(19)クエスチョンマークが怖い
「あなたの恐いものは何ですか」
そう聞かれると、小学生の私は決まってこう答えていた。
「クエスチョンマークです」
質問者は決まって、理解できないという顔で眉間にしわを寄せたものだ。
いくら子供の時の事とはいっても、あの単なる“?記号”が怖いと本気で思っていたわけではない。 小学生の拙い分析力では、自分が何に怯えているのかが判別できなかっただけである。
私が真に怖いと感じていたのは、「謎」という、実体のない物だった。
「一つ目に棒一本、目も鼻もないのっぺらぼう。
さわるとカラカラ笑うのなーんだ?」
なぞなぞの本の中には、いつだって怖い言葉がいっぱい並んでいた。 そしてその横には必ず、手足の生えたクエスチョンマークが描かれていた。 でかい口を開けて笑っていたり、得体のしれない物を食べていたり、巨大な目玉を付けられたりして。
そのクエスチョンマークの部分に入るものを、質問された者は想像しなければならない。 毛むくじゃらの化け物かも知れないし、そこだけ何にもない透明人間かも知れない。 ああ、夜中にこんなものが風呂場に座っていたら、どれだけ怖い事だろう。
何に発展するかわからない、「謎」と銘打たれたその記号が、私はとにかく怖かった。
「あなたの恐いものは何ですか」
大人になった今、同じ質問をされたら、私はこう答えることにしている。
「真夜中の公衆トイレです」
この答には質問者は、簡単に納得してうなずいてくれる。
「そうですね、気持ち悪いですよね。 夜中に公衆便所なんかに行くと、暗いし汚いし不安ですよね」
具体的に言うとちょっと違っているのだが、その辺で納得してくれた方が面倒がないので、私は曖昧に笑って話を切り上げる。
私が怖いのは、暗がりでも汚さでもない。
真っ暗な真夜中、人けのない公園で尿意をもよおし、トイレに行って見るといい。
個室が3つ以上ある、古いトイレが怖い。
「入室」の表示なんか、古くなってて読み取れないことが多いので、取りあえずノックなどをしてみる。
トントン。
ここで、中からトントン、と返答があった時が怖い。
なんだなんだ、夜中の2時だぞ。 誰がこんな時間にこんなとこに入ってるんだ。
人間か? 人間じゃないだろう、だってだれもいないんだぞ、公園も通りも、見渡す限り無人だぞ。
いや、そうでもないか。 私がいるくらいだものな。 もうひとりくらい、物好きが歩いてても不思議はないよな。
気を取り直して、隣を叩いてみる。
トントン。
すると中からここでも、トントン、と返事があるじゃないか。
ありえない。 物好きがそんなに何人もいないだろう。
人間か? 人間じゃないだろう絶対。 こんな時間に3人も人間が集まるような場所じゃないぞここは。
いやいやいや、落着け私。 二人連れの酔っ払いが、一緒にもよおして入ってるかもしれないじゃないか。
そうそう、酔うとよくやるんだよ、女の連れション。 問題ないよ。 ほら、隣は空いてるし。
とにかくもう我慢が出来ないので、不吉な思いを振り払って、空いてる個室に入るのである。
すると、ガチャリと音がして、あとの二つのドアが開く気配がある。
ほ、ほら、二人一緒に出て来たよ。 きっと友達同士なんだな。
それにしては話し声がしないな。 おい、待て。 足音はしたか? してないんじゃないか? 立ち去る気配はあったか? なかったんじゃないか?
出て来て、今、じっと外に立ってるんじゃないだろうな。 ふたりしてじっと、ドアの外に。
おい止せそんな奴はいない筈だ、そんな暇人は。
人間か? 人間じゃないだろうそんなことをするのは。
背筋がぞっとしておしっこなんか止まってしまいそうな状況で、極めつけの事態。
トントン。
外からノックなどされるともうダメである。
誰だ。 一体誰がノックしてる? 今出た奴がわざわざ入りたがってるのか? それとも、こんな真夜中に4人目の使用者がいるとでもいうのか? なんだってこんな時間にぞろぞろ集まる? しかも外には誰もいないのに。 人間か? 人間じゃないだろう。
いかん、まだお尻が出しっぱなしだから逃げられない。 上から登って来たらどうするんだ。 あの天井とドアの隙間から、ノバーって出てきたらどうすりゃいいんだ。 いや下から来たらどこに逃げりゃいいんだ? このドアの下をくぐって来たら、逃げ場はないしああ、お尻は出てるし神様ホトケサマ。
ああ、恐ろしやクエスチョンマーク。
想像しきれない想像の世界に、勝る恐さはないのである。
今回は純粋にエッセイです。