序論 目覚めて、そして
全身を何かに押し付けられるような違和感で東堂は目を覚ました。東堂は床に張り付くように倒れていた。周辺には何かが原因で本棚から外れた赤い本、さっきまで食べていたアイス、そして倒れたまま動かないセウォン。彼女のスーツのヘルメットは潰れており、大きな衝撃を受けたことは確かだった。
「おい!大丈夫か!今そっちに行くぞ!」
無重力下においては作用反作用の法則が世界を支配する。東堂は勢い良く床を蹴りその反動でセウォンに向かって飛んだ。
……つもりだった。しかし宙を飛ぶ意思は大いなる何かによって拒絶され、東堂は再び地面に叩きつけられた。
「……っ痛ぁ。……重力?いや、遠心力か……?」
東堂は膝を打った痛みを隠しながらノロノロと宇宙船の中を歩く。何らかの中心力が働いているのだとしたら大量のガラクタが地面に落ちている事にも納得がいく。ビンを蹴り、本を足で退かし、彼はセウォンの元へ行く。
「……そうか。おい、起きてくれセウォン。」
近くで見ると彼女のビニル状ヘルメットが潰れていたわけではなく、彼女がまだヘルメットを顔に装着していないだけだった。遠くからでは見えなかったセウォンの顔には幸いケガ一つなく彼女はスースーと寝息をたてていた。
安心するのも束の間、東堂は一瞬で頭を切り替え次のレベルの安全確保へと向かう。恐ろしい閃光は無くなっていたものの、彼にとってそれは決して良い事ではなかった。原因が分からない以上、影響も再現性も調べきれないからだ。
「仕方ない。次は……。」
東堂は自身の身体にムチをうち、コックピットに向かった。ボーイスカウトでの四国踏破経験に始まり、3ヶ月連続砂漠観測、果てには南極観測隊経験すらある彼にとって、緊急時こそ状況把握と判断が不可欠である事は身に染み付いていた。彼はコックピットへのハシゴを一段ずつ馴れない足取りで上り、普段の3倍の時間をかけてコックピットに辿り着いた。
唖然。電話ボックスから見える景色は予想と全く異なるものだった。宇宙旅行ではどんなに距離を移動しても基本的には「黒」が殆どを占める。宇宙科学者にとって、その景色は素晴らしい絵画であるが普通の人間にとっては退屈なものだ。しかし、今の景色は全く違った。景色の3割を占めるは緑色の地面。2割を占めるは光を反射して輝く川、あるいは湖。そして残りは空の軽やかな水色だった。遠くには家のような煉瓦造りの建造物も見える。
東堂を押し付けていた力も重力だったのだろう。東堂は少しの間、久しぶりの大地をぼんやりと眺めていたが、宇宙船の健康状態を示すLED灯が幾つか赤く輝いていることに気が付き、慌ててモニタに表示される様々な船内表示を見た。火災、空気漏れ、発電システム、温度管理……。生存の綱となるシステムに異常は無かったものの、離着陸エンジンや重力加速度計を中心に異常は所々あり次の飛行は絶望的だった。
ズンッ
下の居住区で何かが情けなく落ちる音がした。東堂はようやく落ち着いて呼吸をした後、にやりと笑い下の階へ再びハシゴを降りだした。
「セウォン、久しぶりの大地はどうだ?」
床にベッタリと張り付いた彼女に冗談を放つ東堂。セウォンは余裕げに梯子を降りてくるヘルメット装備の彼に問いかけた。
「どうなっているの?……そうよ、あの光の後に何があったの?待って、私が当てるわ。んむんむ、もしかして気絶した私のために愛する地球へとUターンしてくれたのかしら?」
彼女の意見を聞いて彼は自分自身に話しかけるかのように伝えた。
「冗談飛ばせるとは、随分と余裕なんだな。だけどいい考察だと思うよ。セウォンの予想は半分正解さ。確かに俺達は大地に帰ってきている。もっとも、それは俺の意思ではなく自動制御によってだけどな。」
「んん。それでもう半分は?」
セウォンは座り込み、膝を撫でながら上目遣いで問いかける。心を揺さぶられる感覚を隠しつつ、東堂は静かに答える。
「まだ地球にUターンしたかは分からないって事さ。さっき宇宙船のステータスを見ていたが、どうも地球っぽくない。まるで......いや。とりあえず俺たちが考えるべきは宇宙船の異常についてだ。答え合わせは後にしよう。」
彼はセウォンに手を差し伸べ身体を起こさせると次の一手を考えだした。
「実はさっきまでコックピットを見ていたんだ。生命維持システムに問題はなさそうだけど、問題は沢山あるかもしれん。セウォンもちょっと見てきてくれないか。いいおまけ付だぞ。」
「ええ、そう言うなら見てくるわ。とはいえ困ったわね。私、機械工学系とはいえロケット工学者じゃないのに。」
ハシゴを登る彼女を見届け、東堂は食料備蓄庫へと向かった。気を失った時間が何日かは分からなかったが、控えめに言っても彼は常に腹痛が続くほど空腹だった。彼は薄暗い食料備蓄庫に辿り着くと、セウォンの分と合わせて4食分ほどの食料パックを持ち出し、ゼリーを食べつつ居住区へと戻った。
「驚いたわ。綺麗な自然、くすんでいない空。まるでここは天国ね。」
東堂がそうだったように、セウォンも興奮を抑えきれないようだった。東堂は
「あるいは、本当に天国かもな。」
と呟き、宇宙食のパックを彼女へと投げた。彼女はなだらかな放物線を描きやって来るそれを少し慌てて掴むと一言。
「"重力"下なのだから、勘弁してよね。」