第950堀:お姫様の迷い
お姫様の迷い
Side:パルフィル・グスド
わいわい、がやがや……。
ここに来て、窓から外の大通りを覗くたび、そこには笑顔で行き交う多くの人々が見えます。
「……」
私はその光景を見るたび、心に妙なものが溜まっていくのを感じてしまいます。
なぜ、皇帝を詐称する輩の下で暮らしているのに、民はこんなに笑顔なのか?
苛政に虐げられているのではなかったのか?
それとも……。
「違います! そんなことは! だって、そうだとしたら……」
私は頭を振って、ふと頭の中をよぎった考えを否定します。
だってもしそうだとしたら、お父様たちが間違えていたということになってしまうじゃないですか!
でも、実際に見てきたことまでを否定することはできません。
ズラブル大帝国の姿は、ウィードやシーサイフォの皆さまに同道させて頂いた中で、つぶさに見てきました。
町に住む人も、村に住む人も、街道を行く旅人も、安心して過ごしていました。
そこには、どこにも民を虐げ、皇帝に弓引くような悪辣な国の姿はありませんでした。
あるのは、ただ、私たちと同じように民を慈しみ、守る。国としての正しい姿。
「お父様が悪かったのか、それともやはりズラブル大帝国が悪かったのか……」
いえ、たとえお父様が悪かったとしても、だからと言って国を滅ぼしていいわけがありません!
ズラブル大帝国のせいで、私の家族は、国は……!
それを考えると、ふと浮かんだ疑問に不安だった心に再び火が付きます。
そうです。ユキ様に頼んでついてきたのは、直接皇帝と話すためです。
なぜ、私の国を滅ぼしたのか。その真意はどこにあるのか。
そこに正義はあるのか。
「私はグスド王国王家、最後の者としてその責任を果たします」
このまま国が亡びるのか、それとも存続するのかはわかりません。
……いえ、まともに考えればグスド王国が復興することはありえません。
ウィードやシーサイフォに支援をしてもらえばと強く主張する臣下もいますが、そんなのは現実的ではありません。
国政を全く知らない私にだってわかります。
他国に頼り切りで国を取り返したとして、それで国民が私たちグスドを主と仰ぐでしょうか?
そんなはずはありません。
だからこそ、私は、国が滅ぼされた理由を知らなくてはいけません。
自分がたとえモノを知らぬ小娘であっても、グスドが紡いできた王家の誇りはあるのです!
そう決意を新たにしていると、不意に部屋のドアが叩かれます。
「はい。どちら様でしょうか?」
「どうも、ユキです」
どうやら、ユキ様が訪ねてこられたようですね。
ズラブル大帝国の帝都に到着して既に4日。
大まかな話し合いは終わっている頃でしょう。
そして、私の処遇についても話し合いが持たれたはずです。
ついにその結果が伝えられる。
……ウィードやシーサイフォへしてしまったことを考えれば、我が身はズラブル大帝国に引き渡される可能性もあります。
いえ、そうしなければおかしいというのは私でもわかります。
今更、私をかくまっている理由がないのですから。
確かに、ウィードは強大な力をもっていますが、かと言って、ズラブル大帝国と戦えるだけの戦力があるのかというと疑問です。
そもそも海の彼方にある国家であり、たとえオーレリア港に橋頭保を築いたといっても、ズラブルと戦うというのは現実的ではありません。
……おそらくそういう話なのでしょう。
「……どうぞ、開いております」
私は覚悟を決めてそう返事をすると、ドアが開いてユキ様が入ってきます。
その姿を改めて拝見します。
黒髪の少年というか、せいぜいが青年であり、その容姿自体は珍しくはありますが、いないわけではありません。
……ですが、その中身は見かけとはまったく違います。
今まで数多の戦場を越えてきたような凄みを感じます。
いったい何をどうしたら、こんな風格を持てるのか不思議でたまりません。
私にも彼のような力の一端でもあれば、未来は変わったのでしょうか?
と、そんなことを考えているうちに、ユキ様は席について、話を始める。
「とりあえず、単刀直入に言おうと思う」
「……はい」
すでに私は覚悟を決めている。
ですので、回りくどく言われるよりもはるかにましです。
「まず、君の命の保証については、とりあえずなされた」
「はい? 私をズラブルに差し出すのではなく?」
あまりに予想外の答えに私は聞き返してしまいました。
「ああ。こっちとしては、約束を履行できなくて申し訳ないところだ」
「いえ……」
流石に国土を取り戻してくれるなどとははなから思っていなかった。
ここまで私を連れてきてくれたことだけでも感謝しなければいけません。
とはいえ、わずかながらとはいえ、もしかしてという思いもあったのは事実で、多少悲しい気持ちになります。
「じゃ、答えを言ったところで、なぜそうなったのか、説明しておこう」
「はい。よろしくお願いいたします」
なぜ私は生かされたのか? なぜズラブル大帝国は我が国を滅ぼしたのか?
「……後方を押さえるためですか」
「それだけじゃないけどな。主な理由はそこだ。グスド王国はズラブル大帝国の敵に回ってしまったからな。そして、自国民の為にも非情になるしかないのは分かるな?」
「……はい」
結局、単純明快な話。
自らの国民を守るために敵を倒した。
私たちは確かに最後までズラブルを皇帝に弓引いた朝敵として扱っていました。
ズラブルとしては、そんな相手を残したままにしているわけにはいかないというのは納得の話です。
しかも、私たちはオーレリア港から海に出るすべを持っています。
海の向こうからさらに敵を引き込む可能性も考慮したのでしょう。
実際、私たちもそれを利用して、逃げようとしていましたから……。
そう、ズラブル大帝国は自らが生きるため。ただそれだけの話でした。
そして、私が生きているのは、いえ、生かされているのはまだ利用価値があるから。
当然ですね。旧グスド王国をまとめるのには、私の名前と血はとても有効です。
そしてなにより驚いたのは、ズラブル大帝国の皇帝は、旧グスド王国領を、自分に弓を向けるのでなければ、いずれ返還してもいいと言ってくれたようです。
……本当に、外と内での評価があまりに違います。
私たちが知るズラブル大帝国皇帝は冷酷非道、国民は鞭打たれ、酷使され、今にも死にそうだとばかり聞いていましたが、実際には違いました。
実際、この帝都では、いえ、ズラブル大帝国の統治の元、誰もが笑顔でいます。
それは、ズラブル皇帝が国々を併呑してきたのは、人々から搾取するためではなかったことを表しています。
つまり、私が聞いていたズラブル大帝国の姿は嘘だったということ。
「私は、私たちは噂に踊らされていたということですか?」
「いや、そうでもない。間違いなく、グスド王国はズラブル大帝国によって滅ぼされた。結果多くの血が流れたのは事実だ」
「……」
そうだ。それは実際に起こったことだ。
私の故郷は焼きつくされ、親も、友も、全部なくなってしまった。
今や、オーレリア港に残る僅かばかりの兵士と国民だけ。
「で、どうしたい? パルフィル王女。このまま俺たちに保護されるでもいい。オーレリア港を飛び出して、旧皇帝派の国々に助けを求めるのもいいだろう。そうなったら、まあ、皇帝と話をつける。また、皇帝を見定める為に……」
そこから先は言いませんでしたが、ズラブル皇帝の下に付くという事でしょう。
……ありえない。グスドを滅ぼされて、なお従えと?
私の感情がそれを否定する。
でも、それも一つの手だと理解している私もいます。
このまま戦っても、無為に大事な国民が傷つくだけ。
ズラブル大帝国に従えば、どこまで本当か分かりませんが、国土が戻ってくる可能性もあります。
しかし、それは屈辱の道です。
私の家族を、国を奪った相手に従うなど……。
そんな思いに頭の中がまとまらなくなります。
「……お時間はいただけますか?」
「もちろんだ。今すぐ答えを出せるような内容じゃない。オーレリア港に残っている臣下のこともあるだろう。一度戻って決めるといい」
よかった。
暫しとはいえ、考える時間はあるようです。
それを聞き落ち着きを取り戻した私は、確認せねばならないとあることに気が付きました。
「ユキ様は、ウィードは、ズラブル大帝国とはどう付き合っていくおつもりでしょうか?」
そう。戦うはずだったズラブル大帝国と話し合いをした結果、ウィードはどういう選択をするのか。
「そうだな。既に、パルフィル王女も感じているとも思うが、このズラブル大帝国の中はいたって平和だ。ちゃんとした統治が行き届いている。まあ、敵対国だから相手を貶めるような情報を撒くのは当然だ。そして、オーレリア港の街道で非道な略奪を行ったのもまた事実」
ええ、そうです。
だから分からないのです。
ズラブル大帝国は悪なのか、そうでないのか。
「俺たちとしては、どちらの言い分が正しいのかを見極める必要が出てきた。なにより我々は、話し合いの出来る相手とむやみに戦争をしたりはしない」
その通りだと思います。
戦争を喜ぶのは、それで武勲を得られる兵や将か、どうしても領土を増やしたい国に限られます。
普通なら、戦争は莫大な費用、物資、兵をつかうので、避けたがるものです。
話し合いで済むのならそれに越したことはないのです。
「つまり、ウィードはズラブル大帝国と戦うことはないと」
「そうだな。今のところ戦う理由がない。そして、向こうもこちらに喧嘩を売るつもりもないみたいだしな」
「……そうですか」
当然ともいえるウィードの答えに、私は安堵したのか、それとも残念だったのかはよくわかりませんでした。
その私の気持ちを察したのか、ユキ様は部屋を出ようとしますが、私はユキ様に声を掛けます。
「……ユキ様。ユキ様ならどういたしますか?」
「どうね……。俺にとっての答えは決まっている」
私の質問にスパッと答えるユキ様。
迷いなど何もないという感じです。
「それを聞いても?」
「構わないぞ。まず、国としては戦争をせずに済むならそれに越したことはないから、国民の為にも戦争をしない道を選ぶ」
「国としては……。ユキ様個人としてはどうですか? 故郷が奪われ親しい人が殺されたなら」
「さぁて、状況次第ではある。敵が真に理不尽なことをしているなら、その時は戦おうとするかもな。でも、きっと誰かが隣にいるからな。その人を危険にさらしてまで、戦う気になるかは大いに疑問だ。ま、全部を失えるやつってのはなかなかいないからな」
「え?」
言っている意味がわからなかった。
現に私は全てを失ったというのに。
そんな私の疑問に気づいてたのか、ユキ様は廊下へ一歩足を踏み出しながらも言葉を続けます。
「なんで両親はお前を逃がしたのか。付いて来てくれた部下たちの命を粗末にしていいのか。玉砕するまえに考え、やることはまだまだ沢山あると思うぞ。本当に何も残ってないのか?」
「……残っているもの?」
「ま、それが分かればおのずと取る手段も見えてくるはずだ。じゃ、ゆっくり考えることだ」
そう言って、ユキ様は去っていきました。
私に、何か残っているのでしょうか?
憎しみはある。でも、前提が違っていたら?
彼女は一体何を選ぶのでしょうか?
復讐か生きる道か。
どちらが正しいかは、彼女次第。




