悲願
「――じゃあオレ達は帰るぞぉ」
「えー、もっと伊能くんといたい」
徳川がそう言うのを聞いて、本多は時計を指さす。時計はもう八時半をまわっており、外も日が落ちかけている。伊能はちょうど食事を終え、暇つぶしに皆でテレビのバラエティ番組などをくつろいで見ている、そんな時のことであった。
「ここの面会時間もそろそろ打ち切りですぅ。文句は言えませぇん」
杉田はすでに言っていた。面会時間を守らないで騒ぐのであれば、伊能も含めて全員を追い出すと。
「ぶぅー…………じゃあ、またね?」
徳川はしぶしぶドアの前まで歩くと伊能の方を向きひらひらと手を振る。伊能もまたそれに振りかえす。
「うん。またね、徳川さん」
徳川たちがでていくのを見届けると、今度は沖田もその場に立ちあがる。
「さて、私も出るとするか」
そこまできて、伊能は少々不安感を覚える。もしここで一人になったとして、自分が襲われた場合どうしようもないことを。そんなことを表情から読み取った沖田は伊能に向かって微笑み、ここの安全さを教える。
「安心してくだされ。ここは不可侵条約が締結されている。ブックマンを狙うものであろうとも、ここを襲撃できるはずがない」
杉田の診療所は常に中立を保っており、裏歴史の者であるならば敵であろうと味方であろうと平等に診るのが信条である。故にここで戦闘行為などもってのほかで、行動を行った場合この診療所が利用不可となる。
裏歴史の住民はここでしか治療を受けられないため、ここでの迷惑行為は実質死を意味していた。
「じゃあ、安心……かな?」
「杉田殿もおられるので安心して療養してもらいたい」
そう言葉を残すと、沖田は部屋を退室していった。
沖田が退出したのを見届けると、宮本はしめしめといった表情でいきなり伊能の布団へと潜り込んできた。
「うわぁっ!? 何やってるの!?」
「ふふふ、私は今日内緒で残りますからね」
怪しげな笑みを浮かべ、伊能の近くへとすり寄ってくる。伊能が少し下がると、宮本がその分詰め寄る。
「どうしたんですかぁ?」
「い、いや、その、女の子がこんなことをしちゃいけないと思う――」
「いいじゃないですか」
伊能の目と鼻の先まで宮本が詰め寄る。既に隅っこギリギリにいる伊能は、これ以上下がることもできず、宮本の接近を許してしまう。
「ほ、ほら! もう九時になっちゃうし、さっきの話だと宮本さんここを利用できなくなっちゃ――」
「それでもいいですよ、伊能さんと一緒なら」
伊能の予想していたのとは違う言葉が返ってくる。
宮本は本気だった。
「……あの時助けられてから、私は伊能さんのことが本当に好きになりました……」
「本当に……?」
本当、の意味が伊能にはわからなかった。伊能がその意味を聞き返そうとするが、それより宮本が体をあずけている方が今は気になって仕方がない。
「で、でもこんなことをしちゃいけないと思う、よ」
「ですが私は――」
ドアが開き、杉田が雰囲気をぶち壊しにやってくる。宮本の顔から滝の様に冷や汗が流れ始める。
「……今何時だ?」
「……九時です」
「面会時間は何時までだ?」
「……九時です」
「じゃあサッサと出ていかんか!」
「ごめんなさい!」
宮本はあわてた様子でベッドから抜け出し、ドアへと向かっていく。伊能はその様子が滑稽に見えて、自然と笑みがこぼれ出た。そしてドアに手をかけている宮本の方もまた、別の意味で笑みを浮かべていた。
「……ふふ、今日はここまでですね、伊能さん」
「今日は、ってどういうこと?」
「ふふ、それはまたあとで教えます……」
宮本は最後に不敵な笑みを残し、ドアから出て行った。
「……宮本と何をしていた?」
「いいえ! 何も!」
「そうか……ここは娼館じゃないんだ。そういうことはよそでやってもらおうか」
「はは……」
伊能はその場でただ笑うしかなかった。
「――ターゲット確認。ブックマンは睡眠状態と思われ。回収するなら今が好機かと」
「杉田蘭の姿が確認できないのが不穏な点である。注意されよ」
「了解。予定通り、伊能奪還作戦を決行する」
窓の外に、怪しい三対の光が揺らめく。
午前二時。病院にすでに明かりはともっておらず、部屋にいるのはすうすうと眠っている伊能だけだと思われた。
窓に取りつくは一人の忍。手元にある特殊なレーザーでガラスに丸い穴を開け、そこから窓のロックを解除する。
三人の忍は窓を静かに開け、天井を這う。
リーダー格と思われる女性がスコープを外し、伊能を裸眼で視認する。
「……私が回収する。他の者は周囲警戒を」
「御意」
女性は伊能をゆっくりと抱え上げると、他の者はあたりを警戒しつつ再び窓の外からの撤退をはかる。
その背中に、最初この場にいなかったはずの杉田が待ったをかける。
「……どこへ行くつもりだ?」
「……」
忍は答えない。ただ杉田に背を向けて立ち止まる。
「伊能を狙っている輩か。何処の者だ」
「答える義務はない」
「ふん、そうか……」
杉田はそれ以上止めようとせず、ただその姿を見送るだけ。
「……忠告しておこう。どこの一族か知らんが、貴様らは確実に滅ぶぞ」
「構わない」
「なぜそう言い切れる」
「なぜなら――」
女性は振り返り、杉田の方にその決意のこもった目を向ける。
「我々が死すとも、悲願は達成されるからだ」