第19話 悪役令嬢、テストを受ける
放課後の談話室で、ナタリアはセーラの愚痴を聞いていた。
ちなみに、昨日も一昨日も3日前も話題は同じ。セーラを取り巻く騒動は、なかなか収まる気配がない。本人からは手を貸さなくてよいと言われてしまっているが、明らかにあの幼馴染はやりすぎだろう。……セーラは、王子に騒動を起こす意図があったと知っているのだろうか。ナタリアは真実を伝えるべく、口を開いた。
「あのね、セーラ。あなたの騒動を扇動しているのは──」
「……あの悪魔のしわざですよね」
気づいていたの、という言葉はセーラの顔を見て飲み込んだ。二度目にあの王子と会ってしまった日……、と彼女は続けた。
「あの日は、わたしも恋のフラグを立てちゃったかと焦ったんですよ。あの日は」
淡いミントグリーンの瞳がめらっと燃え上がる。
「でも、そうじゃなかったのはすぐに気がつきました。"気になる"っていうのは、苛める対象としてですよね?あの悪魔、今のわたしを見て楽しんでるに決まってます。絶対に負けません……!」
怒りでワナワナと震えるセーラを見て、ナタリアはこっそり息を吐いた。落ちこんでばかりいるわけではないらしい。「この状況も夏休みまでの辛抱です。時間をおけば、向こうも飽きます」とセーラが言い、それを聞いたナタリアも納得した。
これ以上、エドウィンが騒動を長引かせるとは思えない。セーラに対する興味を失わずとも、騒動の収拾ぐらいは今学期中につけるだろう。遠くないうちに平和な日常が戻ってくるはず。
このときは、そう思っていたのだ。
しかし。
「しばらく談話室に寄るのは控えます」
セーラから宣言されたのは、それから間もなく。期末テストの範囲発表まで、残り数日となった週半ばのことだった。
……おかしい。セーラがすぐに帰ってしまったあと、談話室に残されたナタリアは眉を寄せた。セーラからは期末テストに向けて勉強するとしか聞いていないが、中間テストのときにはあれほど鬼気迫る様子ではなかった。普段から勉強している彼女が、テスト期間中に焦る必要はないのだ。
間違いなく、何かある。
翌日、ナタリアはエドウィンを捕まえた。他の上級生と一緒にいたようだが、ナタリアには関係ない。さっさと空き教室に連れ込んで、問いただす。
「あなた、セーラに何を言ったの?」
「テストが終わったら、夏休みも遊んであげようか、って言っただけだよ」
大人しく彼女についてきた王子は、くくく、と楽しげに笑った。
「しかし、彼女のほうはどうも乗り気ではないらしくてね。私に声をかけられるのも、一介の生徒にすぎない自分には身に余ると言い出したんだ。だから、期末テストで1位をとれたら、今後は必要以上に接触しないと約束したよ」
ナタリアは眉を上げる。夏休みという発言も問題だが、何よりも。
「1位?」
「そう。1年にはセドリックがいるだろう?そう簡単にとれるものじゃない」
今年の夏は楽しみだ、とエドウィンは口角を上げた。
──はたして、本気なのか、冗談なのか。
一人になった空き教室で、ナタリアは思案する。今回ばかりは、幼馴染の真意をはかりかねていた。
それから、週が明けた放課後。
正式にテスト範囲が発表されたため、生徒たちは勉強に全力を傾けるようになる。
一方、ナタリアはいつもの癖で談話室に向かっていた。今日のお菓子はマドレーヌだ。つい最近、王都にいる知人から手紙とともに送られてきた。向こうで今話題になっている店のものらしい。しかし、二人分のお菓子を用意して待っているあいだに気がつく。
「そういえば、しばらく来ないんだったわね」
そのまま、談話室にとどまる理由もない。ナタリアは自分の部屋に帰り、研究を進めることにした。
これほど長くセーラに会わないのは、彼女と出会って以来はじめてだ。
そして、ついにテストを来週に控えた最後の授業日。
担任にまたしても呼び出されていたナタリアは、研究室が集まっている棟でセーラと出くわした──が、あまりの変わりように思わず二度見してしまった。
「だ、大丈夫なの?」
真っ先にそう言ってしまうほど、セーラの顔は酷かった。充血した目の下には濃いクマができているし、顔色も悪い。それに、なんだか全体的にやつれている気がする。
「……万全な体調とはいえません。でも、今が正念場なんです」
きっぱり言い切るセーラの瞳には、強い力がこもっていた。ナタリアはそれ以上何も言えないまま、フラフラと帰っていく彼女を見送った。
誰にでも平等に、テスト当日はやってくる。
静かな教室で配られるのは答案用紙と問題用紙。緊張感につつまれた空間のなか、ナタリアは担任と目があった。
「頼むから、1週間頑張ってくれよ」
切実さを感じる教師の声に、適当に頷く。
セーラも今頃、テストを受けているのだろうか。
机の上に広がる真っ白な答案用紙を見つめる。開始の合図と同時に、あちらこちらから聞こえてくるのは、問題用紙をめくる音。とくに悩むこともなく、ナタリアは空欄を埋めはじめた。
"セーラ・シュミットが期末テストで1位をとった。それも、筆記は全教科満点で。"
そんなニュースが学内を駆け巡ったのは、テストの結果が張り出された翌週のことだった。
その日のうちに、噂話をする相手がいないナタリアの耳にも届くほど、期末テストの結果は大きな話題になっていた。中間テストでもセーラは10位以内に入っていたが、1位となれば話は違う。どんなに優秀であっても、セドリックを超えた生徒は今までいなかった。
ガーヴィン魔法学園には、貴族という身分や学園に入学できるほど優秀であるということが相まって、プライドが高い生徒も多い。しかし、国内一の名門校に通う生徒がそれだけ優秀であることも事実だ。実力主義の学園で、もちろん不正は起こりえない。
たとえ一度きりのまぐれであろうが──いや、一度であったとしても、セーラ・シュミットがセドリック・パートリッジを実力で超えたということは確かなのだ。
それはもしかすると、セーラが王子に気に入られているという噂をたやすく塗りかえるほどのことかもしれなかった。
セーラが全教科満点で1位をとったことについて、初めて2位になったセドリックは、すごいなと素直に称賛していた。
話題の中心であるセーラのほうは、これで心置きなく夏季休暇に入れる、と晴れ晴れとした顔で笑っていた。
王子がどんな反応を示したのか、ナタリアは知らない。
その夜、静かな自分の部屋で。
「あのセドリックに勝つなんて……」
ナタリアはポツリと呟いた。
……セーラが1位をとれなければいいと思っていたわけではない。ナタリアだって、彼女の努力が報われればいいと思っていた。でも心のどこかで、あの婚約者に勝つのは無理だろうとも思っていたのだ。10年近く、ナタリアはセドリックを隣で見てきた。彼が天才であることは、おそらく一番よくわかっている。
ヒロインという存在は、どんな困難も乗り越えてしまえる運命の持ち主なのだろうか。
それとも、今ここにいるセーラ・シュミットだから、困難を乗り越えることができたのだろうか。
そこまで考えたところで、ナタリアはあくびをした。どちらにせよ、彼女にとって重要なことではない。
ナタリアにとって重要なのは、目先のテストの成績ではなく、新しい魔法の研究なのだから。
眠りについた彼女の寝台から少し離れたところ。
机の上にある答案の横には、休暇中の課題とさらに増やされた課題が積まれていた。
補習対象者のための追加課題である。