Scene.18
「あ~~、マジ風呂に浸かりてぇ~・・・」
斎藤が固く絞ったタオルで身体を拭きながら愚痴を垂れ流した。
ビックカメラ別館一階――。
坂城達スライムを駆逐した七人は、その場所で身体にこびり付いたスライム供の体液に悪臭、その他土埃等の汚れを洗い落とすまで隔離されていた。
それぞれにお湯を張ったバケツを二杯に身体を拭うタオルが二枚渡され、シャンプーとボディソープは男達は共有で使う。
汚れた衣服は既に洗濯物として洗濯機の中で回っている為、全員全裸だった。
「お前等それ以上そっちに近付くなよ」
近藤がジリジリとフロアを切り取るように立てられた棚に近寄る男三人の方を見ずに釘を刺す。
「な、何もしやしませんよ・・・」
「何かするつもりだったのか?」
「あ、いや・・・」
アワアワと狼狽する男達と棚の向こうでザワリと警戒する気配。
それはさておき――。
「この辺りに銭湯とか温泉とか足伸ばしてゆっくり浸かれる所って無ぇのかな?」
近くで身体に染み付いた汚れと臭いを洗い落とす坂城に斎藤が会話を振る。
「余り渋谷に来ないから解らないな。それに近場に有ったとしても湯船に浸かるのは多分躊躇するだろうな」
「数人は風呂嫌いか?」
「風呂の湯が急にスライムに化けたら・・・って、考えたら一寸な・・・・・・」
「それはいくら何でも考えすぎだろ」
笑う斎藤に身体を洗う手を止めて真剣な面持ちで向き直る坂城に、斎藤も僅かに表情を引き締めた。
「そう考える根拠でもあんのか?」
「初めてスライムが出て来た時の事覚えてるか?」
「いや、デカイ地震があった時もスライムが暴れ始めた時も外に出てなかったんでな」
「そうか・・・初めてあれが出て来た時に地面の亀裂から水が滲み出して来てな。それが何の水だったのか解らないが、その水が盛り上がると次々に人を襲い始めた」
「つまり大量の水からスライム供が沸いて出るって訳か」
「絶対とは言い切れないが・・・」
「お先に失礼します」
声の方を見ると仕切りの棚の向こうから小ザッパリとした肩口までの黒髪の女が姿を現す。
身体の締め付けの少ないパンツとシャツ、スリッパを履いて、手には身体を洗った時に使った道具一式を手にしている。
この場に居るのは惜し気も無く肌を晒す全裸の男が六人。
女は顔を赤くしながら出来る限り此方を見ないように明後日の方向へ視線を向け、ペコリと頭を下げるとタタタタッと小走りに上の階へと逃げて行った。
「ノーブラか・・・」
女の消えた先を見守りながら誰かがポツリと呟いた。
「けど便所の水とか蛇口からスライムが飛び出して来るなんて事は今の所ねぇよな?気にし過ぎなんじゃねぇのか?」
「え?あぁ」
何事も無かったように会話を再開する斎藤に、思わず言葉に詰まる坂城。その反応に斎藤が怪訝そうな顔を向けて尋ねた。
「どうした?」
「いや、何も。あぁスライムの話だったか。そう言われれば普段使いの水からスライムが沸き出すなんて事は無いな。ただ水が有ればって訳じゃ無くて、もっと他に条件が有るのかも知れない」
そう結論付けると腕を組み顎を指で摘まむ。
その坂城の姿を見詰める斎藤。視線がつつつと、下へとさがった。
「どうかしたか?」
視線に気付いた今度は坂城が尋ねると、斎藤の下を向いていた視線が持ち上がる。視線が交錯し、やおら斎藤が腕を伸ばす。
「数人、お前って・・・」
指先が組んだ腕を摺り抜けて胸に触れた。
突然の事に組んだ腕を解き、身を捩りながら半歩退がり斎藤の手から逃れる。
「いきなり何するんだ?くすぐったいだろ!?」
「お前って・・・ホント筋肉薄いよな」
沁々《しみじみ》と斎藤は溜め息を付き、身体をやや前倒しにして両腕で輪っかを形作る『モストマスキュラー』のポーズを取って見せると、首や腕回り、胸の辺りの筋肉が一回り肥大化して薄い脂肪の下から筋肉のスジがそれなりに浮かび上がる。
その後ろで近藤が背中を向けて両腕で力こぶを作る『バックダブルバイセップス』のポージングをしている。背中から上腕二頭筋にかけての筋肉が体格差のせいもあるが、斎藤のそれに比べ更に一回り以上肥大化し血管が浮かび上がっていた。
試しに坂城も片腕を持ち上げて力こぶを作ってみる。痩せぎすな体型では無いが中肉よりはやや細い印象のある身体は皮下脂肪は薄く、出来上がった力こぶもどんなに力を籠めても斎藤や近藤のように持ち上がる事も浮かび上がる事も無かった。
その二の腕に斎藤が手を伸ばして力こぶを鷲掴みにする。
「痛いいたいタイタイタイッッ!!」
「思った通り筋肉もフニャッフニャだな。数人はもっと筋トレしてプロテインを飲んだ方が絶対に良いぞ!何せこれからは筋肉が全てになるんだからな!」
「そうだな。みっちりと筋トレに励み、良質なホエイプロテインを摂取して、しっかりと睡眠を摂る。そうすればお前にも立派な筋肉が身に付く筈だ」
自信満々に発言する近藤の言葉に、斎藤が不服そうに顔を歪めて振り返った。
「いやいや圭介、そこはホエイじゃ無くてソイプロテインだろ?」
「何を言ってるんだ?龍起。ホエイで無ければ上質な筋肉など付く筈無いだろうが」
「っれだから筋肉バカは・・・、何でもかんでも筋肉デカくすりゃ良いって訳じゃ無ぇだろうが。筋肉ってのは必要な場所に必要なだけ付けて柔軟さと俊敏さを兼ね備えなきゃ意味無ぇんだよ!」
「筋肉=パワーだろうが。強靭な筋肉で身を守り、一撃必殺のパワーで相手を潰さないでどうする!」
「だからその考え方が・・・っ!」
「何処をどうすれば・・・っ!」
「どうしてこうなった・・・」
二人の筋肉論争を半眼で見据えた坂城が盛大な溜め息を付いて愚痴を漏らす。
その背後で身体を洗い終えた男達が一人、また一人と厄介事には巻き込まれたく無いと言わんばかりに、用意された服を着て上の階へと姿を消して行った。
「シャワーくらい浴びれないだろうか?」
坂城がそう切り出したのは、斎藤と近藤の筋肉論争では埒が明かず、ポージング対決に切り替わろうとした時の事だった。
二人がキョトンとした顔で坂城の顔を見る。
「最初は風呂に入りたいって話だったじゃないか」
「そうだったか?いや、そうだったな。で?ドコにシャワーなんて有るって言うんだ?」
そう問い返す斎藤に坂城は片手を上げると明後日の方角を指差した。
その先を見ると有るのは商品が陳列された壁。しかし、それを坂城が指差している訳では無い事は容易に想像出来る。
「隣のホテルならユニットバスくらい有るだろ?だったらシャワーくらい何とかなるんじゃないか?」
「ホテル・・・なぁ・・・」
坂城の言葉を聞いて渋い顔をして頭を掻く斎藤。
「う~ん、どうすっかな・・・」
「そんなに蟠りが強いのか?」
「そう言う訳じゃ無ぇんだが・・・けどまぁ、スライムもぶち殺せるようになったし、ホテルの探索をしても良い頃合いかも知れないな」
「本当に良いのか?」
それまで筋肉の事以外黙して語らず坂城と斎藤の話を聞いていた近藤が口を挟む。
二人の視線が注がれると彼は腕を組みコキリと首を鳴らした。
「何か問題でも有るのか?圭介」
「問題にするかどうかは龍起次第だが」
一旦言葉を止めて斎藤を見る。彼が良いから続けろと顎を決って見せると近藤は再び口を開いた。
「あのホテルの中には多分百人以上の人間が居るぞ」
百人と言えば、今ビックカメラで方を寄せ合って生活している人数の倍に匹敵する。しかも『以上』と言うのであれば三倍、四倍と膨れ上がる可能性すらあった。
「マジか?」
「絶対にとは言い切れないがな」
その言葉に険しい表情をした斎藤が口許を手で覆うと俯いて何事かを考え始める。
「百人って数の根拠は?」
「ホテルの規模と部屋数から考えたらそれくらいじゃないかって思ってな」
「そうだな。隣の規模のビジネスホテルだと二百部屋以上は有るだろうし、稼働率が七割程度で一部屋に一人泊まってるとしたら少なく見積もっても百五十人は居るだろう」
「でも中の奴等が全員生き残ってる訳じゃ無いだろ?」
「スライムに喰われたであろう人数を減らして大体百人、誤差を考えて百人以上って勘定だ」
「ホテルならスライムが侵入したとしても部屋のドアに鍵掛けて引き籠れば喰われずに済む可能性も高いだろうからな」
斎藤の口にする問い掛けに、近藤が答え坂城が捕捉するように言葉を続けた。
「なら下手に乗り込まない方が良いか~・・・」
「助けないのか?」
斎藤の出した結論に今度は坂城が問い掛ける。
「五人、十人って数ならまだしも百なんて人数はどうしたって無理だな。急に食い扶持が増えたらどうなるか解ったもんじゃねぇ」
肩を竦めながら持論を展開する斎藤。近藤がそれに続く。
「それと渋谷のど真ん中のホテルに泊まる人間なんて、地方から出張に来たリーマンか、旅行に来た外人が大半だろうしな」
「うぁ、外人か・・・そりゃダメだな」
近藤の言葉に斎藤が露骨に嫌な顔をした。
「外国人の何が駄目なんだ?」
「何がダメって言葉が通じるかどうか解らねぇだろ?
俺等は日本語以外さっぱりなのに、そこに日本語が解るかどうか怪しい外人が入って来てみろよ?
只でさえ不安や不満って爆弾抱えてる奴等の中に、わざわざそんな火種入れてやる必要は無ぇだろ?
それとも数人、お前は英語とかペラペラだったりするのか?」
「いや、俺も日本語以外解らないが・・・必ず悪い方へ転がるとは限らないじゃないか」
苦し紛れに出した坂城の言葉に斎藤がやれやれと溜め息を付く。
「前に『常に最悪と思われる状況を想定してそれを回避する方法を模索するのが早死にしない為の秘訣』とか言ってたのは数人。確かお前じゃ無かったか?」
「ぅぐ・・・」
言葉に詰まる坂城。斎藤がその肩に手を置いて顔を近付けると囁くように更に追い討ちを掛ける。
「数人よぉ。俺等が生き残る為には、時には切り捨てなきゃなんねぇもんだって出て来るさ。
俺等は誰だって万能じゃ無ぇんだ」
「実際、外人相手に揉めた事もあったしな」
その言葉に近藤の方を見る。彼は少しも表情を変える事無く、何食わぬ顔で続けた。
「お前と宇江原 岬がここに転がり込んでくる前、確か三日目か四日目だったかな。
ドンキを根城にしてる中国人か韓国人のチームと百貨店《東急百貨店》を根城にしてる日本人のチームが揉めた事があった。
あの時は、たまたま近場に居た俺等とハンズのチームが駆け付けるとドンキの奴等が逃げ出して事は収まったが、そのまま続けば人死にが出てただろうな」
「一体何があったんだ?」
「百貨店の奴等の話じゃ突然訳の解らない言葉で怒鳴り付けて来て争いになったって言ってたが実際はどうだったのか・・・。
何せ相手は逃げちまったし、その後直ぐにスライム供が寄ってきてその場から逃げ出すのに必死だったからな。真実は闇の中だ」
「てな訳で、俺等の見解としては『外人とは関わらない』ってのと『やたらめったら人は増やさない』ってのが取り敢えずの方針って訳だ」
「そうか・・・」
二人の言葉を受けて腑に落ちない様子で何事かを考える坂城。腕を組んで顎を摘まんでいる。
「何か言いたい事でもあるのか?」
怪訝そうな顔で見る二人に伏せていた視線を持ち上げて口を開いた。
「二人は目の前に生きた人間が倒れていた時に素通りって出来るか?今日みたいにマッドラットやスライムに襲われてる場面に出会した時」
斎藤と近藤が顔を見合わせると、暫し考え口を開く。
「出来るな」
「問題無い」
「そ、そうか・・・」
キッパリと良い放たれて二の句を続けられなくなる。そんな坂城の様子を呆れた顔で見る斎藤。
「お前は出来ないのか?」
近藤が助け船を出す。
「俺は、多分・・・。助けを求められたら、聞こえなかった振りをする自信は無い」
「そう言や、岬とも成り行きで一緒に行動するようになったんだっけか?」
「どうして龍起がその話を知ってるんだ!?」
「岬経由で歌音から聞いた。ったく、数人は甘々だな」
「むぅぅ・・・」
『甘々』と言われ黙り込む坂城にニヤリと嗤う斎藤。その二人を物言わず見守る近藤。
「ま、どうするかはお前次第だ。良っく考えて行動するこったな」
「・・・解った」
無言のフロアに重い空気が垂れ籠める。三人は各々冷めて温くなったバケツの湯で身体洗いを再開した。