第7話 悪役令嬢、授業に出る
ナタリアの朝は、ベッドの下に転げ落ちるところからはじまる。
艶やかな黒髪は寝癖でぐしゃぐしゃ。パジャマが乱れて、いくつかのボタンは穴から外れている。
要するに、寝相がすこぶる悪い。
そんな彼女と長年付き合ってきたのは公爵家の使用人だ。彼らの知恵によって、床には柔らかなクッションが敷き詰められている。「お嬢様が落ちても怪我をすることのないように」というのが乳母の言葉。
「……むにゃ、まず…しょくぶつ、じっけん……」
開いたままの彼女の口からは、寝言が漏れる。
昨晩も新しい魔法の研究をしていたところだった。
現在、この別棟にはナタリア一人しかいない。
入学当初からそうだったわけではなく、他の生徒と同じように寮で生活していたこともある。
しかし、自分の部屋をヘドロ色に染め上げること数回。深夜に異音怪音をたてたことは数えきれず。余罪をいえばキリがなく……。
最初こそ厳重注意ですんだが、13歳のときには別棟への移動が決まった。
夜更かしも研究も好きなだけできる環境。
邪魔をする者も咎める者もいない。
ナタリアは今の部屋をとても気に入っている。
「………ん…あさ?」
薄く目を開いたナタリアは、手探りで枕を探した。たいてい床に一緒に落ちている。二度寝しよう……、彼女はそう思った。クッションの上をごろごろと転がる。
しかし、そのとき。
「ナタリアーーっ!」と叫ぶ声が窓の外から聞こえた。
彼女は婚約者の怒り狂った顔を思い出す。
そして、しぶしぶ身体を起こしたのだった。
──そういえば、セーラはもう学校に慣れてきた頃かしら?
春の陽気に眠たくなってしまいそうな午後。
あくびを堪えながら教室で授業を受けるナタリアは、ふとそんなことを考えた。
セーラが学園に入学してから約1ヶ月。
彼女と同じ時期に入学してきた生徒は、そう多くはない。
セーラを現在悩ませているエドウィンをはじめ、ナタリアもセドリックもこの学園には12歳のときから通っている。
学園では、はじめの3年間が主に基礎と教養の授業で、4年目からは応用と実践に入る。高学年になると、より高度な知識と能力が要求されるのだ。
便宜上、学園の入学時期は二回ある。
しかし外部から途中で入るとなると、難しいテストやら身体検査やらで手続きが面倒だと婚約者は言っていた。
おそらくセーラ・シュミットは優秀なのだろう。
つらつらと考えごとをしていると、手元で灯していた炎への集中が途切れた。
「あら」
クラスメイトたちのギャー!逃げろーっ!!という叫び声が教室内に響きわたる。
小さく燻っていた炎は膨らみ、あらぬ方向へヒュンヒュンと飛び始めた。
さらに膨らんで弾けようとした瞬間。
たちどころに水球が飛んできて炎を消した。
「ナーターリーアー」
セドリックがゆらりと現れた。
「おまえはさっきまで何を聞いていたんだ!火を扱うときにはあれほど集中しろと言っただろう。5歳の子どもより不器用なのに、余計なことを考えるな」
炎の玉が掠ったのか、銀髪の先が若干焦げてチリチリになっている。
ナタリアは不満げに赤い唇を尖らせた。
「失礼ね、7歳には負けるけど5歳の子どもよりは器用よ」
「どちらもそんなに変わらないぞ」
視界の端には、オロオロと狼狽える新任教師の姿。数分後、セドリックは事態の収拾に乗り出すことになる。
最後に。
ガーヴィン魔法学園で最近ささやかれはじめた七不思議の話をしよう。
ひとつ。
ナタリア・ヴィッテンベルクが所属する1年4組は、なぜか他の教室とは離れたところにある。
──少々騒ぎが起きても他のクラスには影響しないぐらいに。
ふたつ。
ナタリア・ヴィッテンベルクとセドリック・パートリッジは4年連続同じクラスである。
──年度始めに担任がホッとした顔を見せるのは今年で3度目らしい。
この二つの事実についての真偽は、学園の教師陣のみが知っているのであった。