(22)とにかく出る道
夏らしくなってきたので、幽霊の話をしようと思う。
と言っても、出たのを見た話ではない。 見れなかった話だ。
私が育った地域は、今でこそ開けて来ているが、その当時は水田が一面に広がる田舎だった。
真ん中にJR(当時はまだ国鉄だった)の線路が一本通っているだけで、あとは見渡す限り畑と水田。 農家の人が田んぼに通うための細く曲がりくねった生活道路を、そのまま舗装しただけの急な坂道がメインストリート。
母の最大の苦痛は、毎年の年度始め、2人の娘が学校から持ち帰る家庭調査票に、田んぼだらけで目印の少ない学校までの道のりを、地図に書かねばならない事であり、私と姉の最大の苦痛は、夜間に電話をかけてきた友人から、雨音がするがそちらは雨かと尋ねられ、
「ううん、蛙の声」
などと返事をしなければならないことだった。
そんな土地であるから、夜になるとどこもかしこも真っ暗で寂しくて物騒な感じになるのだが、それでも本当に危険な場所は、何故だか限られているものらしかった。
街灯が少ないので見渡す限り真っ暗なのに、やはり見通しのいい畑や田んぼの真ん中よりも、土地の盛り上がった線路沿いが危なかった。 特に危ないと言われていたのは、意外にも大きな農家の塀のすぐ裏、街灯もさほど離れていない場所にあるのに、線路と塀の隙間という条件のせいか、そこはいわゆる「なんでもあり」の危険区域だった。
私が知っているだけでも、通り魔事件1件、痴漢が3件、ひったくり2件。 誰かがそこで幽霊を見たという話は2種類あった。 私と姉が高校に通っていた頃は、山の上に新興住宅などが建つようになり、犯罪が急に増えたので、日が暮れたらそこはひとりで通らないように、と警察から言われていた。
通るなと言われても、高校生だから日のあるうちに帰るのは無理だ。 バス停からは15分歩くのだが、ふたり一緒に帰ってくるわけではない。 同じ高校ならいいのだがそうではなかったし、帰る時間も違うのだ。 コンビニも携帯もない時代のこと、待ち合わせができない以上、頼りになるのは家で待っている母ばかりだ。
私と姉は、バス停に着いたら、最寄りの赤電話から家に電話をするように言われていた。 母は電話を受けると15分かかってバス停まで降り、15分かかって娘を連れて帰宅する。 これを1日に2回やるのだから大変だ。 母もよく文句も言わずに続けてくれたと思う。
さて、頃は11月、私はうっかり帰りのバスの中で爆睡してしまい、気がつくと山のてっぺんまで連れて行かれていた。
そこのバス停から大慌てで電話をすると、誰も出ない。 そう、母は姉を迎えに出たあとだったのだ。
山の上は新興住宅なので明るかったが、バス通りを歩いて戻っていくうちに、家の周囲とどっこいどっこいの暗がりに出くわす。 通りがかる人も車も少ない。 トボトボ歩いていると、これこそが物騒な状況だと思えて来たので、バス通りを戻るのをやめて、田んぼ道を近道しようと決心した。 そうすれば、普段と同じ15分程で家に着くルートがある。 ただまずいのは、母に迎えを頼む電話ができないことと、途中でやはり例の「なんでもあり」の路地を通らなければならないことだった。
私はもともと鈍感な少女で、幽霊も痴漢もさほど怖いとは思わなかったが、電話せずにひとりで危ないところを通ったとバレて叱られるのは怖かったので、とにかく走って母と姉と合流しようと頑張った。 そして、頑張りすぎてしまった。
家に着くと、母も姉もまだ帰っていなかった。 別ルートの田んぼの間を走る間に、追い抜いてしまったらしい。 これでは近道をしたのがバレバレで非常にまずい。
そこで私はもう一度家を飛び出し、畑の作物に隠れて母と姉を待ち伏せ、あとから追いついたフリをして二人に合流するという偽装工作をやった。 それはとりあえずうまく行き、なんだあ、すぐ後ろにもう一台バスがいたんだね、なんてことを言われながら、一緒に帰宅を果たしたのだった。
ところが、ここからが怪談なのである。
「で、あんたも見たんでしょ? 絶対おかしいよね、あれ」
と、姉に聞かれたのだ。
「何を見たって?」
「この寒いのに浴衣1枚で立ってる、若い女の人だよ!」
「どこで?」
「例の危険区域の塀のとこ! え? あんた見てないの?」
「誰もいなかったはずだけど」
「じゃああたしらが通った直後にいなくなったのか。 ということは、幽霊ってわけじゃないのかなあ」
その女の人は、塀と線路の隙間にできた細い道路に、塀に背中をくっつけるように立っていたのだが、近所で見かけたことのない顔だったそうだ。 大きな白い犬にリードをつけて連れていたが、犬も女の人もほとんど身動きをしなかったと言う。
まず、電話をもらってひとりで迎えに出た母が見て、おかしな人だと思いながらバス停まで降りた。 そして、姉を伴って戻って来ると、その人はまだそこにいた。 寒い夜なのに浴衣1枚は夜着なのか、それにしては犬にリードをつけて出てくる不自然さ、30分も身じろぎ一つしていないのもおかしい。 なんだろうあれは、変な人だねと言いながら帰って来たのだという話だった。
「あんたが見てないのなら、あの家のお客さんかもしれないね。 よかった、幽霊かと思っちゃった」
姉がホッとしている横で、私は青くなっていた。 何故なら、状況から見て私がそこを実際に通ったのは、母がひとりで通った後であり、姉とふたりで通るよりも前であった筈だからだ。
自転車が離合するのに、片方が降りなければならない広さの道なのだ。 気づかずに通り過ぎるなんてことはできるはずがない。 身じろぎもしなかったその女が、意外と素早く出たり入ったりしたということは考えにくく、これはどう見ても、私にだけ見えなかった、と考えるべきではないのだろうか。
霊感が強いという噂の友人に、あんたは見ない体質ね、と言われたことがあるのを思い出した。 小学校時代の友人が、あの塀のところは、敬礼した兵隊さんの霊がいる、と話しているのも聞いたことがある。 もしかしたらこれまでにも、たくさんの「そういう者」たちが挨拶してくれているのに、私一人気づかず通り過ぎていたのかもしれない。
見えなくてよかったとはあまり思えなかった。 なぜなら、ここに霊はいない、と自分で確認することが、私には決してできないと判明してしまったからである。