「追憶」 師が着座するまでのあいだ、公爵は思索と追憶にひとしきり耽る。
「飲むだろう? おまえも酒は好きだったな?」
公爵は尋ねる。師はうなずき、公爵の隣の席にまで歩いてくる。そこへ座るよう、すすめられたこともあって。そんな師の姿を眺めながら、公爵は考えていた。
ウルグス町での今回の事件。あれに、やはりこやつは関与しているのだろうか?
かもしれん。公爵は軽くうなずいた。
かつて私は、こやつを死刑執行人という職業に堕とした。しかし以降はとくに用もなかったこともあって、私はろくに接触もせずほぼこやつを放置してきた。
嗜虐性の強い男なだけに何をしでかすかわからず、奴のことはこちらもとりあえず気に止めてはいたがな。それで、ときにその様子をたびたびこちらも人を介してうかがってもいたが。
こやつを逃がさぬよう王都に住み続けているかどうか、その所在の在処を確認するためにも。だが、そうしていただけでは甘かったか?
公爵はベルモンを眺める。ベルモンは露台に足を踏み入れる寸前で警護兵に止められていた。公爵を害するような武器を所有していないかどうか。それをここでいま一度確認するため、その躰を兵の手でまさぐられて検査を受けている。
その様子を見ながらも、公爵はかすかに眉をひそめる。
見誤っていたか? 私は、このグローの奴を。やもしれん。
公爵はうなずき、物思いにふたたび耽る。
じつのところこちらが思っていた以上に、その嗜虐性が存外に強かったということは考えられなくもない。処刑に従事させればその嗜虐性は満足すると思って死刑執行人に堕としはしたが。それでは結局のところ、充分な満足感を得られないほどだったのやもしれん。
だとしたらこやつは、私の目の行き届かぬところで罪を隠れて犯し続けていた可能性も生まれよう。いまに至るまで、その嗜虐性を満足させるために。
そう考えると、やはりグローの奴は疑わしい。今回の事件もグローが手を染めたということは、おおいに考えられる。
そもそもが怪しすぎよう。奴がその事件が起きた当日に、ウルグス町にいたというのは。グローの強さを考えに入れれば、ますます深まるばかりだ。今回の一件に奴が手を染めたという疑いはな。
公爵は盃を唇に運ぶ。その頭を忙しく巡らせながらも。
グローの奴は傭兵を引退して久しい。そのグローが、いまどれほどの剣の腕前を持つかは知らん。しかし現役の傭兵だった当時のグローの腕はかなりのものだ。私を除けば、わが国のなかでも匹敵する者がごくごくわずかしかいないほどだった。
あれから、もう二十年の歳月も流れている。
その年月のあいだに、奴が剣の腕を錆びつかせている可能性はむろんある。だがそうではなく、むしろ流れた年月のあいだに腕を磨いている可能性も当然ある。その場合、奴の天分のほどを考えれば剣の腕をより一層あげていてもおかしくはない。ともすれば、奴一人で灰色の狼と対したとしても全滅できるほどに。
それにだ。長年、巷間を騒がせて暗躍している賊。朧についても、このグローの奴の仕業かもしれん。こやつは相当な賊になり得るからな。天分のあるその剣の腕が健在で、強すぎる嗜虐性があることを考えたら。
賊としての素養は充分に備えておるとみなしていい。
だとしたら成り立つわけだ。朧という賊としてグローの奴が、灰色の狼と相対してあのウルグス町で殺し合ったという仮説も。かの傭兵隊に対抗できるほどの腕を持ち、隠れて争いや罪を犯すことも辞さないほどの強い嗜虐性をこやつが持つと思えば。
あの日、グローの奴が町を訪れていたのも事実だしな。訪れはしたものの、あの一件が起きたときには町にいなかったとグローは主張しているらしいが。それも単にしらばっくれて、そう云っているだけということも考えられよう。
もちろん、奴が朧ではないということも考えられる。
ただ隠れて、たまに罪を犯しているというだけ。あるいは今回に限って事情があって、一度きりの過ちをあの町で犯したということも考えられなくもない。むろん私が考えすぎていて、グローの奴はまったくの潔白ということもある。
といってもグローには多少なりとも怪しさが、昔からつきまとっていたのはたしかだ。じつのところこやつが朧かもしれないと、過去に一度ならず疑ったこともある。
ただどんなときも、その疑いをこれまで私は打ち消した。
その理由はいくつかある。
一つ。まず、ずっと私の頭から離れることはなかったからだ。死刑執行人として処刑や拷問に手を染めていることで奴は嗜虐性を満足させて罪は犯すまいというその思いが。事実、私は強くずっとそう思い込んでいた。
なにせ嗜虐性の強さからも奴は喜んで自らの務めに従事し、満足しているような感も受けていたしな。これまでこちらが奴の様子をうかがった際には、その都度に。
その強い思い込みがまず邪魔をした。
二つ、グローには罪を犯して露見すれば、死罪に処すとも奴には脅しをかけてある。かなり昔の話だが、まだそのことをグローの奴とて覚えていよう。自らの命にかかわることをすっかり忘れさるとも思えんしな。
その脅しをこちらとしては反故にする気はない。もしこやつが朧であれば、なおさらだ。その罪によって、私としては是が非でも処断をせねばならんからな。
国内を荒らす朧は見逃せん。王国側の姿勢がそうであり、かくいう私も為政者側の人間でもある以上は従わねばならんしな。国のその姿勢には。
ならば死を恐れ、余計に奴としても罪を犯す気になれまい。奴が朧であろうとなかろうと。
死んでもいいから罪を犯そうとするほどには、奴も馬鹿ではなかろう。
そうも私は思っていた。その思いも一役買った。グローの奴が朧だという疑いを私の中から消すのに。
三つ、くわえてグローを失うのも惜しかった。
私は使う機会があれば、こやつを剣士として用いようと考えてもいたしな。
なにせグローの奴は私が無理に引退させはしたが、もとが有能な傭兵。
現役を離れて仮に多少腕を落とそうが、あるいはそうならずその力を維持するなり伸ばしたとしても剣士としてどこかで使えるだろう、と利用価値を見込んでもいたのでな。
それにグローは死刑執行人としても、嗜虐性の強さから使える男で有能だった。
にもかかわらず処断などをすれば、有能な剣士であり死刑執行人である男を失ってしまうことにななる。
そんな結果になっては、こちらとしては損失だ。
そうした損をしたくない気持ちもこちらに働いた。
これらの思いがこちらにはあり、私は真剣にグローを疑いはしなかった。いくら奴が朧かもしれないという疑いが頭をもたげてもな。
最後にはいつも、私はこやつを朧だと見立てなかった。ほかに疑いをこやつに持つ者がいても、私はそれを否定した。だけでなくその疑いが他者から出る都度、それを私は打ち消した。あるいはもしかしたらこやつがという疑いをどこかに持ちつつも、いままではな。
娘が殺され、その腹にいて生まれたはずの赤子。つまり、わが孫が消えたときもそうだ。
公爵がそう内心でつぶやいたこのときになって、ようやくベルモンは躰の検査を終えてふたたび歩を進めていた。その姿を公爵は横目でちらりと追いながらも、こう考える。
まだ会話を再開させるのも早かろう。ベルモンも席についていない。いまのままでは、ゆっくり話もできぬしな。
そこで、すこしばかり公爵は追憶に浸る。
私はあのとき怒り狂った。愛娘が殺されては当然だ。
ともあれ私は、悲しむべき結果を受けたあとにはすぐに奔走した。怒りとともにその犯人探しに。そのさなかにあっても、私はグローの奴に疑いはさほど持たなかった。
むろん一旦は犯人と睨んだ。グローの奴も私に恨みを持っているので、こうした結果を出すこともやりかねんと考えて。
が、すぐにその考えは捨てた。私に恨みを持つ輩が喧伝したからだ。私を悔しがらせるためにか、自分がやったのだと。娘殺しも。娘が腹に宿していた、私の孫にあたる嬰児殺しも。
その嬰児の骸は、結局のところ見つからなかったが。
堕胎させようとはしたものの一応は自分の孫であるので、死んでいたら手厚く葬ってやろうと骸を部下に探させはしたものの。
その骸は、どこぞにでも棄てられたのやもしれん。葬ってやれなかったのは憐れだし、残念だとは思わないでもないがな。
そのうえより無念なのは、わが手で殺せなかったことだ。そんなろくでもない罪を犯した愚か者を。むろんこの手で殺してやろうと、生きたまま捕らえるよう命じて部下を遣わせたが。その愚者のもとへ。
しかし間に合わなかった。遣わせた部下がたどり着いたときには、その愚者があろうことかすでに死んでしまっていたこともあって。
いまも悔やんでならん。あの愚者をわが手で殺せなかったことは。その罪の報いを、わが手でくれてやりたかった。その罪を犯した張本人に。
自らやったと喧伝をしおった以上、娘と孫の殺害はまず間違いなくその愚者の仕業であろうしな。これまでも私はずっとそう思ってきたし、その答えを得てからはグローの奴にも娘と孫殺しの嫌疑をもはや持ってはいない。
が、それについては無実でも、いまでもグローの奴がまるっきりなんの罪も犯していないのか? 確実に潔白という確信があるか? と自身で問えば、その答えはちがう。
ここで召使いが酒を運んできた。すでにベルモンは席に着座している。ベルモンのための酒杯が、召使いの手で小卓のうえに置かれもした。そのあとに召使いは、ベルモンの杯に赤い液体を注ぎ込みもする。
この時点に至るまで、師と公爵の双方はお互いに一言も会話を交わしていない。
公爵が考えに耽っているあいだ、ベルモンの方でも黙っていたからだ。
なにやら考えに耽っているらしい公爵の邪魔をする気になれん。
まして身分の差もある。高い身分の公爵に、卑しい身のうえの俺としては気安く話かけられん。
大体、俺たちは冷えきった間柄だ。ともに、相手に敵意を持つというな。そんな相手と、なんだって仲良くお話なんてしなくちゃならないんだ。
憤然としたそういう思いもあり、ベルモンは口を利く気にもなれなかった。
しかしベルモンのための酒が注がれ終わって飲める状況になると、ようやく公爵の方から口を開いた。相手が席につき、ゆっくり話ができる状況になったことを認めて。
「そら、さっそく飲むがいい」
「いただきましょう」
すすめにしたがい、師は杯を手に持った。かぶっている覆面の口元は開いていないが、酒を飲むのに問題はない。口元まで覆面を剥ぎ、師は酒をあおった。覆面は取れない。その許しを公爵から得ていないので。
公爵は、ふっと嗤う。飲むのに覆面は邪魔かもしれんが。覆面を取る許しを出す気はない。むろん、わざとな。それによって、グローに己が身分をわからせたいんでな。




