(17)年の功
コトン、と小さな音がした。
高校2年の秋だった。
矢部という友人が、先生に指名されて英語のリーディングをしていた時だった。
音の原因は、小さな白い塊で、それは起立して教科書を読み続ける矢部の口の中から落下したモノだった。
落ちた後で机の上で一回はずみ、足元のピータイルの床にコロコロと転がるのが見えた。
笑いが起こった。
一瞬のくすくす笑いが、すぐに大爆笑に変化する。
それは、矢部の前歯だった。 差し歯が抜けて落ちたのである。
箸が転がってもおかしい年ごろの級友たちは、涙を流して笑い転げ、矢部は顔を真っ赤にして体をかがめ、床の上の差し歯を拾ったのだった。
「はい、静かに。 最初の所を、次の人、訳して」
教師が一人だけ知らん顔で授業を続けようとしたのがまたおかしくて、級友たちは更に笑った。
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コトン、と小さな音がした。
つい先週の、公民館での出来事だ。
私が参加したコーラスグループ、平均年齢72歳の高齢者ばかりのチームだった。
全員が円陣になって立ち、ピアノの伴奏で発声練習をしているところだった。
音の原因は、小川と言う最高齢の女性の口から落ちたものだった。
それは不規則なリズムで弾みながら床を転がり、円陣の中央で止まった。
しっかりとピンクの歯茎がついた、入れ歯だった。
全員が目を凝らしてそれを見た。 しかし誰も笑わなかった。
メンバーの誰もが真顔で歌い続ける中、小川はそそくさと円陣の中央へ出てそれを拾い、何事もなかったように歌を続けた。 歌声が乱れることもなかった。
「みなさん、さすがというかなんというか。
うーん、感心しますけど、誰か笑ってあげなさいよ」
指揮者の先生が一人でフォローに回ったのが印象的だった。