第14話 ヒロイン、事情を打ち明ける
放課後の談話室。
そこは、何人たりとも立ち入ることができない安息の地である。
今日も今日とて、悪魔に追われていたセーラは疲れ果てていた。
……誰か我こそはと自分を売り込むご令嬢でも現れないだろうか。あの王子に対抗できる相手を絶賛募集中、とセーラは切実に思う。
王子に追いかけられる庶民なんて、古今東西ロクな目に合わないと決まっているのだ。
そんな彼女の様子を見て、ナタリアが口を開いた。
「いっそのこと、諦めて現実を受け入れてしまったほうが楽になるかもしれないわよ」
「……ナタリア様、それ本気で言ってます?」
「だって、問題はないでしょう?」
セーラは首を傾げた。
むしろ、問題しかないと思うのだが。
「あなた、いつも身分がどうこうって言うけれど、本当は伯爵家の一人娘じゃない」
「わあああああああ!?」
目を丸くするナタリアを見て、取り乱していたセーラは我に返った。
談話室は中の音が外に聞こえないように、ナタリアの魔法で遮音されている。
セーラはちょっと気恥ずかしくなって咳払いした。それからこのことは秘密にしてほしい、と前置きして声を潜める。ナタリアの魔法が万全なのは分かっているが、気分だ。
「……実はわたし、もうセーラ・シュミットじゃなくてセーラ・バイエルなんです」
"ガーヴィン魔法学園の恋と日常"のヒロイン、セーラ・シュミット。
魔法学園に入学し、そこで出会った攻略対象たちと恋をする平民の少女。
数多の困難を乗り越えて彼らと結ばれる彼女だが──いくつかのエンディングでは、とある伯爵家の一人娘であったことが判明するのである。
かつて、セーラの母・アンナは、バイエル伯爵家の嫡男ベルンハルトと恋に落ちた。
しかし、若い二人はすれ違いから別れてしまう。傷心のアンナは町の中で倒れていたところをパン屋の夫婦に拾われ、子どもを身ごもっていたことが分かるのだ。
母子はそのまま子どものいない夫婦のお世話になり、セーラはすくすくと元気に育つ。
そして、十数年後。
学園で結ばれた相手が貴族だったことから、セーラの身元が詳しく調べられて真実が発覚。両親もよりを戻して、ハッピーエンドを迎えるのだ。
セーラ・シュミットが前世の記憶を取り戻したのは、6歳のとき。彼女が最初にしようとしたのは、別れた両親を再会させることだった。
しかし、子どもに出来ることなどたかが知れている。身分の違う二人を引き合わせる方法は見つからなかった。
転機が訪れたのは、8歳のときだ。
セーラはその日のことを今でもよく覚えている。
こんがり焼けたバゲット、塩がぱらりとまぶされたブレッツェル、ふっくら丸いブール。
少女は、焼きたてのパンの香りを胸いっぱいに吸い込む。毎日食べているものでも、こうして棚に並んでいるとやっぱり美味しそうに見えた。もちろん、パン屋の主人─彼女は"じいじ"と呼んでいる─が作ったパンは、どれも自信をもって売ることができるものばかり。
ああ、おいしいパンを毎日食べられるって、なんてすばらしい生活なんだろう。
そんなことを考えていると、ちょうどカランと扉のベルが鳴った。1人目のお客がやってきたのだ。セーラは、笑顔をつくって出迎えた。
「おはようございます、アデラさん!」
「おはよう、セーラ。今日はあんたが店に出る日なんだね」
通りの向かいにある宿屋のおばさんが頰を緩める。体調を崩している母親の代わりでセーラは店に立っていた。パン屋の小さな看板娘はお客たちにも可愛いと評判だ。常連客のおばさんは、パン屋のおかみさん─こちらは"ばあば"と呼んでいる─と会話を始める。少女は、いつものように耳をそばだてた。
「知ってるかい?伯爵様が今度、視察の途中でこの町に立ち寄るんだってさ」
「おや、こんな小さな町にいらっしゃるなんて何年ぶりかねぇ」
──伯爵?
聞こえてきた言葉に耳を疑う。
この辺りで伯爵といえば、指すのはただ一人。
痛いほどに高鳴る胸を押さえながら、セーラは何でもない顔をして尋ねる。
「伯爵さまがこの町にくるの?」
ん?と少女のほうを見ると、おばさんは顔をくしゃくしゃにして笑った。
「そうそう。バイエル伯爵家のベルンハルト様がね、この町にやってくるんだってさ。セーラも運が良ければ、お会いできるかもしれないよ」
伯爵がやってくるのは、数週間後らしい。
セーラは指折り数えてその日を待った。体調が回復して、店に立てるようになった母親の顔を見つめながら考える。
こんなチャンスはきっと、もう二度とこない。
セーラは、この町が好きだ。
パン屋のばあばとじいじのことも、いつも店に来てくれるお客さんのことも、親子で出かければ話しかけてくれる町の人々のことも。
この町で生まれて、優しい人々に囲まれて育って、ずっと幸せだった。
……だからこそ、いつも頭の片隅から離れなかったのかもしれない。
母親は本当に今のままで幸せなのだろうか、という疑問。ゲームのエンディングで見たような"完璧なハッピーエンド"がどこかにあるのではないか、という思いが。
緊張と期待がせめぎ合うなか、当日がやってきた。
少女は誰にも言わずに家を抜け出すと、視察団の姿を探す。道行く知り合いに聞きながら、目指したのは町の中心部。呼び止めようとする声を振り切って、セーラは走った。
広場には、すでに町の人々が集まっていた。
人混みをかき分けて進もうとしたが、小さな彼女の声は届かない。近くには馬車が停められている。もしかしたら、これから移動するのかもしれない。
このままじゃ行ってしまう。
どうにかして引き止めないと……!
必死に手を伸ばしたときに思い浮かんだのは、記憶の中の魔法だった。
光れ!
全身に力を込めて、そう強く念じる。
しかし、何も起こらない。
泣きそうになる気持ちをこらえ、歯を食いしばる。
ここで、諦めるわけにはいかないのだ。
……お願いだから、光って!
ギュッと目をつむると、強い光があたりを眩しく包み込んだ。
「きゃっ!」
「なんだ!?」
「反政府派の仕業か!?」
突然のことに、ざわめく人々。その隙にどうにか動こうとしたセーラは、横からぐいっと腕を掴まれた。視線を向けた先にいたのは、厳しい表情の中に困惑を滲ませた男。騎士服は着ていないが、伯爵の護衛だろうか。群衆に紛れていたのは気がつかなかった。人垣の中央に引き出されるまま、大人しく従う。
「閣下、今の魔法はこの子どもが放ったようですが……」
両腕を捕らえた男の声を後ろに聞きながら、セーラはじっと伯爵を見上げた。
「…………君は、」
少女を見下ろす淡いミントグリーンの瞳が驚きに見開かれる。
「セーラッ!?」
そのとき。
人混みをかき分けて、息を切らした母親が飛び込んできた。
いつもは綺麗にまとめられている桃色の髪は、乱れて背中に広がっている。凛とした瑠璃色の瞳が不安に揺れていた。
娘の様子を確認すると、母親は強張っていた表情をわずかに緩める。そして、顔を上げると──二人の目が合った。
すぐ近くで息を呑む音がする。
「アンナ!」
とっさに逃げようとした母親を捕まえ、伯爵は彼女を強く抱きしめた。母子はそのまま馬車に乗せられ、その日のうちに伯爵家へと連れていかれることになる。
あまりにも慌ただしく変わる展開。
一体これからどうなるのだろう、とセーラも馬車の中で目を白黒させていた。
しかし、彼女たちを迎えたのは、思いのほか暖かい伯爵家の人々だった。……あとから考えると、当主がいつまで経っても独身を貫いていたことが大きく影響していたのだろう。
熱の入ったお嬢様教育が始まったのには戸惑ったが、セーラは頑張った。分厚い貴族名鑑は覚えるのがとても大変で、夢に出てきたぐらいである。
そうして3ヶ月ほど経った頃。
母親がパン屋で働きつづけたいと言ったため、セーラたちは元の暮らしに戻ることになった。
小さな町のパン屋には、大きな花束を抱えた伯爵家の当主が頻繁に通うようになる──。
そこまで話を聞いたナタリアは、首を傾げた。
「ハッピーエンドじゃない」
「まだ続きがあるんです」
セーラが13歳になったとき、両親の間になんと弟(!)が生まれたのである。母親のお腹に子どもがいると分かったとき、伯爵家は喜びに沸いた……らしい。母親はなんだか遠い目をしていた。
妊婦の母親と娘は伯爵家に逆戻り。
弟が生まれてからがまた騒動だった。
伯爵家としては跡継ぎを迎えたいわけで、当然妻と子どもたちを公にしたいと父親が言い出したのだ。
そこに待ったをかけたのが母親である。しばらく話し合いは平行線をたどった。その間に母親が家を出て行こうとして騒ぎになったり、それを引き止めようとした父親がいろいろやって騒ぎになったり。
最終的に、弟はバイエル伯爵家の跡継ぎに。
セーラのほうは、成人したら自分で身の振り方を決めさせるということで決着がついた。
ただ、父親のたっての希望で社交界デビューだけはすることが決まっている。
そのままパン屋で働こうとしていたセーラを止めたのは、意外にも母親のほうだった。
これからもパン屋で働きたいのなら、父親が卒業した学校に通いなさい、そう告げたのだ。
平民として生きていくのか、名実ともに貴族として生きていくのか。
セーラの答えはすでに決まっている。
「わたし、将来はじいじたちのパン屋を継ごうと思ってるんです」
だから、平民としてこの学園にやってきた。
この秘密を誰にも知られるわけにはいかない。
──とはいっても、せっかくの学園生活。
ゲームで憧れていた世界が目の前にあるのだ。恋はしたいし、友達はほしいし、勉強だって頑張りたい。
絶対に楽しい学園生活にしてみせる!
そう決意を新たにしたセーラは、意気揚々と談話室の扉を開き。
ギャーーッ!!!
彼女のライフポイントは、扉の前で待ち構えていた王子によって大幅に削られることになった。