ルートヴィヒの力は劣るはずなのに。兄弟子二人が敵わなかった凄腕の師に、ルートヴィヒは一撃を。
ルートヴィヒの手には、すでに木剣が握られている。
すこしばかり距離を開けたところで師に相対すると、その剣を両手に握る。ルートヴィヒは師に対して構えをとった。
「おまえも兄弟子たちのようにしてやろう」
師はにやにやと笑んで、構えをとらない。
兄弟子というのは、もちろんゴーマとジマの二人のことである。師のもとにいる三人の弟子たち。彼らのうちでもっともはやく師の弟子となった者は、三人のなかで最年長のゴーマである。
その次はジマ。ゴーマとルートヴィヒの中間の年齢にある彼であった。
最後に弟子となったのは、最年少のルートヴィヒだった。
弟子となった順から考えれば、最年長のゴーマが一番弟子であり、二番弟子がジマ。三番弟子がルートヴィヒ。つまりルートヴィヒからしてみれば、ほかの二人は兄弟子に当たるのだった。
「おまえの剣の実力は、いまのところほかの弟子どもに劣る。そんな身ではほかの弟子ども同様、すぐ俺に倒されるだろう」
師は冷笑する。
ゴーマとジマでも、この俺に勝てんのだ。いわんやルートヴィヒごときでは、なにもできんだろう。
そう師は思い込んでいた。
三人の弟子どもは全員、ほぼ拮抗した剣の実力を持つ。ただし若干、力の差はある。年が長じている順に、強い実力を持つ。一番がゴーマ、二番がジマ。最後がルートヴィヒ。
ゴーマとジマの差はほとんどあってないようなものだが、ルートヴィヒはちがう。その力は、ほかの弟子と比べると一段劣る。そう評さざるを得ない状況に、いまはある。
極めて稀にだが、瞠目するような飛びぬけた腕のほどを見せることはあるにせよ。
こうした実力の差が弟子のあいだで出てしまう理由として考えられるのは、やはり年齢のせいもあると思われる。齢が若いほど、躰の成熟具合は否応なく遅れてしまう。経験も劣る。そういうことが邪魔をして、どうしても実力差が出てしまうようだ。
剣以外のほかのことにしても、そうだ。ことにルートヴィヒは、もっとも年が若いだけあってほかの二人との差が否応なくこれまでは目立った。
ただ奴も成長し、随分と力をつけてきた。いまでは剣以外のことに関しては、ほかの弟子と同列。そう云ってもいい。もちろん死刑執行人としての仕事だって任せられる。仕事をそつなくこなせるに足る実力も持つ。剣に於いては、ずっとこやつは最弱だとしてもだ。
とはいえ、それも仕方ないのかもしれんが。対戦となると、どうしても躰と経験の差がものをいうこともあるからな。
ほかの二人の弟子にしてみれば、年の差がルートヴィヒに対して有利に働く。ルートヴィヒにとっては不利に働くってわけだ。もちろんルートヴィヒの剣の才能が、この二人に劣っているというだけのことやもしれんが。それも理由として考えられる。
「まあ、せいぜい力を尽くすがいい」
師は嘲笑する。その後、勝負はすぐにはじまった。
師と相対したルートヴィヒは全力で撃ち込んできた。が、師にとって意外なことがおこった。
ルートヴィヒは、いまのところ剣の実力はもっとも弟子のなかで低いはず。
なのに、その動きがかなり速い。それも、ほかの弟子二人と比べても遜色がないほどに。いや、やや速いかもしれん。
む、と師は思わず眉間を寄せた。
二週間ほどまえに訓練したときと、ルートヴィヒの動きがちがう。二週間まえまでは、たしかにほかの弟子とくらべて剣の実力はやや劣るくらいのはずだった。
速度にしてもほかの弟子と同程度ではなく、もうすこし遅かった。なのに、これはどういうことだ?
師は舌打ちをした。速い。躱しきれん。そう踏んで、木剣で相手の攻撃を受け止める。
その後も、ルートヴィヒは攻撃の手を緩めずに剣を繰り出す。
その攻撃を、剣で師は幾度も受け止める。だが師の方でも負けずに、そのさなかにルートヴィヒに剣を撃ち込む。弟子はそれを躱し、また師を木剣で狙う。
十数合の剣戟が、二人のあいだで交わされた。
それから突如として、師は回し蹴りを放った。
ルートヴィヒは身を沈めて避ける。すかさず、続けざまに後ろ回し蹴りを放つ。身を低めて、師が躱したことで空をきる。
そのまま師は、自身も後ろ回し蹴りを放つ。
ルートヴィヒは瞬時に、後ろに飛んで避けた。二人のあいだに距離ができる。
「ふん。すこしばかり、腕が上がったか? いまの俺との攻防のやりとりで、そう感じたぞ。それとも、おまえはときに瞠目することをやらかすがな。今回も、それか? またまぐれか?
かもしれんが、もしそうではないとしたらだ。存外、おまえはもう剣士としてほかの兄弟子たちと対等の腕前になったかもしれんぞ。
これまでおまえは、どうしてもほかの弟子二人には及ばなかったというのにな」
師は冷ややかにルートヴィヒを見つめながら、そう評した。
ほかの弟子連中は悔しがり、歯をきしらせる。
そんなわけないだろう。ゴーマは憤る。
もともとルートヴィヒなんざ、俺たちはずっと格下に見てんだ。ことに昔は、いま以上に実力の差が開いていた。剣もそうだが、ほかのことについてもだ。
昔はなにをしても、奴は俺たちに劣ったんだ。だったら、見下すのも当然だろう。
もちろん年が経つにつれて、ルートヴィヒも一応は成長した。
やがてその実力も、俺やジマと拮抗しだした。実力の差を埋め、いつしか追いついてきやがった。
しかしほかのことでは差を埋められても、剣の腕前だけはちがう。
いまでは成長とともに、俺たちについてこれる力を奴も身に着けた。でも、いつだって俺たちに差を一段つけられていた。
もっとも奴はときに、瞠目すべきことをやってのけはする。その瞬間だけは俺たちを抜きんでる動きを見せることもあるのだが、普段の実力の差はどうしても埋められなかった。
結局、戦ったところで一度として、あいつが俺たちに勝った試しなんてない。俺たちに比べりゃ、全然弱い。俺たちからしてみりゃ、雑魚とも云えるような奴さ。
弱いせいで、俺たちからずっといじめられてもいやがる。ルートヴィヒはそんな程度の奴でしかないんだ。
そんな奴が俺たちと対等の腕前になれるなど、あり得ない。どうせ、またまぐれだよ。いつものな。
そうゴーマは思った。ジマも似たような思いを抱いていた。
剣については俺たちの方がうえのはず。それだけの矜持をこっちも持っている。
だが二人ともまったく反論せず、なおも師の話が続いたこともあって押し黙っていた。
「ともあれ、二週間まえよりは動きがいいようだ。だが実力を伸ばしたのだとしても、まだまだ俺に勝てるほどではないがな」
微笑すると、師はルートヴィヒに向けて突きを放った。
その速度は凄まじい。くっ、とルートヴィヒは顔をしかめる。急いで躱すものの避けきれない。師の木剣はルートヴィヒの首をかすめる。
このときはそれで済んだが、安堵したのもつかの間。
師による再度の突きが今度は胸元に迫ってくる。ルートヴィヒは舌打ちした。素早く身を沈めて避ける。次には自身の剣を右手で薙ぎ、師の躰を打ちつけんとする。
その攻撃を、師はとっさに自身の剣で受け止めた。だがルートヴィヒは止まらない。そのまま勢いを利用して、回し蹴りを放つ。その蹴りを師は身を沈めて避け、後ろ回し蹴りを放つ。負けじとルートヴィヒも身を低くして躱す。それから回転し、後ろ回し蹴りを放つ。
さきほどの自分と師の動きを、ルートヴィヒは攻守を逆にして再現してみせた。まず最初に一方が回し蹴りを放つ。それを避けた相手が、今度は後ろ回し蹴りを放つ。
最初に蹴りを放った一方も、即座に応じる。負けじと、後ろ回し蹴りを同様に放つ。
まるで同じ展開だった。
師の動きをまねることで、その技を躰に刻んで取り入れてやる。そうして俺の力量を上げてやる。
向上の意気を見せて、故意にルートヴィヒは同じ展開をなぞったのだ。
ぐっ、とつぶやいて師は眉をひそめた。
同じ展開をなぞった、ルートヴィヒの意図など知りもしない。そんなことを考える暇もない。弟子の後ろ回し蹴りが迫ってきたことで師は焦っていた。
あいにくといまは、最初の蹴りを躱すために姿勢を崩している。とっさに逃げが打てない。ルートヴィヒの後ろ回し蹴りも、かなり速い。まずい。喰らってしまう。それでもかろうじて、師はその攻撃を避けようとした。
だが避けられなかった。ルートヴィヒの蹴りは、師の左頬を完全に捉えた。師はおおきく頭を揺らす。その躰は派手に床に転倒した。
な。ほかの弟子連中は驚いた。師は弟子とのあいだに、圧倒的な実力差を誇っている。なのに、床に転倒させただと? 弟子のなかで、っとも実力が劣っているはずのルートヴィヒが師の顔面を蹴りつけて。それも今回のルートヴィヒの攻撃はまるで同じだというのに。さきほどの師の攻撃と。それをルートヴィヒの方では避けたのに、師は躱せなかったとは。有り得ない話だった。
ルートヴィヒ自身も、驚いた顔をしている。まさか、こんなことができてしまうとは。どうして。そう自問する。もしかすると。にわかに答えは浮かんだ。思いあたる節がないではない。
俺は、どんなときも剣の訓練はできる限り必死におこなってきた。その腕前を上げたくてね。一人で鍛錬もしている。全員での訓練が終わったあとも。誰も鍛錬していないときも。今日にまで至る、二週間に渡る日々にしてもそうだ。
俺だけはずっと鍛錬を欠かさなかった。ほかの弟子連中は、師に痛めつけられた身を休めるために剣や体術の鍛錬をおこなわなかったが、この俺は練磨を続けてきた。
その成果だろうか? 努力が、ついに身を結んだということだろうか?
かもしれない。
二週間前に師に負わされた怪我も癒えた。いまでは躰になんの異常もない。そのせいか躰が軽やかだが、それは健康を取り戻したからというだけではないような気がする。
どことなく自身の力が上がったような気が、たしかにする。
躰がいままでになく軽く、力がみなぎる感じだ。
しかし師に対して、ここまで戦えるようになっていたとは驚きだ。予想だにしていなかった。
驚いたのは師も同じで、ここまでルートヴィヒがやるようになっていたとは思っていなかった。
「ああ? 俺がおまえごときに蹴りを入れられて、そのうえ床に倒されたっていうのか?」
師は叫んだ。まったくもって信じられない。この俺が蹴られて、みっともなく床に倒されるとは。それもルートヴィヒごときに。あまつさえ、手傷までも負わされただと? 師は手で頬を触った。
こちらもかろうじてではあるが避けたこともあって、まともにその蹴りを喰らったわけじゃない。
威力は多少なりとも殺した。そのおかげもあってたいした手傷は負っちゃいないが、蹴られた頬はじんじんと痛む。
頬を手のひらで拭って目のまえに戻すと、そこには血もついている。
なんだと? 目を見開く。
ルートヴィヒごときに痛手を負わされることなどは、いままで一度としてなかったというのに。
嘘だろうと云いたいところだが、現実に起こったのはたしかだ。ということは、つまりそれだけこの弟子が成長したというわけか。あるいはまぐれか。ともあれ、瞠目に値することをまたしてもこいつはやってのけてくれたってわけだ。
だからといって、素直に喜んでやったりなどはしないがな。
「やってくれるなあ。ええ? ルートヴィヒ」
ぎらつく目を、師はルートヴィヒに向ける。いらだちを鎮めようとして、弟子をいたぶることにしたってのによ。逆に痛めつけられてしまっては、一層いらついてならねえぜ。
俺のいらだちを、さらに煽りやがって。怒りが猛然と湧いてくる。
自分より格下の弟子にこんな真似をされたとあっちゃあ、俺の矜持だって傷つくぜ。
この俺はルートヴィヒを嫌ってもいるからよ。嫌いな相手にやられたと思えば、怒りの度合いもいや増すというもの。
いらだちと怒りは互いに寄り糸のように紡がれて、さらに苛烈な激情が師の内側でほとばしる。
溶岩にも似たその激情は急速に灼熱して煮えたぎり、たちまち活火山のごとく噴火する。
もはや俺としては、ルートヴィヒを散々に痛めつけてやらねば気が済まん。
「ルートヴィヒごときが生意気な。思い知らせてやる」
師は激昂した。勢いよく立ちあがり、獣のようにルートヴィヒに躍りかかる。野生の狼のように吠え声もあげる。
ルートヴィヒは戦慄する。
凄まじい速さで師の剣が振り下ろされたが、ルートヴィヒはなんとか躱した。
師の攻撃はまだ続く。たったいま振り下ろした剣をうえへと返し、ルートヴィヒの躰に打ち込もうとする。かたやルートヴィヒはさきほどの師と同じように、体勢が崩れている。今度は躱せない。とっさにそう察する。
仕方なく、剣でからくも受け止める。瞬時に、師の剣が蛇のように動く。
たちまちルートヴィヒの剣は、からめとられてしまった。
あっ、とルートヴィヒは叫んだ。
からめとられた剣は、その手から跳ね飛ばされてしまう。剣は宙を飛び、床に転がる。そのあいだに、師は容赦なく無手となったルートヴィヒに襲いかかった。
突きを繰り出す。その突きをどうにかルートヴィヒは避けれたが、次は無理だった。
繰り出した突きを瞬時に引いて剣を上げ、第二撃目を師は一気に振り下ろす。師の木剣がルートヴィヒの肩に叩きつけられる。
ぐうう。痛みでルートヴィヒは膝をがくりと落とし、身を沈めた。そのルートヴィヒの躰に、師は回し蹴りを思い切りお見舞いする。その衝撃で、ルートヴィヒはついに床に倒れ込んだ。
「後悔しやがれ。俺に蹴りなんぞを入れて、手傷を負わせやがったことを」
なおも師は容赦しない。ルートヴィヒの腹に、何度も執拗に蹴りを強く入れる。
うう、と呻きながら、ルートヴィヒはその攻撃を受け続けた。肩の痛みがひどくて動けない。もはや身を丸めて、躰をなんとか防御するよりほかに為す術がない。
「思い知ったか。ボケェ」
師は叫んで、今度はこれまで以上に強い蹴りをルートヴィヒの腹に思い切り入れる。
ルートヴィヒの腹に、かなりの痛みが走る。思わず、蹴られた腹のあたりを両手で抑え込んだ。痛々しそうに、うめき声を響かせる。
そんな弟子の姿を師は肩で息を切らしながらも見下ろしたが、これ以上はルートヴィヒを痛めつけようとはしなかった。
たったいま散々に蹴りつけたことで、ルートヴィヒが自分にした仕打ちへの借りも返せた。
それにより、ルートヴィヒへの怒りもおさまった。
だけではなく、ルートヴィヒを含めて弟子連中を結構いたぶったことで随分と心はさっぱりした。胸のうちにあった、不満と鬱屈はもはや失せた。
おかげで、誰かを痛めつけたいという疼くような欲求もすでに静まった。身を苛むいらだちも、すでに消えている。師は穏やかに満足の吐息をつく。もう誰かを虐げる必要は、とりあえずない。
あとは酒でも飲めば、上機嫌になれるはずだ。運動していい汗もかけた。こんなときには麦酒でもしこたま飲めば、さぞかし爽快だろう。
「おう、ジマ。麦酒を持ってこい」
自らの欲求に従い、師はジマにそう命じた。
ジマはすでに、上半身だけは起こしていた。まだ師にやられた痛みもあって、苦しそうにではあるが。うつむき加減に床に座っている。
それでも師は、彼への命令を撤回しない。こう考えていたからであった。
苦しそうに見えても上体を起こせるくらいに状態が回復したなら、もう動けるだろうと。
はい。ジマは返答する。
師の見込みどおり、彼は多少なりとも回復してはいた。師にやられた躰の痛みは、まだひいてはいない。それでも動くことはできた。ジマは立ち上がると、まっすぐ厨房へと向かっていった。
急いで持って来なければ師が怒る。そう判断して駆け足で。
そのあいだに、師は訓練場に据えられた木造りの椅子に腰を下ろす。剣は訓練場の壁に立てかけて傲然と足を組むと、師はほかの弟子たちを見回した。
ゴーマはすでに上半身を起こして床に座っているが、まだ痛々しそうにしている。
ルートヴィヒは苦痛に顔を歪ませながら、床に倒れている。
「ふん、だらしのない奴らだ」
冷ややかにそう云ったあと、ジマがちいさな酒樽を持ってきた。なかには麦酒が入っている。その栓を抜いて酒樽から垂れている荒縄を片手に持つと、師は豪快な勢いで麦酒をごばっごばっと喉に流し込んだ。
ある程度飲んだあとにはいかにもうまそうな表情をしながら、師は酒臭い息をおおきく吐きだす。
「これで、とりあえず一息つけたぜ」
不服があるとすれば、ルートヴィヒに蹴られた頬がまだやや痛むことだが。
にしても、散々にその報いはすでにくれてやったしな。心地よく酔いも回ってもきたし、もはやいつまでも気に止めるまでもない。ははは、と師は哄笑する。
「嗜虐性による疼きもいらだちもなくなったうえに、麦酒も飲めていい気分だ。もうおまえたち弟子どもを、俺自らが剣をとっていたぶるのはやめてやるよ」
その師の言葉を受け、弟子たちはみな一様にほっとする。とりあえず、師は満足したようだ。助かった。もう師の相手をしなくていいのか。
三者三様に弟子はみな考えた。しかしほっとしたのも束の間だった。師は云い放つ。
「が、せっかくはじめた訓練を、このまま終わらせる気はない。おまえたち弟子どもの鍛錬は、このまま続行するぞ。おまえたちには、互いに対戦してもらう。その腕前を、より向上させるためにな。
おまえたち弟子は、それぞれ伯仲する剣の腕前を持つ。その弟子同士が戦えば、そこそこよい訓練になるからな」
自ら剣をとる気はもうないが、そういう考えを師は抱いていた。
弟子たちはうんざりする。まだ訓練が続くのか。三者三様の表情で、弟子たちはそう語っている。
しかし師は弟子の気持ちなど慮らない。もう自身の考えを推し進めることしか頭になかった。




