「祭りの準備」 ルートヴィヒは、部屋で一人考え事を。
さらに一週間が過ぎた。
王都の死刑執行人たちが住む屋敷の自室で、ルートヴィヒは着替えをしていた。
その部屋の窓からは、柔らかな秋の陽光が青い空から降り注がれて差し込んでくる。
それでも暖炉もないその部屋は冷えきっていた。冬の到来が間もなくと告げるかのように。
窓から差し込んでくる陽光だけでは、部屋全体は充分に温まることはなかった。
しかしすくなくともその陽射しは、部屋に明るさをもたらしていた。
だが光は部屋全体に射しこむわけではない。
光が届かない場所には、仄暗さが染み入っている。
おかげでその部屋は、強い光と濃い陰影で鮮やかに彩られてもいた。そんな部屋の片隅に置かれている寝台のうえに、ルートヴィヒは腰を下ろしていた。
「御の字か。裏切りの代償が、この程度で済んだなら」
ルートヴィヒは自分の躰を見ながら、そうつぶやいた。
半裸になっている彼の上半身は美しかった。鍛えられているために筋肉質で均整が取れている。未だ若いその白い肌は潤っているが、所々には傷がある。
もうほとんど目立たない古傷もあるが、それは昔つけられたものだ。師や弟子たちに虐げられたことによって。あるいは昔の戦いで。
ウルグス町の戦いのなかで負った傷もまだ残っているが、それらのほとんどは癒えて薄れかかっている。あの戦いから、しばらく時を経たことで。
ただその身には青あざがいくつもあるが、そちらの方はまだ見るからに生々しく痛々しい。
ルートヴィヒは、それらを眺めながら思う。
この青あざは、ゴーマとジマによってつけられたものだった。この屋敷に戻ってからおこなわれた訓練によって。
裏切りが失敗したからには、やはりただではすまなかった。あの町の教会で、師に云われた通りに罰を与えられてしまった。
師の承認のもと、兄弟子二人の手により裏切りの代償をしっかりと支払わされてしまった。
実際、そのときはひどく虐げられて大変だった。奴らに傷つけられたことで、かなりの痛みも負った。そのせいで、体を動かすのにも難渋したくらいだ。訓練後には痛みにより高熱まで発し、うなされて苦しみもした。いまは熱も下がり、痛みの程度も随分と和らいだが。
おかげで躰を動かすことも、いまとなっては不自由しない。随分と躰が良くなってきた証拠だろう。それでも見るからに生々しく所々に刻まれている青あざの様相が語るように、そのほとんどには多少の疼きや痛みなどがまだ残っている。
「殺されるよりは、幾分ましだよね。とはいえ、嘘になるけれど。こんな目にあわされて、悔しくないと云えば」
ルートヴィヒは嘆息をつく。俺につけられた、これらの傷。すくなくともあの教会でつけられ、いまは癒えかけている傷については今回、自らすすんで戦いに挑んで受けた結果だ。戦いを自ら望まなかったら、そもそも傷つくことなどなかった。
云ってしまえばその傷がついたのは、すべて俺のせい。自業自得だ。そう納得はできる。
だから、あの教会での戦いの渦中につけられた傷についてはいい。これについては身に刻み付けられても、その一方で俺もしっかりと支払わせてやったしね。俺と戦った代償を、ゴーマとジマ、さらにはあの傭兵隊長にも。
弟子二人には、俺がつけられた以上の傷をつけてやったことで。あの傭兵隊長に至っては、命すらも奪ってやった。俺以上に、連中をひどいめにあわせてやったのだから。
でもこのまだ生々しい青あざについては違う。勝てない訓練を無理にやらされて、あげく一方的に痛めつけられて身に刻まれたんだ。俺はゴーマとジマの二人を同時に相手をして、やはり敵わなかったこともあって。しかも痛めつけた連中に、俺はそのときなにもできなかった。
その訓練で、奴らは無傷に終わったんだ。
ルートヴィヒは憤り、歯をきしませる。
許せない。当然だろう? 勝てない訓練を無理やりやらされたあげく、ろくに抵抗もできず痛めつけられたとあっては。
こうなったのも俺が裏切ったからで自業自得なのかもしれないけど、こんな目にあわされてこのままやられっぱなしでいられるものか。
こうまで傷つけられて、何もせず許してやれるほどに俺は寛容じゃない。
この仕返しは、是非ともしてやりたいところだ。そのあざをつけた当人たちにも。そのあざをつける許しを与えた師にも。
奴らの手によってつけられた古傷も俺の躰には刻まれているけど、その借りだってまだ返していないことだしね。
「まったく、本当に殺してやりたい。あの連中」
ルートヴィヒは拳を強く握る。
今回の一件は、失敗に終わった。不本意ながらね。
でもだからといって、あの連中への怒りと憎しみの炎が燃え尽きたわけじゃない。むしろ屋敷に帰ってから痛めつけられたことで、より烈しく燃え盛っている。
ルートヴィヒは自覚していた。
黒い瞋恚の焔が胸のうちで、自らを焼くほどに強くなっていることを。
師は恐怖を与えて支配するために、この俺を痛めつけたようだけどさ。それは無駄に終わったよ。
ルートヴィヒは、くすりと嗤う。
いまの俺にとって、師は強力な存在だ。そのせいで師に恐れてしまうことはよくある。
礼拝堂での戦いが終わって以降に、恐れたように。いまだって、そうだ。あいつを恐れてはいる。そのことを否定はしない。
でもだからといって、支配なんてされるもんか。逆らう気だって、絶えたりすることなんてない。決して。
「でも、いまは難しいか」
ルートヴィヒの表情は悄然となる。
師は強く、到底敵わない。弟子二人もあの一件以来、まえにもまして共にいて離れることもない。そんな状況では、弟子二人にも手出しできない。まるで見いだせないんだ。あの連中を殺せるだけの隙が。
「いまは挑んだところで、ただやられるだけ。勝ち目はないよね」
ルートヴィヒは、やるせなくつぶやく。
勝てもしないのにもし挑めば、またこんな目にあうだけだ。
ルートヴィヒは腕についた青あざの一つを、もう片方の手で優しくなでる。
じゃあ、いまはどうすることもできない?
ルートヴィヒは自身に問いかける。
本当にそういう状況にあるのか? あらためて吟味してみる。
いや、と即座に首を振る。そんなことはない。じつのところある。師や弟子二人を殺そうと思うなら、手が一つだけ。
いっそ、ばらすか。国に。今回のウルグス町での一件、俺たちがやったと。あるいは、俺たちが朧だということを。ルートヴィヒはそう思った。
国は今回の一件、実行した犯人がいるなら許す気はない。朧という、国を荒らす賊にしても同じだ。
誰が犯人で朧なのかを知れば捕らえて、罪人として処断する挙に確実に出るだろう。
そうなれば、兵を大挙できる強大な国が相手だ。
いかに師や弟子たちが常人より剣で優れていても、国の強大な力をまえにしては敵うべくもない。生き残るには逃げるしかないが、国も追うだろう。
強力な国に追われては、逃れられない危険の方が高い。ジマやゴーマといったあの二人の弟子はもとより、いかに強い師といえども国の手から。
ならばこの手は、あいつら三人を殺すだけを目的とするなら有効だろう。
けれど、この手は使えない。やはりだめだ。
ルートヴィヒがまたも首を振ったとき、扉の向こう側の床がきしんだ。誰かが近づいてくる足音がした。
はっと、ルートヴィヒは部屋の扉の方を見やる。
まもなくその扉を誰かが外側から開けようとする。
一人きりで邪魔を入れずに考えたかったので、扉には鍵をかけている。当然開かなかったが、代わりに叫び声が扉の向こうから飛んできた。
「俺だ、ルートヴィヒ。開けろ」
声の主はゴーマだった。そばにはジマも控えていた。




