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幕間 ヒロイン、パン屋で働く

 

 今日から夏休み!


 セーラは列車に揺られながら、うきうきと朝食の包みを開けた。


 駅に行くまえに街で買っておいたのはサンドウィッチ。中身はシャキシャキした野菜と塩気のきいたハムで、ピリッとしたマスタードソースが全体を引き締めてくれる。すべての具をふんわり挟んだパンも文句なく素晴らしい。


 朝一番で出てきたせいか、サンドウィッチを頬張る彼女の車両に人はいなかった。開けた窓から吹いてくるのは心地いい風。窓の外には、のどかな田園風景が続いている。


 もともと、ガーヴィン魔法学園が創設されたのは、王都から離れた何もない土地だった。長い年月をかけて、このあたりは学園都市として発展してきたのだ。学園の周辺は大きな市街地となっているが、少し離れると昔のままの風景を見ることができる。


 この景色を最初に見たときのことを、セーラはしみじみと思い返す。


 学園に来たのは、もう4ヶ月以上前のことなんだよね……。


 どんな学園生活になるのだろうかとドキドキしていたし、実際にいろいろあった。降りかかる困難を乗り越えて、無事に夏休みを迎えることができた喜びをかみしめる。


 協力してくれた人々には感謝の気持ちしかない。


 クロウウェルがいなければ、セーラが期末テストで1位をとることはできなかっただろう。結果を聞いて、友人たちは自分のことのように喜んでくれた。よく質問に行っていた何人かの教師からは「おめでとう」という言葉をもらった。


 もし、あの王子に出された条件を満たせなかったらどうなっていたことか……。


 セーラはため息をついた。


 どこまで本気だったのかは知らないが、パン屋であろうと伯爵家であろうと、この国の王太子がやってくるとなれば大事件だ。どうせ冗談だろうと言い切れないのが恐ろしいところで、あの悪魔ならやりかねないという予感があった。しかも、セーラ・シュミットは、学園に平民として入学している。いずれ分かってしまうこととはいえ、在学中に伯爵家の娘であると知られるわけにはいかなかった。



 テストの結果が公表されてから、王子とは一回だけ言葉を交わした。


 放課後の誰もいない教室。


「君の平穏な日常を乱して、すまなかった。約束は守るよ」


 それだけ告げると、今までのことが嘘のように、彼はすばやく去っていった。



 セーラとしても、必要以上に接触しないという約束を守ってもらえるなら特に言うことはない。王子のせいで理不尽な目にあったことは事実だが、彼自身がセーラを冷遇することは一度たりともなかった。他の生徒による噂話や陰口も、ストレスはたまったが、実質的な危害を加えられたことはない。


 腹は立つけれど、それまでといえばそれまで。ただ、今後はできることなら必要以上に関わりたくないと思う。それがセーラの結論だった。


 こうして、騒動の決着はついたのだ。






 列車とバスを乗り継ぎ、途中で一泊。

 学園を出た翌日の昼過ぎ、セーラは実家に帰ってきた。


「おかえり、セーラ!」


 満面の笑みで娘を出迎えるのは伯爵家の当主だ。セーラもつられて明るい笑みを浮かべる。


「ただいま帰りました、お父様」


 お互いに近況などを話したあと、他の家族の姿を探す。母親と弟が見当たらない。


「お母さんとルイスはどこにいるんですか?」


 父親は悲しそうに眉を下げた。


「ルイスは部屋で昼寝をしているし、アンナはパン屋に行っているよ……」


 それを聞いて、セーラはパッと顔を輝かせた。


「わたしも、じいじたちのパン屋に顔を出したいと思っていたところなんです。お母さんがいるならちょうどいいわ」


 娘の言葉を受けた伯爵は慌てる。


「ま、待っ」

「じゃあ、行ってきますね!」



 居間から出て数歩。

 小さな荷物だけ抱えたまま、セーラは小さく息を吐いた。




 そのまま伯爵家を出て、セーラが向かったのはバスの乗合所だ。この町に初めて来たころ、このあたりでは、まだ馬車が走っていた。


 魔法は日々進歩して、人々の生活を変えていく。

 10年ほど前に実用化されたバスは各地で急速に広まり、馬車はすっかり見かけなくなった。一方、同じ頃に実用化された国営の鉄道は、現在いくつかの大都市を結んでいる。それによって、魔法が使えない人々も、長距離を楽に移動できるようになっていた。ただし、魔物の対策や路線の整備などが必要なこともあって、地方に普及するにはまだ時間がかかりそうだ。


 鉄道が通れば、この町もさらに賑わうことになるだろう。伯爵である父親も鉄道の誘致に力を入れているはずだ。



 1日に数本しかない乗合バスで数時間。

 お茶とお菓子がほしくなる頃には、生まれ育った小さな町が見えてきた。


 道行く知り合いに挨拶しながら、セーラはパン屋に到着する。しかし、扉を開けた途端──


「ちょうどいいところに娘が帰ってきたわ。セーラ、手伝って!」


 飛んできたのは母親の声。


 店番を押しつけられたセーラは、パンの代金を計算する。受け取りに行かなければならないものがあると言って、母親は慌ただしく店を出ていってしまった。


「母がすみません……。いつもありがとうございます、オットーさん」


 おつりを手渡すと、常連客の男は快活に笑った。


「気にすんな、親子そろって会えるなんて俺はついてるよ。それにしても久しぶりだな、セーラ。学園生活は楽しんでるか?」


 セーラは笑って頷いた。その顔を見て、オットーは唸る。


「……セーラは、どんどんアンナに似てくるなあ。アンナがこの町に来たころを思い出すよ。娘がこんなに大きくなる日が来るなんて、想像もできなかった」


 大柄なオットーは、この町に住む医療専門の魔法使いだ。幼い頃から今に至るまで、セーラもよくお世話になっていた。


「ばあばの調子は、最近どうですか?」

「だいぶ良くなってきたよ。無理をしなければ、日常生活でも支障はないだろう」


 パン屋のおかみさんこと、ばあばは数年前から腰を悪くしている。伯爵家の援助で治療を受け、今はだいぶ状態が良くなってきたところだ。まだ完治はしていないため、動くのはよくないということで、セーラの母親もしばしばパン屋に戻ってきていた。




 その日の夜。

 セーラは、母親が伯爵家に3日間帰っていなかったことを知った。置いてきてしまった父親の様子を思い浮かべる。


「お父様、寂しそうにしてたよ」


 まったく、あの人は……と呟くと、母親は笑った。


「そうね。せっかく娘が帰ってきたことだし、明日には伯爵家に帰るわ」


 それから続けて娘に尋ねた。


「学園生活は楽しい?」


 セーラが頷くと、母親はうれしそうに笑った。


「そう、それはよかったわ。いろいろ話を聞かせてちょうだい」


 学園で出会った友達のこと、ちょっとした日常のこと。楽しかった出来事をセーラは母親に話して聞かせた。彼女は面白そうに話を聞きながら、最後に口を開いた。


「あなたはやりたいことをすればいいのよ」

「……うん、わかってる」


 母親が学園に行くように言った理由。それをセーラはわかっているつもりだ。


 セーラの母・アンナは幼い頃に両親を亡くしており、身寄りがない。今でこそ、パン屋の夫婦と本当の親子のような関係を築いているが、それまでは頼る人さえいなかったはずだ。それに対して、セーラの父・ベルンハルトは伯爵家の当主。子どもの将来を考えたとき、自分の手元で育てるのではなく、伯爵家で育てるべきかもしれない──そんな葛藤が少なからずあったのではないだろうか。


 結局、母親が父親を頼ることはなかった。その理由も、おそらく今のセーラにはわかっている。


 セーラの未来には、二つの選択肢がある。

 母親が娘に望んでいるのは、将来の可能性を広げること。貴族も平民も優秀な生徒が集まる学園で、いろいろな考えや価値観を知ること。外部からも高い評価を受ける学園の卒業生は、進路の選択肢も多い。


 しかし、セーラには、パン屋を継ぐ以外にしたいと思えるようなこともなかった。






 パン屋の朝は早い。


 早起きしたセーラは、手早く身支度をはじめた。荷物の中から手に取ったのは、水色のリボン。桃色の髪を高い位置で一つにまとめて結ぶ。


 店の外に出てみると、すでに1人の男が立っていた。……いつものことながら早い。


「朝早くからすみません」

「仕事ですから、お気になさらず」


 男は薄く微笑んだ。7年前にセーラの腕を掴んだ彼は、魔法が使えない母親の護衛をしている。



 いつもどおり、パン屋は開店した。


 6人目にやってきたお客は、セーラと同い年の少女だ。物心ついたときから知っていて、よく遊んだ仲である。ひとしきり喋り終えたあと、少女が「あっ」と声を上げた。


「そうだ!聞いてよ、セーラ。やっと、ジゼルとブラッドのやつ、付き合うことになったのよ」

「嘘!ついに!?」


 幼馴染の二人が付き合うことになったという話で、少女たちは盛り上がった。どこからどう見てもお互いに意識しているのに、なかなか進展しなくて焦れったい思いをしていたのだ。


「あーあ。あの二人を見てると、わたしも恋をしたくなっちゃう。セーラは好きな人とかいないの?あの学園には王子様もいるんでしょ。お近づきになったりとかした?」


 セーラは黙って首を振った。たしかに近づいたことはあるが、彼女が期待しているような意味ではない。


「えー……、まあ現実はそんなものよね。セーラのお母さんみたいに、伯爵様に見初められて結婚なんてなかなかないわ。この町に視察でいらしたときに一目惚れなさったって話でしょ?町の人たちみんなが驚いたって今でも言われてるもの」


 セーラは苦笑してみせた。彼女が伯爵の血の繋がった娘であることは、この町でパン屋の夫婦しか知らない真実だった。




 その日は次から次へと町の人々が来てくれたので、パンはいつもより早く売り切れた。パン屋の夫婦に別れを告げ、母娘は伯爵家へと戻る。


 二人が帰るのを、今か今かと待ち構えていたのは父親だ。夫婦の抱擁を邪魔しないよう、セーラはさっさと自室に行った。



 伯爵家でのセーラの自室。

 父親から与えられたのは、学園の寮とは比べものにならないぐらい広い部屋だ。


 セーラは立派な本棚の奥から、一冊のノートを引っ張りだした。中身はすっかり暗記してしまっているそれを、パラパラと適当にめくる。拙い字で書かれているのは、"ガーヴィンまほう学えんのこいと日じょう" の "こうりゃくじょうほう"だ。


 前世の記憶を取り戻してから、幼い彼女がこっそり書きためていたもの。しかし、それほど細かいところまで覚えていたわけではない。今のセーラの記憶も、かなり曖昧だ。それでも、セーラ・シュミットの生い立ちについては、頑張って思い出そうとしたことを覚えている。



 父親と母親が再会できればいい、という一心でしてきたことだった。──ただ、その先のことまでは考えていなかったけれど。



 7年前にやってきた伯爵家での生活は、これまでの人生とは何もかもが違っていた。


 広い屋敷にたくさんの使用人。覚えなければいけないマナーや知識。朝早くに起きるパン屋とは1日の過ごし方も違うし、いつでも会える町の人々はいなかった。


 セーラ・シュミットは市井のパン屋の娘ではあるが、伯爵家のお嬢様ではなかったのだ。


 たとえ8年であっても、セーラにはじいじやばあばと過ごした時間がある。ましてや母親は、伯爵家の生活で何を感じていたのだろう。一度パン屋の生活に戻ったのが、その答えではないだろうか。


 今のセーラは、母親が父親を頼れなかった理由をわかる気がしている。



 きっと結ばれることだけが、ハッピーエンドではないのだ。人生はその先も続いていく。



 ……とはいえ、父親と再会した母親が生き生きしているのは、セーラの目から見ても明らかだった。家族4人の生活もにぎやかで楽しい。だから、セーラが自分の行動を後悔したことはない。


 父親と母親と弟が幸せそうに笑う場所。そこには、確かにセーラの幸せもあった。



 ナタリアとも出会った今、これは必要ないだろう。


 セーラは、ノートの上に手をかざした。




 コンコン、とノックの音が響く。


「お嬢様、夕食の準備ができました」

「ええ、すぐに行きます」


 ゆらゆらと熱と光を発しながら。一冊のノートは、跡形もなく消えた。



 伯爵家の家族がそろった夜。

 和やかな雰囲気につつまれる食卓で、セーラは柔らかに微笑んだ。



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