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短編横丁  作者: 友野久遠
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(3)ストレス解消法

 “もうこれ以上家事ばかりしていると気が狂いそうなので、出て来ます。

  将太はよく寝ているので、朝まで寝かせておいてください。

  気が向いたら帰って来ます。

  探さないでください。

     (由布子)”



 残業でくたくたになって家に戻った隆司の目が、テーブルに置かれた書置きに釘付けになったのは、深夜1時のことだった。

 一瞬何が起こったのかわからず、隆司は便箋を取り上げて3度読み返した。

 

 …家出か?


 文面からは、ちょっと気晴らしに出るのか、何日も帰ってこない予定なのか判断がつかない。

 一体いつから出ているのだろう。2歳になる将太は8時には寝かされるから、それから直ぐだともう5時間になる。

 いや、台所も洗濯物も片付いている。将太が寝たあと、これだけの片づけをしてから出たのなら、10時か11時頃だろう。

 もちろん、10時を回ってもコンビニやファミレスが開いているし、ゲームセンターなどで気晴らしをしていることは充分考えられる。

 大丈夫さ、と自分に言い聞かせながら、隆司は水道の水をコップに一杯、飲み干した。


 ストレスは溜まっているだろう、それは確かだ。

 やんちゃ盛りの将太は、毎日公園で遊びたがる。由布子は1日の大半を日盛りの公園で過ごし、帰宅するや洗濯物を取り込み、将太をテレビでごまかしながら大急ぎで夕食を作る。

 先に将太の食事を済ませると、自分の食事はそこそこに、将太を風呂に入れ、添い寝して寝かせ、自分は布団から這い出して洗濯物をたたむ。そのあとアイロンかけに繕いものだ。

 由布子が寝るのは毎晩1時か2時で、朝は隆司の弁当を作るため6時には起きている。


 考えて見ると、由布子の起きている時間はすべて将太と隆司のための家事育児に費やされている。毎晩残業と付き合いで遅くなる隆司は、ほとんど育児参加をしたことがない。


 「首のところに石鹸がついてる」

 洗い残しの白い泡を指摘してやったのは、一昨日だったろうか。

 「風呂で流し忘れたのか?ちゃんと洗えよ」

 何気なく口にした言葉だったが、由布子はむっとした表情になった。

 「あたしはこの2年間、自分の体をゆっくり洗ったことなんてないわよ!」

 言い放つと、その場で服を脱ぎ捨てて、風呂場へ飛び込んだ。


 ストレスは溜まっていたはずだ、夕べもそうだった。

 会社の健康診断で、メタボリックとコレステロール過多との注意書きをもらって帰った隆司は、由布子にこう言ったのだ。

 「もっとヘルシーな食事を作るように奥さんに言って下さいってさ。

  ほら、うちはカレーとかハンバーグみたいなものが多いだろ。子供がいるとどうしても子供中心の食事に偏りがちだけど、そこを注意して、もっと煮物や焼き魚を増やして、炒め物を減らしてさ」

 隆司にしたら、医者の言葉をそのまま伝えただけのつもりだった。

 しかし由布子には家事にモンクをつけられたと感じられたのだろう、そのあとずっと不機嫌だった。


 そうだ、そしてあれは今朝のことだった。

 隆司のベッドサイドを片付けていた由布子が、大量のスナック菓子の空袋を発見して、

 「なにこれ」

 と見せに来たのだ。

 「コレステロール云々を言うなら、間食くらい我慢したら」

 「そう言うなよ、仕事終わって唯一のストレスの解消法なんだぜ」

 「あなたって、自分は何もしないくせに、あたしに課題ばっかり増やすのね!」

 由布子は菓子袋を放り出してキッチンへ行ってしまった。

 その時は、何だか機嫌が悪いなと思っただけだった。生理中だったかな、くらいの意識だった。

 由布子の仕事には終わりがないことも、煮物や焼き魚だと将太が嫌うので、一品でも別メニューを増やしてやらないといけなくなるとか、そういうことは考えていなかった。


 (帰ってこないんじゃないだろうな)

 心配になった隆司は、由布子の携帯に電話を入れたが、いくら鳴らしても出なかった。

 何をしてるんだろう。

 まさか本当に家出。

 まさか発作的に何か大それたことをしたり。


 いても立ってもいられなくなり、由布子の実家に電話をした。夜中で悪いと思ったが、非常事態だ。

 寝ぼけた声で出て来た由布子の母から、彼女が来ていないことを知らされると、ますます不安がつのり、由布子の姉や友人達を片っ端から電話で叩き起こした。平謝りでとにかく探してるんだと伝えたが、誰も由布子の行方を知らなかった。


 もしや、その辺の公園で首でも吊っているのではないのか。

 悪い方向へ考え始めると、とめどなく妄想は広がり、隆司は車のキーをつかんで家を飛び出した。

 「生きていてくれ、気のせいであってくれ」

 叫びながら車を走らせた。

 近所の公園を手当たりしだい回り、コンビニや深夜営業の店もくまなく覗いてみたが、妻の姿はなかった。

 汗びっしょりになって、我が家へ戻って来た。


 しかし。

 「お帰りなさい」

 なんと由布子は家に戻っているではないか。

 台所で晩酌の支度をしながら、

 「ごめんね、あんまりストレス溜まっちゃったから。

  どこへ行ってたって?ヒトカラよお、ひとりカラオケ!

  3時間歌い続けたら声枯れちゃったけど、すっきりしたわあ。

  ああ、携帯に電話くれたのね、聞こえなかったのよ」


 怒鳴りつけそうになる隆司と対称的に、由布子はすこぶる機嫌が良かった。

 (まさか浮気じゃないだろうな)

 ホッとすると同時に、隆司の心に新たな不安の種が芽吹いてゆくのだった。



 次の日の昼下がり、由布子は将太を連れて近所のファミレスにいた。

 一緒にいるのは、公園で仲良くなった外遊び仲間のママとその子供たちだった。


 「将太ママのご主人、グンバツでトップね。携帯に電話したのが帰宅から7分後、実家に連絡が10分後、姉妹親族知人友人、20分で8軒も電話して、探しに行くまでに24分しかかかってないわよ」

 チェック表を見ながら、みちるママが感心した。

 「捜索時間は一時間半、これもけっこう頑張ったわ。

  愛されてるのね、うらやましい。うちなんか知らん顔でお風呂入ってたわよ」

 祐樹ママが恨めしそうに言った。

 「そりゃ、今回はあたし、ちゃんと仕込みをしといたもの」

 由布子は祐樹ママのおごりのプリンアラモードを、将太と自分の口に交互に突っ込みながら、満足そうに微笑んだ。

 「おかげさまで日ごろのストレスは解消したし、おいしいものはご馳走してもらえたし、万々歳よ」

 「うーん、悔しい。また来月もやりましょうよ」

 みちるママがテーブルを叩いた。

 「いいわよ。今度は何でやる?」

 「不倫疑惑なんてどうかしら」

 「あら、いいわね。仕込みのし甲斐もありそう」

 「あんまりあからさまなのは反則よ」

 「じゃあ禁止キーワードを決めときましょうよ」

 主婦たちは熱心に相談を始めた。


 ファミレスを出たところで、

 「じゃ、これは1番手のみちるママにお渡ししておくわね」

 由布子は、自分の家と車の中に仕掛けてあった盗聴器をみちるママに手渡すと、翔太の手を引いて元気に公園に向かって行った。

  

 


 

  

 


亭主を肴においしい物を食べる。これぞ主婦の醍醐味ですわ。

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