漂流 ファーストコンタクト
ピシュッーと空気が抜ける音に続いて、宇宙船の金属ドアがゆっくりと右斜め上にスライドした。東堂は思いの外眩しい景色に少したじろぐ。自動で展開されるタラップを6段ほど降りると、そこには懐かしさすら感じる風景があった。穏やかな暖かさを帯びた風、柔らかい日差し、静かに揺れる雑草。
彼は慎重に、宇宙船着陸の衝撃でむき出しになった黒土に第一歩を踏み出した。足は勢いを増して、宇宙船の灼熱のジェットを浴びて焦げた雑草に二歩目を置き、そしてこの星本来の自然へと三歩目をすすめた。
宇宙船から見えた構造物は、近くで見ると何軒かの家が集まって作り出された姿だと分かった。家と家の間には人が一人歩ける細さの隙間がある。一軒一軒の家には木製ドアがついており、四角い窓がある一般的な家の作りをしていた。ドアの大きさから、住んでいる人間の背丈も東堂自身と同じ程度だと推測できる。窓にカーテンはかかってなさそうだったが、部屋は非常に暗く窓の中は見えなかった。
新しい発見を得た以上、一旦引き返して共有する事が最適解だとは分かっていたが、欲望には逆らえない。
東堂はダメ元で目の前のドアにコツンコツンとノックした。
......無反応。1軒目に誰もいないことを確認した東堂は、2軒目、3軒目とノックして回る。「昼だから誰もいないのか、あるいは廃墟なのか」東堂がぼんやりと思考を巡らせながら、4軒目のドアにノックしたその時だった。
「トルの斥候か!」
建物の中から突然低い怒鳴り声が響く。それと同時に今まで返事が無かったはずの周囲の家々から剣や槍を持った若者達が飛び出してくる。アクション映画でしか聞かないような重たい金属音がガランガランと響きわたり、気がついたときには民家を背に、東堂は囲まれていた。10人ほどの若者達は皆、何らかの武器を持っており、兵士か戦士かである事は明白だ。
「お前はトルか、あの鎧の城はトルの武器か。」
最も豪華な鉄の鎧をまとった青年が問う。鎧の胸板に塗られた赤く輝く流線模様は彼の格が高い証拠だとひと目で分かる。右手には2m近い槍、この槍にも赤い模様が所々に書き込まれていた。左手は横に広げられ、他の兵士を抑えているような仕草をしていた。彼の額には沢山の細かい汗が浮き出ていた。東堂は慌てて役所のような敵を作らない話し方で弁明する。
「申し訳ありません。別に敵意はなかったんです、あれは日米が主導となっておこなっている火星移住計画の一貫で作られた宇宙船『夕凪』なのですが、緊急時につきやむを得ず着陸をさせていただきました。現在も、状況の確認を続けていますが、見通しは……って、おや。日本語が喋れるんですか?」
「何を言っている、ニホンゴとは何だ。ウチューセン?ニチベー?まあいい、今、我々が1番聞きたいのはトルミニッツの斥候かと言うことだけだ。」
男は背丈ほどの槍を東堂に向け、冷静にもう一度問いかけた。東堂のスペースジャケットには簡易的な衝撃耐性のシステムが実装されているが、武器による攻撃は防げない。
「信じてもらえないでしょうが、我々はこの辺りの人間ではないんです。だからトルもトルミニッツも知りません。お願いします、むしろ我々は君たちに助けてほしいくらいなのです。」
顔をしかめて考え込むリーダー格の人間に、隣の小柄な少年兵がボソボソと何か語りかける。少年は兵士の規定年齢よりだいぶ若いらしい。ブカブカのヘルメットの左耳の隙間にはサイズ調整のためか布が何枚も詰め込まれており、垂れ下がる布はまるでアラブの民族衣装のようだった。彼らの間で一通り話が終わると、リーダーは槍を少年に預け東堂に近づいてきた。
「……分かった、信頼はできないが武器を手に取らない様子から敵意は無いように見える。我々、と言ったな。あそこにそびえる鎧の城の中には他にも人がいるのか。」
警戒した表情で赤線の鎧が話しかける。後ろでは重い槍をフラフラと揺らしながら少年が必死に握っていた。
「ええ、女性が一人。鎧の城、あれは宇宙船です。我々はあれに乗って遠くからやってきたんです。ただ」
「ただ?」
「どうにも着陸の際にエンジンが壊れてしまい、しばらくは動かせなさそうなんです。」
赤線の鎧は表情を一切変えず何度か頷いたあと、再び左手を横に広げ10人ほどいる戦士全体に聞こえる大きな声で判決を下した。
「聞け、どうせこのままでは滅びるだけだ。私は彼、あるいはあの鎧の城に少しばかりの可能性を感じる。ゆえに、これから賢人のもとに彼を連れて行く。3人ついてこい。」
戦士達は多少の譲り合いこそしていたが、直ぐに3人の志願者が集められた。その中には先程の少年兵の姿もあった。赤線の鎧は志願者の顔を一通り見ると、槍で宇宙船を示し指示を続けた。
「残りは鎧の城を見張れ。もし女が出てきたら中に留まるように言え。従わないのなら足を切り落としても構わない。それから、もしトルが来た場合はあくまでトルの対処を優先しろ。以上。」
「「了解」」
危機が過ぎた安堵なのか、あるいは未知との遭遇からくる期待なのか、志願した兵士達は陽気に雑談を始めていた。志願者をかき分け、リーダー格の赤線の鎧が近づいてくる。
「そういう事だ、もしここで生きたいなら私と共に賢人の下へ迎え。ここからなら1時間もあれば着く。」
「待ってください、城の中の彼女に危害を与えないよう命令してください。彼女は無害です。」
東堂の呼びかけに、赤線の鎧は一言「どうせ殺しはしないさ、彼らも分かっている。」とだけ呟いた。東堂は無線で現状をセウォンに伝えようとしたが、赤線の鎧を刺激することを恐れて諦めた。宇宙船の窓にはセウォンの姿が小さく見えた。
赤線の鎧は再び槍を受け取ると、道を伝って歩き出す。東堂はその後ろを歩きながら考える。なぜ日本語が話せるのか、なぜ時間の単位が同じなのか。なのに、なぜここまで訳の分からない人達なのか。
「ねえねえ、オジサン本当はどこから来たんだい?」
隣を歩いていた少年兵が小さな声で東堂に尋ねてきた。彼の右手には短剣が握られていたが、敵意や殺意は感じられなかった。
「ん?あー正直自分にも分からないんだ。あ、でも少なくともトル……えっと」
「トルミニッツ」
「そう、トルミニッツではない事は確かさ。今はとりあえず遠い国からやって来たと思ってくれればいいよ。」
「トルミニッツを知らないくらいだもんね相当遠くなんだね。」
少年兵は東堂の曖昧な答えに対して、勝手に納得をする。
「そのトルミニッツはそんなに有名な国なのか?言い方からしてキミ達とは仲が悪そうだが。」
東堂はどうせ歩くだけでは暇だから、と賢人に聞こうとしていた疑問を小さな兵隊さんに投げかける。
「トルは大きいからね。あの山の向こうは見える範囲全部トルなんだ。昔はエルスとの仲も良かったんだけどね。」
少年兵は右に見える山脈を指差す。東堂は指の先に見えるひときわ高い深緑色の山を見つめた。
「仲違いする何かがあったと。」
「そう、理由は分からないんだけどね。先月突然、軍隊が山の上に駐留しだして、しかも最近では3日に1回くらいの頻度で斥候と遭遇しているんだ。ねえ隊長、いつでしたっけ。斥候を捉えかけたことありましたよね。」
少年は1番前を歩く赤線の鎧に話のバトンを渡そうとする。隊長は、顔だけ振り向くと力強い声で少年を諭した。
「賢人に会わせるまであまり情報を伝えるな。敵では無いにせよ、まだコイツが仲間かどうかは確定していない。さあ、街が見えてきたぞ。あともう少しだ。」
遠方には半月のような形をした青い湖が見え、その周りには白と焦げ茶色のまだら模様が広く伸びていた。家々によって描かれたその模様は、夜空の半月を幻想的に変える散乱光のようだった。