえ、俺としては散々な結果に終わってばかりだったけれど。


 俺から仕掛ければ、奴らに返り討ちにあう。逆に二人に狙われればその都度、奴らに殺されかける。そうなるのが常だった。大概は師が争いを見つけて止めるので、俺は助かってきたが。


 もちろんこうした争いが師に露見する以上、その事後には受けることになる。俺も奴らも、師の手によって過酷な罰を。




 嫌なものだが。そうした罰を受けることは。俺だけではなく、奴らにしても本心からそう思っている。


 それでも懲りずに、機会さえあれば俺たちは争いを繰り返しているわけだが。


 俺もあいつらも互いに共存するだなんて、本当はしたくもないから。そうだよ。心の奥底からそう思う。誰があいつらの身近にいたいものか。


 いいや、俺がそんな思いを抱くのは奴らばかりじゃない。師に対してだって同じだ。


 そのそばに、俺はいつまでもいたくない。


 そう思うのは当然というものだろう。あいつはなにかにつけて俺を虐げる。俺が幼いころからね。あいつに殺されかけたことだって、こちらは幾度となくある。


 普段は弟子を殺す気なんて師にもない。だけど、あいつは基本的には危険な男だ。気分次第でひどく痛めつけることだってある。


 場合によっては、本気で弟子を始末しようとしてるんじゃないか。再起不能にしてやろうとしてしてるんじゃないかと思えさえする。


 たとえじつの息子のように大事に思うゴーマが相手だとしても瀕死の状態にだって平気で至らしめる。


 結局のところ、最後には思いとどまるんだけど。どこかで、いつも思い出すから。自分には弟子が必要だということを。弟子が再起不能になれば、自分の役に立たなくなるということも。


 その意識が歯止めとなって、いままで弟子は全員あいつにひどい責め苦を受けても死なずに済んできた。五体満足でいられた。俺も一命をとりとめてきた。師やほかの弟子の命を狙った愚行の報いから、たとえ厳罰を与えられたとしても。


 こうして無事に、躰に何の支障もなく生きながらえているのはそのためだ。


 弟子が無事に生きていられていることから、ときに師の奴は云うけど。

 

 奴の理不尽な暴力にさらされても無事でいられるのは、自分が慈悲深いからだ。俺に感謝しろ、というようなことを冗談めかして。


 ふざけるな。感謝なんてするわけがないだろう。俺の躰をいつもぼろきれのように苛んでおきながら、どうしてそんな気持ちになれる? むしろこちらとしてはそんな目に散々あわされて、けっして許せないくらいだというのに。


 ルートヴィヒは寝台を叩く。


 まったくこの俺の境遇は悲惨もいいところだ。腸が煮えくり返る思いだ。師やほかの弟子どもにひどい目にあわされてきた、これまでのことを思えば。


「そんな真似をしてくれたあいつらを、許せるはずなんてない。あいつらには、いつか仕返しをしてやる。誓って必ず、そうしてやるぞ」


 心の深奥からの真情を吐露する。


 俺が奴らの命を狙うのは、いまの暮らしから逃れるだけのためじゃない。これまで連中に苦しめられてきた報復のためにでもあるんだから。



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