第12話 ヒロイン、秘密を知る
「なんとか、なんとか、あの悪魔から逃げる方法はありませんかね……?」
1日の授業を終えて。
げっそりしたセーラは、ナタリアに助けを求めた。
今日の王子は古代魔法史の選択授業で現れた。
隣の席を占拠され、目が笑っていない笑顔でじっと見つめられて1時間。用事があるのかと聞いても「何もないよ」と答えるだけ。苦痛の時間だった。
下手な手段を講じると、やぶ蛇になりそうなのがまた辛い。好感度を下げるイベントとか、選択肢とか、アイテムとか。この現実を変えられる便利なものはどこかにないのか。
すがるような目を向けると、ナタリアは首を振った。
「わたし、そういうのは全然覚えていないのよね」
覚えているのはクエストの魔法ばかり、と彼女は続け……あ、と閃いた様子を見せた。
「監視魔法があるわ」
「……ナタリア様、他人を害する魔法は学則で禁止されていますよ」
「この世界にはプライバシー権なんてないわよ」
プライバシーって言葉、知ってたんですね……とセーラは心の中で呟いた。
そういえば、ゲームの中のナタリアもそんな魔法を使っていたような気がする。主人公や婚約者の居場所を特定して、悪事を起こしていたんだっけ。
試しに近くを映して見せるというナタリア。
どこから出したのか、魔法陣がぎっしり書き込まれた紙をテーブルの上に広げる。サラサラといくつか式を書き足していき、魔法を発動させた。
明かりを消した部屋にぼんやりと光が浮かび上がる。
映し出された場所は、今は使われていない準備室だろうか。棚が並んでいる部屋は薄暗く、机の上に積まれた本もどことなく埃っぽい感じがする。
被写体から遠ざかるようにして、映される範囲は広がっていく。
そこに人影が現れた。
「あれ、これって……」
セーラは思わず声を上げた。
光の端に映ったのは、見覚えのある攻略対象の姿。日々の鍛錬によって作り上げられた背中が広く逞しい。学園のアイドルこと、アレックス・ランチェスター。
「ん?」
しかも、一人ではない。
「あら、恋人がいるみたい」
ナタリアが言うとおり、隣には女生徒の姿があった。監視魔法からは死角になっているのか、その顔は見えない。しかし、二人の距離は明らかに近く、親密な様子が伺える。
「えええええ」
そんなこと、早耳のメラニーからも聞いたことがない。秘密の恋人ってやつじゃないですか!とセーラは叫ぶ。
騒いでいる間にも、目の前の場面はどんどん進行していく。
男が女生徒の華奢な手を握った。ごつごつと骨ばった指に絡むのは、白くほっそりした指。制服の袖口からは銀色のブレスレットが見え隠れしている。
だんだんと近づいていく二人の顔。
アレックス・ランチェスターの耳は真っ赤だ。女生徒の鼻の頭がちらりと見える。
セーラは慌てた。
「な、ナタリア様!これ以上は見ちゃダメです!今すぐ、今すぐ消してください!」
魔法が解除されると、部屋は暗闇に包まれる。ナタリアは退屈そうにふわあっと欠伸をした。
「わざわざ、ひと気のない場所に来なきゃいけないなんて人気者も大変ね」
それから数日後の夜。
その日、セーラは寮の先輩の部屋に集まる約束をしていた。次の日は休みなので、夜更かしして授業に寝坊することもない。
誘ってくれたのは、1学年上の先輩二人だ。一人は12歳で学園に入学した持ち上がり組の先輩、もう一人はセーラと同じく途中入学組の先輩である。出会ってまだ1年ほどしか経っていないらしいが、いつも一緒にいる二人の息はぴったり。セーラはそんな彼女たちを見ているのが好きだった。
軽くつまめるお菓子を準備して、セーラは部屋を出る。そのまま階段を上がり、廊下の突き当たりにある扉をコンコンとノックした。
「はーい」
出迎えてくれた先輩は、優しく目を細めてにっこりと笑った。
「いらっしゃい、セーラ」
余分な椅子がないため、ベッドに座らせてもらう。よく整頓された綺麗な部屋だ。趣味だと聞いた刺繍の小物がところどころに飾られている。
「モニカはまだ来てないの。たぶん、いつも通りちょっと遅れてくると思うわ。先に二人でお茶でも飲みましょう」
そう言って、先輩がポットにお茶を用意する様子をセーラはぼんやりと眺める。白くて華奢な手が紅茶の缶の蓋を開けた。
この指を最近どこかで見たような気がする。
しかし、一体どこで?
視界の端で銀色のブレスレットがシャラリと揺れた。
──糸と糸が頭の中で繋がる。
その瞬間、ポロリと言葉が漏れた。
「アレックス様の恋人……?」
セーラがハッと口を閉じたときには、先輩の顔は真っ青だった。
「……なぜ、それを?」
談話室での出来事を聞き、彼女は懇願した。
「このことは、誰にも言わないでほしいの」
そう切り出した先輩に、セーラも息を詰める。
「……付き合うのは学園にいる間だけ、そう決めているから。私は、あの人の邪魔をしたくない。あの人は、騎士としての実力があって、身分もあって、将来有望でしょう?そのまま貴族のお嬢さまと結婚すれば、より広い人脈を作れるわ。私じゃ、後ろ盾にもなれないし、釣り合いもとれない」
声は細く、けれどしっかりした調子で彼女は話す。
先輩がここから遠く離れた地方にある小さな町の出身であることはセーラも知っていた。
それから、彼女には幼い頃から重い病気をもっていた弟がいることも。その治療費のために、家計はおそらく苦しかったことだろう。それでも、頻繁に手紙をやりとりするぐらい家族仲はとても良いこと。商人の父親がツテを頼りに、勉強を教えてくれる人を見つけてきたこと。学園を卒業したら給料のいい仕事につき、家族を支えようと考えていること。
学園に入学してからも、特待生として奨学金が受けられるよう、必死に勉強してきたはずだ。
アレックス・ランチェスターは辺境伯家の次男。古くから国境を守ってきた歴史があるランチェスター家は、王家からの信頼も厚い。将来、彼が国の中枢を担う人材として活躍することは明白だった。
身分違いと知っていながら、それでも人はどうして惹かれ合ってしまうのだろうか。
「そのことをランチェスター先輩には……」
「言ってないわ。……どちらかが先に卒業すれば、互いの距離が離れてしまえば、別れる恋人同士なんて珍しくないもの。だからお願い、誰にも言わないで」
セーラに言えることは、何もなかった。
沈黙が部屋を支配する中、ノックもなく扉が開かれる。
「あれ、どうかした?」
顔を覗かせたのは、遅れて来た先輩だった。
部屋に流れる異様な空気を感じたのか、不思議そうに尋ねる。セーラが口を開く前に先輩が答えた。
「モニカが遅いってセーラと話してたのよ」
「えー、これでも急いできたのに!」
ポンポンと軽口の応酬をする二人。
彼女は、いつも通りの微笑みを浮かべていた。