第987堀:先を見る
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Side:ショーウ
ザザーン、ザザーン……。
そんな波の音が繰り返し聞こえてくる心地よい夜。
私は今、空母に乗り、海を渡っている。
海というモノに乗り出すのは初めての経験で、日中は思わず少々はしゃいでしまった。
「航海は非常にきついと聞き及びますが、この船は違いますね。揺れなどをほとんど感じませんし、船内は快適。食事も美味しい。実に充実した船旅で、命の危機など全く感じませんね」
通常、航海というのは常に死の危険と隣り合わせということを、船乗りたちの報告で知っていた。
それも当然、人が動けるのは船の上のみ。
海に落ちれば魔物に食い殺されるのが常。
例え魔物に襲われなくても、陸は遠く、力尽きて溺れ死んでしまう。
たとえ、海に落ちなくても、海で遭難してしまえば、物資の補給もままならず、飢えて乾いて死ぬことになりかねない。
陸地とは全く違う環境なのだ。
ですが、このウィードが所有する空母は根本的に違う。
何もかも完璧に取り揃えられている。
まさに動く海上城塞といっていいでしょう。
と、頭の片隅でそんなことを考えながら、無線機で本日の報告をしていたら……。
『……毎日毎日楽し気な報告で何よりじゃな。なぜワシは付いていけないのか。ああ、そもそもワシが向かうべきではなかったのかのぅー』
そんな恨みがましい愚痴が無線機から返ってくる。
その声の主は……。
「陛下。先日より何度もお答えしておりますが、初めて訪れる僻遠の地に陛下自らが率先して訪れるなど許されるものではありません。陛下の御身は国そのものなのですから、軽率に危険に曝すわけにはまいりません。」
そう、我がズラブル大帝国の皇帝ユーピア様。
ここ数日、いえ、私がシーサイフォ王国、ハイレ教、そしてウィードへ正式に挨拶をするために、空母に乗ってシーサイフォ王国に向かうとお伝えしたその日からずっとこの調子だ。
皇帝陛下自らが、何の下調べも無く初めての土地に訪問するなんてありえないというのは良くわかっていると思いますが……。
「それに、ズラブル帝都への大使として、アスリン殿たちがいるでしょう?」
駄々をこねつづけるユーピア皇帝に気を遣ってくれたのか、ユキ様がアスリン殿を筆頭に仲の良い方々をわざわざ大使として、帝都に残してくれた。
まあ、その主だったメンバーの容姿が容姿なので、ちゃんと大人?と見えるデリーユ殿も残っているので問題はないはずだったのですが。
『……そのアスリンたちが毎日のようにシーサイフォやハイレ、そしてウィードの話をする。ワシは行ってみたくて仕方がないわ』
「その話も何度も聞きました。というか、ユーピア陛下ご自身がアスリン殿たちから、ウィードの話を聞き出していると報告を受けておりますが?」
『当然じゃ。空母という、あの巨大な鉄の船を作り出すような国家じゃぞ。その国の在り様が気にならぬ王なぞ、ただの暗愚じゃ。斯様なちゃんとした情報収集の結果、ワシが自ら向かうべきじゃといぅておるのじゃ。アスリンたちを案内にな』
「だから、それは私が訪れて現地を確認の後にと、何度も言っているではないですか」
この陛下、ウィードの方々と会ってこのかた、気が緩んでいるとしか思えない。
以前はもっと凛々しく、聡明で、力強い方だったのですが、どうも容姿相応になってしまっている……ような気がします。
『はっ、誰がはしゃいどると。ショーウよ、お主の方がよほどではないか。そちらの様子、映像データがアスリンたちに送られてきておるから、ワシも知っておるのじゃぞ?』
「なっ!?」
そんなことをされているとは!?
『じゃが、ユキ殿を恨むでないぞ。ショーウがちゃんと務めておるか確認してもらっただけじゃ。いやーしかし、本当に楽しそうで何よりじゃな。ああ、なにも失態を送ってもらったのではないぞ。あくまで、ショーウの楽しそうな様子を送ってくれぬかといぅただけじゃからな。悪気もなにもない』
くっ、悪意がなければそういうのには反論できない。
確かに、ユキ様が記念にと写真や映像を撮ってくれましたが、よもやそれが陛下にまで回っているとは……。
何たる失態。
……っと、気持ちを切り替えましょう。
「ふぅ。つまり、頼めば写真や映像を記録して、送ってもらえるという事ですね」
『ちっ。露骨に話を変えおったな』
「いえ、最初から言っているではないですか。非常に快適な船旅だと。楽しんでいるのは自明の理です」
『あーいえば、こーいうやつじゃ。まあよい。ショーウの言う通り、魔道具の貸し出しまではしてくれぬが、頼めば写真や映像を見せてくれるのは事実じゃ』
「そして、その情報は撮影されて即座にズラブル帝都にいるアスリン殿に届いている。素晴らしいですね」
『うむ。予てより望んでおった事じゃが、遠方にも拘らずここまで即座に情報が送られてくるというが、ここまで便利じゃとはおもわなんだ。斯様に声を交わすこともな』
「ええ」
改めて思うが、この無線機やアスリン殿が持っている魔道具はとても有用だ。
これを各戦線、方面軍や辺境伯などに持たせれば、どれだけ便利なことか。
「この即時情報を共有できる技術は、やはり我が国にとって必要なものです」
『うむ。それはワシも同意じゃ。というか、無線機のことを知っておる連中は何としてでも手に入れてくれとせっついて来よるのう』
「周りも皆理解を示しているようで何よりです。では、当初の予定通り無線機を最優先で交渉を行っていこうと思います」
そう、この訪問で我がズラブル大帝国が何より欲しているのは、即時に遠方と連絡が取れる道具である無線機の確保。
シーサイフォや、ハイレ教等の国々への挨拶がついでというわけではないが、これから始まるハイーン皇国とのぶつかり合いにおいて、我が軍に是が非でも欲しいものだ。
今のままでも負けはしないが、被害をもっと少なくできるし、ユキ様がもたらしてくれた大氾濫への情報収集や対抗策としても有用だ。
『頼む。できればアスリンたちが持っておる、かの文字や写真、映像を送れる魔道具も手に入るのであれば……』
「わかっております。文字や写真が送れることはとても有用ですから。問題はその道具を手に入れるための、代価となりますが……」
『間違っても過大なこと、いうでないぞ。ウィードは既にこちらの底を把握しておるじゃろう。守れもしない代価の提示なぞ、こちらの信用を落とすだけにしかならん』
「わかっております。しかし、ウィードから大氾濫を示唆したこともありますし、そこを上手く交渉にのせれば、ウィードの女王もいやとは言わないでしょう」
『あのユキ殿の奥方じゃ。くれぐれも油断だけはするでないぞ?』
「いわれずとも」
ユキ様の能力の異常な高さは、今までの話し合いや交渉の場で何度も見させてもらっています。
たんなるお飾りなどではなく、まさに上に立つ者としての実力を十分備えている方。
そんな方が女王と仰いでいる方に対し、油断することなどありえません。
『あと、シーサイフォやハイレに対する礼儀も失してはならんぞ。たとえ大山脈の向こうとはいえ、これより交易を始める相手。ましてや、ハイレ教はかの宝玉、マジック・ギアを提供してくれたのじゃ。くれぐれも粗相のないようにな』「はっ」
目的はあれど礼を失するなどあってはならない。
……ハイーン皇国の連中はどうか知りませんが。
『で最初に戻るが、今回は仕方がないとしても、次は絶対にワシが行くからな!』
「……なんでそこに戻るのですか」
まったくしつこい。
などと、呆れていると、陛下の口から急に真剣な声音となり。
『……別にやましい話などではない。ウィードは治癒技術も優れているとアスリンたちから聞いておる。それはそうじゃ、無線やあのような空母を易々と作り上げるのじゃ。当然、ほかの技術も優れておってもなんら不思議ではあるまい』
……なるほど。
そちらの件でしたか。
『ワシの不老も治療の可能性がゼロではないじゃろう。とはいえ、現物を見せねば流石にわからんじゃろうからのう。じゃからワシも自ら行くといぅておるのだ』
「陛下は不老がおいやですか?」
今更ながらわかりきったことを聞く。
でも、聞かないわけにはいかない。
我が主は、いずれ来る終わりを求めているのだから。
『好きか嫌いかと問われれば、嫌いじゃな。知り合いの皆に常に置いていかれるは流石につらいものがある。不老。確かにワシは老いぬ、長く生きられる。そは魅力的に映るやもしれぬが、同時に業を背負うこととなる』
長い間、本当に長い間、国をそして民を背負ってきた陛下にしか……いえ、上に立つ者なら誰しも背負うモノ。
私だってその業を背負っている。しかし、その業もまたやがて、陛下の背に乗ることになる。
私が老いてか戦場で死ぬかまではわかりませんが。
それは私の様な凡夫の想像を絶するものでしょう。
「本来は、身命を賭してそのような世迷言は止めねばならぬのでしょうが……。私たちは陛下に頼りすぎた。そろそろ独り立ちを考えねばならぬのでしょうか?」
そう、王が自らの終わりを語るなど、本来であれば国の威勢が落ちる。
国が混乱する元となる。
だが、それも通常であればだ。
この国を遥か昔から支え、繁栄させてきた陛下には、その望みを言う権利があると思った。
『……ふむ。意外じゃな。てっきり叱り飛ばされるとばかり思ぅておったが』
「陛下のお気持ちだけをというわけではないのです。国としてみれば、我がズラブル大帝国はいささかいびつでしょう。不老のユーピア陛下がずっと治めているのが前提など。もし、陛下に万が一があれば……」
それは不敬なことではあるが、我がズラブルをユーピア陛下がずっと治めているというのは、実際おかしいことなのだ。
人には本来寿命というものが存在する。たとえ命を戦争や事故で落とさなくても、やがて終わりが訪れる。
だからこそ次代を育て、自分がいなくなったときに備えるのだ。
それを怠っているわけではないが、永遠にいると思われていた陛下が突如いなくなれば……。
『なるほどのぅ。混乱しないとは言い切れんな。ワシの影武者をやらせておる童皇帝どもは、どうも場数が足りん』
童皇帝とはなんとも。
その言い方に思わず苦笑いをしてしまう。
彼らはユーピア陛下自ら相手にする必要はないと思った相手に、またトラブルを避けるために出る偽、影武者の皇帝だ。
「かの者たちはかつて大領を有す一国の国主でもあったのですが……それでも足りませんか?」
『全く足らぬな。童どもがちっこいころから知っておる故な。ま、斯様な小さい頃よりの付き合いじゃったからこそ、従属してくれたが、逆にいつまでも甘えが抜けぬ』
「なるほど。確かにそれはありますね」
『これも今後の課題じゃな。この戦、終わりはウィードを迎えたことで見えておる。早急に準備せねば、退位すらできなさそうじゃな』
「それはこまりましたね。私も平和を勝ち取ってなお忙しいままというのは嫌です」
『とはいえ、忙しいのは避けられぬな。ハイーン皇国の実態はともかく、この地に住む民は疲弊しておる。それを助け、自立できるまでワシは頑張らねばならぬ』
「いつまでたっても陛下は休めそうにありませんね」
『だからこそ不老の治療方法を探さねばな。永遠に働かされ続けるわ』
その陛下の言葉に、2人で笑いあう。
「……そろそろ親離れしなくてはいけませんね」
『うむ。そしてワシも子離れしなくてはいかぬ。子供を信じてやれぬ親等にはなりとうない』
私たちはいつの間にか、終わりのその先を考えるところまで来ていたようだ。
『ショーウ。お主も、嫁ぎ先をしっかり探しておけよ』
「それでしたら、先ずはこの半身の焼け爛れを治せる医者も一緒に探してください」
『よかろう。不老を治すより、よほど可能性は高かろうて』
とはいえ、さすがにお互いこのままになりそうですが。
2人にはすでに戦後が見ているようです。
しかしながら、ちゃんと前を見て目の前の出来事を片付けていかないといけません。
私たちも、頑張っていきましょう。




