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Scene.19

 

 三人は身体を洗い終え、用意された服を着て三階へ顔を出すと、フロアの開けたスペースに寝かされた女を取り囲むように何人か女が集まっており、その場所から三十絡みの女が斎藤さいとうの元へとやって来た。


「斎藤さん、今日連れて来られた女性の事なんですが・・・」

「おぅ、ちゃんと手当てはしてやったか?」

「一応、消毒をして傷薬と包帯は巻いておきました。ですが、まだ目を覚ましそうになく、彼女を何処に寝かし付けておけば良いものかと・・・」

「スペースが無ぇってか?」

「はい」

「ふ~む・・・」


 目の前に立つ男の顔色を窺うように、遠慮がちに言葉を紡ぐ女の話を聞いて、何事かを考え始めた斎藤がぐるりと首を回すと、改めて辺りを見回した。


 何重かに敷いた段ボールにタオルケットを掛けた上に寝かされた包帯を巻いた女と、手当てと看病に集まっていた数人の女達。その中には真剣な表情をした宇江原うえはらの姿もあった。


 そして人だかりを遠巻きに見る者も居れば、斎藤達三人の方を見る者も居り、中にはそれらに興味を示さず自分の割り当てられた寝床に引っ込む者や、面白半分に人だかりに近付こうとする子供を小脇に抱えて邪魔になら無い所へと連れていく者も居た。


 そうして辺りを見回していた斎藤の目がピタリと止まると、躊躇い無く歩き始めた。

 その先には自分の寝床から顔を出し、こちらの様子を窺っていた一人の男。

 斎藤が足を踏み出すのを確認すると、その男は顔を引き攣らせて仕切りに使った棚の影に隠れてしまう。そんな事はお構い無しに中へと足を踏み入れる。


「一寸こっち来いや」

「や、止めてくれっ」


 男の寝床に足を踏み入れた斎藤は、棚の影へと隠れた男の襟首を問答無用で引っ掴むと寝床から引っ張り出し、抵抗する男を衆人環視の前へと連れ出す。

 三十路を過ぎたであろう風体のその男は、運搬要員を置き去りにして一人逃げ帰った戦闘要員の男だった。


「ぃや、止めろっ!」


 首輪を掴まれた犬のように床を引き摺られながら、なおも抵抗して必死に襟首を掴む斎藤の手を引き剥がそうと悪戦苦闘する男を、まるでゴミのように投げ棄てると、間髪入れずに男を蹴り付けた。


「ぐぇっ」


 鳩尾を爪先で抉られた男が、潰れた蛙のような悲鳴を上げて蹴られた場所を庇うようにうずくまる光景に、事の成り行きを傍観していた多くの者が顔をしかめ、半数近くが顔を背けた。


 斎藤は大股を開けてしゃがみ込むと、苦痛に顔を歪めこうべを垂れる男の脂っぽい髪を鷲掴みにして顔を上げさせた。

 手首のスナップを使い、手の甲で自分より一回りは年嵩であろう男の頬を張る。


「何一人で逃げてんの?お前」

「オ、オレは・・・」


 酷薄に見下ろす斎藤に気圧されるかのように男は言葉を詰まらせる。助けを探すように目が泳ぐ。


「オレは逃げた訳じゃ無い・・・先に戻って助けを呼ぼうと・・・」

「助けはお前じゃなくて、その後に戻って来た連中からだったな」


 ゴミを見るような目で男を見下ろす近藤こんどうが、直ぐ様男の発現を否定する。

 斎藤が苦々しく眉尻を吊り上げる男の、先程張ったのとは反対側の頬を軽く握った拳で殴り付ける。


「何の為にクソ重てぇ荷物を持たさなかったと思ってんの?何の為に武器持たせてたと思ってんの?」

「・・・」

「答えろよ」


 さっきよりも力を込めて男の頬を張る。


「・・・仲間を敵から守るために・・・」

「解ってんじゃんかよ」


 更に力を込めて頬を殴る。


「なのに、お前は、与えられた、責務すら、投げ出して、逃げ帰った」

「や、止め・・・」

「お前は、俺等を、見殺しに、しようと、したんだ」


 顔を守ろう、束縛を振り払おうと足掻く腕などお構い無しに、何度も男の頬を張り、そして殴る。その都度男の眼には屈辱や羞恥、怒りや恐れ、様々な感情が宿っては消えて行く。

 私刑リンチを目の当たりにして顔を背ける者はいても、その行為を止めようとする者は現れなかった。


「日が暮れたら簀巻きにして外に放り出してやろうか?」


 感情を宿さない冷めきった眼で見据えて斎藤が尋ねる。

 その眼に映る男の眼に宿った最後の感情は『恐怖』。


「止めて・・・くれ・・・」


 頬を赤く腫らした男が涙を流しながら言葉を絞り出す。口の中を切ったのか端から血がこぼれる。


「止めてくれ?」

「止めて・・・下、さい」


 小首を傾げて拳を振り上げた斎藤に、男が途切れ途切れの言葉で言い直す。

 それを聞いて納得したのか、斎藤は上げた拳を下ろすと乱雑に掴んでいた髪を放して立ち上がった。


「お前は今日から二階行きだ。次ヘマしたら追放だからな」


 足元に力無く蹲る男を見下ろして吐き捨てる。

 男は頭を垂れたまま力無くヨロヨロと立ち上がると斎藤の横を、近藤の横を、そして坂城さかきの横を通り過ぎ、階下へと降りて行く。


「んじゃま、場所は空いたから、片してそいつを寝かしてやんな」


 ドン引きする周囲の事など歯牙にも掛けず、斎藤は未だ目を覚まさない女の周囲に居る人間にそう告げると、自分の仕事は終わったと言わんばかりにさっさと上の階へと近藤を引き連れて行ってしまった。


「どうするんだよ、この空気・・・」


 二人が居なくなっても拭い去る事の出来ない重い雰囲気の中、坂城がポツリと呟く。


 未だ目を覚まさない女の為にそこに居た面々が動き出したのは、それから暫くしてからの事だった。




ーーーーーーーーーー




   ブンッ   ブンッ


 三階に居てもする事が無く手持ち無沙汰だった坂城は、水浸しになっていた別館一階の床をモップ掛けして掃除をした後、一人金属バットを振っていた。


 正眼に構え、頭上へと振り上げて、一気に降り下ろす。


 凡そ金属バットの正しい使い方からは程遠いフォームで何度も素振りを繰り返す。が、そのフォームは何処かぎこちなく誰が見ても危なっかしい。


「何か違う・・・」


 自分でも解っていたのだろう。

 そう独りごちると坂城は素振りを止め、バットを杖代わりに身体を支える。

 昔読んだ逆刃刀の人斬り漫画を思い出し、自分のぎこちない素振りと比べてみるが、剣道やチャンバラなどやった事の無い坂城にとって何がどう悪いのか全く解らなかった。


(こう言うのは降り続けている内に身体に馴染んでくる物なんだろうか・・・?)


 しっくり来ないながらも坂城は肩幅に足を開き、両手に握ったバットを正面に構え素振りを再開した。




 10分以上あーでもないこーでもないと苦心しながら金属バットを振っていると本館の方からガタガタと電源の入っていない自動ドアを手動で開ける物音が坂城の耳に届いた。


戸崎とざき班の連中が帰ってきたのかな?)


 素振りを中断しバットを握り締めたまま本館の方に視線を向けるが、坂城の位置からでは壁が邪魔をして本館のフロアは一部たりとも視界に入る事は無く、例え見える位置へ移動したとしても、今度はバリケード代わりに並べた棚が邪魔をして、余程近付かない限り出入り口の様子は見えない。


 視界が役に立たない代わりに坂城は耳を澄ます。

 揉めるような声も物音も聞こえてこない。ただ、エスカレーターを上る複数の足音が僅かに響いてくる事から、何も問題は無さそうだと判断した坂城は、三度金属バットを握り直すと正眼にバットを構えて素振りを再開した。



「ふぅ~~・・・」


 30分程素振りを続けていると、普段使わない筋肉を使っているせいか、それとも昼過ぎにした無茶のせいか、二の腕から背中、腰、太腿から脹ら脛に至るまで、重い疲労と鈍い痛みがのし掛かって来た。


「これ以上やると明日動けなくなるかな?」


 独りごちて中空に視線をさ迷わせて黙考すると、金属バットを壁際の陳列棚へ戻すと軽めのストレッチを始めた。

 身体中の筋肉を一ヶ所ずつ伸ばして行くと、少しばかり痛気持ちいい。

 一通りのストレッチを終えた坂城は本館へと移動して棚に陳列されたリキッドタイプのフェイタスを手に、階段を上って行った。


 九折つづらおりの階段を上り二階まで来ると、坂城は立ち止まる。

 このまま三階まで行こうかと上への階段を見るが思い直すと、トイレ前の通路を通り二階フロアへと顔を出す。


 普段からさして五月蝿くは無いのだが、今は殊更通夜のように静まり返っていた。


「どうかしたのか?」


 坂城が近くに居た、項垂うなだれて地べたに座り込む中学生くらいのニキビ面の少年に声を掛ける。

 棚に背を預けて体育座りをする少年はノロノロと憔悴しきった顔を上げて焦点の定まらない目で坂城を見る。


「何かあったのか?」


 もう一度尋ねる。


「・・・三人死んだんです」


 消え入りそうな声で少年が答えると、再び項垂れる。項垂れたまま言葉を続ける。


「最初は狭い階段を移動中に上の階から転げ落ちて来たスライムに先頭を歩いていた浦部うらべさんが飲み込まれて、次にパニックになって階段を下りている時に足を滑らせた安部あべさんが動けなくなって、最後に『囮になれ』って木下きのした君が戸崎・・・さんに、引き倒されて・・・」


 身体を小刻みに震わせ最後は涙声になりながら語るその声は、沈痛な空気の中思いの外大きく耳を打った。


(こう言う時は何て言えば良いんだろうか・・・)


 死んだ三人の名前と顔の一致しない坂城には、どう言葉を掛ければ良いのか解らなかった。


戸崎アイツが死ねば良かったのに・・・」


 ぼそりと、誰かが苦虫を吐き捨てるように呟いた。

 見回してみると誰が言ったのかは解らなかったが、誰が言ってもおかしくない雰囲気はあった。


「自分達も危ない時には捨て駒にされるんですかね・・・」


 少年から漏れるやるせなさを感じさせる声音の言葉を聞いて、坂城は思わず膝と身体の間に埋めた頭に手を置いて力強く撫でた。


「もし次そんな事があったら、俺が身体を張って守ってやる」


 顔を上げるニキビ面の少年の虚ろに成りかけた目を真正面から受け止め、坂城は力を込めて言い切ると歩幅も大きく堂々と二階フロアを後にする。


 そして、自分の大言壮語に内心頭を抱えるのだった。




 エスカレーターを上り三階へ戻って来た坂城の元へ、トタトタと小走り宇江原が近付いてくる。


「お帰りなさい」

「・・・ただい、ま?」


 はにかんだ様子で挨拶をする宇江原に少し怪訝な表情をして坂城は挨拶を返すと、慌てた表情で宇江原がパタパタと両手を動かし言葉を続ける。


「さっきは、その、女の人の傷の手当てをしたり、色々あって挨拶が出来なかったものでしてっっ」

「ああ、そうだったな。ただいま」

「お帰りなさいです」


 坂城が改めて挨拶をすると、宇江原も少し照れたように笑いながら挨拶をし返した。そして直ぐに伏せ目がちな真面目な表情を作って声を潜める。


「あの、坂城さんは今日人が亡くなった話は聞かれましたか?」

「下で少しだけ。宇江原さんは何か聞いてる?」

「私も少し聞いただけなんですが、一人は浦部さんって名前の五十路の男の人で、私は朝とかに少し挨拶をするくらいだったので詳しくは解らないです。後の二人は二階の方らしく、二階の方達とはあまり接点が無かったのでどういった人なのかは解らないです」

「そうか」


 宇江原の話を聞いて頷く坂城。下で聞いた話に浦部と言う人物の性別と大まかな年齢が追加されただけで目を引くような情報は何も無い。

 辺りに目を向けると二階程では無いが人の表情は暗く、先程の斎藤の見せしめ行為の時よりも空気が重い。


「私、こう言う雰囲気って苦手です」


 ぽそりと、宇江原が呟く。


「今日亡くなられた方とは親しかった訳では無かったのでどんな顔をしていれば良いのか解らないです」

「今日くらいは回りの空気に合わせて普通にしてれば良いんじゃないか?無理に明るく振る舞っても『不謹慎だ』とか槍玉に上げられかねないし」

「普通・・・ですか」


 難しい顔をして宇江原が考え込む。

 普段通りにしていれば良いのにと坂城は思ったが、そう言えば此方に来てから寝る時以外あまり一緒に居ない事を思い出す。


 と――、


「いやぁぁぁあああああっっっ!!」


 突然の絶叫がフロアの沈んだ空気を引き裂いた。


「なんだ!?」


 冷や水を浴びせ掛けられたように驚きに絶叫のする方を振り向く面々の中、坂城が最初に絶叫の主の元へと足を進める。


「あああぁぁあぁああああぁっっっ!!」


 棚で仕切られた三畳程の部屋に入ると、恐慌状態に陥った女が部屋の角に嵌め込んだように腰を落とし、喉が裂けんばかりの声を張り上げながら、手当てしたばかりの両腕を滅茶苦茶に振り回し壁や棚に打ち当てていた。

 傷が開いてたのか、壁や棚に当たる度に包帯やガーゼが徐々に赤く染まって行く。


「いやぁぁあっ!やぁぁぁああぁっっ!!ああぁぁぁああっっっ!!!」

「おい!止めろっ!」


 慌てて坂城が女の狂行を止めさせようと膝を付くと、薄い肉付きの両の二の腕をガッチリと押さえ込む。

 焦点の定まらない瞳に恐怖を湛えた女は自分の身体を押さえ付ける腕から逃れようと、自身のか細い腕を必死に振るって坂城の身体を殴り、爪を立てた。


「落ち着け、落ち着けって・・・」

「ぃやぁっ、あぁあ、あぁぁああっっ!」


 腕を押さえながら声を掛けるが女の耳に届いている様子は無い。そうしている間にも包帯を染める赤い色が、少しずつその範囲を広げて行っていた。


「痛っ、止め、落ち・・・・・・おいっ!!!」


 治まらない女の狂行に、坂城はこれまで誰にも聞かせた事の無いような大声を女に浴びせ掛けた。

 そのあまりの音量にビクリと身体を震わせて動きを止めた女に言い含ませる様に言葉を続ける。


「先ずは俺の目を見るんだ。ちゃんと見るんだ・・・そうだ。

 見たら今度は深呼吸をしろ。慌てなくて良い。ゆっくり息を吸って・・・・・・吐いて・・・・・・感情は手放すなよ、しっかり手綱を握って暴れないように宥めるんだ・・・そうそう、良い子だ。ちゃんと出来るじゃないか」


 女の様子を窺いながら声の音量を落とし、穏やかな声音にして行く。


「此処にはあんたを傷付けようとするやつは居ない。だから自分を傷付けてまで暴れる必要は無いんだ。解るな?」


 女が無言でコクリと頷くと、坂城はそれに同調するように力強く頷いて見せる。

 女の二の腕から手を放して優しく頭を撫でてやる。


「それじゃ、何か食べるものを持ってくるから大人しく待ってるんだぞ?」


 くぎゅぅぅぅ・・・


 坂城の言った「食べるもの」に反応した女の腹がお約束のように自己主張した。


「あっ・・・はぅ・・・」


 先程の絶叫とは比べようの無い小さな羞恥の声を漏らすと、はしたない自分の腹へと視線を落とし、同時に目に飛び込んで来た両腕の赤く染まった包帯に、小波のように顔から血の気が引いて行く。


「誰か包帯を替えてやってくれ」


 貧血を起こしたのか力が抜けて棚にぶつけそうになった頭を支えてやると、坂城は仕切りの外で事の成り行きを見守っていた面々の一人の女に声を掛け、姿の見えた宇江原にその場を任せると移動を開始する。


 フロアを横切りエスカレーターを上り四階に到着した坂城の頭に男の声が降って来た。


「よぅ、どうしたよ?数人かずと


 見上げると五階から両手に太田おおたと西ノ宮(にしのみや)を侍らせて下りてくる、ツヤテカご機嫌フェイスの斎藤の姿があった。


(こいつ・・・ヤッてやがったな・・・)

「今日助けた女が目を覚ましたぞ」


 心の声はおくびにも見せず今有った事を斎藤に報告する。


「おっ!結構早かったな。それで何か話は聞けたか?」

「いや、目を覚ました途端パニクったみたいで何とか落ち着かせた所だ」

「あ~、まぁ、それも仕方無ぇ話か」


 太田と西ノ宮の身体を撫で擦りながら、斎藤が昼過ぎの光景を思い出して言葉にする。


「それでお粥か何か持ってってやりたいんだが構わないよな?」


 斎藤から視線を逸らして坂城が尋ねる。その先には眠っているのか戸崎がベッドで横になったままピクリとも動かない。

 近藤と藤代ふじしろの姿が見えないが、ひょっとしたら五階に居るのかも知れない。

 それにしてもこの階にある六人分のベッドは何処から持ってきた物なのだろうか。


「ああ、構わねぇよ。好きにしな」

「解った、好きにさせて貰う」


 斎藤から言質を取った坂城は早速積み上げられた食糧の山や冷蔵庫の中から目的の物を、斎藤達のキャッキャウフフを聞き流しながら物色し始める。


「取り敢えずはこれで良いか」


 手にした食料を見下ろして独りごちると斎藤と軽く言葉を交わして階下へと下りると、そのまま食器類を纏めて置いてある一角へと移動した。


 丸い盆の上に食料を置くと、大きめの茶碗を一碗を手に取り、二つあるレトルトのお粥のパックを一つ開けてその中へ流し込む。

 空になったパックは盆の端に寄せて、スプーンと箸と蛇腹の入ったストローを盆の上に追加すると、食器類の一角の隣に併設されたレンジコーナーの電子レンジに茶碗を突っ込み操作する。


 唸り声を上げて回るレンジは置いといて、なめ茸の瓶を開封する。

 ペリペリと封を切り、パキョンと蓋を開けると醤油の香りが鼻先をくすぐる。

 その香りに我慢が出来ず、坂城は箸を手に取ると瓶の中身を一掬いして、テラテラと薄茶に照りを返すそれを口に含んだ。

 餡掛けのような滑りのあるタレは醤油のベースの甘じょっぱい味付けで、エノキのシャクリとした繊維質な食感。

 金の無い時や自炊が面倒だった時はTKG(卵かけご飯)の上にぶっかけてよく食べたものだと沁々(しみじみ)思い出す。


  チーーーン


 時間を忘れ懐かしの記憶に浸っていると、レンジが容赦無く現実に連れ戻す。

 小さく嘆息すると坂城は中から茶碗を取り出そうと手を伸ばした。


「あっつ!」


 案の定、無防備に縁を摘まんだ指を、あっつあつの茶碗が「無礼者!」と拒絶した。

 耳朶を摘まみ恨めしそうにレンジの中の茶碗を睨むと、今度は袖口をミトン代わりにして、両手で恭しく掲げ持つ。

 盆に乗せた茶碗の中のお粥はほかほかで、湯気に便乗した米の香りが胸一杯に幸せを運ぶ。


 香りを楽しみつつ、坂城はお粥の上になめ茸をとろ~りと流し掛けると、更に小分けにパックされた鰹節をまぶす。

 白と茶の二色に色分けされた丸舞台で薄絹纏う舞子がヒラヒラリと舞い踊る。


「ん、良い出来」


 満足気に独りごちた坂城は盆を手に女の元へと戻る。


 途中、空になったゴミを捨てて辿り着くと、行きは様子を窺う野次馬で人だかりが出来ていたが、今は飽きたのか邪魔だからと散らされたのか一人二人が出入りするだけだった。


 世話してしくれた女達に坂城は礼を言うと仕切りの中へ入る。

 中では傷が痛むのだろう。壁にもたれ掛かった女が額に汗を滲ませながら僅かに顔を歪め、宇江原が落ち着かせる為なのか、女の手を両手で優しく包み込んで待っていた。


 坂城は宇江原に目配せしてスペースを開けて貰うと女の隣へ座り込んだ。


「食べられそうか?」


 俯きがちな女の顔を覗き込み坂城が尋ねると、血の気の引いた顔をコクリと下げる。

 坂城は盆を胡座を掻いた足の上に乗せると、茶碗の中のお粥を軽くスプーンで掻き混ぜて掬い取り、息を吹き掛け少し冷ましてやってから女の口許に運ぶ。


 女は弱々しく薄く口を開ける。開いた口よりスプーンの方が大きかったので、坂城は無理矢理スプーンで口を押し開けお粥を中へと流し込む。


 んく、んく・・・んく・・・ごくん


 女は口の中に含んだお粥をゆっくりと咀嚼そしゃく嚥下えんかする。

 改めて見る女の姿は、減量のキツい軽量級ボクサーのような肌と身体付きをしていた。腰の当たりまである癖の無い長い黒髪も傷んで見えた。


 ポタリ――と。


 腿の上に乗せていた包帯の巻かれた手に雫が落ちる。

 女の目から零れる大粒の涙がポタリ、ポタリと濡らして行く。


「美味く無かったか?」

「ぃ"ぇ"・・・おいじがっだでず」


 坂城の言葉にくしゃくしゃの顔の涙声で返す。


「そうか。水分も摂っておくと良い」

「あ"い"」


 パキンと『DAKARA』の蓋を開けるとストローを差して口許に持っていく。


 そうして坂城はそれ以上語らず、宇江原と二人で女の食事が終わり眠りに着くまで黙って傍に居てやった。


 お粥を食べさせている最中、宇江原が羨ましそうな目で女を見ていたような気がするがきっと気のせいに違いない。

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