第16話 ヒロイン、気になる人に避けられる
学園生活も4ヶ月目。
セーラは、ある悩みを抱えていた。
気になっていた男子生徒に避けられている気がする──。
教室がザワザワとにぎやかになりはじめる朝。
「セーラ、もう聞いた?今日の3限の魔法言語学は、先生がギックリ腰になったからお休みするそうなの」
セーラにそう教えにきてくれたのは、いつも1番に教室にやってくる友人だ。
クラスでは、入学当初に仲良くなった3人で一緒にいることが多い。ちなみに、隣の席に座っているもう一人の友人は、毎朝遅刻ギリギリに駆け込んでくる。
街のほうに最近できた新しいカフェについて話しながらも、セーラは教室の入り口の様子を伺っていた。
……来た。
目の前にやってきた相手に、セーラはにっこり笑って声をかけた。
「ジェレミア、おはよう」
「お、おはよう」
彼はぎこちなく二人に挨拶を返すと、鞄から荷物を取り出すフリをしてサッと顔をそらした。
……間違いない、避けられている。
セーラが気になっていたのは、斜め前の席の男子生徒だ。
忘れ物を貸してもらったことがきっかけで、彼──ジェレミアとはよく話すようになった。
ジェレミアは気さくで、会話の中で飛ばされる冗談にはつい笑ってしまう。クラスメイトのことや先生のこと、食堂のメニューのことまで、たわいもない話をするのが楽しかった。何より人懐こい笑顔がいいな、とセーラは思っている。
子爵家の四男ではあるのだが、学園を卒業したら実家から追い出される予定らしく。平民にも抵抗はなさそうで、「とりあえず堅実に暮らしていけたらいいよ」と野心も控えめだ。
この前もたまたま授業で組んでもらったし、休み時間にはよくしゃべっていたし。今度、お互いの友人を誘って街に遊びに行こうか、なんて話も出ていたのに……
今や、目も合わない。
なんでだ。
友人としてではあるが、先週ぐらいまではいい雰囲気だった、と思う。
怒っているわけではなさそうだが、どちらかというと一歩、いや百歩ぐらい引かれているような。もしかすると、自分では気がつかない間に何か嫌な思いでもさせてしまったのだろうか。
休み時間に話しかけるのがしつこかった……とか?
先週の魔法実戦の授業で、頭から砂埃まみれになった姿がまずかった……とか!?
一度気になりだすとキリがない。
何でもないように思っていたすべてのことが怪しく思えてくる。
セーラは、本人に直接聞いてみることに決めた。
……避けられている理由が分からなければ、どうすることもできない……よね。
本人に聞いてみようと決めた日から3日。
朝の授業前、授業のあとの休み時間、昼休み、放課後と狙ってみたが、ジェレミアはいつまで経っても捕まらない。
声をかけてみようか、と彼のほうを見たときには、大抵、男友達の輪に入っている。席が近いので、まったく話さない……という状況にはならないのだが、二人で話せる機会はなく、常に誰かを入れて三人以上にされている気もする。
いよいよ心が折れそうになったセーラは、友人たちに聞いてみることにした。
「わたし、ジェレミアに何か嫌な思いをさせるようなことをしてしまったみたいなの。少しでも思い当たることがあったら、二人からも教えてほしいんだけど……」
セーラが頼み込むと、二人は顔を見合わせて首を傾げた。
「特に何も。いつもどおりだったと思う」
「うーん……、セーラが気にしすぎているだけじゃないかしら?そうでなければ、お互いに何か誤解があるのかも」
ジェレミアの友人たちにそれとなく探りを入れてみても、答えは得られず。
そして、4日目の放課後。
他のクラスの友人のところに行っていたセーラは、誰もいなくなった教室にジェレミアがいるのを見つけた。
今がチャンスだ。
彼に後ろから声をかけようと口を開いたところで──
「セーラ・シュミット」
ギギギ、とセーラは振り返った。
甘やかな声で彼女を呼んだのは、この国の第1王子である。セーラが今もっとも避けたい相手。一昨日の授業でも顔を合わせたばかりだ。
今日は人がいない放課後だからまだマシか……そこまで考えたところで、ハッとクラスメイトのほうを振り返る。
その場に凍りついたジェレミアの顔は、過去最高に青ざめていた。
「…………殿下、わたしに何のご用でしょうか」
ジェレミアは別れの挨拶を告げると、逃げるように教室を出ていった。
「用と言える用はないね」
セーラの問いかけに、王子はにっこりと笑みを浮かべる。目は相変わらず笑っていないが。
「私が君と話したいと思っただけだ。出会ってから4ヶ月経つが、私たちはまだお互いのことをよく知らない。……そうだろう?」
その後は拍子抜けするほど、たわいもない話が続けられ──あっさり解放された。そう、驚くほどあっさりと。
セーラは嫌な予感がした。
空をどんよりとした灰色の雲がおおう夕方。
談話室の雰囲気も明るく、とはいかないようで。
「あなた、最近いろいろ言われてるみたいね」
教室で名前が聞こえてきた、とナタリアは続ける。ここでもその話題になるとは……とセーラはうなだれた。
「この間までは、そんなことなかったんですけどね……」
セーラはため息をついた。
原因は分かっている。あの悪魔だ。
王子になにかと話しかけられるセーラだが、今まではたまに羨望ややっかみの視線を感じるぐらいだった。同じ寮の上級生やクラスメイトのつながりもあってか、特にこれといった注目を浴びることもなかったのだ。
しかし、例の放課後から一週間。なぜか急激に増えた悪魔の接触。
そのせいで、悪意を含んだ噂が一気に広がっている。廊下ですれ違う生徒にヒソヒソ言われたり、授業での当たりが強かったり。
「……わたしがクラスメイトに言っておきましょうか?」
「いえ、お気持ちは嬉しいですが遠慮しておきます……」
自由奔放なナタリアがセーラを庇ったとなれば、それこそ学園全体の騒ぎになるだろう。それは何としてでも避けたい。これ以上注目されては困る。
セーラはナタリアを見つめ返して、笑ってみせた。
「大したことはないので大丈夫ですよ」
チクリと嫌みを言い捨てていくのは、すれ違った知らない相手だ。週に数回しかない、合同授業や選択授業のときだけに見かけるような生徒。クラスや寮では平穏に過ごせているし、今の状況を心配してくれる友人もいる。こんなことで、へこんでなんかいられない。
それに、あと半月もすれば期末テストが始まる。1ヶ月後には、学園も夏季休暇に入るのだ。
ほとんどの生徒が実家に帰ると聞いているし、セーラもその予定である。
あの王子に執着されるようなものをセーラ自身はもっていない。きっと物珍しいから、今は面白がっているだけだろう。
時間と距離をおけば、ほとぼりだって冷めるはず。
あと1ヶ月、あと1ヶ月の辛抱なのだ。
そう自分に言い聞かせつつも、彼女のストレスはたまる一方である。
ああ、あの日あんなに浮かれていなければ。
廊下の角に気をつけてさえいれば、こんな目に遭うことなんてなかったのに。
人生最大の失敗だ……とセーラは恨みがましく天を仰いだ。