起源の盃
「油断したなぁ、お嬢ちゃんよ。」
グラつく視界の中で、キルロイが不敵に笑みを浮かべる。 今の奴の居場所から察するに、私はあそこから飛ばされたんだ。
早く立って反撃しないと。
「………ぐっ………ごほっ」
「無理しない方が良いぜ……どうせ死ぬんだからよぉ。」
身体に力が入らない。 というか、右腕の感覚がない。
私の右腕ちゃんと付いてるの? あ、良かった、付いてた。
キルロイは苦しむ私を楽しそうに見つめると、こちらへ歩き始めた。
立てなくたって良い。 魔導書さえあれば寝そべってたって魔法は使える。
魔導書さえあれば、魔導書さえ、魔導書………あれ、無い。
重い首を上げ、辺りの景色を見回す。
笑顔が気持ち悪いキルロイ、私が入ってきた扉、飛んで行った机と凹んだ壁、目的の盃が飾られた棚………と、その下に落ちた私の魔道書。
棚は私がいる場所から反対側の壁際、つまり一番遠い位置にある。
ち、ちょっと遠くない? あそこに行くまで息が持つかな……?
私は深く呼吸をすると、ローブに包まるように身体を丸めた。
***
ここのアジトを任されてからというもの、楽しいことがなかった。 この周辺の住民は臆病で闘い甲斐がない。俺様は常に戦いの中に生きてきたと言うのに。
久しぶりに見た。 ガキだが良い目をしている。 もっと闘っていたかったが、経験値が違う。
机を蹴飛ばしたのは攻撃のためではなく、机の陰に隠れ、ガキの視界から消えること。 決して動きの早くない俺様でも、視界から消えれれば隙をつくことは容易い。
「悪いな、殺し合いに年齢は関係ない。 ガキでも容赦は
しねえ。」
ローブに包まり動かなくなったガキを目の前に、振りかざした俺様の斧が妖しく光る。
「俺様に会うのが10年早かったな、あの世で後悔してろ。」
俺は躊躇うことなくローブの中心に斧を振り下ろした。 ローブを貫通し、地面に突き刺さる斧の刃。
「………手応えがなさすぎやしねえか…………?
何だこりゃあ!? こんな穴、この部屋にはねぇぞ!」
違和感を感じた俺様はローブを払いのけた。 そこにガキの姿はない。 代わりにあったのは穴。 俺様には潜れない、ちょうどあのガキが潜れそうなほどの穴。
その時、俺様の背後から岩の割れる音と、少女が一生懸命に呼吸をする声が聞こえた。
「ぷっはぁ……! 意外と息って続くもんだ。」
「ガキィ……土の魔力でこの床を潜ったというのか……!」
「驚きすぎ。 それよりこの盃、ちょっと借りるから。」
床を割って現れたのは、赤髪の可憐な少女。 フードに隠れて顔は分からなかったが、醸す雰囲気はあのガキで間違いない。
ローブに包まった少女は、土の魔力でローブを固定すると、地面を形状変化させ穴を掘り進めたのだ。
少女は服についた土を軽く払い、足元の本を拾い上げると、棚から俺様のコレクションである盃を手に取った。
済んだ茶色の瞳がまじまじと盃を見つめる。
「ほお……その盃の魅力が分かるとは、ガキのくせに良い
センスしてんじゃねえかぁ……。」
「ちょっと集中してるから黙ってて。」
「くっ……! 舐めやがって……!」
少女は俺様の言葉に、視線を向けることもなく軽くあしらった。 その反応にイラッとした俺様は、痛む左肩を庇うため斧を右手に持ち直した。 そして、少女との距離を詰めようと一歩踏み出し、その足を止めた。 異様なその光景に立ち止まってしまった。
「…………な、何やってんだぁ?」
少女は、先ほど手に取った盃が空であるにも関わらず口を付けると、中身を啜るように首を持ち上げた。
非日常的で不気味なのに、どうしてか見入ってしまうその光景に俺は動き出せずに立ち止まっていた。
***
『____殺風景な荒野に立ち並ぶテントの群れ。 この一帯を渡り歩く遊牧民の住居であるが、どれも砂埃を被ってしまい、彼らが裕福な暮らしを送れていないことを示唆していた。
以前、この地は自然豊かな大地であったが、災厄の襲来により、その全てを奪われてしまったのだ。 強い日差しに熱気漂う荒野、テントの中で生気を失いかけた民。
そこに訪れたのは一人の魔女。
彼女は土属性の魔法により、見事な柱を打ち立てると、日除けのできる住居を創り上げ、民の住処として無償で提供した。
そのお礼として彼女が受け取ったのは、何の変哲もない、在り来たりな盃。 しかし、何を気に入ったのか、彼女はその盃を肌身離さず持ち歩き、世界中の家を失った人々のため、生涯に渡って住居を創り続けた。』
「____それが彼女の人生……ね。」
空の盃から啜ったのは、水でも酒でもない。 彼女の記憶。 盃から口を離した私は、その記憶を味わうように噛みしめた。
「おままごとしてる暇はねえぜ? クソガキよぉ……。」
先ほどまで、私の様子を口を開いたままポカンと見つめていたキルロイは、冷静になったのか斧を構え直すと、隙のない眼差しで私を睨んだ。
「…………うん、遊びはここまで。」
大きく息を吐くと、私を取り巻く空気の質が変わる
周囲の塵がゆらゆらと撒き上げられ、ローブの裾が緩やかに波打つ。 それと対照的に魔導書は荒々しくページが捲られて行き、やがてある白紙のページへと辿り着いた。
やがて、白紙のページが光を放ちながら、文字を浮かび上がらせた。
____その属性は土
______その使命は荒野に打ち建てる起源の柱
________その魔女の名は“アッパー・ウィズダム”
そして私は唱える。 この魔法の名、この魔法の生い立ち、この魔法の理由を。
「_______“柱状隆起”」
部屋中に私の魔力が注ぎ込まれる。 それは私が今持つすべての魔力。
「その魔法はもう見切ったぜ。 さあ、次はどこから来るんだ?」
辺りを見渡す巨漢のキルロイ、一度この魔法を防いだ事で自信があるのか、余裕の表情を浮かべている。
しかしそれも束の間、先ほどと違う雰囲気に表情が固まった。
「どういうことだ………。 そいつは魔力が集中したところに柱を建てる魔法だろ!? これじゃ、これじゃまるで……!」
部屋に満ちた私の魔力、これが一箇所に集中することはない。 それは私が魔法を発動させる位置を伺っているからではない。 この状態が既に完成なのだ。
「この魔法は柱を建てるだけの魔法ではない。 この魔法は大地の創造、そして支配権。 わかるでしょ? この部屋はもう貴方のものではない、私のもの。」
「何ふざけた事抜かしてんだ……そんな事があり得るわけねえだろぉ……! 何しやがったテメエ!!」
「大丈夫慌てないで……部屋なら今返してあげる。」
声を荒げるキルロイを尻目に、私は魔導書を自分の前に突き出すと、意識を集中させた。
瞬間、何の前触れもなく、キルロイの背後の壁が勢いよく柱状に隆起し、右手に持っていた大斧を弾き飛ばした。
それに驚く間もなく、床は両足を埋めるように盛り上がり、天井は両手に絡みつくように蔓状に伸び、巻きついた。
形を変えた床や天井に拘束されたキルロイ。 その表情に、この部屋に入ったばかりの覇気はない。 含まれるのは不安と恐怖。 大の大人が子供のように怖じ気付いている。
私は、キルロイから攻撃を受けたときに落としてしまった土製の槌を拾い上げると、床に引きずりながらキルロイの前まで歩いた。
私よりもかなり背の高いキルロイを見上げ、目と目を見つめあう。
「………どう?」
キルロイに問いかける。 別に質問に意味はない。
「どうって……。 ____早く殺せ、惨めだ。」
「確かに。」
「こんのクソガキィ………!」
覇気を失った目に怒りが宿る。 感情不安定だな、なんて思いながら私は槌を振り上げる。
ジタバタ暴れるキルロイは、最後の悪足搔きで唾を私に吐き掛けたが、腕を拘束していた天井の蔓が枝分かれし、キルロイの頬をビンタして唾の軌道を変えた。
「手加減して叩くから、死ぬかどうかは貴方に任せる。」
「ちょ、おま………そんなに振り被ったらヤバ………
ク、クソガキがあああああぁぁぁぁ!!!」
キルロイの雄叫びを他所に、私は槌を振り下ろす。
寸前、突如聞こえた轟音と共に、部屋に巨大な何かが横切ると部屋中が砂埃に包まれた。