第17話 悪役令嬢、密談する
「1年の1番から10番は西側の奥のブロックに移動しなさい。11番から20番は──」
教師の声に従って、実戦用の黒いローブをまとった生徒たちが移動を始める。
焼けつくような真夏の日差しに、地面から伝わってくる熱気。遠くの景色はユラユラと揺らいで見える、そんな練習場の一角。
授業のペアを決めるくじを片手に、ナタリアはぽつんと立っていた。
今日引いたのは57番だ。この番号なら最後の組になるはずだが、ブロックは西だったか東だったか、奥だったか手前だったか。
はて……とまったく話を聞いていなかったナタリアは首を傾げた。
「57番は東側手前のブロック」
そこに、よく知った声を耳にして振り返る。
「よろしく、ナタリア」
太陽の光を反射してきらめく金色の髪。
同じ数字の書かれたくじを見せながら、王子は爽やかに微笑んだ。
ガーヴィン魔法学園の1年生にとって、個人で自由に選択できる授業を除けば、前学期に2学年合同で行われる授業は魔法実戦のみ。
1年生だけの授業と異なるのは、学年が違う生徒がペアになって共闘するという点だ。二人のうちのどちらかが脱落すれば、その時点でペアの負けが決まる。
──とはいえ、実戦経験が少ない1年生がお荷物になるのは避けられない。どれだけ上級生の足を引っ張ることなく戦えるかが要だ。
また、2年生のほうは1年生を守りながら戦うことになる。下級生の能力不足を補いつつ、冷静に戦況を分析し、つける隙を探す。どんな相手と組んでも、どんな状況であっても、確実に勝てるように。
授業の時間割は奇数・偶数クラスごとに分けられていて、ナタリアが所属する1年4組は、1年2組、2年2組、4組と合同だ。
当のエドウィンは2年4組。ペアを決めるのは事前に引いたくじの番号なので、そうそう都合よく知り合いに当たることはない。大方、この王子はナタリアと同じ番号だった2年の生徒に替わらせたのだろう。
エドウィンとは昔からやり合っているので、お互いが魔法を使うことには慣れている。そういう意味では、特に問題はない。
あくまでも、そういう意味では。
フィールドを横切って東のブロックへと移動しながら、エドウィンが目で合図を送る。ナタリアは億劫さを前面に出しながら、二人の周囲に防音魔法を展開した。
魔法が保つのは5分ほど。それだけあれば充分だろう。
「いつも思うが、君の魔法は便利だな」
「本題はなに?」
いくらこの幼馴染でも、用もなくこんなことはしないはずだ。そもそも、いつものエドウィンなら今の時間は選ばない。
「本題?さて、何のことだか」
あくまでもすっとぼけるつもりらしい。
ナタリアは直球で言葉をぶつけた。
「どうせ、わたしに聞きたいことがあるんでしょう」
質問の内容までは分からなくても、誰について問われるのか予想はつく。
「エドウィン、いつまでセーラにつきまとうつもり?」
「つきまとうとは、酷い言いようだ。私が彼女と仲良くなりたいと思うのは、君に責められるようなことかな」
エドウィンの口元は、言葉とは裏腹に楽しそうに歪んでいる。
ナタリアは眉を顰めた。
セーラ・シュミットは1年2組。ここ最近のエドウィンが、彼女と遭遇する絶好の機会をわざわざ逃すはずがなかった。こうしてナタリアを捕まえてまで彼の聞きたいこととは、一体何なのか。
ついでに言えば、このところの所業でセーラと"仲良くなりたい"なんてどの口が言っているのだか。
この王太子が自分の影響力を理解していないわけがない。
入学したときから成績はずっと学年主席。王子という立場にありながら、誰にでも分け隔てなく接し、学園での言動はきわめて模範的。それでいて自信にあふれた高貴な立ちふるまいに、心酔する者は決して少なくない。
生徒からは尊敬され、教師からは一目置かれるような、他の人々を惹きつける天性の資質。
挙げ句の果てに絶世の美男とくれば、女生徒から向けられる視線は焦げつきそうなほど熱い。
そんな彼が特別扱いするような存在を見せつけた結果が、今のセーラを取り巻く騒動だ。
──それも、絶大な影響力をもつ王子が一言いえば収まる程度の。
この上なく、たちが悪い。
エドウィンが口を開いた。
「君のほうこそ、珍しいじゃないか。魔法の研究より人間に興味を持つなんてね」
「たまにはそんなこともあるわよ」
ナタリアの答えを聞いた王子が眉を上げる。
「たまには?"15年間の人生で一回ぐらいは"の間違いじゃないのか?出会ったばかりの相手と放課後にわざわざ待ち合わせるなんて、以前の君からは考えられない」
二人の事情について、やけに詳しい。
となると。
ナタリアは、もう一人の幼馴染の顔を思い浮かべた。今年から二人はまた同じ寮になった、と言っていた気がする。
「……二度目にセーラに会ったときには、すでに彼女のことを知っていたのね」
「出会ってこのかた、女友達の一人もいなかった幼馴染に近づく者がいたら、その人間を把握しておくのは当然のことだろう」
そう言ってのけた王子に、ナタリアは胡乱な目を向けた。
余計なお世話だ。いちいちエドウィンに知らせる必要がどこにある。目をつけられたセーラからしてみれば、いい迷惑だろう。
「もう十分、彼女のことはわかったでしょう」
「いや?まだ全然わからないな。セーラ・シュミットは、成績優秀、周囲の人間関係も良好、素行にも問題はない。学園の中では申し分のない生徒だね。──だが、そんな生徒はいくらでもいる。それだけで君の興味を引けるとは思えない」
エドウィンは立ち止まり、じっとナタリアの目を覗き込んだ。
ナタリアがセーラと今のような関係を築いたのは、前世の記憶という共通点があったからにすぎない。
「あなたにとって、面白いことは何もないわよ」
いつのまにかたどり着いたブロックには、もう生徒たちが集まっている。教師が最初のペアを呼んだ。
王子から視線を外して、ナタリアは足を進める。
つまらなさそうにエドウィンは背後で言った。
「それは私が決めることだ。誰が相手だろうと笑顔を崩さないセーラ・シュミットは賞賛に値するが、どこまでそれを続けられるか見たいものだね」
彼が口を閉じたのと時を同じくして、二人の声を漏らさないようにしていた魔法が切れる。
話は終わったとばかりに、ナタリアはエドウィンの言葉を無視したが。
「ナタリア」
呼びかけられた声色がガラリと変わる。
訝しく思った彼女は、仕方なく振り向いた。
「たまには婚約者のこともかまってあげなよ」
何を言い出すかと思えば……、ナタリアはため息をついた。
今度こそ、話は終わりだ。